1: 協会の落ち零れ-1
「お婆さん、困ってますか?」
「ええ? いや、お嬢さんは気にしなくていいのよ。ちょっと荷物が多くて」
「はい」
「あら、魔法みたいね。宙に浮いて、重たくないの?」
「ええ、私、超常師ですから」
「坊や、困ってるの?」
「ペットの小鳥が逃げちゃって」
「一緒に探してあげるわ」
「おねえちゃん、誰?」
「私? 超常師」
「ねえ、アンタ、困ってるでしょ?」
「……え?」
「いじめられてるみたいだったからさ。……何なら、今バカなこと言ったあいつら、ぶっ飛ばしてくるけど……どうする?」
「……」
「あのねえ、君はまだ研修生の身分なの!」
「…………」
「そもそも認定を受けても、仕事時間外の超常使用は罰則だからね」
「………………」
「それに君、今回の喧嘩はよくない」
「……………………」
「あんまり暴れると、敵を作るよ……」
「ねえ!」
「あぁ、この前の。どうだった? あの後、いじめられてない?」
「助けてくれて、ありがとう。わたしのために怒られてくれたんだよね。ええと……」
「私は瑠真」
×××
七崎瑠真、一三歳、この春中学二年生。
身長は低め。顔立ちはそこそこ(自己評価)。二つに分けて左右で結んだ、癖のない猫っ毛がトレードマーク。
(これ、そんなにガキっぽく見えるかなぁ……)
車窓に映った自分の頭を見つめた。折よく通り過ぎた夜間灯が視界を焼いて去っていく。眩む目をぱちぱち瞬きながら、まあいいか、と思った。花井に何を言われようがどうせもう他人だ。
その、はずだが。
「二人とも、考え直さない……?」
ボックス席の向かいから、新野裕が呼びかけてくる。言いながら自分も期待していない口ぶりだ。走行する列車の窓際に、進行方向が瑠真、隣に荷物、向かいに新野。その横に当然のごとく花井奈々が収まる布陣だ。解散したはずのペアと指導官が至近距離に押し込まれているという状況に、ぐったり顔で文句を言いたいのは瑠真の方である。
夜の海沿いを抜けていく電車の中には、同じように各ボックスにばらけた大人と子供の三人組が点在している。大人は新野が最若年層、子供はローティーンから高校生くらいまで。ほとんどが揃いのバッジを身に付けているが、一部は瑠真と同じように仕事が終わるとさっさと外している。
超常異能者保護教育協会、初級超常師を対象とした遊園地研修。外部からの依頼を利用して超常師を育成するこの協会では、最もポピュラーな仕事のひとつに施設の警備があげられる。混雑時やイベント期の、異能関係のトラブル対応が主で、その訓練として一年に一度、集団で提携遊園地に押し掛けるのである。
電車の中でさわさわと交わされる声のいくつかが、自分たちを指していることが伝わってきて瑠真は不愉快になった。
「聞いた? 七崎瑠真、また解約だって」
「暴れ猫?」
「やらかしたの? 何回目?」
「えーと、一一? この前が一〇で……」
瑠真の口からイライラした独り言が漏れた。
「まだ九人目……」
「十分だけどね……」
腐れ縁の担当指導官が溜息をつくので、瑠真はその足元の座席を蹴って黙らせた。
電車がゆるゆると減速して閑散とした駅に滑り込んでいく。ホームで待っていた乗客は一人だった。仕事帰りらしい中年男が乗り込んでくる。
しかし、その疲れたスーツ姿が戸口で止まり、子供たちを見回して顔をしかめた。
見るともなく眺める瑠真の視線の先で、男が露骨な舌打ちをした。入り口近くの子供たちが何人か気が付いて振り返る。
その次に男が吐き捨てた言葉を、瑠真ははじめ聞き流しかけた。
「動物園か」
意味を噛み砕いたとき、男はすでに乱暴に車内を横切り、隣の車両に移ろうとしていた。
瑠真はほとんど意図せず立ち上がった。
向かいの席から、ああぁ、と呻きが上がるが、いちいち構いはしない。
「今、何て言った?」
車内の話し声が水を打ったように止んだ。周りのボックス席から、何だ何だ、と少年少女が顔を出してくる。
男は一度振り向いた。しかし、台詞を繰り返すことはなく、力任せにドアを引いて隣の車両へ出ていった。瑠真はその後ろ姿を睨んでいたが、すぐに扉が閉まって見えなくなる。
動物園とかサーカスとか言われるのは、超常師を見世物にして金を稼いでいるという、お決まりの嘲弄だった。協会が嫌いな民間人は少なくない。国家権力と結びつくものは何でも嫌いなのだ。特に協会が依頼を受ける事業を始めてからはその手の批判が多くなったらしい、その後で生まれ、比較的気軽に超常師に憧れてきた「新世代」の瑠真には信じがたい感覚だ。
