その3
日曜日、まーはバイト先の店長に早く上がることを打診した。バイト先はもともと100円均一の店だったが、いろいろあって今はコンビニみたいな形態となり辛うじてこの地域で生き延びている。
「すいません、店長。そろそろ上がります」
「ああ、いいよいいよ、あとはやっておくから」
倍近く年上の店長は、まーにそう言って手を振った。含むところは無さそうで、まーの言うテスト前の勉強時間が必要な為という言い訳も一切疑ってはいないようだった。まーが思うに、そもそもテストは普段の勉強の成果を確認するものであって、事前の急な勉強など意味はないと考えていた。なので、普段はテスト勉強の類は一切行っていなかったのが本当のところだったりする。
最寄り駅の快速に飛び乗り、再び昨日の雑居ビルへと急ぐ。日が沈むと、昼間とはうって変わり雑多な異国感が漂う地帯となっていた。駅からそれほど離れていないが、何やら日本ではあまり感じられない空気が辺り一帯を支配している気がした。
「相変わらず、外からは見えないのね……」
ビルに入る前に、外から確認をするが五階の窓は真っ暗で何も見えない。恐らく内側から光が漏れないように細工されているのだろう。
一歩一歩階段を昇り、目的の扉に近づく。昼間とは違い、扉の前に数人がたむろしているのが見えた。よく観察すると、全員が例のマークの付いたステッカーを持っている小物に貼っていた。種類も大きさも様々だが、一見して同じデザインに見える。
「ん……?」
たむろしている三人の内、一番奥にいた少年と目が合う。恐らく中学生だと思われたが、不審者を見つけたような疑いのまなざしがまーに向けられた。
「なんか用すか?」
まーはためらいなく、カバンに突っ込んでいた例のゲーム機を取り出す。そのステッカー部分を見せつける為だ。
「昼間、ここにいた金髪の姉さんに18時に来るように言われたんだけど?」
それで察しろと言わんばかりの口調だ。
「ふぅさんが?」
隣にいた少年も反応する。よく見ると兄弟らしく容姿がとても似ている。
「……初めての方ですよね? 失礼ですが、名前の確認が出来る身分証明書はお持ちですか?」
もう一人の子がまーに話かける。ショートカット気味なので一瞬わからなかったが、女の子のようだ。
確かに、昨日の去り際あの金髪女は『名前の読み方が分かる身分証明書を持ってくるように』と最後に言っていた気がする。もちろん、用意してきたがいろいろ考えてコピーにした。コピーしてはいけないとは言っていないからだ。
「持ってきたけど」
「あー、新規のお客さんか」
最初に反応した少年がポリポリと頭を掻く。ただ、先程の情報が奏効したようで、すぐに全員の方針が決定されたようだ。彼らはどう見ても新人か下っ端だと思われたので、誰かベテランの人間を呼ぶつもりなのだろう。この場を仕切るにはどうも幼い。
「ちょっと待てっす」
丁寧なのか無礼なのかわからないが、最初に話した少年がスマホをいじり出す。恐らく中の人間とコンタクトしているのだろう。画面を無造作にタップする。
ガチャリ
「……どした?」
開かずの扉から、大入道のような男が出てくる。天井ギリギリの背丈で、ちょっとハーフっぽい顔立ちをしていた。年齢は大学生ぐらいだろうか。
「いや、何か、ふぅさんが呼んだ新規のお客さん? が来たっす」
えらい大雑把な説明だったが、それだけで大入道は事情を察したらしく、まーに軽く会釈をした。
「……あー、多分あいつ全然説明して無いよな」
「え? ああ、はい。そうですね」
「入んな」
扉を大きく開けて、まーを出迎える大入道。
「別に取って食ったりはしねえよ」
その体格に見合った野太い声だ。同年代の女子からするとちょっと怖い気もするが、全身から感じる空気は普通の人のそれだ。まーの馴染みである中国人とベトナム人コンビが纏う独特の雰囲気とは一線を画している。そもそも、あの二人の生業について深くは知らないが、まあ、普通の仕事でないのは確かだ。
ここで引き返すことも出来たが、まーは覚悟を決めて一歩を踏み出した。中に入ると、意外とお洒落で小奇麗な空間が広がっていた。別に怪しげな音楽も香りもせず、ちょっと高級感のあるバーのような雰囲気だろうか。もちろん、まーは今までそんな場所に行ったことはない。
