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異能協会×ワールドプレット  作者: 来栖 稚
無彩色ユニティッドフロント
28/42

2:For Whom is Your Egoism (1/3)


新野しんの、帰り付き合って」


「はい?」


 土曜日の午前中、本部でこまごましたやりとりを済ませてミーティングルームに向かっていたとき、階段の途中で担当超常師に捕縛された。挨拶のひとつもなく踊り場まで引きずっていかれたと思ったら第一声がこれ。


「帰り……って、練習とか?」


 一度二度、演習場に引っ張って行かれたことがある。袖を引っ張られてずれた襟元を直しながら尋ねると、少女はむすっとした表情で「そうじゃないけど」と言った。「そうじゃなくて……それでもいいけど」


「……?」


 ハテナを浮かべていると少女は音を立てて踊り場の壁に寄りかかり、


「ちょっと話したいことがある」


 と零した。


 その仕草で思い当たった。最近なくなっていたと思ったけれど、去年の夏ごろにときどき見ていた表情だ。


 新野は少し目をぱちくりした後、時計を見て、思案し、


「あとでカフェにでも行こうか」


 と提案した。瑠真はここへきてなぜかさっと赤くなり、頷いたはいいが自分の言動の何やらが気に入らなかったらしく頭を掻きまわすと、


「何にも言わないでよ。仕事中は特に! いい?」


 言い捨ててこちらに指を突き付けると、一足先に階段を駆け上っていった。ちょうどぶつかりかけてすれ違った知らない会員が「あぶな、何あの子」「暴れ猫だよ、あれ」と囁き交わして踊り場を回っていく。


 新野はしばらく小さな背中を見送った後、普通の足取りで彼女の後に続いた。どうせこれから仕事で向かう先は同じだ。何があったのかはともかくとして、悩んでいるならそのケアも新野しんのゆたかの領分だ。


 内容はほんのりと予測がついていた。階段をのぼりながらやや考え込みかけたが、すぐに仕事の気分に切り替えた。




「何お前」

「うるさい黙れ」


 荒々しくミーティングルームの扉を開け放つと、先に部屋にいた少年がニュートラルな顔で反応したので勢いで八つ当たりした。ずかずか席に近づいて、


「ねぇ」


 間にひとつ椅子を挟むお決まりの距離感で席に腰を下ろしつつ、


「アンタ、昨日春姫んとこで何やってたの」

「昨日?」


 少年が横目でこっちを見た。


「毎日行ってる」

「は? 毎日?」

「立場が特殊なもんで」


 答えることは答えたとばかりに視線を外された。瑠真はちょっと動揺したあと残りの疑問を呑み込んで腕を組んだ。考えてみれば春姫と特殊な契約関係か何かにあるんだった。瑠真より会長室に顔が利くのは不思議なことではない。


ともかく、昨日と言って特別に反応しないということはメールの話は聞いていないのだろう。春姫は両方に話してもいいつもりだと言っていたが少なくとも今は瑠真だけに知らされているらしい。少しだけ安心して心の中で息を吐いた。望夢にも多少は関係があることは分かっている……けれど、瑠真の一番弱味の部分だ。未だ距離感の掴めないペアには黙っていて欲しかった。


 と思いを新たにした傍から扉が再び開き、遅れてやってきた新野が瑠真の方を見やりながら


「その件については後で……」

「どの件ですって?」


 口止めした傍から口を滑らせている。睨みを利かせると新野は今思い至った顔で口をつぐんだ。さすがに気になったふうを見せた望夢の無言の視線をスルーしつつぎこちなく仕事前の打ち合わせが始まる。


「ええっと、本日はBクラス依頼です」

「Bってことは、企業依頼?」

「大した規模じゃないけどね。オフィスの設備点検に外部の目を入れたいって」


 指導官端末を部屋のプロジェクターに繋いで、ホワイトボードをスクリーンがわりにする。オフィス立地と事業内容、社名が表示され、その次の画面でついでのように企業概要が映された。


