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異能協会×ワールドプレット  作者: 来栖 稚
無彩色ユニティッドフロント
34/42

3 : Pair’s First United Front(3/3)


→UNITED FRONT: 夕方、七崎瑠真


 株式会社ホムラグループ、東京本社。


 ものものしい柵の前に瑠真は一人佇み、曇天に伸びる白いビルを睨んでいる。同じ白壁でも丸いフォルムとガラスで開放感を重視した協会とは違い、画一的な窓の分厚さと不気味な細長さが来る者を拒んでいるように重苦しく目につく。


 もっともそれは、ここぞ敵の本丸と気構えた瑠真のほうの視界の問題かもしれないが。


 翔成の父親の噛み合わない記憶は、ホムラグループの手出しに違いないと瑠真は半分確信していた。妖術師が何かしているとしたら、望夢も春姫も黒だと言った本社は限りなく手がかりに近い。


 望夢から返事が来るまで待ちたかった気持ちはあるが、あのでくの坊、夕方六時定時連絡をすっぽかした。向こうも忙しいのだと思いたいが、制限時間をお互いに決めた以上じっとしているわけにもいかない。それから、単純に気が急いて、瑠真個人が突き動かされていた。繋がる謎があるから。今回本題ではないけれど、ここには、山代美葉乃につながるヒントがあるかもしれない……。


 心の奥底で、ほんとうは連絡を待たなければならないことを知っていた。だけど、ペアに止められたくない、と意地になったもっと根底の部分が言い返していた。


「……よし」


 決心を反復して確認した。つきん、と心臓に緊張の痛みが走る。日沖家でも注目を集めたマスコットは入念に見えにくいように奥に仕舞う。


 正面扉に近づき、ロビーに入る。協会の重厚な木造りとはまた少し趣が異なる、透明感あるロビーだった。広くはないが現代的で、ガラスと鏡でしつらえられた空間に丸い受付が備えられている。


「あの」


 受付ににじり寄って声をかけると、愛想のいい女性がにっこりと応対した。


「あら。こんにちは?」

「本部の児子にこさんに、どうしても、緊急で、用事があって。お仕事中だと思うんですけど」


 仕事中は百も承知だった。成実には悪いが電話はしなかった。直接の知り合いならいざ知らず、他人が頼んでも、相手に後ろ暗い部分があればあるほど事前連絡を警戒されるのが目に見えていたからだ。瑠真の名前は協会のデータベースに載っているという弊害もあり、名乗ることができない。直接行って急用を訴えた方が、まだ捕まえられる可能性が高いという算段だった。


 不安が仄かに胸を突いている。決めて来たのは間違いないけれど、簡単に足を踏み入れていい場所なのか、断言できるわけじゃない。ここは妖術師勢力の本拠、協会とは違う世界を見ている人たちの居場所……


 ホムラグループの受付嬢は難しい顔をしていた。入った時点で子供だからと無碍に追い払われなかっただけでも僥倖ではある。


「ごめんなさい、どれくらい緊急なのか、教えてもらわないと……」


 強行突破の手段をもう一つ考えていた。


「私、児子さんの姪の莉梨りりっていいます。家庭の事情で、ちょっと電話も使えなくて」


 嘘の固有名詞を出すとき、少し心臓が跳ねた。


 曖昧な切り札だった。立ち去り際、翔成の父親が教えてくれた名前だ。


(「児子がよく預かってるって言ってた、姪だったかな。君と同年代の女の子だから、そのあたりで親近感を持ってくれるかもしれない」)


 もちろん身分詐称に使うとはその場では言っていない。勝手に聞いて勝手にやっているのは七崎瑠真で、日沖家には関係がない。


「あら。莉梨さん?」


 思った以上に受付嬢が反応した。こちらを見つめて目をぱちくりする。児子経由か何か、彼女も知っていたのかもしれない。


 一瞬ひやりとしたが、顔を知っていたわけではないようで、すんなりと内線電話機を取ってくれた。ダイヤルを押して待ち、少しして話しかける。「児子さん、莉梨さんがお呼びです」こちらはもう一度そこで息を詰めた。けれどやり取りは短く、特に問題はなかったようでそのまま受話器が置かれた。


 ほうっと息を吐いた。万一にでも本人確認でお喋りでもさせられたら、逆にひと暴れでもしてやるつもりだった。相手からすれば偽物の姪を、補導に出てくる可能性があるわけだ。各方面に申し訳ないが瑠真の得意分野はそういう方面である。


「本人はちょっと上から動けないので、部下をやるから上がって待って、だそうよ。ここにいてね」

「はい」


 それならどのタイミングで嘘の仮面を脱いで本題を投げつけるか……部下に本名を伝えても仕方ない。上で顔を合わせてからか。待っている間に移動中ペアに入れた定時連絡を確認する。返事はまだなかった。読んだ形跡もない。


 溜息を吐いて顔を上げると、カード認証式ゲートの向こうに若者の姿が見えた。黒髪にウィンドブレーカーのようなカジュアルな上着をまとった、二十代半ばか後半かの、背の高い青年だった。


 青年は朗らかな声で、


「やあ。児子さんの部下で鈴木っていいます、呼んだのは君でいいかい?」

「あっ、はい、莉梨です……」

「莉梨ちゃんのことはよく知ってるよ。とりあえず入っておいで」


 鈴木の社員カードでゲートを開けてもらった。ちらりと認識が引っかかる。


(鈴木?)