大入道はゆっくりと店の奥へと進んでいき、個室のような部屋のドアをカードキーで開く。ピッという機械音の返事とともに、しっかりとした造りの扉が音もなく開く。中は、ゆったりとしたソファーと低めのテーブルが据え置いてあった。
「まあ、座ってくれ」
「あ、はい。一応、扉は開けたままにしておいてもらえますか?」
一応警戒心は解かずに、安全への配慮は忘れない。
「ああ、もちろん構わないぜ」
大入道は気を悪くするでもなく、言われた通りにドアを開けたまま、ソファーへと腰掛ける。気を遣ったのか、ドアとは反対側を選ぶ。まーもドア近くのソファーへと腰を下ろす。そのソファーはふかふかで座り心地が良く、極めて高そうな一品だった。早速、大入道が説明を始める。
「先に説明すると、ここは会員制のゲームバーだ」
「ゲームバー?」
「もっとも、昔にちょっと流行ったような店で対戦ゲームをやるわけじゃない。それだと違法になっちまうからな。ここは、個人にあったゲームを見繕ったり、純粋にそれについての会話を楽しむような店だ」
「ゲームを見繕う?」
「ワインで言えばソムリエが選ぶ好みの銘柄みたいなもんかね。ちなみにゲームバーといっても、嬢ちゃんが今そこに持ってるような携帯型ゲーム以外にも、ボードゲームやカードゲームも取り揃えているぜ。まあ、この店自体がオーナーの趣味一辺倒で作られているから、オーナーが好きそうなものは大概揃ってる感じかな」
なるほど、そういうコンセプトの店か。と、まーは納得するとともに、反対の疑問が増えた。あの子がこんな店に興味などあるのだろうか? と。
「それで、このゲーム機に貼り付けられているステッカーが会員証なんですか?」
まーは先ほどのゲーム機を見せつける。それを見た大入道は、一瞬考えてこう言った。
「……まあ、そんなところだ。ちなみに、それは嬢ちゃんの持ち物じゃなさそうだが、誰のだ?」
まーは逡巡する。あいつの名前を出すべきかどうか。ただ、すでにふぅさんとやらに話している事情もあったので、そこはそれと割り切って名前を切り出す。
「牧島聖歌……って、名前をご存知ですか」
「ああ、あの破天荒娘か」
苦笑いとも微笑みとも取れるような淡い笑顔で、大入道は口元を緩めた。
「……あの子、先日亡くなりました」
途端に、大入道の表情が固まった。しかし、しばらくするとその表情が落ち着いたものとなった。
「そうか、それは御愁傷様だな」
「……いえ、ありがとうございます」
この返しで正解かわからなかったが、まーは大入道がほどほどに実直な人物なのだろうと感じた。
「するとつまり、お嬢ちゃんはあの子の生前の行動を調べているわけか。もしかして……間違っていたら謝罪するが、あの子は自殺だったのか?」
まーの心が少し跳ねる。くることが分かってはいた質問だが、むき出しの直球を受けきれるほど、心の外皮はまだ固くなってはいなかったようだ。
「いえ、事故、という扱いです……」
「だけど、納得していない、ということだな」
大入道が深く息を吐く。何を考えているかはわからないが、とても真剣なのは傍からでも理解できる。しばらく考えた後、大入道は何かを決めたように、まーに話かけた。
「……わかった。事情と気持ちを考慮して、本題に入ろう。少し特別な扱いをさせてもらうが、そこはある程度我慢して欲しいと思う」
「どういうことですか?」
「このゲームバーの正規会員になるには、厳密には条件があるんだ」
特になりたいと言ったわけではないが話の流れから察するに、まーが欲しい情報を得るためにはここの会員になる必要があることぐらいは想像できた。これはゲーム的に言えばクリアのための必須条件ということだろう。
「年齢制限とか年会費とかですか?」
「いや、まあ年齢は15歳以上を推奨しているが、中には10歳の会員もいるしそれほど重要じゃない。一応健全なゲームバーだしな。あと、会費も年間で500円程度が基本だ。別にそれぐらい今は俺が立て替えてもいい。そもそも大切なのはそこじゃない」
「じゃあ、その条件って何なんですか?」
「その前に、俺の自己紹介がまだだったな」
喰い気味に質問したまーの勢いを削ぐように、大入道は懐から名刺を取り出す。もちろんまーは名刺など持たない身分なので一方的に受け取るだけだった。