 いつもの形式的な手続きに退屈しつつ、机の上に腕を組んで顎を乗っけたが、直後に椅子を跳ね飛ばす勢いで背筋が伸びた。


「ホムラグループ?」

「ホムラグループ?」


 数年前に統合されたという社名とヨットのマークで思わず声が出た。自分が大声を出しすぎて一瞬かき消されたが、ほぼ同時に隣から驚いた声がしたことに遅れて気が付いた。


 見ると、望夢も不意を打たれた目を瑠真に向けている。


「なんでお前が驚いてんの?」

「いや、あの……アンタは?」


 聞いてから気が付くが、裏側の勢力として教わったのだから望夢が知っていない道理はない。相方の少年はやや嫌そうな表情を見せて、


「なんなら知り合いいるし……」

「知り合いがいるの? 誰?」


 予想外だったが、伝手があれば春姫に聞いたことが何かわかるかもしれなかった。今度こそ椅子を蹴立てて腰を上げた瑠真に引き気味で望夢は逆にのけ反った。


「いるだけだよ。連絡取れないし、もし取れたとしても今の俺があっち側にコンタクト取ったら敵視されるだけだし」

「そ、それもそうか」


 勢いが余ってクールダウンし、どきどきと心臓を鳴らしながら席に着くと、何も知らない新野が哀れに取り残されていた。


「え、何なの? 何かまずい名前なの?」

「一般企業を隠れ蓑にして裏社会で異能実験やってる。妖術師」


 仏頂面で解説した望夢に新野の顔色が変わる。


「それ、取次ぎの時点で誰も知らなかったってことだよね? この依頼、神名さんに洗ってもらったほうがいい?」

「別にいいよ」


 望夢は投げやりに言うと、椅子の背にもたれかかった。


「グループ傘下に組み入れられた末端の子会社だろ? そこまで裏側関わってないよ。依頼主が会社経営者以下だったらたぶん何も知らない、ヤバいのは本社だけだから」

「まぁ、この中なら望夢くんがいちばん詳しいんだろうけど……」

「あとたぶん、協会にホムラグループから依頼があること自体に関しては今に始まった話じゃないと思う」


 望夢は少々皮肉げに笑った。


「今回みたいに末端なら一般人が何も知らずに依頼することはよくあるだろうし、情報収集活動として本社が顧客になって探りを入れてくることも多い。まさか俺に回ってくるとは思わなかったけど。何なら俺たちも協力勢力介して似たようなことやったことないではないし……」


 新野が完全に青くなっていた。せいぜい仕事として依頼に関わり始めて一、二年の瑠真たちより、協会OBで就職先として職員を選んでいる新野のほうがよほど心象が重くはあるだろう。


 それはそれとしてこの手の話になると望夢がドヤ顔で一人語りをするので気に入らない瑠真は唇を突き出してジト目で見ている。少年の注意がぐるんとこっちに向いて、


「で、お前は何?」

「は、春姫に聞いた……だけ。前のとき……」


 ごにょごにょと答えてそっぽを向いた。望夢は三月の件を連想したようで自分でも触れたくないのか、ああそう、と相槌を打って話を終えた。嘘を吐いた形になったが、どうもこれ以上は切り出せない。


 罪悪感は少しだけあった。ちらりと新野を見るが、まだ依頼について考えをまとめているようで瑠真の様子を察したそぶりはない。息を整えて背筋を正した。とにかくまずは仕事として向かうしかない。


 逆に考えれば、これは好機だ。ホムラグループの一端にでも触れることができれば、メールの内容について探る手掛かりになるかもしれない。


「よし、じゃあ、ともかく向かおうか」


 新野が肩で息を吐いて区切りをつけた。


「念のため、何か不安なことがあったら一人で行動しないでね。何もないと信じてるけど、君たちの立場は微妙なんだから」

「何かあったらどうせ三人で対応できないよ」


 望夢が幸先悪いことを言った。瑠真は横から睨んで、頭の中だけで気に入らない話し方の相方をぶん殴っておいた。


×××


 東京は新宿区と渋谷区の中間、代々木エリアにあたる大通り沿いである。ゆるやかに蛇行した高架を備えた一帯には土曜日にも関わらずちらほらとビジネスマンが行き来しており、合間を縫って依頼のビル下の契約駐車場に仕事用車を滑り込ませた。


