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異能協会×ワールドプレット  作者: 来栖 稚
無彩色ユニティッドフロント
39/42

5:All Desire


 帰る途中でふにゃふにゃ言いながら意識を失ったことを覚えていて、その時の顛末をはっきり自覚していないがおそらく先輩に背負われた。


 次に目を覚ましたときには翔成の感覚には柔らかすぎるような布団の感触に包まれていて、嗅ぎ慣れない生活圏の、たぶん女の子の部屋の匂いがした。


「……無神経じゃないですか?」


 女子寮で一人部屋って言ってたような。枕に沈んでいた横顔を起こしてぼそりと言うと、低い座卓でスマホを弄りながらマグカップを傾けていた先輩が顔を上げた。


「あ、起きた」


 日常会話のトーンである。キッチン付きワンルームの屋内は一人で暮らすには十分かもしれないが二人分の人間を容れるにはやや手狭だ。もちろん三人目以降の姿はない。


「……高瀬は?」

「電話の発信元巡り」


 顔をしかめて思い出しながら身体を起こす。確か意識が落ちる前に翔成の携帯を預けていた。ヒイラギ会の現行唯一と言っていい手がかりだ。


 腰を上げて近づいてきたベッドの隣で膝を折った。


「もしかして治癒系とかなら私より得意なんじゃないの。怪我の治り早くない?」

「……まぁ」


 痛みそのものは消えていないが、確かに体感的に覚悟していたより楽になっていた。睡眠による自然治癒だけではないだろう。医療グループの息子なんで……と軽口を叩きかけたが、やめた。それよりも訊きたいことが色々ある。


「ヒイラギ会……何かわかりました?」

「調べてはみたんだけど、フツーな名前でピンとこない。実働組からはまだ連絡ないし。私も追いかける方に入りたかったけど……逆でしょ、役割」


 逆ではないと思うが。実働組というのは高瀬望夢とバイクの用心棒ということで良いのだろう。


 七崎瑠真は二つに結んだ髪の毛の先をいじりつつ唇を尖らせる。


「ヒイラギ会っていうの、私のこと調べさせてたんだよね?」


「……です」翔成も行動を追うように言われたのでやや後ろめたさがある。たまに会いに行って電話に辻褄を合わせたくらいで、大して実行はしなかったが。


「どうして?」これは瑠真からの質問。


「特別だから……だと、思いますけど」返答しながらまだ少し喉が詰まった。「高瀬の家の騒ぎで、瑠真さんが明らかに神名さんの指示を受けて動いてたから、何者なのかって思われたんだと……」


「それ、相手が言ってたの?」

「えっ……ええ、そうだと思います」


 一月間で小出しに情報提供されたので、まとまった組み立ては翔成のほうでやったかもしれない。だが、そういうことだと解釈して電話の声と話をしてきたし、齟齬が生じることは特になかった。だから、そう思う。


 思っていたが。


「知らないのかな……」


 瑠真が苦虫を噛み潰したような顔をした。


「翔成くん、山代美葉乃みわのとか、華乃かのって名前をどこかで聞かなかった……?」


 不審な問いかけだった。


 翔成は首を傾げる。電話越しのやり取りでは瑠真と望夢、それから神名くらいの名前を教えられた程度で、おそらくその人名には聞き覚えがない。


「八月の女の子」


 瑠真が続けた。


「あんまりたくさんは言いたくないけど、ちょっといろいろめんどくさい話のある……友達。私が望夢のときに首突っ込んだのはその子に関係があったから」


「……知らない、と、思います」


 初耳だった。七崎瑠真が特別扱いをされていたのではなく、別の誰かを媒介していたということか。翔成に対して伏せられていただけで、ヒイラギ会は理解していたかもしれないが。


