終章 ヒイラギの花
「つまりお主ら妾が黙っておるのを良いことに帆村に人脈を作ったと……?」
「最初から後輩だったんだから仕方ないじゃん……」
「俺もともと知り合いいるし……」
「そのためにフリーランスまで雇ったと」
「それは望夢が勝手にやっただけ」
「言い逃れするな、お主高瀬式の犬どもと肩を並べたじゃろ」
「たまたま目的地が同じだっただけですう」
瑠真がそっぽを向いて言い逃れすると、春姫は眉間をぐりぐりと押さえながら深いため息を吐いた。春姫の居室であるところの奥の小部屋にペアと二人並んで正座させられるという昭和のテンプレートかと突っ込むような状況で、かれこれ三十分は尋問を受けている。
長いこと見なかったような気がする懐かしい会長室だった。実際には数日前に望夢とすれ違ったばかりなのだが。
後ろで見ていた杏佳がうっすら笑いながらフォローを入れた。
「もういいでしょう、会長。とんでもない綱渡りだったのは確かですが、実際に話がホムラグループ内での政治に落ち着いたのは純粋に評価すべき点です」
話が良い方向に転がっている。春姫は振り向かずに不本意そうに応じた。
「まぁ、確かじゃな。協会は本件について認知しておらぬし、動かぬことになっておる」
「杏佳ちゃんはそれなりに認めてくれるの?」
お説教の終わりを感じ、痺れた足を伸ばしながら質問すると、杏佳は相変わらず無表情ながら、珍しいほど柔らかい態度で首を振った。
「いいえ。仮にも組織の運営者として、貴方たちがやったことを奨励するわけには行きません。ただ、その中では無害に立ち回ったと位置づけるべきでしょう、それは貴方たちの立場だからできたことです。私たちには到底思いつかないし、思いついてももう叶わないのですから」
「褒めるな杏佳、こやつらヒーロー願望を助長するぞ」
秘書を諫めつつ、春姫は座敷から立ち上がると、完全に正座を崩してしまった中学生たちの目の前で立ち止まった。
「わ」「何?」
両手で二人同時に頭を撫でられた。撫でるというには豪快というか、勢いよく鷲掴みにしてかき回されたというか。そういうぞんざいで手荒な動作だった。結い髪をぐちゃぐちゃにされた瑠真が釈然としない顔で横目をやると、相方はもっと納得のいかない顔をしている。
春姫の優しい声が言った。
「友人に手を差し伸べたのじゃな。ようやった」
組織の長としてのマスクをそっと外して、一瞬だけ素顔で触れた声だった。思わず見上げたが位置関係で表情は見えない。
「じゃが、このようなことを繰り返すでないぞ。協会には会員を守る義務がある」
目が合うのを封じるように春姫はペアの間を通り過ぎて、表の会長室に出ていく。瑠真はまだ痺れて動かない下半身を捻って見送りながら、胸の中で言った。
やめたくない。少なくとも、まだ。
杏佳が手の中のタブレットを眺めながら話を続けた。二人にというより、それは瑠真に集中的に呼びかける口調だったと思う。
「山代さんの件は、まだ決着がついていません」
「……そうよね」
瑠真は硬い声で肯定した。春姫は触れなかったが、瑠真にとってはそれが大事だった。
そもそも瑠真がホムラグループに興味を持ったのは、美葉乃がいるかもしれないという歌うような謎かけのせいだ。あれは結局誰が送って、なんのために伝えてきたのか全く分かっていない。何か喉に引っかかった小骨が取れないように、最後まで不安がつきまとっている。
「けれど、一つ気になる証言があります」
杏佳は画面をフリックした。彼女なりに情報をまとめているのだろう端末の中に同化するように無機質に眼鏡越しに文字を追う沈黙がある。
そして、
「ホムラグループより、ヒイラギ会とやらの件については警戒のためある程度情報共有を受けています。その中に、社員たちの記憶から明らかになったいくつかの条件がある」
「それが?」
「ヒイラギ会には、少女と思しき電話オペレーターがいる」
瑠真は沈黙した。畳の上に突いた手のひらがかすかにひりひりしている。
「それだけ?」
「それだけです、声以外を知っている者がいないので現状通話記録を申請する程度しか調査はできません。権利上貴女に聴かせるのは難しいけれど」
「……」
「それから」
杏佳はこれで最後とばかりに端末のブック型カバーをぱたんと閉じて出入り口に手をかけた。
「ヒイラギは、魔除けの花です」
彼女もまた表側の会長室へ出ていった。
目を細めて言葉を反芻する。横でずっと存在を主張しなかったペアが注意を惹くように小さく咳ばらいをした。
「正確じゃない。花じゃなくて、葉だろ。棘があるから」
「無意味な指摘ありがとう、って言いたいところだけどね」
花じゃなくて、葉。その言葉は今しがたの流れの中で瑠真の胸の中の不安の渦に否応なく刻み込まれる。
山代美葉乃、姉の後を追うように姿を消した瑠真の呪いの友達。彼女の名前は姉の華乃と対になっている。
どこか共感性なく、雨中に駆け去っていった八月の少女。
使わないと決めていた借り物の赤い御守りを、瑠真は机の引き出しに入れてずっと意識している。
×××
「帆村に布石ができた」
十に満たない少年が言いながら机の上に石を置いた。正確にはそれはガラス玉だ。
「第一計画はうまくいかなかったけどね。帆村に入り込んでくれればくれるほど確実性は増すのだ」
それは街はずれに立つ小さなビストロで、店じまいした深夜、二人組の少年少女が真ん中の机を占拠している。丸いテーブルを挟んでおはじきを積みながら、厨房や裏口から聞こえてくる談話にときどき笑みをこぼしている。
少女が囁くように言った。
「帆村は洗脳で家族を増やすからね。純化される手前が一番の試しどき」
「実験がうまくいくといいね。キミはこれでいいのかい、カノ?」
少年がころんと首を傾げて尋ねると、カノと呼ばれた少女はその名前がこそばゆいかのようにふふっと笑った。
「わたしはわたしの好きな人が幸せでいてくれればいいのだもの」
おはじきが転がって、テーブルの端から落ちかけたのを少年の手が捕まえた。それをもとの場所に戻しながら、机に手をついて熱っぽく同意する。
「協力するよ。ボクらは朋友なのだからね」
「わたしたちはヒイラギの花、鬼を払い、人を守る棘……」
口ずさむように言った少女が遊ぶように手のひらを開いて、ガラスの円盤がばらばら落ちた。
了