「事業内容は薬品製造と主に流通、人の命に関わる仕事だからね。グループ全社でSET設備は義務付けられてるんだよね」


 SETプロジェクト―Security for Ex-art Trouble、標語は「日常生活に超常対応を」。当然ながら推し進めているのは我らがSEEP、超常異能者保護教育協会である。小さな応接エリアにペアと指導官を通した従業員は岳下たけしたと名乗り、依頼についての資料を配布した。


 SETは大企業向けの広報プロジェクトの代表格で、建物内にペタル感知装置を配備し中央管制から確認できるようにした超常トラブル向け防犯機器である。防犯といっても感知のあとは誰かしらが対応せねばならないので協会の依頼数を増やす目論見が透けて見えないでもない。なんにせよ協会と異なる異能勢力だというホムラグループで、協会の製品に出会うのはやや拍子抜けではあった。


「おじさん、所属先本社?」


 何気なく探りを入れたが「グループ本社だったらもう少し優雅な仕事ができるんだけどね」と自虐的な返事が返ってきただけだった。怪しまれたと感じた節もない。


「ええと、お話だと」


 瑠真の大胆な鎌掛けにヒヤヒヤしたのか、新野が口を挟んできた。


「チェックポイントごとに超常術の発現を行い、稼働の精密度を中央管制室から確認するということでいいですか?」

「そうです、定期検診だと思ってくだされば。なにせこればっかりは普段見ても動いてるんだかわかりませんからね」


 内部で協会式だろうが帆村式だろうが異能を用いることはないということか。瑠真の頭の中で最初に疑っていた項目から次々にチェックが外れていった。とりあえず依頼から洗う必要までは薄そうだ。


「じゃあ、まあ、瑠真ちゃんが実地担当で、望夢くんがオペレート繋いで確認でいいかな」

「了解」


 ペアも特に何を思った様子もない顔で資料を眺めている。望夢はお家事情のため協会式ペタルの発現に少々細工を要するので順当な采配である。


 いつものイヤホンで通話を繋いで散会した。それぞれエレベーターで上と下に向かい、ペアから管制に着いたと号令があったところで正面玄関から確認開始。行き来する従業員には周知が徹底されているのか、瑠真が明らかに協会式の青い光などを手のひらの上に踊らせても特段の反応はない。


『干渉値30eps。光術くらい?』

「そう。強くする?」

『いいよ、第二ポイント』


 フロア内を移動してチェックを繰り返す。研修の教科書で一応習ったが瑠真も久々に聞いた干渉値というのは、当該地点の明度や温度を環境条件からの逸脱で計算し独自の表に当てはめた数値になる(さっき配布資料で確かめた)。ペタル感知と言うが実際に観測しているものは自然科学的諸条件の変化である。戦後分化した自然科学と超常科学はなんだかんだで繋がっている。


 しばらく単調な作業が続いたが、三階で邪魔が入った。


『オッケー、じゃあ次……』


 望夢の声に重なるように、突如大音声の警報音が鼓膜を覆いつくした。


「ひゃっ!?」


 ビィイイ、と鳴り響いた音でイヤホンからの通信が一時途絶える。固まっているうちに音はすぐに止んで、近くの部屋から部屋から勤務中だったらしい従業員たちがぞろぞろ出てきた。


「この子、何やってるの?」


 先頭にいたくたびれた従業員のいきなりの高圧的な質問でかちんと来た。襟にいつも通り留めた協会のピンバッジを指さす。


「仕事なんですけど」

「あぁ、総務が勝手に……協会の生徒さんね」

「は?」


 馬鹿にした言い方である。確かに協会の主目的の半分は所属超常師の教育だが、生徒というのは一般的に研修生だ。依頼側としても、所属超常師たちは見た目が何歳であろうがプロの一員、社会人と対等というのがマナーだと瑠真は認識している。


『瑠真』


 食って掛かろうとした気配を察してか望夢が呆れて囁きかけてくる。その手綱取ってるつもりの言い方が不愉快だ、と言い返しかけたが、それで矛先がペアに向いて気持ちが鎮まった。声を荒げても不毛だ。