「やだな、分からないの」


 瑠真が苛立った語調で呟いた。


「翔成くん、ちょっと付き合って」


「何に?」


「頭の整理。杏佳ちゃん、あのメールこっちに送ってくれないかな」


 キョウカというのも知らないが友達だろうか。瑠真はなんとなく上の空だ。


「何日か前に、協会あてに、ホムラグループに気を付けろってメールを貰ってるんだよね。ホムラグループじゃないか……何だっけ? 医者じゃなくて……ともかく」


 翔成が目をしばたいていると、少女は頭を振って仕切り直す。


「この直後にホムラグループの依頼があったから、私は最初からホムラグループを警戒してた。それからアンタが望夢にちょっかいかけに行ったから、本拠地に乗り込むことになった……私、これ全部同じ誰かがやってるんだと思ってたんだけど、違うの?」


「違うのって……」


 翔成は返事に窮した。半分が知らない話だった。


「おれではない……としか」


 なるほど、翔成自身が先輩に与えた情報量から見込まれるものより、どうも積極的に動いている気がすると感じていたが他にきっかけがあったのか。翔成はヒイラギ会の一つの駒でしかない。翔成がやったのは一人でできる範囲、ヒイラギ会とホムラグループに喧嘩を売ることだけだ。協会にメールを送るだとか、依頼を出すだとか、そこまでの手回しが中学生一人の発想でできたわけがない。


 瑠真は何やら考え込んでいた。


「……これ、私の頭が悪くて、予測も何もなくただ怪しい名前を結びつけてるだけだったら言ってほしいんだけど……ヒイラギ会が私宛てにメールを送ってたってことは考えられる?」


 冗長な前置きだった。この正誤に自信がないから話していたらしい。


「はぁ」


 ぼんやりとした相槌を打ってから考えたら、ふと背筋が冷えた。


 ヒイラギ会が翔成に情報を統制し、瑠真に接触させたうえでホムラグループを警戒させるような文言を送っていたとしたら? それは最初から翔成を捨て駒にしていたのと変わりがないのではないか。ホムラグループの関係者である後輩を、彼女に疑わせるという策謀。


「わかんないな。とにかくこのピリピリしてるのが済んだら児子でも誰かにでも訊かなきゃいけない、美葉乃のこと」


 瑠真が小声で言って腰を上げた。机の上に置きっぱなしたスマートホンが震えてランプを点滅させている。


「実働組ですか?」


「うん」


 電話の相手は高瀬望夢らしかった。砕けた調子で通話を取った少女が立ったまま目をぱちくりする。


「児子から連絡があったの? アンタにどうやって?」


『翔成の携帯宛てに。家族経由で調べたんだろ』


 瑠真が音声をスピーカーモードに切り替えたので、その説明から翔成の耳にも状況が届いた。


『ホムラグループで作られたバイタライザーの生産数の齟齬を調べたらしい。こっそり融通してたのはそのヒイラギ会とかいうやつだろ? 流通記録とか、社員の記憶から出てきたって』


「まだ記憶を探ったりなんかしてるの……」


『自発的に協力する奴がいたから俺のせいじゃない、なんて言い訳してたよ。お前が会った社員じゃないの?』


 瑠真が複雑そうな顔をした。翔成の知らないところの話になっている。なんにしろ、確度の高い情報に辿り着けたことは間違いがないのだろう。やや緊張が走る。


『流通先が特定できるらしい、のでとりあえずガサ入れしてくる』


「二人で?」


『二人なわけねえだろ、最初から裏にいる勢力が特定できたら狙えって言ってあるんだ』


 誰に、が抜けていた。だが先ほど廃病院での会話でも聞いたばかりのフレーズだったので翔成にもこれは分かった。秘匿派警察のことだ。


 瑠真が顔をしかめた。当然役割として行動するはずの裏勢力に一人でなぜか対抗心を燃やした顔つきだ。


「ちなみに翔成くんが目を覚ましたので私も同行できるんだけど」


『留守番。さすがにお前が眼中にある勢力は無理』


 じゃあな、と軽い調子で電話が切れた。有無を言わせぬ報告のみである。瑠真は相方に対するとは思えない物凄いヘイトを込めた目つきでスマホを睨み付けた。翔成はそわそわしながらベッドから切り出す。


