その2
まーは朝ごはんといえばパン派だった。理由は単純で日割りにすれば安上がりだからだ。ボロボロアパートの二階隅に住むまーは、階段の寿命を心配している。ギシギシアンアン喚く階段を踏みつけながら一階に降りると、階下の中国人とベトナム人が言い争いをしてる光景に出くわす。
「リュウさん。ナーさん。どしたの?」
二人の言い争いはいつものことの延長だったので、まーは一計を案じた。手のひら同士をハンカチみたいな布で括り付け、自由なこぶしで相手の横っ腹を順番に殴りあうスタイルの決闘方法だ。利き腕は使わないようにしたので、死ぬことはないだろう。
「いってきます」
後ろから生々しい鈍い音がするのも、いつものことだ。
県内でもいろいろあるこの地域は、ほとんどが外国人またはその二世、三世で占められている。まーも三世であり、近所の人たちは前々からの知り合いがほとんどだった。
だからか、まーの高校進学が決まったときは、近所の人の全員がお祝いしてくれたものだ。それぐらい、まーの通っている高校は偏差値の高い超進学校として県内では有名だった。
ただ当の本人は現在、無為にとは言わないまでもとりあえずといった感覚で学校に通っていた。唯一面白かったといえるのは、聖歌という規格外の存在がいたことだろう。
「やば、そろそろぎりぎりじゃん」
別に遅刻してもいいが、臨時収入を失うのはもったいない。そういう気持ちで、まーは待ち合わせの駅へと向かった。
待ち合わせに行くと、五分遅刻していたようだ。いつもの時間感覚では丁度だと思ったが、土曜日の電車に乗ることが稀だったので測り間違えたらしい。
「……というか、スマホ持ってないってマジかよ」
「そんなもん、固定費の無駄」
「時計も……」
「時間なんて、いまどきどこでも見られるわよ」
すでにゲンナリしているのは、山崎。まーの心の中では正義と呼んでいる少年だ。よくはわからないが、良さそうな品質の服を着ている。全身が貰い物のまーとは大違いだ。
「お前、その恰好、何かすごいな」
「トラ柄は関西人の魂よ」
「お前、生まれも育ちもこっちだろ?」
「きもっ、なんで知ってるの?」
「さらっとキモいとか言うなよな……ずっと前、牧島に聞いたんだよ」
「ま、いいや、目的地の目星はついてんでしょ? いくわよ、金出して」
「は? なんで? 日給なんだから終わってからでいいだろ」
「今のあたしの全財産、200円なんだけど?」
「……現代人とは思えないな」
若干引き攣った笑みを浮かべる正義だが、それなら仕方ないかと財布からピン札を取り出した。無駄に綺麗なお札だ。
「で? なんて店? どこにあるの?」
「……場所は大宮近くらしい。駅からは一応歩いて行ける距離みたいだな」
すでに調べていただろう情報をそらで言う正義
「んじゃ、出発」
折角のピン札を無造作に四つ折りにしてズボンのポケットにねじ込むまー。そのままスタスタと歩いていくので、正義は仕方なくその後を追った。
「なあ、お前さ」
「あん?」
菓子をポリポリ食べながらまーが面倒そうに答える。
「何で全財産200円の奴がおやつなんて食ってんだよ」
「は? 何? あたしに死ねって言ってんの?」
「いや、そこまでは言ってねえよ」
正義は深いため息をつくと、さっきとは異なる声音で再び聞いてきた。
「ごめん。本題に入るわ」
「ん」
「……お前は、本当のところどう思ってるんだよ? 牧島が死んだこと。自殺か事故だって思うか?」
「さあ? それを確認するためにこうして電車に乗ってんじゃないの?」
「ドライだよな、お前って」
「そういうあんたは熱血よね。ほんと暑苦しいし、うっざいわ」
「はっきり言うよな。ほんと」
「繕っても仕方ないしね。意味ないし」
「そうか? お前はどっちかというと、むしろ普通だと思うけど」
「はいはい、フツーねフツー。好きに言ってなさいよ」
あっという間に、目的地の大宮駅についた。土曜日ともなれば多くの人がごった返しているが、目的の方面はやや人通りが少ない気がした。
「こっちは旧地区みたいだからか、古い店が多いな」
「そうねー」
生返事をしながら、辺りを見るまー。確かに古めかしい雑居ビルがひしめき合っている。
「お、ここ、かな?」
そこには動画で映っていた風景と同じ建物があった。間違いない、ここだ。
「……」
まーは外観を観察するが、そこまで怪しい雰囲気は無い。いわゆるひとつの反社会的勢力が居そうな直感は働かない。けれど、ある種独特の空気を感じるのは確かだ。
「なんなら、俺が先に見てこようか?」
「いや、大丈夫。行くわよ」
まーは雑居ビルの階段を昇る。一階と二階はゲームセンターだった。よほどの事情がなければこんなところには来ないだろう。あの子は基本的に騒々しいところを好まない質だったからだ。
三階にあるソフト販売の店は、正義がいうには普通の店らしい。四階のカードゲーム店については、普通かどうかも分からないらしいが、あの子がわざわざ来るような空気は感じない。