「ちょっと、読んでみてくれるか?」
質問のタイミングをはぐらかされる。もやもやするものの、仕方なくその名刺に意識を向ける。そこにはこういう文字が書いてあった。
「GAME BAR NBC 店長 『 元木 士 』」
「……?」
まーの頭に疑問符が出たのを見て、店長の元木の表情が変わる。
「まあ、声に出して読んでみてくれ」
「えっと? ゲームバーエヌビーシーてんちょうもとき………………し? いや、じ? さむらい? あ、つかさ?」
「残念だ。不正解」
くっくっく、と元木の押し殺した笑い声が聞こえる。
「読めないだろう?」
「……すいません」
「それな、武士の士と書いて士って読むんだよ」
「………………………………は?」
時間が止まったのはまーの気のせいではないだろう。
「ほら、士って漢字、ちょっと地面に刺さった聖剣に見えるだろう。あと、漢字の意味が剣士って感じだろ? 総合的にエクスキャリバーからの、まとめて『キャリバ』」
「いや、読めませんよ」
「だろうな」
本当におかしそうに笑うので、元木が冗談の名刺を渡したのかと思ったら、まーは次を見て絶句する。
元木が次に取り出してきたのは、健康保険証だった。そこには確かにこう記されている。
元木 士
「ここの正規会員になるには条件がある。それは下の名前が『難読』であることだ。わかりやすく噛み砕いて言えばいわゆるキラキラネームってやつなんだが、嬢ちゃんの世代ではもしかして言い方が違うかもな。一昔前はDQNネームなんつってたが、そりゃ死語だな」
まーが保険証を用意させられたのは、こういう意図があったのだ。
「察しの通り、牧島聖歌はうちの正規会員だった。入った経緯は確か現会員の紹介だったかな。それ自体は普通だと思うぞ。そもそもほとんどの会員が紹介でしかうちには入ってこない。嬢ちゃんみたいな自前での飛び入りは極々稀ってことだ」
「……何で、そんな条件で会員を集めるんですか?」
「そりゃ、いずれ分かるさ。入ってみればな」
まーは考えるが、答えは出ない。このまま流されて入っても良いものかどうか。
「今回は事情が事情だろうから、仮会員って形で期限付きのパスを発行させてもらう。一応、形式的には個人識別できる免許証や学生証の提示は必須だ。それだけは譲れないぞ。ただし、正規会員になるには名前の読み方が分かるものが必要だ。それが健康保険証というわけだがな」
まーはポケットから保険証のコピーを取り出す。
「ん、コピーか。まあ、仕方ないな、俺でもそうす…………る?」
店長元木の手が止まる。その視線は一点に集中していた。
「なるほど、ふぅがOKしたのはそういうわけか……」
「なら、私にも正規会員の資格はありますよね」
まーはにやりと笑った。
「まあ、そうだな。嬢ちゃんにとっては嬉しくないことだろうが、資格は十分だな」
「ちなみに、ふぅさんってこの店のオーナーなんですか?」
「いや、ただのアルバイトだが、どうしてだ?」
「いえ、凄い偉そう? だったんで」
「凄い偉そうなただのバイトだよ」
元木は達観したように言い捨てた。ただ、悪感情は無いようで、元木の表情は困った娘に手を焼いている父親のような表情だった。最も、まーは自分の父親のそんな表情を人生で直接見たことがないので、単になんとなくそう思っただけだったが。
「とにかく、今日から嬢ちゃんはここNBCの正規会員だ。適当に楽しんでくれ。もっとも、嬢ちゃんには目的があるみたいだから、楽しむのは難しいかもしれないがな」
「……いいんですか? 多分、入る動機としてはなんていうか、不純だと思いますが」
「自分で分かってて割り切っているなら十分だ。そもそも、何をするにせよ不純じゃない動機なんて嘘くさいぜ」
「なるほど、確かにそれもそうですね」
元木は笑って「会員証の発行まで待ってくれ」といって部屋を出て行った。まーはほっと一息ついて、胸を撫で下ろす。
《うまくいったな! さすが相棒!》
「うるさい。いいから黙ってな」
まーは一瞬、誰かと話をする。けれど、その正体はまー以外誰にも分らない。
まーにとって、これは単純な市販のゲームではなく、セーブ無し、クリア必須の人生ゲームなのだ。余裕を見せるわけにはいかない。