「おれも行った方が色々探れると思いますけど……」


「ダメに決まってんでしょ、アンタは恨み買ってるに決まってるんだから」


 自分が言われたことも要するに同じだとは思わないのだろうか。突っ込みどころに迷う翔成を置いて瑠真はしばらく気に食わない顔で黙っていたが、心を決めたようにマグカップを拾い上げ、水栓を捻って洗い始めた。


「ええと、瑠真さん……?」


 それが出かける用意に見えて困惑気味に声をかけると、案の定少女は振り向いて不敵に笑った。


「とりあえず望夢んちの待機拠点に行ってみる。合流できるかもしれないからね」


「馬鹿でしょうあなた?」


 思わずコメントしてしまった。瑠真は聞かなかった振りなのかほんとうに聞き逃したのか、身を翻すと、さっそうとした足取りで玄関に向かっていった。翔成が寝ている間に何をしていたのかは知らないが、何であれ彼女だって疲れているはずじゃないのか。ランナーズハイ状態なのかもしれない。


「あのですね、さっきはおれも行くって言いかけましたけど、さすがに止めますよ。あなた、高瀬やあの女の人に比べたらどっちかっていうと一般人ですよね? おれが言えたことじゃないですけど?」


「センちゃんはともかくとして、望夢は同レベルでしょ。翔成くん、留守番するなら電話置いてくから、連絡来たら相手しといて」


 あんまりにもあんまりである。というかセンちゃんってなんだ。


 こわばっていた身体をなんとか動かして戸口に飛びついたときには少女は駆け足で廊下を去っていた。追って飛び出しかけたが、廊下の向こうで瑠真から身を避けた通りすがりの女の子が思いっきり部屋着だったので思わずもう一回引っ込んだ。そうだ、ここ女子寮だ。


「せんぱいっ……」


 扉に張り付いて呪いの声が出た。やっぱり無神経だろあの人!


 背後でスマホの通知音が鳴り響いた。瑠真が置きっぱなしている携帯がもう一度光っている。すわ電話かと固まったがLINEメッセージらしかったからまだ誤魔化しが効いてよかった。おっかなびっくり取り上げる。ロック中でも表示される設定らしく、高瀬望夢からの連絡が連続で読めた。


『言い忘れたけど』『俺は落ち着くまで現場に行かないからな』『俺に対抗して来るとかは無し』


 慧眼だが遅い。


 人の端末を勝手に弄るのは気が引けたが、ロックを解除しようと四苦八苦してみた。可能なら瑠真がとっくに出ていったことを伝えたい。が、当然といえば当然だがさっぱり分からない。前言撤回、やっぱり電話で連絡を寄越してくれればその場で伝えられたんだけど!


 高瀬望夢はどこにいるんだか分からない。まだ瑠真を追いかけたほうが確実だ。翔成は窓に張り付いて宿舎の表を睨んだ。街灯の明かり越しに走っていく少女の二つ結びが跳ねるのが見えた。


「よく考えなくても」


 連絡手段も持たずに女の子が深夜の屋外に出るものではない。


 翔成は振り返って室内から自分の鞄を目で探した。あった。壁際に瑠真の通学鞄と並べて置かれている。自分のスポーツバッグに取りついて中身を確認し、小さく息を吐いた。拾い集めたバイタライザーはまだ没収されてはいなかった。


