そりゃないよ……
「グルルル……」
雪男は木の上から俺を見下ろしている。俺を警戒しているというわけではなく、俺がどこに逃げようとしているかを見ているんだろう。
だが俺は逃げるのをやめたのだ。それよりもさっさと降りてきてほしいものだ。
「ほら、こっちだよ!!」
俺は逃げてきた道を戻っていった。最初に雪男がいた場所。木々がなく、隠れることはできないが、奴も木の上を移動することはできなくなる。
「よしよし。いい子だ」
思った通り、雪男は木の上から飛び、俺を逃がさまいと前に立ちふさがってきた。一歩、また一歩と近づいてくる。奴は俺が戦意を喪失していると思っている。だから警戒もせず余裕そうに歩いてこれるのだ。
だけど俺の戦意はなくなっていない。逆に増し増しだ。
(さぁ、もっと近寄ってこい)
首も絞められず、牙も通用しなかった雪男だが、さっき木の枝にぶら下がっている時に見た光景。奴の腕だ。木にぶら下がるため、当然枝を掴んでいるわけなのだが、その時奴の腕は伸びきっていた。俺が注目したのはその伸びきった腕の肘。
サーモグラフィーのように見えるこの右目で、奴の肘がオレンジ色になっているのがわかった。首回りも身体中も真っ青な色をしているのに対して、奴の肘と膝はオレンジ色だった。つまり、体温が見えるほどに関節は毛が薄いということだ。
(そりゃそうだ。関節まで毛に覆われてたら、動きにくくてしょうがないからな。しかも、毛が薄いってことは俺の牙が通るかもしれない)
雪男はとうとう俺の目の前にまで迫り、手を伸ばす。警戒など微塵もなく、こいつは俺を素手で捕えようとしているようだ。
「さすがに舐めすぎだよっ!」
俺は掴まる前に動き出し、雪男の足に絡みついた。さっきみたいに脛に絡みつくのではなく、狙いの関節にまとわりつく。
「牙を試すってのもいいけど、そんなチクチクやっても止められそうにないからな!まずは一本もらうぜ!」
ミシミシと骨と骨が軋む音がしたと思えば、それは鈍い音を立てて綺麗に畳まれた。
「グロアアアァァァア!!」
初めて聞く、雪男の悲痛な声。雪男は前後逆に曲がっている自分の左足を抱え、悶えている。
(知っててよかったぜ。てこの原理……)
俺がキメたのは、関節技。膝十字固めというものだ。手足のない身体でできるものか少しだけ心配だったが、できなきゃ死ぬ。必死に考えた。
俺は奴のふくらはぎに下半身を、太ももに上半身を巻き付け、あとはてこの原理だ。折るだけ。全身が筋肉でできている俺は、思った以上にパワーがあるようで、雪男の身体を簡単に折り曲げられた。
横で悶える雪男をしり目に、俺は関節技が上手くいったことに安堵する。
(でも油断はできない。これであいつは俺を警戒するはずだからな)
すぐに追撃はこないが、俺も追撃をすることができなかった。しばらくすると、奴は片足だけで立ち上がり、怒りに震えながら俺を睨みつけてきた。
「グルオアアアアアァァァァ!!!」
前のめりに叫ぶ姿を見て、俺は奴がゴリラなんかには見えなくなっていた。まぎれもなく、モンスターだ。
(っていう俺もそうなんだけど……)
食うか食われるかという世界。命の危機は感じるが、それ以上にこいつに勝てば生きられるんだと思うと、気持ちが高揚してくる。
「おらぁ!こ、こいよぉ!!」
少しだけうわずってしまったが、俺は雪男を挑発した。それのおかげかどうかはわからないが、奴がこちらに突っ込んでくる。左足は折ったので、走りかたも早さもフラフラとしている。
「よっ!」
俺は、その突進に合わせて折れた左足。奴の左側に避ける。
右足でしか歩けていない雪男は急停止することができず、目で俺を追うことしかできない。そしてそうやって半身で俺を追ったのが雪男の敗因だ。
「もう一本っ!」
俺は急旋回し、雪男の右足に身体をひっかけた。片足でバランスの悪い雪男は簡単に倒れこみ、俺は左足と同じように右足に巻き付き、そのまま折る。
「グガラアアアァァァァァ!!」
二度目の悲鳴。二本目だから多少慣れたのか、雪男は悶えるのをすぐ止め、立ち上がろうとする。
だが、両足とも折れているのだ。一瞬立ち上がることはできても、力が入らずにすぐに倒れこんでしまう。それでも雪男は諦めずに手だけで動こうとしているが、俺を見つけ、その動きを止めた。
「グ、グルル……」
「動きを止められれば、勝つ方法はいくらでもあるが、牙は通らないし、近寄らない方が安全だ」
俺は、最初に雪男が投擲した槍の前にいた。身体を器用に使いそれを地面から引き抜き、尻尾を巻き付けて身体にしっかりと固定する。
「俺も道具、使わせてもらうぜ」
俺の身体ほどもある槍だが、持ち上げられないほど重くはなく、器用に扱える。槍を尻尾で固定し、穂先を頭の上に持ってきて、俺はそのまま這って突撃する。
狙いは、目玉。
「……ウアアアアアアア!!!!ウアアアアアアア!!!ウアアアアアア!!!」
最期の断末魔だろう。雪男は甲高い声で鳴いている。
「俺の可能性に気づかせてくれて、ありがとよ!!」
雪男の槍が、雪男の目玉の中へ吸い込まれていく。槍は赤い塊と一緒に後頭部から飛び出し、雪男が完全に絶命したことを確認すると、俺は槍を放した。
全身の力が抜けた。
「……勝った。勝てたぁ……」
俺には、必殺の型というものがあった。力任せの技だが、今まではそれでよかった。だが、これからはそれが通用しない相手もいる。道具を使ったり、魔法を使ったりといった敵が出てくるだろう。
その時俺には諦めるという選択肢だけが残ると思っていたが、それは大きな間違いだった。ピット器官、そして前世の知識。それらをフル活用して生き抜いていく。そうすれば、きっとこれからも頑張れるきがする。
「疲れた。本当に」
俺は、今日の狩りの成果をママに見せるため、雪男に絡みつき、引きずりだした。
後は帰るだけ。そう思っていた。
「グルアアアアア!!!」
「グルルルルル……」
「グルッホッホ!!」
雪男の叫び声が聞こえた。それも一つではない。いくつもだ。俺が巻き付いている雪男は完全に死んでいるし、ピット器官で見る限り体温も段々と下がっている。
「つまり……」
木々を伝って次々と現れる雪男。手には槍のようなものや石斧、松明を持っているものもいる。
目の前に現れたものだけで5体。後ろにも4体いた。
どうやら、こいつの最期の断末魔は、仲間を呼びよせるためのものだったらしい。絶体絶命だ。
俺は身体を巻き付けている雪男から離れ、集まってきた奴らの場所をしっかりと確認し、雪男の頭から槍を引き抜いた。
勝ち方がわかったからよいものの、一体で苦戦していた。そしてその苦戦する相手が9体。仲間の死体を目の当たりにし、油断も隙もあるわけがない。
俺は、身を引き締めた。
「……めちゃくちゃ逃げたい……」




