1: 協会の落ち零れ-3
打ちっぱなしの地下室は、日に焼けた店舗とは別種のコンクリの匂いがむっとこもっていた。
ひんやり肌寒い空気の中で、裸電球がぱっとつく。「うげ……」思わず呻きが漏れたのは単純明快、心もとない灯りに照らし出されたのが雑然としたガラクタの山だったからである。ほこりを被ったガラスケースが堆く積まれ、開閉部を阻害する形で別の箱が鎮座していたりする。
「これ全部やるの……」
「別にいいよ。絞るから確かめて」
空箱を押しのけながら言ったのは例の高瀬望夢である。能無し能無しと噂に聞いていたが、さっきからずいぶんな自信家だ。
「適当言ってるんじゃないでしょうね?」
半眼で問い詰めると、望夢は無言で足元をまさぐり、つまみ出したものを放って寄越した。「わ」慌ててキャッチしたのは汚れた手鏡である。外枠の装飾がごてごてしいが、それ以外はいたって普通の鏡。
「あのね、丁寧に扱えって言われてるの」
「そんな大したもんじゃない」
断言口調にイラッとしつつ、どうせいずれはチェックするので、手元に意識を集中する。やがてわずかな温かさを持ってペタルが鏡に流れ込んでいき、瑠真は固唾を呑んで濁った鏡面に注目した。
一拍、二拍ほど静寂があって、何も起こらないじゃないか、と言いかけたとき、底から沸き上がるように鏡面に像が現れた。
「ひゃっ」
思わず投げ出した鏡が床に落ちからんからんと音を立てる。外枠ぎりぎりまで今にも飛び出しそうに、青白い人の顔がゆらめいている。呪わしげに口をぱくぱく動かしていたが、瑠真からのペタルの供給が途絶えるとすっと引いて元の汚れた鏡に戻った。
「丁寧に扱えよ」
少年が皮肉っぽく瑠真の台詞を投げ返してくる。よっぽど言い返そうかと思ったが、その前に鏡を拾い上げた。
手元に目をやる――緑の検査紙がほんのり赤く染まっている。異化力のサイン。
「大したものじゃなさそうね」
言った後で、その台詞はさっき少年が発したものだと気が付いた。
「上にあったのと同レベルの子供だましだよ」
そう言う本人は重なった箱を退ける作業に取り掛かっている。瑠真が複雑な目つきでその後ろ姿を眺めていると、ちらっと振り返った目が合った。
「これで信用してもらえる?」
瑠真はしばらく黙り込んだ。全体的に数言余計なヤツだが、探知能力は認めざるを得ない。それこそ訓練をしたのかもしれない――異能自体の才能はないのだから。
「アンタ、超常術使えないんだっけ」
噂と実態を擦り合わせるつもりでそう問いかけると、少年の背中が一瞬止まった。今までのウザいくらいの迷いのなさから一転して、答えたくなさそうな雰囲気が全身から立ちのぼる。
「多少は」
硬い声で答えたのはそれだけだ。瑠真は我が意を得たりと突っ込んで、
「じゃあどうやって研修終わったの?」
「研修が何?」
「実技試験があったでしょ」
少年は一つの箱の中身をどさどさ別の箱に投げ込みながら、
「さぁ。筆記で点数足りたんじゃねえの」
わざとらしく鼻につく言い方で答えると、作業の手をとめて背中を伸ばした。
「そういうお前は? 試験でもなんか壊したの」
若干子供っぽいやり返しの意図を感じて、瑠真は精一杯余裕の笑みで応じた。
「くだらない噂には興味なさそうだと思ってたわ」
「別に、興味はない」
わざとペアの神経を逆なでしているのかコイツは。
ひとしきり怪しいと思うものを放り込んだ段ボールを少年が床に滑らせてくる。確認しろということらしい。完全に主導権を取られた瑠真は不満たらたらの体で作業にかかる。自分にも感知できないかと集中してみたが、気のせいと区別がつかない程度の感触があっただけだった。
超常術を使う気がない超常師……間違いではないのだろう。感知系は五感に近い生来の能力の問題だ。ペタルを使う技術ではないから、超常術と呼べるものではない。だが、仕事を手伝わないとか、平然とさぼるとか、そういう噂はどこから来たんだろう? ……いや、やる気満々に見えるのかと訊かれれば、単にさっさと終わらせて帰りたがってるというほうが近いけど。
感知系が使える相方がいれば作業が楽だ、と考えてはいたものの、指図されるだけというのもなかなかやりづらかった。
「一回休憩しない?」
単純作業に音を上げて、手近な段ボールに腰を下ろした。スカートに埃がつくのが気になるが、それよりしゃがんでいるのが辛くてやってられない。一階部分より「本物」の割合は上がったとはいえ、協会に馴染んだ身からすればガラクタ同然のオモチャばかり。
黙々と仕分け作業に精を出していた少年は完全に無視の体勢だった。蹴っ飛ばしてやりたさが募ったが、どうせやっていることはそれぞれ別だ。瑠真が勝手に休憩したって困らないだろう。
溜息をついて重心を移動すると、身体の下で段ボールがへこんだ。
「ひゃ」
空箱だったらしい。口をとめていたガムテープが圧力で剥がれて瑠真のお尻が箱の中に落っこちた。痛みより意表を突かれて身動きがとれない瑠真に、少年が「何やってんの……」と呆れ顔を向ける。「うるさいな」真っ赤になって乱暴に立ち上がると、潰れた段ボールを腹いせに放り投げた。
別に座るものを探して見回したとき、段ボールで隠れていた場所に木箱があるのが気になった。
「ねえ」
無意識に少年を呼んだ。呼ばれるまでもなく、少年も目を注いでいた。向きを変えたスニーカーが瑠真の隣に立つ。
明らかに他の箱とは雰囲気が違った。両手に載るサイズの生木の箱で、被せた蓋をきっちり留めるように、真一文字に縄がかけられている。少年が手を伸ばし引っ張り出すと、縄そのものの異様さが目についた。細い紐がぐるぐると幾筋も縒られ、千切れかけの小さな紙片が合間に下がっている。
(……注連縄?)