「護身用だから……」


 自分に言い聞かせ、数本掴み取ってパーカーの懐に滑り込ませる。これでいい。行こう。宿舎の目はなんとか掻い潜るしかない。


 実を言うとちょっと、憧れの先輩だと思っていた。七崎瑠真のこと。世間で言うそれとどれくらい近いのかは分からないけれど。


 動向を探らなきゃいけなかったり、ヒントを預けなきゃいけなかったりした以上に、翔成が顔を見たかったから周りをうろついていた。あの最初の日に見た、強い光に翔成はずっと焦がれていたのだ。ずっと翔成にできないことをやっていると思っていた。だからこそ、ある程度利用目的で巻き込むことを割り切れた。ある意味であまり人間として見ていなかったのかもしれない。


 でも、いつの間にか消えたな、って思う。プラスにせよマイナスにせよ、そういう感情はこの一晩で少しずつ訂正されて、別の認識に切り替わっていた。翔成にできないことっていうか……どう見ても脳直で行動しているだけだ。ここまで面倒を見てくれたことに感謝はすれど、安心して後を任せられる相手では絶対にない。高瀬望夢は彼女を信頼すぎだと思うくらいだ。


(あぁ、おれ)


 ずっと平均点で生きてきた。人に弱いところを見せず、汚いところを見せず。その結果得たものが「普通のいい子」という冠だ。けれど弱いところも傲慢なところも子供っぽいところも、この一晩でずいぶん色んな人に見られた。それが今は、悔しくない。


 消えた感情の代わりに、もっと居心地のいい、別の穏やかな気持ちがある。


(友達ができるのかな)


 だとしたらそれは、大切にしなければならない。


×××


 ドックにほど近い港湾部のビル街の灯が煌々と明るい。


 二十四時間と少しで随分物理的距離を動いた気がする。夜の海風の匂いを嗅ぎながら、望夢は横に立つ用心棒にぼそりと確認した。


「こうやって好き勝手足に使っていいのか」


「構わないよ。私は私で暇なときには他人の契約を取るけどね、まあ坊やは別枠ってことで。高瀬家が残ってたらそういうわけにもいかなかったけど」


 高瀬家御用達の音使い―正確には世界を音の総体として把握する、独自の解釈を持つ異能者らしい。聴覚をまどわすすべを知り尽くし、触れた箇所の振動で弱点を見抜き、刃に最適振動を加えて性能を高める。根っからの殺人者は相棒の中型バイクに軽く腰掛けて、夜闇に交じるビルの一角を眺めている。


 高瀬式の警察犬たちが仕入れ記録などを見つけられないか乗り込んでいるのがその周辺で、別経路で見に来た望夢のやることは有事の現場検証くらいで現状特になかった。


「お前は」


 夜風に問いかけの出だしが溶けた。望夢は言うべき言葉を探して、もう一度、最初に横浜で会ったときにこの用心棒が述べた言葉を逐一思い起こした。


 望夢を部屋に招いた女は、蒼い瞳を三日月状に細くして、こう言った。高瀬望夢個人に対してであれば協力していい。だって、


「世界で俺しか持ってない『秘密プレミア』があるって言ったよな」


「そうだねえ」


 センはニヤニヤしていた。望夢にはほとんど寝耳に水の話だ。


 灯火記念病院で話した、斎和平を思い出していた。望夢を試すような態度、三月の首謀のときだって明らかにこっちを買うような素振り。それから、語られた言葉の内容。……フィルターを通さない、絶対の真実。


 これが同じものを示しているかどうかは分からない。でも、彼は何か知っていたのかもしれない。


「その『何か』って……なんなんだ」


「さあ、部外者の私が聞けるようなものじゃなかったとしか。坊やの自覚がないなら、無意識に刷り込まれているなり、知識範囲を再構成した結果なりかもしれないね、だとしたら説明のしようもない」