もっとも、憧れていたのは協会に飛び込む前までだったが。
憤然と席に着こうとしたとき、電車が動き出して瑠真の荷物がぐらりと揺れた。
「あ」
開きっぱなしだった鞄の口から、内容物が慣性で転げ落ちた。瑠真の方が舌打ちをしたくなったがそこはぐっと堪え、通路に出て荷物を拾い始める。
ボックス席から新野が出てきた。手伝ってくれるのかと思ったが、別の指導官とアイコンタクトを交わしながら、隣の車両へ向かっていく。担当超常師がやらかしたんだから責任取れ、ということらしかった。荷物に手の届く距離の花井も知らんぷり。世知辛い世の中だ。
落とした荷物の最後のひとつ、ピンク色のカバーをつけたスマートホンに手を伸ばしたとき、別の手がそれを拾い上げた。
「あぁ、ありがと……」
言いかけて顔をあげたとき、表情が露骨に固まった。
無言でスマホを差し出していたのは、同年代の少年だった。男子にしては華奢な体格に茶色がかった髪。同じ色の瞳がじっと瑠真を見下ろしている。
背筋を伸ばして、ひったくるようにスマホを受け取った。友好より敵視に近い瑠真の視線をビシビシと受けつつ、少年は特に反応を見せることなく細い通路を抜けていく。
しかしその背が遠ざかる前に、高飛車な声が近くからかかった。
「あなたも今日ペアと解約したってホント?」
少年が立ち止まって、花井奈々を見た。
瑠真も胡乱な瞳で見下ろした。ボックス席の肘置きに頬杖をつき、花井は高慢な笑みをちらりとひらめかせる。むしろ瑠真に向けた笑みだった。
「うちの暴れ子猫ちゃん、引き取ってくれない? 成績も釣り合って丁度いいんじゃないかしら」
「は?」
瑠真が真っ先に眉を吊り上げた。
しかし瑠真がやり返す前に、別の声が先手を制した。初めて聞く、抑揚はないが通りのいい声だった。
「ほんとに動物園だな」
喉元まで来ていた罵倒がうやむやになって、瑠真はぽかんとして少年を見つめた。
花井ももちろんぽかんとしていた。だが少年がまた背を向けて歩き出すと、はっと我に返って腰を浮かせ、
「何それっ――失礼ね!」
叫んだが少年は当然無視。隣の車両から新野が出てきて戸口で少年とすれ違う。新野がき
ょとんとして見てくるので、花井の方は決まり悪げに席に戻った。
謝罪の任を終えて疲れ切った顔の新野がボックス席に戻ってくる。「また何かあったの?」できるだけ関わりたくないという声だ。
瑠真はまだ立ちっぱなしだった。渡されたスマートホンをじんじんするほど強く握りしめている。
口の中で呟く。
偉そうなヤツ、落ち零れの癖に。
×××
今週の仕事は水曜と土曜、うち水曜日はペア未定で休み。どうせ今日も同じだろうと布団にくるまっていたのだが、着信音が鳴って出勤日通知が来た。
「はぁ……」
昼過ぎ、指定宿舎を出て本局に向かう。本局の入り口には出退勤を入力する専用端末が置いてある。新しいペアの名前もここで確認すればいいだろう。
協会本局ビルは首都の郊外、大通りから一本潜った静かな地区に広い敷地を持っている。七階まである白い建物を芝生広場が取り巻き、回転扉をくぐると一転、人で雑然としたロビーが瑠真を出迎える。
すれ違った二人の少女が、小突き合って何かささやいたのを耳にして瑠真は振り向いた。
目が合いかけたそばかすの少女が、忍び笑いでそっぽを向く。解約したばかりの花井奈々。仲良さげにその袖を引っ張っているほうの少女に見覚えはない。いや、どこかで一、二回付き合っているかもしれない。何せこれだけペアを取り換えているのだから。
七崎瑠真は、ペアが続かないことで悪名高い。
解散の原因はだいたいケンカ。衝突しないまでも、瑠真の気性を察すると、先手を打ってさっさと逃げられることもある。半年経った頃には、瑠真の名前を聞くだけで本局所属の大多数が顔をしかめるようになった。そんな扱いを受けるものだから、こっちとしても余計に全方位敵意で凝り固まっていく。
協会の指導は原則としてペアワーク。解散から次の相手が決まるまで、たいていの場合仕事は休みだ。瑠真の成績はそのせいで最悪で、それもまたからかいの的になるのが腹立たしい。
(高瀬望夢……のぞむ? でいいのかな)