正月の玄関先で見るのではないそれは、ひどく非日常的な色彩を持っていた。
箱をぐるぐると確認した少年が一点に目を留めた。白いシールが箱の角に貼られ、小さな黒文字で数桁の番号が振ってある。そう古いものではなく、亡くなった店主が比較的最近つけたものであろうことが想像できた。
少年は箱を手近なケースの上に置くと、瑠真に回していた段ボールの前に座り込んだ。
「それは一回見たでしょ」
怪訝な顔をして呼びかけたが無視だった。数回目ともなると苛立ちが勝ってくる。肩越しに覗き込んだが、何かを探しているらしいことしか分からなかった。
「これ、何なのよ」
どうせ無視されるつもりで箱を取り上げた。あ、と少年が顔を上げる。瑠真は返事を待たず、今までと同じように手元に異能力を送り込んだ。
「待って」
少年が何か言ったと思ったときには遅かった。
次の瞬間、瑠真の手から木箱がはじけ飛んで床を転がっていた。何が何だか分からず首を振って、自分が尻餅をついていることがわかる。じわじわと感覚が追い付いてきた。床に突いて痛む手を持ち上げた。
すごい抵抗を感じて、弾き飛ばされたんだ。
床に転がった箱に目を戻す。縄の下で蓋がずれて、中から紐のようなものが見えている。何の探知能力もない瑠真にも、なんとなく……気のせいかもしれないが、空気が圧迫感を持って存在を訴えてくる。
はっと気が付いて、ポケットから探知器を取りだした。はめ込まれた取り替え式の検査紙を見て、息を呑む。
一番上の検査紙は真っ赤だった。一枚千切って捨てたが、二枚目も半ば以上赤く染まっている。元の緑色になるまで検査紙をめくると、四枚の紙切れが床に転がった。
少年の手が床から木箱を取り上げた。注連縄が垂れ下がって蓋が開く。「ていねいに……」癖のように言いかけた瑠真の声は尻すぼみに消えた。
少年が箱から取り出したのは、くすんだ緋色のお守りだった。
神社で売っている既製品と形は大差ない。だが装飾性はほとんどなくて、表に文字の刺繍があるようだが読み方もわからない。
(代……守……一文字目は、病……?)
とん、とん、と外から足音が響いてきた。二人ではっとして入り口を見た。少年が箱の中にお守りを戻し、蓋をして雑に段ボールの中に突っ込む。
「調子、どうです?」
平和な笑顔を突っ込んできたのは依頼人の男性だった。肉づきのいい手にお盆を携えていて、その上に湯気の立つ湯呑が二つ載っている。しかしそれだけにしてはお盆が大きくて、バランスをとって載せられているものがもう一つあった。
黒い表紙のバインダーである。
「遅くなってすみません。思い出してね。父の仕入れの記録です」
近くのケースをテーブル代わりにしてお茶を置いてしまうと、依頼人はバインダーを開いて見せた。「ちょっと、いいですか」少年がひったくるようにバインダーを受け取った。細かいペン文字で項目がびっしり並んでいることだけが瑠真の方からは見えた。
「終わるとき持って上がってくださいね」
丸い背中を揺らして依頼人は階段へ戻っていく。扉が閉まると、少年はすぐに箱を取り出してシールを確かめた。
手持無沙汰にしていた瑠真はゆっくりと歩み寄った。
隣にしゃがんで見下ろすと、少年が見つめている文字列が目に飛び込んでくる。
『種別:御守
備考:8・31仕入 所有者逝去のため流通 山代家伝来のものと思われる』
これだけだった。
同じページの他の商品に書いてあるような、効能や価値のメモ書きはない。まるでこれだけ書けば分かる者には分かると言わんばかりの簡明さに、瑠真の心臓が大きく脈打っていた。
興奮ではない。嫌な鼓動だった。
(……八月? 山代? ……逝去?)
少年の手の中の、木箱を見つめる。
「ねえ」
瑠真は手を伸ばした。箱の方へ、手のひらを上にして、
「それ、私にも見せて」
返事がなかった。奇妙な顔つきで、少年が瑠真のほうに目を移す。
「聞いてる?」
苛立って箱をひったくろうとしたが、少年はそれを固く掴んでいて離そうとしなかった。
「なんでお前が見るんだよ」
「はぁ? 何それ……アンタは見たじゃない」
「好奇心で触るな。ヤバいもんだってのはさっき分かったろ」
淡々とした、しかし譲る気のない口調に瑠真の神経がちりちりと焼けた。どうしてこんなに偉そうなんだ?
「アンタはよく分かってるって言うの?」
険のある声を発すると、少年が瑠真を正視した。冷え冷えとした目つき。
「お前よりはな」
きっぱりと言って、バインダーを閉じた。箱を持って立ち上がり、どこへ行くのかと思えば、一人で階段から上へ上がっていく。依頼人に話を聞くなり、預けておくなりするのだろう。
瑠真はその後を追いかけなかった。少年の消えた階段を、険しい目で睨む。
少年が戻ってきても会話はなく、もくもくと作業が再開された。
やがて日暮れが近くなって全ての仕分けが終了したが、例の木箱を超える超常は現れなかった。