 女は楽しそうだ。言っていることの意味が分かるような分からないような。望夢の胸に不安な波紋が薄く広がっていく。


「ただあのかがりが自信ありげに口にするくらいだ。保証はないけど、来たるご乱世の鍵なんだろう。見込んでお手伝いさせていただきますよ、マイマスター」


 望夢はビルの合間から遠く見える黒い海を見つめていた。篝、また父親の名前。


 もしかすると望夢自身より、この女は望夢の父親であるところの高瀬篝に詳しいかもしれない。望夢は父親をせいぜい儀礼的な面会相手としてしか知らない。


「どうやったらわかる?」


 無意識に指先で安心材料を探していた。去年一人になってから三月まで、弄るのが癖になっていた部屋の鍵束。しばらくその手癖は消えていたはずだけれど、今は無機質な感触が恋しかった。変わらない温度が欲しい。


「どうだろうね」


 女は曇り空を見上げ、港湾の空気を吸い込むように胸を動かして、囁いた。艶のある真っすぐな黒髪が夜風に無音でなびいた。


「もうすぐ、分かるんじゃないかと思うよ。なんだか最近、界隈が騒がしいからね」


 彼女の世界がどういうふうに見えているのか望夢は知らない。世界を音の総体で把握する殺し屋。彼女は町に流れている懐かしい音楽を聴きでもするかのように、首を傾けて、愛おしそうな顔をする。


 生きている世界が違う。レトリックではなくて、望夢は肌でそう感じていた。この世界はそもそもが、一人ひとり違うフィルターを通して暮らしていて、一緒にいるように見えてもたぶん誰ひとり全く同じ地平線のうえになど立っていないのだ。


 それはたぶん、大まかに同じ分類の世界解釈を採っている秘術師たちだろうが、協会色に染められた現代の一般人だろうが。


 電話が鳴った。


『あー、もしもし。クソガキのご当主様』


 お馴染みの眼鏡こと周東励一からの報告か何かだ。望夢はスピーカーを耳に押し付けてビルを見上げた。


「何か見つけた?」

『直接的な証拠はない。が、深夜に張ってる連中にカマかけたら、明らかにホムラグループだのその裏のヒイラギ会だのに関して反応を示した怪しいのがいる。衣吹いぶきがクロってとこまでは確認取った、あとは俺たちは知らねえ。帆村の領分だ』

「わかった……どうせ帆村も来るだろ、そもそも児子に場所タレ込まれてるわけだし」


 かち合う前に引き上げさせるか、と算段をつける望夢が次の声を発する前に、周東がついでのように付け足した。


『ところでウチは託児所ではないので、お宅の彼女と弟分を引き取って帰ってくれ』

「は?」


 意味がわからずに目をぱちくりした瞬間に不親切な電話が切れた。


 耳に押し当てたまま固まっていると、隣の用心棒が無駄にコソッと囁いてきた。音ベースの解釈持ちだけにもしかすると耳がいいのかもしれない。


「で、実際あれは坊やのカノジョなの、どうなの」


 ようやく事情はわからないが状況は察しがついた。「うるせえ……」言い返しながら額に手を当てて空を仰ぐ。場所も言わなかったのに何があったらそうなるんだ、あいつら……


 現場に急行した。下のガレージに秘匿派警察の顔ぶれが数名揃っていて、その中にしれっと(馴染んでいるつもりなのだろうがめちゃくちゃ浮いている)中学生二人が言葉を交わしている。望夢がバイクをとめさせて飛び降りると二組の目がこっちを向いて、


「あ、やっと来た」

「意思疎通の仕方くらい考えてください、あんたたち」


 開口一番責められるのはなんでだ。瑠真もまとめて後輩に怒られていることになるので若干決まり悪そうに口をすぼめている。反省するなら最初から大人しくしていてほしい。


「お前ら、なんでカモがネギ背負ってここまで……」

「広義ではアンタもカモでしょ」

「それはそうです。一人でカッコつけようとするのがおかしいんです」


 これもブーメランだが翔成は涼しい顔をしている。勝手な行動を受け入れたわけではないがそれとは違うところですこし笑みが漏れた。開き直ってこれが言えるようになったら翔成はもう大丈夫だ。