 日曜の依頼の岳下が言った、ごく普通の名前、というプロジェクト担当者の条件に適う気がする。


 いや、どう見ても新卒何年目の若者で、重役には見えない。社内に鈴木なんて何人いるという話だろう。別人だ。


(……だと思うけど)


 警戒するべきだ。鈴木を名乗った青年の背後、受付からも死角になる位置でペタルを練り、全身に防護と筋力増強のどちらかをすぐにかけられるように準備しておいた。ここはたぶん望夢に言わせれば不便な協会式、何かやると視覚的にすぐばれる。能力の悪用を約束で禁じる協会の教育では、第一に〈光術〉から枝を伸ばす八式カリキュラムが採用されている。すべての動作に発光を伴うから、とりあえず隠れて細工はできないわけだ。


 それにしても、と瑠真は集中を戻す。受付嬢といい彼といい、児子の姪のことは意外とよく社内に知られているらしい。


(偽物だってばれてるとしたら……)


 嫌な感想がちらりと過った。だが態度に表すわけにはいかない。腹をくくるしかない。ここまで来たらどちらでも同じだ。


 鈴木はエレベーターに乗って五階を押した。扉が閉まり、圧力を伴って金属の箱が上昇を始める。会話はなかった。黒髪を後ろに撫でつけた青年はこちらを見もしない。瑠真は静かに距離を測り続ける。


「着いたよ。おいで」


 それが次の言葉だ。エレベーターホールから下ろされる。五階の廊下はロビーとは一転、入り組んだ会議室の集まりでほの暗かった。


「ホムラグループって研究開発部門もあるんですよね? それってどの階?」


 できるだけ無邪気を装って尋ねた。鈴木は笑い声をあげた。


「ここで探しても仕方ないよ。研究所は別にあるから」

「あ、そっか……」


 先を行く鈴木が足を止め、一つの会議室の扉を開けた。どうぞ、と手で入室を促される。大の苦手だが一応警戒してまずは罠の気配を探った。望夢が得意な感知系だ。やっぱり何も分からないのは想定の内だった。覚悟を決めて一歩踏み出した。まだ、瑠真個人が罠を受けるような展開は特に発生していないはずだ。


 会議室の窓際に一人、男が座っていた。ベージュのジャケットのカジュアルスーツの前を開け、やや思い切った色選びの赤いネクタイを締めているのがどこか挑戦的な人影だ。年齢は五〇周りと思われる。案内されたということは、この人が、


「にこさ──」


 声をかけかけて、言葉が詰まった。その男性が机の上にこうべを垂れ、完全に気を失っていることに気が付いたから。


 背後でドアが閉まった。


 背筋が冷えるのを他人事みたいに知覚した。ブラインドが完全に降りている。


 後ずさりした瑠真の肩を青年が支えた。


「さて、思いっきりこっちも話があるわけだけど」


 やばい、と思った瞬間ほぼ無意識に両腕を中心にペタルを発現していた。瑠真の身体が鈍色に輝いた。自分でも現象と同時くらいにようやく認識が働く。〈増強〉系。


腕っぷしで突っ込む! 相手が次に口を開く前に、口の中で増強系体術の教育用通し番号を唱えた。型名みたいに身体で覚えやすいから。重心を落として相手の腰回りに抱き着き、胴体を押し払った。抵抗を予測したが、意外にあっさりと青年の細身が動く。


 うわ、とゆるい声とともに鈴木を名乗る青年は机の列に突っ込んだ。


 逃げようと扉に手をかけたが、その机の列から声がかかった。


「翔成くんの話をしに来たんじゃないの?」


 ぴたりと動作が止まった。後輩の名前が出た。


 振り返ると、青年が体勢を立て直して、倒れた机の端に腰かけ、こちらへ話しかけていた。


「いきなりひどいじゃじゃ馬だな、きみ。まあ見越してたけど。とりあえず、俺は敵じゃないよ。私怨はあるけどね」


 攻撃の意志はない、とばかりに両手をひらひらと振ってみせる。瑠真は扉に背を押し付け、青年を睨みつける。


「私怨……?」

「あぁ、そっちから行く? 莉梨の名前を使うんじゃないよ、その子は別に児子の姪じゃないからね」


 明らかに青年の瞳にどろどろした恨みが宿った。情報を見込んだのとは関係のない部分の答えだったが、それで少し現状が理解できた。一階で偽名を聞いた時点でたぶん別人だとばれていたのだ。やはり下手な嘘なんか、吐くものじゃない。


「莉梨のことは置いとこう」


 青年は冷静に言った。


「とりあえずまず、俺は児子にこ操也そうや。善也は俺の父親だ」

「アンタもニコ?」

「せめて敬称付けろよ、年上だぞ」


 とげとげしく訂正を受ける。置いておこうと言われはしたが恐らく嫌われたみたいだ。ホムラグループの青年、改め児子は、「鈴木」の名札を外して、それで窓際の男性を指した。あちらが本来の名札の持ち主、ということだろうか……瑠真が一階で児子さんをと呼んだから、同じ苗字の児子操也は瑠真と二人になるまで名前を詐称していたらしい。


「君が何しにここへ来たのかはだいたい想像がつく。日沖翔成くんの事情が知りたいわけだ」

「……」

「これに関しちゃ俺たち親子は担当者だからそれなりに詳しい。もちろん君の名前もね、瑠真ちゃん」


 睨む視線を強くするしかなかった。


「翔成くんにどうして担当者なんてものがいるの?」

「正確には父の善也が、翔成くんの父親の担当者だった」


 翔成の父親。今日話をしたばかりだ。


「あちらの父親はちょっとした不幸な行き違いで、ホムラグループに敵愾(てきがい)心を抱いていてね。俺の父親が、ちょっと話し合ってそれを解消してもらった。仕事はそれで終わり。お話も終わりの予定だったんだよ。ところが、ついでの経過観察を任された俺が呑気に眺めてると、翔成くんがその頃からどうも両親に隠し事を始めたじゃないか?」