正義は熱心に店員や客に対して刑事の真似事をしていた。特に成果は無さそうで、ただただ聞き込みという名の危ない声かけを続けている。三十分ぐらいで店長らしき男性が現れ、これ以上営業妨害をすると警察を呼ぶと脅されたのは余談だ。
正義は歯噛みしながら、店を後にする。最上階の五階は完全に扉が閉まっており、見るからに空きテナントの空気を出していた。もはや調べるべくもない。
「収穫ゼロかよ……」
「ま、素人二人の捜査だとそんなもんじゃない?」
まーが身も蓋も無い総括を行い、二人してとぼとぼと駅に向かう。
「今日は解散ってことで?」
「ま、まあ、あれ以上の情報も無かったし、仕方ないか……」
「じゃあ、そういうことで。あ、あたしは夕飯の食材買って帰るから、ここで。ばーい」
切り替え早く、まーはすたすたと駅の反対に向かった。臨時収入を得たので、奮発して何か豪勢な夜ご飯を食べるつもりなのだろう。そんな雰囲気を全身から出しているまー。それを見て返す言葉もなく、正義はがっくりと項垂れたまま駅に吸い込まれていく。
二人が別れて三十分後、まーは再び駅前に戻ってきた。その手には何もぶら下がっておらず、買い物した形跡は無い。そのまま駅を素通りすると、一直線に先ほどの雑居ビルへと足を運ぶ。時間はまだお昼を過ぎたぐらいだった。
雑居ビルへ到着すると、まーはごそごそと背中のカバンから黒い物体を取り出す。それは持ち運び型のゲーム機で、よく街中で子供や中高生、大人も遊んでいるやつだ。モンスターを狩るのが流行ったことぐらいしか知らないまーがこれを持っているのは理由があった。
これは、聖歌の形見分けなのだ。
ごそごそと本体の裏に描いているマークを確認する。先ほど五階の扉に貼られていたステッカーと同一のデザインだった。恐らくアルファベットの文字を崩してデザイン化したもので『NBC』と書いている。
昨夜、リュウさんのスマホを拝借してネットで調べたものの、ここに関係ありそうな類は見つからなかった。もちろん、あの子が興味を引きそうな話題もヒットしなかった。とすれば、それ以外の何かがここにはあるはずだ。
もう一度、慎重に階段を上がる。何かあれば全力で逃げる覚悟は出来ているが、それだけで安心できる道理はあまりない。まーは一歩一歩、踏みしめながら階段を上がっていく。
五階について、もう一度扉を見る。やはり、同じマークで間違い無い。まーは深呼吸すると、意を決して扉をノックした。……返事は無い。もう一度してみる。……やはり、返事は無い。
何か他の方法が無いか、扉の辺りを見回す。すると、ものすごくわかりにくいところに小さな呼び鈴のようなボタンが見えた。これだと直感し、まーは勢いよくボタンを押す。すると微かに、中からブザー音が鳴っている音が漏れ聞こえてきた。
ガチャリ
一分後、扉がゆっくり内側から開いた。
「……あんた、誰ね?」
中から出てきたのは、目つきのやばい女性だった。理由ははっきりしている。凄まじく酒臭いのだ。
服装はパンクロックな感じだが、ポケットから見えるストラップはえらくファンシーな豚だ。ギャップが凄い。
「あ、の」
剣呑な雰囲気にのまれ、まーは一瞬狼狽える。しかし、そこをぐっと抑えて、先ほどのゲーム機ステッカー部分を鼻先に突きつけた。相手の女性が迷惑そうに身を引くが、ステッカーを見るとにわかに表情が変化した。
「ん? それ、もしかして聖歌の?」
女性が目をすぼめながらまーの持っているゲーム機を指差す。
「え、ちー、聖歌をご存知ですか?」
「……あんた、友達ね?」
まーはコクリと頷いた。
「……もしかして、まーちゃん? とかいうあれ?」
「そ、そうですけど、ちーちゃんから聞いたんですか?」
「軽くっちゃ。すると、あんた……」
そう言うと、まーを値踏みするような目をした。
「ちょっとあたしに本名教えてくれんね、あんた?」
「え?」
すると、耳打ちするように合図してくる。仕方ないので、恐る恐る近づいて耳元で囁く。
「タナカ マナカ」
ほとんど聞こえるか聞こえないかの声。
「ん? それ本名なん? 本当ね?」
「え?」
まーは再び狼狽するものの、事情を察し、もう一度囁く。先ほどよりも小さな声で。
「 」
その言葉を聞いて、女性は満足そうに唇を歪めた。
「ああ、合格っちゃ。それならまず問題ないき」
「ご、合格?」
「また、ここに来るっちゃ。明日の18時。待っとるよ」
「え? あ? ちょ?」
「そうそう、念のため健康保険証でも持ってくるっちゃ。名前の読み方が分かれば何でもいいから、なんなら学生証でも構わんし」
そう言って、さっさと扉を閉めてしまった。こっちはまだ名前のなの字も聞いていないのにと、まーは困惑したがさっきの人が聖歌と知り合いなのは間違いなかったようだ。
「日曜日、18時……」
まだ時間は昼下がりだというのに、まーは少し肌寒く感じてしまう。
もちろん、正義にこのことを教えてあげる道理はない。協力するとは言っても、情報を全て共有するとは言っていないし契約にもない。そして返金する気はもっとない。
まーは一息つくと、さっきの階段を再び降り始める。季節はまだ秋に入ったばかりだった。