2:交錯の昼、糸口の夜-2
会長室で怪しげな言葉が飛び交う間、腹を探り合うペアが向かったのは――
「そういえば用事で来たんだよなぁ」
「今さら言ったってダメ。ご飯できるくらいには暇だったんでしょ」
背後でぼやく少年がちゃんとついてきているか時々振り返りながら、瑠真は本局まで戻ってきていた。軽快な足取りで下り階段に進むと、少年が後ろから声をかけた。
「どこ行ってるんだ」
「演習場」
この一言にたっぷりの優越感を塗りこめて答える。
協会には治安維持の役割も付せられているとはいえ、初級超常師に与えられる任務のレベルはいつぞやの遊園地警備が上限だ。成績に応じて進級が決まる協会の教育システム上では、対人練習が課されるのは中級からになる。小規模な訓練で事足りる初級超常師の多くは、研修期間のお試しくらいでしか演習場を使う機会がない。
かく言う瑠真も上から見学するだけじゃなく、中に入るのはおそらく超常師認定を受けてから初だった。
おいまじかよ、とか小声の文句が背後から聞こえてくる。
「要求レベルがいきなり上がってない?」
「別にバトルしろとは言わないわよ。演習場の用途はそれだけじゃないでしょ?」
弾むように最下段を飛び降りる。足音に気づいて入り口の職員がこちらを見る。簡易テーブルに管理用の端末を載せて、出入りをチェックしているようだ。
「初級会員の七崎瑠真。こっちは」
「高瀬望夢」
「バーチャル空いてますか?」
「言ってること違うぞお前、それは対人練習用だ」
ペアがうだうだ言っているが職員は機械的に手続きを済ませてしまう。いくつかの注意事項を述べて入り口の扉に手をかけた。
瑠真は抑えきれない微笑を浮かべてごくりと唾を呑んだ。
扉の隙間からわっと喧噪が溢れ出してきた。広い空間はいくつかのエリアに区切られ、右側では相変わらず例の優等生ペアが演習をしている。それ以外にもフープやボールなど、道具を使った訓練に励んでいる少年少女もいたし、特殊壁に向かっている姿もある。
対して、左側の空間が。
「せっかく演習場に来たんだから、使わないと損でしょ」
「お前が来たかっただけじゃねぇか」
突っ込まれた気がしたが無視。入り口から向かって左、灰色の壁で小屋のように仕切られているのは、超常仮想式演習室、通称バーチャルルームだった。
使用中だった別ペアが丁度出てきた。室数が少ないから混雑していないのはラッキーだった。軽く跳ねて気合いを入れる瑠真の後ろでペアが溜息をつく。
「俺何すればいいの」
「何かやって。今後仕事するのに、どれくらい頼れるか確認する。何もないところでっていうのも無茶ぶりでしょ?」
これでも十分無茶ぶりだとでも言いたげな目つきで見られたが、外で使いたくないと言うのだから仕方のないことだった。事実、相方として何ができるのか知っておく必要はある。
バーチャルルームの内部は無機質な無数の線に区切られていた。センサーが張り巡らされているのだ。奥の壁に隣接して設置されているコントロール盤に手を触れ、ペタルを流し込んだ。
部屋の中央に、等身大のでくの坊みたいな人型の光が現れた。予め用意されたアバターみたいなものだ。使用者である瑠真のペタルで形作られており、断続的にコントロール盤に力を流し込むことで操作することができる。
僅かに透ける人型と向かい合った少年が言った。
「これって、触れないんだっけ?」
「根本的にはただの光術だからね。でもこの部屋の中にはセンサーがついてるでしょ?」
人型を操って、コントロール盤の正面まで動かした。振り返るとか歩かせるとか、機械的な動作は予めシステムに組み込まれているから、注ぎ込む力に指向性を加えるだけでいい。