 代わりにできるだけクールに努め、背筋を伸ばした。


「機器の点検で巡回してます。有事の備えは必要でしょ?」

「うちは勝手にやるからいいんだけどね。三階飛ばしていいよ」

「飛ばしてって、あのね……ここなんの部署?」


 質問している最中に席に戻られてしまった。部外のガキの質問など答える気もないということらしい。


 ふるふると震える瑠真の耳元で交代のごそごそした音があって、


『あぁー、三階はギーク揃いの研究部門だから……』


 説明不足だったとでも言いたげな岳下の申し訳なさそうな声が耳に滑り込んできた。


『独自に警報システム導入してるとは思わなかったけど、半分本社みたいなところがあるしね、ちょっと災難だったね』

「本社みたいな……研究部門?」


 意識の端に追いやられていた警戒心がぴくりと頭をもたげた。ホムラグループについて説明を受けていた諸々の情報断片が脳裏をかすめる。確か研究実験集団で、本社は比較的裏側と融合していたはずだ。


 岳下は特に屈託を見せない。


『ここで何かやってるってわけじゃなくて、本社に下ろされたタスクを実地にこなして上げてるって感じが近いと思うけど。立場上役所意識が強いというか、プライドが高いというか、ウチでは独立してるところはなくもないな』

「……本社のタスクって、どういうの……?」

『副作用や環境害の少ない新薬とか、まあいろいろ、社会還元プロジェクトだな。あぁ、君たちに面白いところだと、先日までは灯火記念病院に下ろす超常関連研究の担当者がいたよ。担当者ごと本社に巻き取られたけどね』


 灯火記念病院、という響きが耳慣れず、とっさに灯火記念の某学校を連想した。そこから示すところを特定できた。あの学園と同じく、協会の設立グループの一員が研究と社会還元を目的に建てたという、超常心身傷病専門の国立病院だ。ニュースに映ることもあるし、いちおう協会の掲示類で名前を見ないこともない。


 心臓が猜疑心で鳴った。元よりホムラグループには自称「呪い」とやらに悩まされていた少女の影が重なっている。薬品会社と病院の共同プロジェクト、そこに「八月の女の子」の告発文が関わることだってあるんじゃないか。


「ねえ……」


 詳しく聞きたい。口を開きかけたとき、さっき瑠真に文句を言った従業員が席を立ったのが見えて言葉が立ち消えた。また何か言われるのかと身構えたがすれ違ったのみで、会議にでも向かうのか、ラベルを貼り付けた大ぶりのファイルを抱えているのが目に入る。


 自然と読んでいた。実行中プロジェクト概要。無味乾燥な文字列しかなかったが、今、まさに目の前にちらついているヒントを通して、瑠真の網膜にその文字が焼き付いた。


 横を通り過ぎた従業員の背中が、後ろの扉の向こうに吸い込まれていく。


『ともかく、たぶん、三階セキュリティについては確かめるよ、本部の監査でもあらかじめ入ってたかもな。その間、七崎ななさきさんは上階に向かってもらえれば、えーと、七崎さん? もしもし……』


 返事をする前にふっと電話を切っていた。


 目の前で幾人かが入っていく会議室の扉に目が吸い寄せられている。閉まる扉に歩み寄った。


 ホムラグループの中でも本社、裏側に近い人たちのプロジェクト……何が出てくるのか、心臓がぎりぎりと引き付けられていた。そこに瑠真の知りたいことがあるのかを。


 もちろん部外者が話を聞けるはずはない、だがたとえば得意ではないが感覚増強なんかはメジャーなわけで、瑠真だって履修はしていて……少しでも漏れ出る会話があればそれを拾って聞くことだって……