「どうやってわかるの、そんなの?」


 胡散臭い語りに瑠真は敵意を隠さないまま口を挟んだ。監視カメラでも仕掛けたとか言わないだろうな。だとしたら立派な犯罪だ。


「俺が世間話ついでに何度か家に行っただけさぁ」

「……そんなこと、日沖家両親とも言わなかったけど」

「おっと」


 口を滑らせた、とでも言いたげに児子が唇を押さえた。それも人心操作とやらか? 腹立ちで殴り掛かりたかったが、仮にも有益な情報を共有している最中だ。児子は続けて、


「じゃ、ま、極秘情報だけど遠慮なく。俺がなぜ鈴木さんの名札を借りているかわかる? 色々都合のいい理由はあるんだけど、一つとして、児子善也、カッコ俺の父、と鈴木さんが入れ替わっていたことへのリスペクトがあるね」

「入れ替わっていた」

「そこで寝てる鈴木さんはもともと日沖さんと同じ、ちょっとばかしホムラグループの反勢力的な香りを漂わせてた人だ。俺の父親は彼らのやり取りに入り込んで話を聞くために、鈴木さんと自分、日沖さんと自分をそれぞれ誤認技術使って入れ替えて、いつも通りに話させようとした。その結果出てきたのがイフの計画……まぁ、この話にはどうでもいいっちゃいいんだけど、一応言っとくと君がさっき名乗りやがった莉梨ちゃんの誘拐計画ね」


 莉梨は思っていた以上に重要人物だったらしい。顔も知らない少女に頭の中で許しを乞うておく。


「で、俺らは何をしたかって言うと、彼らの『思念』を消して、同じことを企めないように、関係メンバーをばらばらにした。日沖さんは社長だったから動かしようがなかったけど、とりあえず動かせる奴は転勤とか転属させたということだ」


「シネン?」

「きみ、望夢くんの知り合いだよね? 帆村式がウンヌンは喋ってもいい相手? オーケー。帆村式の解釈ベースは人間の思念です。ある人が関心を持つこと、信じること、望むことを操作することで状況を調整する」


 人心操作とはそういうことか。児子は瑠真の促しを待たず喋り続ける。


「ただし帆村汎用型の思念操作にはちょっとした穴もある。最大の問題が、親しい人には本人の思考回路や興味の対象が変わったのが分かってしまう可能性があるということだ。すげえ技術者が丹念にやればそういうミスは減らせるけど、まぁ普段はどちらかというと後追いで穴を埋めるほうを選ぶよね」


「……なるほど」

「そういう話聞いてた? それで経過観察が俺だったの。俺はご家庭の様子を見て、翔成くんがお父さんの変化に気づいたなって察した。それで申請してつい先日、先週頃、今度は日沖翔成くんの担当者になったってわけだ。親から子へ、観察者も被観察者も。アンダースタンド?」


 流れは理解した。どこまで信用していい相手なのかは置いておいて。


 児子操也の話が正しいと仮定すると、そもそも成実とそこの窓際で寝ている鈴木が結託してホムラグループの敵をしていたのが発端。翔成もグループには隠れて何かしていたということになる。翔成を動かしているのは少なくともホムラグループではない。ポケットの上から無意識にマスコットの入ったふくらみに触れる。じゃあ父親の失くした意思、思念とやらを継いだ……?


 児子が明るい調子で言った。


「ここまで喋ったから、今の持ち帰って神名に伝えてくれないかな? それとももうアンテナ張ってここで聞いてる?」


 瑠真は動きを止めた。


「春姫に? どうして?」

「あれ」


 児子が不思議そうな顔をした。反応が想定と食い違っていたらしい。


「君、ここで探偵ごっこやってるの、神名さんの指示じゃないの?」

「……違う」


 瑠真の関わり方は半端ではあるが、少なくとも春姫の指揮下ではない。むしろ望夢の報告によると春姫は一切関係ない体裁でないと困るらしい。正直そのへんの力加減はよく分かっていないが。


「私──と、ペアが気になってる。協会の人たちは何にも知らない」


 そう言え、と言われていたのは確かだが、新野しんの杏佳きょうかにも特に相談していないのは本当だ。児子が露骨に嫌そうな顔をした。


「正直に言いなよ。それ、そういうことにしたら協会が責任逃れできるからでしょ? 君たち、捨て駒にされてるってことだよ? 気分悪くない?」

「その勘違いのほうが気分悪いわよ。私たちが勝手にやってるの、自分で」


 強い口調で遮った。これに関しては迷いはない。お前たちに考える力があるはずがない、と言われているようで不愉快だった。


 児子はお手上げ、と実際にその場で両手を掲げて見せた。呆れた顔だ。


「その真偽はともかくとしてさ。後ろに神名がいないってことを俺がここで認めちゃうと」


 その表情がすっと陰のあるものに変わる。


「何するか分からない一般人の中学生にこれだけぺらぺら喋ったの、全面的に失敗ってことになるんだけど」


 色の浅い瞳が冷酷さを帯びた。瑠真は思わず背後の扉に手をかけた。それこそ……翔成の父親が何を忘れているのかも忘れてしまっていたように、瑠真の記憶だって何事もなく処理される可能性が頭を過ったのだ。これ以上何も聞けないだろうし、状況をペアと共有したい。


 けれどその足でなんとなく踏みとどまった。


 窓際に、児子に名札を奪われた鈴木社員が意識を失ったまま項垂れている。


 とっさに身体が動いた。傍の机に両手をついて飛び越える。児子の反応はすぐにはない。振り返らず転がるように窓際に走り寄った。まだ〈増強〉は続いている。


 ペタルを膂力に集中し、鈴木の片腕を両手で抱え込んだ。ちょっとバランスを崩してよろめきながら肩の上に腕を回す。重要参考人だ。心配心配じゃない以前に、放っておく対象じゃない。


