魔族討伐?いや、むしろ侵攻者はこっちだろ
「もうすぐ、か……」
生まれてこの方散々勇者教育だのと言ってほぼ軟禁されたまま15年を過ごし、人類の希望だなんだと祭り上げられながら放り出されて早二年。
どういう訳か定番のスライムも含め特に魔物に襲われず、寧ろ人間に幾度となく襲撃され、さらに街に行けば打算しか透けて見えない態度で媚びようとする人間や、いっそ勇者なんて珍しいもの捕らえ売り払おうなんて黒い部分ばかり見続け、最早人の方が滅ぼされるべきではないか……そう思いながら魔族の国に入って一月。
俺が人間なのにも関わらず食料が切れ困っていれば声をかけ分け与えてくれたり、馬を借りたものの落馬した挙句怪我をした俺に、ただ只管に善意だけで手当や手助けしてくれたり。
ぶっちゃけ人間よりも、討伐対象であると言われたものの方がよっぽど優しくていい人たちではないか。
そう思いながら結局のところ魔族を誰一人手にかけることなく、最終的に徒歩や馬車で移動を続け現在。
いまいち釈然としないまま、活気にあふれた魔界の首都、即ち魔王城のお膝元を屋台で購入した串焼きなどに舌鼓を打ちながら至って平和的に進んでいた。
魔界のイメージとしては荒廃した土地に威圧感溢れる武骨な城だけがあるかと思いきや、実際には人間の世界以上に美しく整備された街道や建物たちが並んでおり、不毛の地と言いつつも魔法の技巧を凝らして通常《人間の世界》以上の作物を育て。
なんなら貧窮院や孤児院、公立の学校に職業安定所。衛生的な水の使用システムなどの公衆衛生まで整っているのだから恐れ入った。
正直、この役が終われば適当に放り出されそうな身の上の俺としては、将来への不安や何かあった時、国がどうにかしてくれるという安心感のあるこの国へ移住したい。
国をむざむざ潰し合うような諍いも何もない理想郷のような魔界羨ましい。
それに、幾ら勇者は魔物を討伐するのが使命と言われても楽しげに暮らす魔物ども、いや魔界の住人たちにこちらに対して害意の欠片もなく、寧ろ親切にすらしてくれる彼らに対して此方も剣など振りたくなくなってしまったのだ。
「正直勇者失格だよなぁ〜」
ぶつぶつと呟きつつ、港の関所で描いてもらった魔王城への地図を見ながら歩を進めた先。
そこにあるのは町並みと同じ、童話の中のような愛らしい雰囲気の木組みの家だった。
「は?」
まじまじと見た。
しかし表札にはどう見てもどういう訳か魔王と書いてある。
一体全体どういうことなのか……
そう思いながら俺はドアノッカーに手を掛けた。
それから数秒の後、家の奥の方からかぱたぱたと足音が聞こえドアがゆっくりと開く。
そこから現れたのはやや小柄で華奢な体格の、見たことも無いほどに端正な顔立ちをした美少女。
「えっと……」
吃る俺に、彼女は腿辺りまである月光を写した様な髪を揺らしながら、深い昏い紅色の瞳をこちらに向ける。
どうすれば……。冷静に考えて、まさか勇者ですと玄関先で名乗るのも憚られるし、かと言ってこのままも気不味い。
何も考えず一先ず戸を叩いた自分を張り倒してやりたい。
混乱の余りそう怪しい人感抜群でぐるぐると人様の家の玄関先で考え始めていると、不意に彼女は口を開く。
「あ!もしかして勇者さんですか!!こんにちは、余が第27第魔王です!真名は生殺与奪に関わるので妻以外には内緒です!差し障りなければお名前は?」
テンション高く言い切った目の前のヒト。
魔王本人であるという内容もさることながら、一番に驚いたのはその声。
そう。彼女……いや、彼は男性らしいと。
心地よく響く甘くも適度に低い声に度肝を抜かれながらもなんとか人として挨拶を返した。
「初めまして魔王様、私は勇者のディートリヒ、です。ディートリヒ=リントヴルム」
「ディートリヒ君!覚えたよ。まぁ、立ち話もなんだしあがっててよ、ね?」
にこにこと人懐っこい笑顔を浮かべながら上目遣いに首を傾げる彼に、ただ俺ははい、とだけ応えた。
想定的に地図は1600年代欧州の地図を想像していただけると。
勇者がほっぽり出されたのはおおよそ神聖ローマの右下らへん、魔王の住んでいるのはアイスランドらへんです。