 様子から見るに、例のカフェ&バー経由で合流してここまでくっついてきたのだろう。よく許されたものだと思うが諦めて聞き入れるほど面倒くさかったのかもしれない。あるいは二人ともが。


 後ろの建物の扉が開いて、


「はいはいきみたち、ちょっといい」


 衣吹といったはずだ、ふわふわした雰囲気の女子大生が手にスマートホンを示していた。誰かと通話中だ。


「ホムラグループの児子くんからお電話よ」

「誰に?」


 子どもたちが一様にきょとんとすると、衣吹はその中から一点を指した。翔成だ。


 さっと緊張感が走った。すでにほぼ保証されたとはいえ、ホムラグループによる翔成の処遇は保留中だ。


 翔成が小さく息を吐くのが見えた。


「いいですよ。出ます」


 彼はいたって気楽に振る舞っていた。受け取ったスマートホンを耳に当てる前に、一度目を閉じたのが見えた。意図的にこごりを押し流すように。


 それから、電話口に向かって明るい口調で呼びかける。


「お呼びの日沖です。あれ?」


 けれど、その瞳がまもなく拍子抜けしたように瞬かれ、


「児子さん……じゃないですよね?」


 その声に答えて電話の向こうで笑い声がした。


 漏れ聞こえた声音でふと望夢の頭に特定人物の名前が浮かんだ。「うわ」と思わず呟いた。瑠真が怪訝な顔でこっちを見た。


 半端な知り合いでものすごく気まずいかもしれない。さりげなくふらふらと場を離れた。衣吹沙知が気がついて笑う。




『ヒオキ・カナルくん? はじめまして!』


 それは少女の声だった。今夜、女の子から電話を受け取るのはこれが二件目だ。けれどヒイラギ会のあの、少女といえど暗鬱な声とは全く質が違う。


 澄んだ空のように明るくて、聴く者の心に無条件に陽の光を降らすような、どこか絶対的な声。


「あ……え、はい。はじめまして」

『こんにちは、私、ホムラグループ代表取締役帆村絢正けんせい、の娘、の莉梨りりと申します。児子が何か言ったんじゃないかしら?』


 代表取締役の娘。


 児子から何にせよ聞いた記憶は全くないが、突然の特殊な立場からのご連絡だ。思わず居住まいを正して、「はい。莉梨さん」と返事をした。そこで聞いていた瑠真が二つ結びを跳ねさせて「リリっ?」と言った。彼女のほうがどこかで聞いていたのかもしれない。それと今気づいたがあたりに高瀬望夢の姿がない。


「な……なんの御用で?」


『本当はお会いしたかったのだけど、私ふだん国外にいて、急に帰るのはなかなか難しそうなの。今も国際電話でね』


 にこやかで朗らかな電話口の声は、語り口も幼げで、もしかすると同年代かもしれない。徐々に絆されている自分に気が付いた。いや、と気を引き締める。ホムラグループ代表取締役の娘──わざわざ名乗ったということは、グループ総意を代弁しているはずだ。


 それは、反勢力の社員たちがずっと仮想敵にしていた存在のはずで、関係者を手駒のように使って、翔成の処分を決めた誰かのはずで。


「用を言ってください」

『そうね。結論を申しますと、翔成くんをスカウトしないかという話になりました』


 しごくあっさりと電話の少女が言った。


 翔成はわずかに口を開けたまましばらく黙り込んだ。さらに説明があるかと思いきや、少女は言うことは言ったとでもいうかのような満足げな沈黙に入っている。


「あの……待ってください、スカウト?」


 声が上ずった。「スカウト?」耳をそばだてていた瑠真もその場で鸚鵡返しにする。


「誰が、どこに、なんのために、ですか?」

『今回の出来事での働きを聞いて、翔成くんは家族思いで行動力のある、素敵な男の子だとお見受けしました。不幸なことにその真面目さが良からぬ手に利用されてしまったけれど、翔成くん自身がその手に疑いを抱き、拒絶することができたのも聞いています。合格です。莉梨はそんな誰かとお友達になりたいのです』