 児子はまだその場でこっちを見ていた。


「連れてってどうするの? 本人が今や何にも知らないホムラグループ社員だけど」

「アンタ、騙して利用してる口で……っ」

「その人自身は、危害を加えられたとは一ミリも思ってないよ。君が協会に連れて行ったところで、事態が分からなくて困るだけだろ」


 それを言われると鼻白むしかない。それでもここに置いていくのは何か違う気がする。


「アンタたちの洗脳を解けば、色々話してくれるんじゃ……」

「あぁ、そっか。神名とか、それこそ解析屋の高瀬くんとかの力量次第では、汎用帆村式くらい復元されちゃう可能性があるのか。それは困るねえ。高瀬くん、うちの解釈にはわりと詳しいし」


 そのへんは瑠真は知らないが、児子はむしろアドバイスしてくれているのかと思うくらい親切だった。


「けど、残念ながら瑠真ちゃん。思念戻しても、その人なんにも知らないよ」

「……は?」


 さっきと言っていることが違う。ホムラグループ反勢力だったから思念を消したのではなかったのか。


「いやぁ、それが翔成くんの行動のヒントには特にならないってこと。だって翔成くん、あの子、何してるの? お父さんたちの後継したいんだとしたら、いざってときにホムラグループを脅迫するための誘拐計画を継いだってこと? できるわけないじゃん。一人で。そうなると、単にもうあれは、お父さんの記憶を消したホムラグループへのシンプルな恨みだと思うんだけど。俺たちを困らせる手段を探して、何らかのきっかけで高瀬式秘術の複雑な立ち位置に気が付いた。刺激すれば帆村と対立すると思った。そんなものじゃないの?」


 滔々とした解説だった。瑠真は口を半開きにして一通りの台詞を聞いてしまった。


 自分が全貌を理解できているとは思わないが、それは……なくはない話、のような、気がする。少なくとも昨晩望夢が言っていた、高瀬家の監視が襲撃に気づけばまずは帆村に糾弾が行く、という話にも繋がる気がする。


 だけど、と違和感を抱く。辻褄は合っても……瑠真が抱いている、この「探偵ごっこ」の中で培ってきた翔成の像と……一致しない。


 児子が目を細めた。瑠真の反応に情報を見いだした顔だった。あ、と思う。日沖翔成の実像を知る者として、恐らく予測の妥当性判断に利用されている。だから春姫に知らせるとかいう段階が過ぎてもここまで親切に内情を喋られるのだ。


 とっさに表情を消したが遅かった。まだ、聞けるだけ情報を聞き出すべきか? それとも後ろの窓をぶち破ってでもすぐに逃げるべきか? その場合、言われたとおり鈴木社員は放置していくか……? この手の交渉事はさすがに、経験値が足りない……


 肩の上でふと呻き声がした。


「あっ」


 思わず間抜けな声とともに荷物をずり落としていた。鈴木が目を覚ましていた。これだけ揺り動かして耳元でわぁわぁ言えば意識も戻るかもしれない。その場合仮にもホムラグループ社員の児子より圧倒的にこの場で怪しいのは瑠真だ。


 視界の端で児子が、また意識を奪うか値踏みするような目で名札を弄んでいた。鈴木がしばしばと瞼を上下し、焦点が合わないように座ったまま辺りを見回し、そして瑠真に目を留める。


 最初に、驚きがあった。


「あれ? 君、どこかで……」

「は?」


 二度目のフレーズだった。なぜおっさんにばかり一昔前のナンパみたいな勘違いをされる? 瑠真は思わずその場で反応した。


 だが聞きとがめていたのは当然瑠真だけではなかった。児子の目が鋭くなった。


「鈴木さん?」

「……うん、児子……の息子のほうか? 俺は今……」

「鈴木さん」


 低い声だった。鈴木が警戒したように動きを止めた。


 児子は何に関係があるのか、鈴木の顔写真が掲載された名札を紐を伸ばして目の前に掲げ、本人に見せつけているようだった。それで何か共通認識が生まれたのか、鈴木が表情を硬くしてその場でぎこちなく立ち上がる。


「なんの恨みがある……?」

「あなた、今、瑠真ちゃんに見覚えがあるような反応をしましたね。平時なら大したことじゃないけど、今は解説してもらおうか」


 突然俎上に引きずり出された瑠真は当惑して二人の大人を交互に眺めた。ついでに鈴木を連れていた場合の脱出経路を目で確認するが、扉の前には児子が陣取っている。背後の窓ガラスはできれば損傷したくないが、何秒で開けられるだろうか?


 鈴木は顔をしかめていた。


「申し訳ないが、その……名前もちゃんとは知らないし、どこかですれ違ったんだろうとしか」

「……空振りならいいんだけど。一応、翔成くんがその子の知り合いっていう明確な符号があるからね」


 児子はほとんど独り言を言っていた。


「あぁ、もしかして俺が消しちゃった思念群のどっかかな、その顔見ると」


 ウィンドブレーカーから伸びる手が鈴木の名札を触って、機械のスイッチを切り替えるように撫でた。


 瞬間、瑠真の隣で男が息を詰まらせた。頭をぶん殴られでもしたかのような素振りだった。


「ちょ……っと、大丈夫!?」


 大の大人に聞くことではなかったかもしれない。だが、思わず駆け寄った瑠真の腕にほとんど支えられるくらいよろめいた鈴木の目から、気が付いたら子供のような涙が溢れ出していた。瞬間的な痛みとか、自失とか、そういうものを思わせる涙だ。


「なに……?」


 ぞっとして、自分から駆け寄った男からもう一度距離を取りそうになる。だけど、本人のせいではないことも明確に分かる。


 児子に目を転じると、彼は机の列を回ってゆっくりとこちらに歩み寄るところだった。


「一気に切り替えると、ちょっと精神的負荷が大きいことがあるね。なんというか、思念封印系の操作は乖離性健忘の仕組みと重なるところがあるみたいで。強制的なトラウマ認定みたいな? 戻すときは催眠荒療治の超短縮版になっちゃって」