 扉に手を触れる。


「瑠真!」


 肩を掴んで扉から引きはがされた。


 たたらを踏んで、後ろから駆けてきた少年の腕の中にぼふっと受け止められた。


 まず不意を突かれた動揺と一緒に相手の茶褐色の髪の毛が耳に触れたので「ぎゃ」と蛙みたいな声が出た。弾かれるように体勢を立て直して距離を取った。


「きゅ、急に触るなっ、てか降りてきてたの」


 決まり悪さが先行して扉を背にした。上階でオペレート役だったはずの望夢が珍しいまでの怒りを表情に顕して立っていた。正面に並ぶと少し目線が違うのでやや怯む。


 無言の圧にごくりと喉を鳴らしたあと、むくむくと反発心が湧いてきた。


「なによその顔っ」


「何に首突っ込むつもりだった、お前?」


 逆質問だった。いつもより語調が強い。瑠真は周囲に挙動不審な視線を投げたあとさっと赤くなった。開け放たれたままのオフィスからちらちらと気になったような視線が注がれている。そういえば感覚増強にせよ超常干渉は感知されてブザーが鳴るわけで、直前で止められていなければ二の舞だった。いずれにせよこれ以上探ることはできない。


「ちょっと冷静じゃなかったけどっ」

「冷静じゃなかったって、仕事中は洒落にならねえぞ。困るのはお前じゃなくて新野や春姫だ」

「ごめ……それ、アンタが言うの?」


 一瞬しおらしくなりかけたが、信じがたい兄貴ぶり方に思わず切り返していた。この数か月とたぶん瑠真の知らない半年間で望夢だってよっぽど勝手をやっているはずだ。少年は言われてむっとしたような顔をした。


「だから反省して言ってるんじゃん、俺なりに」

「反省して結局上から目線かよ、今のは私が悪かったけど!」


 言い合っているうちにエレベーターホールの方角から新野の姿が見えた。望夢まで消えたのでさすがに様子見に来たのだろう。望夢はまだ気づいていないようでやり合う気満々で、


「最初から何がそんなに気になってるんだよ、仕事に差し障るんなら教えとけよ」


 まだ兄貴ぶり足りないのか。途中から聞いていられなくなった。


 新野に飛びつくと、平和然とした青年は完全な困り顔でペアを交互に見た。


「何やってるの?」

「あとで話したいって言ってあったよね、頭を整理させて」


 自分でも落ち着きたい以上の意図のない返事だったのだが、望夢が聞きとがめたのか後ろから「あ」と眉をひそめた。


「ペアには言わないくせに」

「うるさいなーっ」


 まだ言い返そうとしたが、新野に頭を押さえて無理矢理お辞儀させられた。


 望夢に謝らされているのだと思って癪に障り、もがいて抜け出して顔を上げる。が、どうやらたぶん喧嘩の強制終了は別の理由だった。会議室の中から怪訝な顔が二つ三つうるさい中学生たちを覗いている。


「まだかかりますか」


 当然の反応だった。露骨な「邪魔」のお言葉だ。

 新野が愛想笑いをして担当超常師二人を急き立てた。


「持ち場に戻るよ、二人とも」


 再び心臓がきゅっと詰まった。まだ諦めきれない。


「あの」


 何を訊くつもりかも分からず口を開いたが、


「今はダメだ、瑠真」


 隣から袖を引かれて向き直らされた。さっきと全く同じように、横を歩くペアに反感が移って口をぱくぱくした後、結局何も言えずに閉じた。腹立たしいが、望夢が正しい。


 腹立たしい。目の前からヒントが逃げていく気がする。そんなはずはないのに、本当に何かがつながるのかも、何をすれば探れるのかも分からないのに、それでも何もせずに立ち去ることがあまりにも焦燥を掻き立てる。


(落ち着け、私……)


 細く長く深呼吸をした。ホムラグループは逃げない。傘下の子会社だって社会的プロジェクトである以上、すぐに遁走して消えるなんてことはない。


(そうであってくれ)


 嫌な予感が拭えない。まるでこの瞬間を逃したら、指に引っかかった少女の幻影が消えてしまうかのような。


 なんにも分かってないね。少女の声が笑った。


 瑠真はなんにも分かってない。


×××


「灯火病院プロジェクトのことが気になってたよね?」


 一通りの仕事を終えたあと、すでに夕方に近くなった紫色の陽を窓の外から背中に受けながら訊かれた。言及したのは依頼人の岳下だった。瑠真は「はい」と思わず敬語で背筋を伸ばした。叱られる流れかもしれない。


