濃灰
ヴァンスが負け続け、一年が過ぎようとしていた。
「くそ~今日も俺様の負けか~」
日課の勝負が終わり、ヴァンスがグレースの前に転がっている。
「動きは段々よくなっているけれど、それだけじゃ私には勝てないわ」
グレースは岩穴の中から這い出てヴァンスの近くへいって今日のダメ出しをしている。
二匹は互いに名を名乗ってから、どこか距離が近くなっていた。あの日を境に、コテンパンにやられてすぐに森に帰るヴァンスをグレースが呼び止めた。その日のヴァンスの攻め方にアドバイスをし始めたのだ。次の日には、そのアドバイスを念頭に置いてヴァンスが攻める。それをしたところで、グレースには常に次の一手があり、いつものようにヴァンスを転がしている。
(自分を倒そうって相手に何やってんだか……)
グレースは自分がおかしなことをやっていることには気づいているのだが、ヴァンスはグレースのアドバイスしたことを翌日にはしっかりと直し、今までのアドバイスも忘れずに駆使してくるのを楽しんでいるのだ。
「それにしても、今日のはなんだ?」
「闇玉。簡単に言えば魔力弾よ」
「ほう。ここまでやって、ようやく三種類目の魔法か……」
「引き出せただけいいと思うけどね」
「俺様が求めているのは絶対的勝利だ!出し惜しみされて掴んだ勝利など、勝利などと呼ばぬ!」
「変なこだわりね」
「何と言われようと構わん。わかってもらおうなどと思っていない」
新しく日課となっている勝負の後の雑談。昨日は何を食べたとか、何をしていたかなどを語り合う。勝負は一日一回というのが二匹の暗黙のルールだった。なので、勝負が終わった後に気兼ねなく狩りや鍛錬などをしていたのだ。
雑談も、そろそろキリのよいところだ。ヴァンスは、その後グレースにアドバイスをされたことを反芻しながら森に帰るのだが、今日のヴァンスは積極的だった。
「ところで、魔法というのは俺様でも覚えられるのか?」
「わからないけど、私も最初は魔法が使えなかったし、できるんじゃない?」
「そうか……」
ヴャンスは何かを考え、少し気まずそうに口を開いた。
「無理にとは言わないが、俺様にも魔法を教えてくれないか?」
「毎日襲ってくる相手に、魔法を教える気になるなんて思う?」
「それはそうだよな……」
ヴァンスはグレースに魔法を教えてくれるように頼み断られたが、グレースがそう言うと、それ以上食い下がらなかった。
「ふむ。ではまた明日だ……」
ヴァンスはグレースに背を向け、森に向かって這って行く。いつも自信満々に勝負を仕掛けてくるヴァンスの、初めて見る寂しそうな姿。グレースは何を思ったのか、そんなヴァンスの背中に言葉を投げた。
「もし明日、私に一撃入れられたら魔法教えてあげてもいいわ」
「っ!」
ヴァンスはグルリと身体をねじり、振り向いた。それは満面の笑みとでもいうのか、だらしなく口を空けていた。
「ふふふ、その言葉、覚えておけよ!」
ヴァンスは、嬉しそうに身体をくねらせながら森の中へと消えていく。
グレースはそんな後姿を見て、微笑んでいた。
次の日、ヴァンスはグレースに一撃をいれた。
グレースも手を抜いていたわけではない。これはヴァンスの実力だ。アドバイスを常に活かし、日々成長していくヴァンスに、グレースは驚きを隠せなかった。
その日から、ヴァンスの魔法の勉強が始まった。グレースも、元々の主人に教えてもらったものなので、その受け売りのようなものだったが、ヴァンスは思った以上に飲み込みがよかった。頭がいいわけではないのだが、理解力がある。次々と魔法とその特性を覚えていくヴァンスに、グレースはまた驚いた。
グレースは、魔法以外にもこの世界の常識や、人間の営みなどの勉強もヴァンスにした。戦い以外の勉強は嫌いだとヴァンスは言っていたが、ちゃんと聞かなければ明日からは戦わない、と言うと、ヴァンスは嫌々ながらもそれらの話も大人しく聞いていた。
魔法を取り入れたヴァンスの戦い方はとてもうまく、グレースを追い詰めることもしばしばあったが、その都度グレースも新しい魔法や戦法で応戦し、勝ちを譲らなかった。
さすがのグレースも、岩穴で構える戦い方では分が悪くなりはじめ、最初から穴の外に出て応戦するようになった。
そんなある日のこと。
「グレース、俺様はそろそろここを離れようと思う」
ヴァンスが狩りの最中にそう言った。二匹はいつの間にか、勝負をするだけではなく、狩りや寝泊りをするような仲になっていたのだ。
「どうして?」
「……人間に目をつけられてしまった」
それがどういうことかはグレースにもわかる。
人間の冒険者というのは、モンスターを狩って生活をしている。格下の冒険者と出会っても、何もしなければ勝手に逃げていくし、たとえ向かってきたとしても軽くあしらえばやはり逃げてくれる。
グレースは、無駄な争いを嫌う性格だ。いつもそうしていたが、ヴァンスは違った。
ヴァンスはいつか見た時のように何かを考え、気まずそうに口を開いた。
「無理にとは言わないが、俺様と一緒に来ないか?」
「……そうね。それもいいわね」
「本当か!?」
ヴァンスは嬉しそうに地面に何度も尻尾を叩きつけている。
「ここにいたら私が襲われるかもしれないし、そろそろここも飽きてきたから」
「よし!ならば今すぐ出発しよう!」
「今から?あなたと戦って疲れたわ」
「そうこうしてる間に人間が来るかもしれない!善は急げ!お前が教えてくれたことだろう!」
ヴァンスは元気になり、グレースをひきずるように移動をし始めた。グレースも文句を言いつつそれに従う。
それから、二匹の旅は始まった。
確かに、それは人間から逃げる旅だったが、同時に、二匹の共同生活の始まりでもあった。