「何その、実験台みたいな言い方っ……」


 相変わらず軽薄な調子を崩さない児子に不快感が湧く。言っている意味は分からないが、青年が残酷なまでに平静なことだけは分かる。


「鈴木さん、その女の子に見覚えはある?」


 近づいてきた児子が鈴木の頭に手を触れ、背後の壁に押し付けた。催眠と言った言葉がまさに近いのだろう、涙を流す男は茫然としたまま言葉を紡ぐ。


「ない……けど、何故か、守らなきゃいけなかったような気は、する」

「私を……?」


 いちばん不可解なのは瑠真だった。翔成と、せいぜい望夢の問題のつもりで首を突っ込んできたのだ。私は無関係のお節介なんじゃなかったのか?


「ふうん。嘘は吐いてないね」


 児子は不愉快げに呟いた。その表情に得心はない。まだ探らなくてはならないのだろう、その手が男を引き立てて瑠真から引きはがした。


 瑠真はポケット越しにぎゅっとネコのマスコットを握りしめた。


「おじさん、ねえ、天使の人形持ってない?」


 ここで大声で訊くのは、もしかして博打かもしれなかった。児子が眉をひそめて振り返った。


「何?」

「鈴木のおじさんに言ってんの。持ってたら私に頂戴……!」


 ぼんやりとしていた男の目が瑠真を振り向いた。その瞬間、何かもどかしい符号を見つけたような一瞬の光が表情にひらめいた。


 児子に片腕を引き立てられながら、もう片手が素早く懐に伸びた。ホムラグループの青年が止める前に、拘束をかいくぐって瑠真のほうへ小さな白い塊が投げられる。


 窓際でキャッチした。児子が鈴木を離してこっちに戻ろうとしていた。


「瑠真ちゃん? 説明して」

「やだっ」


〈念動系〉を発動した。背後の窓枠からブラインドシャッターを引きちぎり、児子に向かって指先の指示で投げつける。背後から窓の光が瑠真の横顔を照らして、一瞬視界が遮られた。


 がしゃがしゃと騒々しい音を立て、数メートル大のシャッターが児子の頭から被さった。青年は振り払おうとするがすぐには取り去れない。身を翻して裸になった窓の鍵を下ろし、力任せに開け放つ。窓枠に飛び乗ると、強い斜光が顔を焼いた。足元を見て、くらりとした。掴まれそうな張り出しなどが特にない。五階から地階まで……一跳びだとしたら衝撃に瑠真の身体補強は追いつくだろうか。


「ほんっとうに可愛くないじゃじゃ馬だね、きみ……!」


 完全に私怨の声音が届いた。振り向くと青年はむしゃくしゃしたようにブラインドシャッターを長身の足元に叩きつけ、大きくまたいでこちらに近づいてきた。


 瑠真は窓枠の上でくるりと振り向き、


「それ、誰と比べて言ってんの? 莉梨って子?」


 わざと煽った。児子は至近距離で笑った。


「名前を呼ぶなよ、お前が」


 手を伸ばされる直前に跳ね上がって、脚を揃えて落ちた。児子の真上に。


 てっきり窓から逃げると思っていたのだろう。青年はとっさに身を避けて、ついでに机の列にまたもや突っ込んだ。瑠真は両足で着地すると、事態に取り残されている鈴木の肩を掴んで正面扉から駆け出した。


 階段ホールで手を振り切られた。


「悪い、これ以上一緒には行けない」

「私に何が関係あるのか知りたいだけなんだけど」


 思わず語気を荒げたが、鈴木はもう意識がしっかりしていた。


「もしかして、俺も覚えていない俺の記憶を探れば、君たちに利のある情報が出てくるのかもしれない。だけど、申し訳ないけど、俺もあまり勢力戦に関わりたくはないんだ」

「あのね……っ」


 もどかしさでダンッと足踏みした。本当に記憶解析などができるのかは知らないが、とにもかくにも有力なヒントなのだ。帆村の手に残られると困る。


 鈴木は壁に手を突きつつ、


「さっきの人形は持っていけよ、俺には何が重要なのかさっぱり分からん。だけど、これ以上関わったら俺の生活に関わる。家族にも関わる」

「ホムラグループに反乱したかったんじゃないのっ?」


「なんであんなものに関わることになったんだろうな、机上の空論だった。むしろ、万一こんな勢力戦に巻き込まれた時の保身の武器だったんだよ。空論だったから、記憶を消されただけで済んだ。今はまだそこに戻れる」


 最初こそ言い返そうと思って口を開いた。だが、突然意味を悟った。彼を連れて行くということは、一般人を巻き込むということであり、バックに協会がいないと大声で言うしかない今の瑠真は彼の生活について一切責任をとれない。


 助けてくれ、逃がしてくれ、と言われればまだやることが明確だった。でも、ここには別の秩序がある。


「じゃあ、もう関わらないの? あいつらに手がかりを喋れって言われたら喋る?」

「手がかりって、なんの? 日沖の息子の話か?」


 痛みをこらえるような顔をされた。手を入れられていた記憶がまだ関わっているのかもしれない。


「そんなもの、まず前提がおかしいよ。俺はたぶん、俺も覚えていない部分にどこまで責任が持てるかは分からないけど、その子については何も知らない。そのうえで、知っていたとしても、児子やほかの裏側勢力が追い回すのはおかしいと思う」


 児子がなかなか現れないと思っていたが、鈴木の肩越しに事態を視認してごくりと唾を飲んだ。廊下の向こうで青年がさっきまでいなかったほかの社員たちとやり取りを交わしている。輪の中からこちらにふと視線を投げる。追手が増えているのだ。