 電話越しの少女は快活に喋る。


『お友達になって、それから将来わが社を支える有望な若者の一人になってくれたら言うことがありません。そうでなくても構いません。翔成くんが行きたい道を選んでください。危ない仕事をさせようというわけではありません。もちろんやりたいのならお教えしますけど。翔成くんは今回強制的な開花に触れて、体が不安定になっているでしょう。私たちの方式で良ければ、それを体系立てて収めることができますし、さらなる得意分野も生まれるかもしれません。それから、』

「待ってください。僕だけじゃだめです」


 思わず反感のこもった声になった。しばらく素で出ていたゆるい口調が消えて、気構えて儀礼的な口調に戻っていた。


「それこそあなたの……あなたの父親の会社にいた父さんを疑い、疑わせたのはあなたたちです。それで今度は僕だけを呼び戻そうなんて、調子が良すぎる」

『とても申し訳ないことだったと思っています』


 莉梨が初めて殊勝な声になった。


『お父様たちを咎めたのもあなたを褒めるのも、同じ理由なのだと言い訳しても仕方がないのでしょうね。だけど弁解を許してください。お父様の思念を一時的に封じざるを得なかったのは、私たち上のものたちが、内部にうごめく怪しい影の正体を看破できなかったからです。それがヒイラギ会でした。あなたが動かなければまだずっと見逃していたかもしれません。だからお手柄なのです。お父様たちにかけた疑いも晴れましたよ、翔成くん』

「じゃあ……」

『そうですね、あなたの答え如何で、お父様たちの思念は完全に戻すことができるでしょう。この答え如何、というのは、好み次第、と言い換えてもいいです。あなたがホムラグループに来るなら、という脅迫ではありません。誘いを蹴って記憶だけ戻せと言われたらそうするし、あなたが望まないならお父様の記憶はお預かりすることもできます。あなた次第です。いいえ、ご家族で話し合ってもらってもよいかもしれませんね。私はいつまででも待てますから』


 翔成は一度電話から耳を話して、目の前で思いつめたような顔をしてじっと聞いている瑠真を見つめ返した。年上の少女はまごついて目をそらすようなそぶりを一瞬だけ見せたあと、眉を勇めて口の形だけでこう言った。


 じぶんでえらべ。


 もう一度電話を近付けて、


「お返事はしばらく待ってください。家族とは話し合います。……だけど、きっと記憶は返してもらうことになると思います。僕の所属先は……まだ分からない」


 決然と喋る。迷いはなかった。


 莉梨は朗らかに笑った。


『やっぱりあなたとお話できて正解だったわ。ね、きっといつか日本で遊びましょうね。どんな場所を選んでいてもいいから、立場なんて関係のない子供同士で』


 その弾んだ誘いは最初に受けた印象の同年代というより、もっと下、十やそこらの童女のようにも聞こえた。けれど、すぐに語調が変わり、同じ電話口から紡がれる言葉が、どこか大人びた、穏やかな、母親のような温度になる。


『ゆっくり見つけるのですよ。解釈を学んで、その根本にある思想を探って、自分が最も共感できる世界の掴み方を選ぶ。……そういうものなのです、わたしたちの世界は』


 また電話をします、児子かだれかを通して、というあまり嬉しくないメッセージを残して、電話が切れた。翔成は神妙な顔でスマートホンを見つめた後、礼を言って、傍で待っていた衣吹と言うらしい女性にそれを返した。