差し出した人型の手のひらに、瑠真は自分の空いた手のひらを重ねた。そちらの手にも異能力を込めて軽く押すと、のっぺらぼうの人型がよろめく。わずかに反発の感触があるが、本物の人間に触れたときほどではない。
「こっちが超常使えばペタルの発散をセンサーが拾うわけ。こいつも光術の塊だから、どこでどういう術がぶつかり合ってるか、センサーが勝手に判断してくれる。だから対人練習ができる」
もちろん単純な動作の練習にしかならない。だから上級者は結局、今日の優等生たちみたいに互いを相手取って練習をすることになる。だが、光の人型は、怪我をしない分イメージトレーニングには最適だ。
「要するに、ペタルを使ったときだけ反応するんだな?」
「そう。アンタにぴったりでしょ」
挑発半分で笑うと、少年は考えるように目を細めた。
瑠真としては、研修でわがままを通して使わせてもらって以来のシステムを、とりあえず動かしたくてたまらない。恐らく協会の中で最も最先端の技術が結集されているのだ。どちらかと言えば、各種研究機関の試作技術の実験としてこうした施設が設置されているという方が正しいが。
「説明するよりやってみよう」
軽く言ってアバターを向き直らせた。少年の元に、瑠真のペタルを送り込まれた人型が突進していく。
「攻撃!」
口に出して命令を定めると、人型が少年に殴りかかった。少年は何らの回避行動も防御の動作も取らない。光の拳がすり抜け、少年と半ば重なり合った人型がつんのめる。スルーか、つまらない、と口を尖らせた瑠真の目の前で、少年の片手が少し動いた。
重なり合った人型の身体の内部に突っ込む形で、手のひらを開く。
突然人型が、瑠真の命令を外れた。傾いたままの体勢でぴたりと動きを止め、組み込まれているはずのない動きでぶるりと震える。
「えっ?」
次の瞬間、光の人型が弾けて消えた。
ぽかんとする瑠真の目の前で、少年が使った右手を下ろす。
彼が瑠真の操作に介入するようにペタルを注ぎ込んだ結果、バグったのだと気が付くのにしばらくかかった。
「それっ、ずるくない?」
想定外の対応に瑠真が声を上げると、少年が眉根を寄せた。
「別に対人練習がしたいんじゃなくて、俺に何ができるかのチェックだろ? これでいいじゃん」
はい終わり、とでも言いたげにさっさと背を向けて扉に向かうので、瑠真は反射的に手を挙げた。少年の行く手に着弾するように白い光の弾を放つと、さすがの彼も仰け反った。
「危ねえな」
「外したわよ。もうちょっと何かないの?」
今まで彼がやったことは何だ? 感知系に干渉系、相手の裏をかくというか、受け身の技術ばかり見せられている。感知系はそもそもペタルを使わないのだから、その点今見せられたもののほうがまともに超常師やってるといえばそうなのだけど。
「光とか、念動とかか?」
小馬鹿にするような口ぶりで少年が言って振り向いた。
「別にそれだけが異能じゃない」
「分かってるわよ、そんなこと」
イラッとして棘のある口調になる。
「交替しない? 別に光術が使えなくても、アバター自体は組み込まれてるから動くわよ」
コントロール盤を叩いて言うと、少年は億劫そうに息を吐いた。
「一回だけな」
瑠真は乱暴な足取りで位置を替わる。かわされっぱなしで腹が立つので、正面から超常術をぶつけてすっきりしたかった。
少年がコントロール盤をいじっている。
「やるぞ」
覇気のない一声とともに、アバターが姿を現す。
瑠真は応じて、不敵な笑みを浮かべようとするが、
「え」
そのまま半笑いで固まった。
現れた人型はそれだけではなかった。正面に立った一体に続いて、その横にもう一体。やや後方に別の一体。少年が何か操作するたびに人型が現れ、合わせて四、五体が林立する。
「ちょっとアンタ、」
何が能無しだ。操るアバターが多いほど技術もペタルも要るはずだ。噂に騙された思いで叫びかけたとき、一斉に人型が向かってきた。