「ほら、やっぱりな。児子のヤツ、なんでああ短絡的に人を敵にするんだ」


 鼓膜の上だけでその声を捉えながら振り向く。階段の下から複数の足音が響いていた。挟まれた……


「反対の突き当りに非常階段がある。協会の子なら扉は壊せるだろ。こういう状況なら正当行為にできる」


 ふと突然声を低くした鈴木が耳元で囁いた。瑠真の意識が急に引き戻された。


「行っておいで。俺はこっちで、そもそも翔成くんも君も対立するべき対象じゃないはずだって奴らを説得してやる」


 はっと見上げたとき、そのまま背中を押し出された。たたらを踏んで床に手を突き、振り向いたとき、児子がこちらを指さした。


 鈴木がステアケースと非常階段の間を守るように廊下の真ん中に立った。瑠真はほんの少しの間やり取りの意味を咀嚼して振り向いていたが、天使のぬいぐるみをギュっと握りしめて立ち上がり、廊下を駆け抜けた。


言われた通り扉の施錠部に破壊のペタルを寄せて引き開けた。折り返し階段をほとんど十段ずつ飛び降りて敷地を飛び出したとき、携帯が通知で鳴った。息を切らしながらちらりと視線を落とすと、ペアのメッセージが連続で二件入っている。


『ホムラグループにって何?』

『何してる 電話して』


 瑠真は首を振り、一度歩調を緩めて息を整えた。少し冷静になっていた。児子のやり方を見ても何も分からなかったのだ、ホムラグループの考え方や使う妖術を知らない瑠真は避け方も知らない。きちんと相方と情報共有するほうが有効のはずだ。


 通話を立ち上げた。スリーコール以内で少年はすぐに答えた。




→UNITED FRONT: 高瀬望夢


「たぶんすぐにお前が手出しされることはない。あいつらにも日沖の動機が分かってないとしたら、お前があいつらに喋らなかった情報を警戒して、しばらく泳がせるんじゃないかな」

『だったらいい。どこで話したら聞かれない?』

「協会の宿舎内部はいちおう春姫の権力下で手出し無用ってことになってる。特にデリケートだから、俺の部屋」

『オーケー』


 通話が切れた。携帯を仕舞う望夢を隣の女が興味深げに見ている。


「ほんとに普通の知識幅なんだね、噂の彼女。こっち側連れ回して、不安ないの?」

「俺が連れ回してるんじゃない。放っておいたら無闇やたらにあちこち首突っ込むんだよ」


 完全な腹立ち声になっていた。昨夜のうちに確認しておかなかったのも悪いと言えば悪かったが、さすがに帆村式本社に突っ込むのに合流を待たないのは想像外だった。親とか友達を回っておけと伝えていたのだ。


「そんなもんかね。もうなんか共同戦線とか言ってる時点で驚くほど肝が太い気がするけどね」


 バイザー付きのヘルメットにライダースジャケット。明らかにバイク乗りの格好をしている用心棒は首を傾げて愛機に凭れかかる。横浜からここまで、望夢と別ルートで移動して合流した1300ccだ。


「で、私は何をしたらいいんだっけ」


 望夢は複雑な眼で彼女を見た。とある後払い報酬を盾に味方にした用心棒は、名を名乗らず、ただ自分を「セン」と呼ぶように望夢に指示していた。


「作戦会議をして連絡するよ。どっかすぐに出られる場所にいてくれ」

「はいはい、年増はお邪魔虫ね。うそ、神名かんなの不可侵地帯に土足で踏み込むほど命知らずじゃないよ」


 ひらひらと手を振って、年若い用心棒はバイクを吹かすと、軽やかにバイザーを下げて走り去っていった。宿舎のほど近くだった。一人になった緊張感と相手から解放された安堵が一緒になって重く息を吐く。


 父親が雇っていたという用心棒。いや、そのときは用心棒ではなく、もっと直接的な―刺客だったという。想像しかけて首を振る。望夢は実家にいる間、他勢力の解釈を教わる以外の実戦的な教育はほとんど受けていない。ほとんど時代に不要となった秘匿派警察が一体何をしていたのか、知らないままで育っている。


 たとえば去年の八月、父親は反解釈異能勢力のテロで殺されているわけだが……その際に高瀬家側から反撃として放たれた戦力に、彼女は含まれていたのだろうか? だとしたら、あの夜起きたこと、沈んだ命、忘れ去られた名前の主を彼女は見ているかもしれなくて―


 ぼうっと終わったことに思いを馳せていると、十数分で宿舎エントランスに少女がやってきた。すでに夕風に乾いてはいるが、うねった前髪は相当汗びっしょりだったらしい。


「戦力って手に入ったの?」


 疑わしげに周囲を見回しながら開口一番でそう訊いた。彼女にはまだ具体的には伝えていなかった。


「所属フリーの用心棒」

「ツテかなんかで味方につけたってこと?」

「まぁ」


 契約内容ははぐらかした。不安げな顔をするペアを本題に促すため、しばらく鍵と一緒に言葉を探す。


 鍵束をポケットから引っ張り出しながら、低い声で言った。


「一種の無期限契約かな」


 唇を結んだままの瑠真の目の前で、エントランスの自動ドアが開く。


「行こうぜ、こんなとこで話してないで」


 背を向けて先に宿舎に入ると、少女は一瞬だけ足踏みしたが、扉が閉まる前に後ろを追随した。ぱたぱたとスニーカーの底を鳴らしてついてきながら、ぼそりと、「隠し事はやめてよ」と言った。