「ありがとうございました」

「しっかりしてるねえ。モテ男め」


 茶化すように言う女性に苦笑いで首を振り、黙りっぱなしの瑠真に視線を戻す。「せんぱい、心配してますか?」


「……してるわよ」


 瑠真の声音が硬かった。不機嫌の膜に包まれているが、根っこは微笑ましいくらいに事態に困惑している少女だ。


「どういう神経なの、ホムラグループ」

「大丈夫ですよ。時間はたくさんあるので。……それとも、協会に来てほしいですか?」

「ばっか、むしろ止めるわよ。向いてないって」


 そっぽを向いてしまった。その反応にけらけらと笑いながら、あぁ、これだ、と翔成は思う。こうやって自分で選びたかったのだ、己の立つ場所を、友達を。


 自分で立っている先輩たちが羨ましかっただけの子供時代は、もう、終わりだ。




「あっちに混ざらなくていいの?」

「……混ざりたくない。なんか青春してる……」

「華のミドルティーンじゃないのかね、坊や」


 用心棒の控えている後ろのほうに取って返して引っ込んでいると年上に突っ込まれた。年上と言っても彼女だってまだ若者に混ざっていていい年齢のはずだけど。


「……冗談だ。半端な知り合いが掛けてきたからちょっと気まずかった」


 ぼそぼそと続けると、センは鼻で笑った。「おまえの口から冗談って言葉聞くと確認取りたくなっちゃうね」余計なお世話だ。知り合いって何? とかそういう社交的コミュニケーションは別に取ってくれないらしい。そのほうが気楽でいいので構わないが。


「ホムラグループのお嬢様だっけか」


 が、予想外のところから拾われた。


 視線を横にずらして建物の角に寄りかかる男に意識を移す。望夢と同様というかなんというか、別に会話の輪に入る義理もないので離れてきた周東励一だった。


「それは気まずいだろうな。あっちは有望な次期代表候補、お前は野良に逃げたお坊ちゃん」

「嫌味言いにきたの?」

「言いに来て何が悪い? どちらかと言うとお前が礼を言え今回は」


 しごくもっともだった。嫌な顔をしつつも「ありがとう、助力助かりました」と端的に答えると相手がもっと嫌そうな顔をした。そうなるだろ。知ってたから言わなかったんだ。


 腹いせなのか彼は離れていきながら、


「例のお嬢、日本に帰るらしいぞ」


 明瞭に言い残していった。夜風にニホン、という響きが場違いに響いた。そうか、あいつ海外にいるのか。


 望夢はしばらく黙って門下生を見送ったあと、長い大きな溜息をゆっくりと吐いた。順当な流れではあるけれど、面倒は避けられなさそうだ。


 終始横で見ていた傍観者ポジションの用心棒が、「青少年は大変だねえ」と所感を述べた。


×××


 桃色に彩られた天蓋付きベッドの真ん中で、たくさんのカラフルなぬいぐるみに埋もれながら、金髪の女の子が一人、電話に向かって話しかけていた。


「ええ、ええ、嬉しいです。児子が話していた通り素敵な男の子だったから。そうね、莉梨とも仲良くなってくれるでしょう」


 ばたんとひっくり返って、サイケデリックな青色をしたウサギのぬいぐるみを抱き締める。その動作からわくわくが抑えきれないような前向きな明るさが滲みだしている。


「もうすぐですね。ええ、はい、きちんとお勉強はしています。もうすぐ卒業証書がもらえるので、児子たちのところに帰れますね」


 少女は窓の外を見る。年中曇りがちな夜空の下に、世界一有名な時計塔の円盤が見える。


「手紙? ……ああ、望夢さんのことですか?」


 電話越しに問いかけられた少女は、照れるように笑って肩を竦めた。


「お話したいけれど、きっと莉梨にはもっとたくさんの出会いが待っているでしょう? 私はみんなのことが好きなのです。今まで出会ったひと、これから出会うひと、出会うことがない人々も。だから楽しいのです。……おやすみなさい、児子、今日もあなたに幸せを」


 電話を切る声は優しかった。世界に恋する少女はウサギを抱き締め、半身大のぬいぐるみで埋もれる布団の中で夢見るように目を閉じる。



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