「っ、」
最初に近づいた一体をひねり倒した。身体増強の超常術に反応した人型が床に転がる。振り向きざまに近くにいた一体を蹴り飛ばす。といっても仮想の人型に感触はないので勢いが余り、瑠真のほうも思いっきりつんのめった。
体勢を立て直したとき、目の前に残りのアバターが迫っていた。
ただの光なのは分かっているが、目の前の一体が手を振り上げ、脊髄反射で頭をかばうように手を挙げた。
「あ」
少年の気の抜けた声がした。
瑠真をすり抜けるはずだった拳が直前で止まった。それだけでなく、すべてのアバターが故障したように固まっている。
その光がいっぺんにブレて、忽然と消えた。バーチャルルーム内が殺風景に戻る。
瑠真はきょとんとして動きを止めた。こっちは何もしていない。
少年はコントロール盤に手を当てたまま渋い顔をする。
「タイミング悪……」
ぼそっと低い独り言だったが、瑠真の耳にはそう聞こえた。
「何?」
目を瞬いて尋ねると、少年はしかめっ面のままその場を離れた。やる気なくポケットに手を突っ込んでいる。
「終わり」
「は? 終わり?」
「一回だけって言ったろ? 悪いけど、今はこれ以上付き合えない」
まったく訳が分からなかった。さっきまで割と本気を見せていたのに、いきなり今日出くわしたとき並みにテンションが下がっている。
機械の側の故障……にしては態度がおかしい。「これ以上付き合えない」なんて言い方はしない。何か失敗したのだろうか? そう思うのが自然だが、この程度の操作で失敗があり得るのかよく分からなかった。ましてや、出だしまでは瑠真もやったことがない小器用な操作をやっていたのだ。複雑なことをやり過ぎて、途中で集中が切れた……?
というより、見た感じ、
「いきなりペタルが切れた……?」
思わず口に出たとき、戸口で少年がぴたりと立ち止まった。
「お前さ、格闘訓練したことある?」
「は?」
話題を自分のほうへ差し戻されて瑠真の耳がさっと赤くなった。
「ない……けど。初級だし……」
「だろうな」
見たらわかるとでも言いたげに少年が相槌を打った。そりゃ、自分でもちゃんとした型じゃないのは知ってるけど。でも瑠真のやりたいことと食い違って、初級では対人練習なんか教えちゃくれないのだ。独学でできるのは成績優秀ペアの見学くらいで。
「なんでそんな戦いたいの?」
少年が続けて質問してきた。瑠真は決まり悪さを吹き飛ばすように強い口調で言う。
「どうでもいいでしょ、私の事情なんか」
「そういうこと」
相手があっさり頷いた。瑠真は返事に窮する。どういうことだ。
「俺の事情なんかどうでもいいだろ。ほっとけよ」
「なっ――⁉」瑠真は信じられない言いぐさに身を震わせ、「あのね、超常術のレベルは仕事上のペアに関係あるでしょ? だから訊いてるの」
「じゃあ昨日言ってたのって誰? 俺に訊いてきたんだから関係あるだろ」
あまりに滑らかに差し挟まれたので、瑠真ははじめそれが何の質問なのか分からなかった。
遅れて追いついたとき、昨晩自分が言った言葉がフラッシュバックする。
「ミワノって誰?」
少年が無感情な瞳を瑠真に向けていた。
口を開きかけたが、言葉にならずに引っかかった。アンタには関係ない。呼び捨てにするな。軽々しく触れるな――。言いたいことは次々浮かんでは消えるが、まとまらない。
「……いいよ別に、何でも」
なぜか先に少年が根負けした。独り言みたいにぼそっと言って、瑠真から目を逸らす。
でもその背に向かって、瑠真はようやく一つの言葉を拾い上げた。
「友達」
少年がぴくりと反応した。
瑠真は早足でその背中を追い越し、先に立って戸口を出る。演習場の喧噪がわっと襲ってきた。
その中に紛れるようにして、言う。
「昔の友達」
聞こえなかったなら、それでいい。