 聞こえなかった振りをして自室の扉を開けた。現状の作戦会議に望夢個人の事情は不要だ。




→UNIITED FRONT: 結節、ペア


「何が一番重要?」


 腰を下ろしながらこちらに視線を投げて尋ねた望夢に、気持ちを切り替える息を一つ吐いて、ずっと握っていた天使の人形を示した。首の周りに巻かれたリボンと頭のマスコット紐のせいで首吊り人形みたいにも見える。


「見せたよね。翔成くんから貰ったのとお揃い」

「どこで拾った? 社員か?」

「うん。ホムラグループの反勢力内で結構大事なものだと思う。ハサミある?」


 一瞬けげんな顔をした後、意味するところを合点したらしい望夢が席を立って黒い鋏を持ってきた。その間に瑠真がリボンを解いた天使の首に、首切りを繋ぎ合わせたみたいな乱雑な縫い痕があった。


 いくらシュール系マスコットだと言って、これはたぶん意図的な疵じゃない。


「完璧な一般人だった。だから、同じグループで持ってるとしたら、物理的にヒントなんじゃないかって」


 言いながら糸を切った。あっさりと天使の首が傾いた。


 綿の中に埋め込むように指先大のケースが隠されていた。


 あ、と望夢が声を漏らした。


「もしかして、日沖から受け取ってたほうも?」

「そっちで先に気づいた。なんか入ってるとは思ってたけど、だって私あれ目の前で獲った新品だって騙されてたんだもん」


 渋面でポケットの底から眼帯ネコのほうを取り出した。何のことはない、翔成が四月に父親と喧嘩していたというそれが、今瑠真が持っているこの人形そのものだった。思い返せば、翔成は自分の手で景品をポケットから回収したあと、鞄の中に同じ手を入れていた。財布を仕舞うためだと思ったけれど、同じデザインのマスコットを仕込んでいて持ち替えたのならぱっと見では瑠真には分からない。新品にしてはくたびれているとか思っている場合ではなかった。


 指先で探した結果、こっちの隠し場所は眼帯の下だった。全く同じ規格のチップがもう一枚発見される。


「IC? いちおうパソコンで読むか」


 たぶん携帯電話用のメモリーチップだったが、なんでこの物のない部屋にそれはあるのか、望夢は引き出しからアダプターとノートパソコンを引っ張り出してきてコードで繋いだ。ロックがかけられていたりしたらちょっと困ったが、中身はあっさりと開いた。


 最初に翔成の残していったほうを開く。


「バイタライザーの添付文書だ、これ。それと灯火病院プロジェクトの公式記録っぽいもの」


 文書ファイルが二つだった。ざっと確認した望夢が淡々と報告する。新規情報があったわけではないらしく、一通り斜め読みしてもそれ以上の発言はない。


「こっちは?」


 鈴木が持っていたほうを指さした。チップを入れ替えた望夢が「あー」と呻くような声を出す。「これ、お前、こっちのほうがやばいかも」


「何が……」


 望夢が開いたドキュメントを覗き込んで絶句した。物凄く見覚えのある人物の写真が貼り付けられていた。


 七崎瑠真だ。


 協会の公式ページに載っているはずの人相の悪い証明写真が一枚。あとは事細かに出退勤記録や家の位置。……東京の瑠真の宿舎を中心とした情報で助かった。この画面にもし、今両親や祖母が住んでいる野古のこの町まで載せられていたら、衝動的な怒りでメモリーを握りつぶしていたかもしれない。


「私を調べてたってこと?」

「なんか、こないだの依頼といい、やっぱり協会の内部情報が漏れてる気がする。待って、もう一つファイルが入ってる」


 望夢も驚いてはいるのだろうが、あくまで声音はフラットに保ったままで別のドキュメントをクリックする。そちらは画像も装飾もない端的な箇条書きだった。けれど、その無味乾燥さが逆に、見栄えに気を払っている場合ではないような切実さを感じさせた。


『対応マニュアル : 内部記憶消去と監視に対する対策について


ホムラグループ本社との接触がある毎二日前に、ヒイラギ会(仮称)が我々に記憶消去を行わせる。本マニュアルは、これによって最も重要な情報が失われることを避けつつ、ヒイラギ会の目も欺く方法を協議の上まとめたものである。文責 : 鈴木義治、日沖成実。』


 これは、もしかして、最重要情報ではないだろうか。


 ヒイラギ会。新たな敵の名前……? 手が震え、抑え込むように握って画面を睨んだ。望夢がゆっくりとスクロールを動かした。


『1.基礎情報


a. ヒイラギ会(仮称)…我々の協力者である反ホムラグループ組織。解釈異能について様々な知識を提供。協会やその他の解釈勢力にも同様に反感を示しているものと思われる。窓口として電話でのみ接触。ヒイラギ会とは先方が名乗った仮称であるが、現状それ以上の手掛かりなし。電話オペレーターは三名ほどが交代で行っていると思われるが、規模、素性、最終目的、その他不明。


b. 我々(名称なし)…ホムラグループに所属あるいは関係した一般人(協会定義にて、イルミナント開花率5%未満かつ最大干渉予測値10eps未満)の中で、ホムラグループないしあらゆる解釈異能に不信を抱いた者のネットワークとして構築された情報共有コミュニティ。文責に名を連ねた二名の他は、万一ヒイラギ会あるいはホムラグループの目に触れた場合のリスク最小化のため、本稿には示さないものとする(ただし、いずれにせよ二名がホムラグループ式の調査を受けた場合は、思念の紐づけとして確実に明らかになるので、覚悟してほしい)。


c. 記憶消去…厳密にはホムラグループ式の思念封印。ホムラグループが我々と接触し、我々の思念を探った場合に備えて、ヒイラギ会に繋がる思念を予め封印するもの。実施者はヒイラギ会ではなく、我々メンバー相互である。イルミナント開花率を低度に保ったまま相互の思念を封印するため、ヒイラギ会によって提供されたArtificial-Lightいわゆるバイタライザーを用いる。』


「ちょっと待って……」


 瑠真は思わず望夢のスクロールの手を止めて額に手をやった。情報の洪水が飛び込んできて視界がぐるぐる回る。


 噛み砕きたい。ヒイラギ会というのは正体不明の黒幕らしい。成実たちは彼らに協力を求めつつ、一方で対抗策を用意している、ということでいいのか?


