プロローグ
ある日、世界は知の普遍性を手に入れた。
とある技術の確立によって、人々は脳内の情報を自由にデータ化し、あらゆるデータを自分の脳内に取り込むことが可能になった。手術によって、データのインプットとアウトプットを行うための装置を脳内に移植する。世界中の人間が頭の中に自在に操れるHDDを持ち歩くようになったのだ。貧しい国の農家が相対性理論を理解し、生まれたばかりの子供がデカルトを語る、そんな世界が生まれた。
この世界では、知識の量による優越が存在しない。人々は一年に数回、脳内の情報を政府公認の機関に提供する義務を負っている。それは、最先端の研究をする学者も例外でない。もちろん、学者たちはこれに対して、猛反対した。徹底的な検証がなされていない情報をむやみに素人に与えるのは危険だという考えからだ。その中には、「持つ者」という称号を失いたくないという知識人の思いが現れていたのかも知れない。しかし、情報公開の平等を掲げる大衆によってそれらの主張は退けられた。そして、人々にはそうして集められた情報を獲得する権利が与えられた。つまり、提供の義務と獲得の権利が確立したことで、世界から情報量におる差別は消滅した。
そんな世界の中で、幸か不幸かその恩恵に浴することができなかった少年がいた。これはその少年をめぐる物語である。