 けれど別の期待が顔に出ていたのだろう、視界の端で案の定望夢が渋い顔をした。口をぱくぱくしている気がするが読唇スキルはないので読み取れない。


 岳下は瑠真のポケットのあたりを何気なく見ていた。


「それって、病院に関係あるキャラだったりするの?」

「え? ……え、違うけど」


 一瞬何を示されているのかわからなかった。マスコットだ。


 学校で恩返しとうるさい後輩に貰った眼帯ネコが、スマホを入れたポケットから首吊り状態で垂れ下がっていて、依頼人の目はそこに注がれていたのだった。確かに眼帯といい白ベースといい病的っぽい、が、たぶんその病的は中二のつく病とかメンタルヘルスの病だ。新品のくせに妙にくたびれているあたりもそれっぽい。


 それにしてもあまりに唐突なので首を傾げて見上げると、岳下は心得違いと言わんばかりに快く笑った。


「いや、プロジェクトに参加してた従業員が一人、よく似たキャラものを持ってたなって。ネコじゃなくて天使だったかもな。関係ないか」

「はぁ」


 相槌を打ったあと、少々の奇遇に心が引っかかった。天使はそのままこのキャラクターグッズの設定主人公だ。そもそもさびれたゲーセンの余りものになっていた数年前の流行り物で、中高生ならともかく大人が持っているのならけっこう変わった趣味かもしれない。


「その人、本社に行ったんですっけ」

「僕もあんまり身近じゃなくて。えーと、田中とか鈴木とか普通の名前。調べてこようか」


 お願い、と言いかけたが、望夢に首根っこを掴まれた。ぐうと息が詰まる。だから急に触るなとさっきも言った、それ以前に猫を持つような扱いをやめてほしい。


「いいです、もう帰るんで」


 ペアは瑠真の後ろから依頼人に向かってぶっきらぼうに言い捨てると、ふっと瑠真の耳元に唇を寄せて低い声でささやいた。


「疑ってるんだったら尚更なんでも聞くな」


 どきん、と心臓が跳ねた。相変わらず望夢には反感が消えていなかったが、その瞬間垣間見えた少年の顔は協会で隠している裏側にシフトしていた。


 これだけは瑠真には分からないから、口を閉じざるを得ない。


「新野」

「あ、あぁそうだね、帰ろう」


 続いて少年が新野にも念を押すと、青年は気配を察知したのか、慌ただしく姿勢を正して締めの挨拶に入る。大人たちがやり取りを交わしている間、少年が瑠真の手元のマスコットに視線を落として口をへの字にした。


「それ、いつから持ってたっけ?」

「ついこないだだよ」


 なんとなく、平和な中学校生活の後輩の存在を高瀬望夢の目に晒したくなくて、言い訳するようにマスコットを覆い隠していた。右手と一緒にポケットの中に突っ込む。貰ったとも言わなかったはずだが、望夢は「ふぅん」と何か気に入らなさそうな反応をした。「いいけど」


 お前にいちいちいいって言われなくても持ち物くらい増えるわ。よっぽど突っ込もうかと思ったがさっきといい望夢は仕事上のペアを何かものすごく心身一体のものと勘違いしている。この場で喧嘩したいがまだ仕事場だ。


 落ち着くためにマスコットを触っている間、指先の感触に違和を覚えた気がしたが、上の空の意識に押し流されていった。山代美葉乃、ホムラグループ、灯火病院プロジェクト……


×××


「〇灯火病院プロジェクト


 灯火病院プロジェクトでは超常術開発、特にイルミナントの開花バイタライズが心身に及ぼす影響を、薬品と治療の観点から調べています。超常術はイメージを正確に物理空間に投射する技術であり、イルミナント開発は主に、身体の定点に脳内像と物理空間を結び付けるための意識点を固定することで行われます(超常科学省発刊「SEEP指導要領201X年」より)。従来よりシールなど、外的物体を意識点としたい部位に付与することにより開発がスムーズに進むノウハウが実行されており、灯火病院プロジェクトでは、さらに電極や小さな針など、微弱な痛みをもたらす異物が意識化を早める例が……」



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