 このあたりもだいぶ気になったが、それ以上に理不尽な腹立ちが湧いたのは、


「じゃあつまり、翔成くんのお父さんたちが何も知らなかったのって、ホムラグループ以前に自分たちで思念を消してたからってこと⁉」


 眩暈がした。話がややこしいのももちろんだが、バイタライザーを全員が使っていた? 瑠真たちに打たれたら問答無用で破裂するような危険なもの、翔成が連続使用して体調を崩したかもしれないというあれのことを?


「ヒイラギ会って奴はめちゃくちゃ卑怯だな。用心深いっていうか、自分たちは指示するだけで手を下さずに自分たちの情報を伏せさせてる」


 望夢が眉根をぎゅっと寄せて低く呟き、さらに先へとページを繰った。


『…これは、ヒイラギ会が我々に対する協力を申し出た時点で、ホムラグループを警戒して提案され、双方が合意して成立したものである。しかしながら、活動を続ける中で、ヒイラギ会に対しても全面的な信頼を置かず、念のため我々の自衛手段を確保しようと提案が出た。完全に思念を封じた後、ヒイラギ会が一度与えていた情報を選別して我々を惑わすおそれがあるためである。


 そこで、毎思念封印の前に物理的な手段で情報を残し、ホムラグループと接触予定のないメンバー一名に、その隠し場所のヒントのみ、思念を保持してもらうこととなった。』


 具体的な対抗理由と対抗手段。隠し場所というのがこの人形のことなのだろう。


「もしかして、翔成くんがその一人のメンバーだったってことになる?」

「あるかもな、でも断言はできない」


『2.状況と対策


a. 我々の情報がホムラグループ、あるいはヒイラギ会に見つかっていない間は、情報の持ち主をできるだけ分散させること。また、本マニュアルだけは全員が共有しているが、各記憶消去後に一度でも確認したら、各デバイスから履歴を辿れないように削除すること。公の場で情報について会話することは避けること。ヒイラギ会は主に音声による監視手段を何らか保持している可能性が高い。(現状我々にはその監視手段を視認できないため、符丁として、テントウムシが止まっている、という言葉で相互に注意喚起を行っている。)


b. 我々の情報がホムラグループに発見された場合、その時の記憶保持者が中心になってこれを積極的に提出すること。機会のない限りホムラグループに協力してヒイラギ会を告発することは避けたいが、我々の記憶管理がホムラグループ式である以上、一度ほころびが見つかれば抵抗する方法はない。


c. もしもヒイラギ会のメンバーが第一にこれを発見した場合、責任はすべて我々に掛かるだろう。』


 話がきな臭い。ホムラグループにもヒイラギ会にも、根本的には抵抗できないと書き残しているようなものだ。


 瑠真はホムラグループでもその反勢力でも、ヒイラギ会でもない。瑠真が見つけてしまったときは、どうしろと言うのだ?


 文書はここで終わっていた。黙り込んでしまった瑠真に対して、望夢がちらりと視線を投げ、二つのファイルを順に閉じた。


「ところでさ、暴れ猫」


「……なに?」


 軽薄なあだ名呼びに警告するつもりでじろりと睨むが、望夢は続く言葉を選びこそすれ、特に反省は見せなかった。


秘術師うちからさっき連絡があって、たぶん日沖の居場所が分かってるんだけど」

「……」


 望夢は手元で自分のスマートホンをとんとん、と叩いていた。誰かしらから電話があった、ということだろう。


「残留紋を辿って、渋谷の廃病院かなにかに行き着いたってさ。俺たちがあいつらに任せたのは同勢力の軽率な動きの抑制までだから、それ以上あいつらがやる理由は今のところ特にない。ここから先は俺たちが向かうか、向かわないか。あるいはほかに思いついた手段をとるか」

「……それ、私に訊いてんの?」

「日沖のバックボーンを探れって任務はお前に丸投げだったからな。お前が決めるところだよ」


 状況が状況なら、というか今がまさに然るべき状況なのだが、無責任な言いぐさだった。無責任ではあったけれど、間違いではない。瑠真はこれに対する答えをまさに考えていた。


 深呼吸をする。膝の上で手のひらを握りしめる。


「殴りに行く」


 一言で宣言すると、望夢は少しだけ興味深そうに眉を持ち上げた。


「へぇ」

「腹が立った。日沖翔成、あの見栄っ張り、何考えてるんだが知らないけど。正面から引きずり出して、思ってること全部喋らせてやる」

「助ける、とかじゃないんだ」

「状況分からないし、共感なんか全然できない。助ける気持ちとか、微塵も湧かないわ」


 マスコットを拾い上げて立ち上がった。


「でも、今ムカついたのだけはほんとだから」


 ペアの少年を見下ろした。同意を求める気はなくて、むしろ、目の前の少年にもケンカを売っているようなつもりで。


 望夢は部屋の電光が眩しかったのか、こちらを見上げてちょっと目を細めた。


「なんか、お前っぽい顔になった」

「は?」

「なんでもない」


 行こうか、と気軽な相槌があった。瑠真は肩の力を緩め、改めて頷いた。


 やっぱり自分にはこれしかないのだ、と思った。小難しい理屈なんか分からない、想像力だってないんだから、七崎瑠真のエゴをぶつけるしかないのだ、と。



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