タイムカードにかちかちとチェックを入れながら、新しいペアの名前を確認した。どこかで見た名前……研修期にクラスでも被ったのかもしれない。名前の隣につくはずの出勤マークはまだ表示されていない。時計を確認した。
「初日から重役出勤とはいいご身分……」
集合時刻はすでに五分すぎている。自分を棚に上げて呟くと、瑠真は入力を終わらせて端末を離れた。
通例、出勤したときまず向かうのはミーティングルームだ。例の端末を通じて各ペアに指定され、集合や依頼待ち、割り振られた仕事の内容説明などに使われる。本日の指定は三階。エレベーターに足を向けたとき、ちょうど上の階から新野裕が降りてきた。
「あ」
こちらを見て丁度良かった、という顔をする。日本人顔に中肉中背、平凡を絵に描いたような人畜無害。慣れ親しみすぎて確認のひとつもしなかったが、今回も担当は新野らしい。ペアごとに一名あてられる指導官は通例解約と再契約のたびに変わるのだが、何故か瑠真の担当には新野が固定されていた。
「いたいた、瑠真ちゃん。依頼が回ってきてるよ」
「ペアが来てないみたいだけど?」
「遅れて来るって。ええっとね、直前になってペアが決まったから、シフトを変えてもらったんだ。もしかすると最後まで来ないかもしれないけど……」
「じゃあ今日は私一人?」
「ひとまず、依頼人を待たせるわけにはいかないからね」
じゃあどうしてわざわざ急ぎでペアを決めたのだろう? やや無茶な気がして眉をひそめたが、新野がその前に話を逸らしてしまった。
「一人なんだから、いつも以上に愛想よくするんだよ」
瑠真はむっとして唇を突き出す。
「何それ。いつもまともにやってるつもりだけど?」
実際喧嘩するのはペアとであって依頼人に突っかかったことなんかない。いや、訂正、あまり多くはない。一年でせいぜい三、四回ってところだ。向こうから失礼な態度を取られなければ。
新野は渋い顔で聞き流して諭す口調になった。
「ただでさえ超常師には変なイメージが付きまとう。君のせいで余計に悪くするわけにはいかないんだよ」
この手の台詞は聞き飽きている。瑠真は正当に振る舞っているつもりなのに、新野にはどうもそう見えないらしいのだ。報告に困り果てた上層部が、瑠真にペナルティを課したことも一度や二度ではない。公式的には給与の出ない仕事だが、協会の収入で運営される指定宿舎や各種サービスを超常師見習いたちは無償で利用することができ、ペナルティは通常それらの差し引きになるのだった。今のところいちばん痛かったのは宿舎の食事提供停止。
「そろそろ依頼について説明しようか」
専用車の運転席と後部座席にそれぞれ収まったところで話が変わる。新野が助手席に置いた指導官用のタブレット端末を取り上げて寄越した。画面に依頼内容が表示されている。
「骨董品店?」
「そう。それもオカルト寄り。店じまいしたから、商品の処分にあたって確認してほしいことがあるそうだ」
「あぁ、なるほど……呪いやら何やら?」
一時期、特に開放直後、一般人の間にオカルトブームが巻き起こり、その手の店が意味もなく乱立したことがあったそうだ。お守りやいわくつきグッズの類がそこかしこで売られたが、無論ほとんどはパチモンで、本物の異能である協会の超常術(Exart)が一般化してくると多くの店がたたまれていった。
商品は多くが捨てられ、一部がオークションに出回った。その中にほんの一握り、本当に何かの異能が関わる物品が混ざっていたらしい。捨てたはずの人形が戻ってきたとか、安く買ったネックレスで宝くじが当たったとか、かなり怪しいゴシップも込みで、一時期世間を騒がせた。それ以降、協会に入る依頼の一定割合を、力があるかどうかの大雑把な鑑定が占めている。
「本職の異能鑑定士に頼みゃいいのに……」
「数を絞ったらそっちに回すでしょ。うちは安上がりな何でも屋だからね」
新野の珍しくシニカルな言いぐさに、瑠真はうっすら笑って端末を返した。新野と話すのは時々ムカつくが嫌いではない。少なくとも適当な噂ばかり流して勝手にこちらを笑いものにする子供連中より、ずっと話がわかる。
ペアなんていないほうが、ずっと気が楽だ。余計なラインに踏み込んでくるヤツさえいなければ、瑠真だって何の気負いもなしに仕事ができるのだから。
見返したいとは、ずっと思っている。私は無能じゃない。