1:Roughly always like this(前半)
『瑠真、そっち』
イヤホン越しに何というか気の抜けた、もうちょっと腹から声出せるだろという感じの緊張感のない注意喚起を頂いた。七崎瑠真ははっと気を引き締めて前方に視線を移す。ちょっとした仕事の隙間に意識が回想に飛んでいた。
猛然と疾駆してくる灰色の獣の姿が見えた。雑念を振り払い、鎧をイメージして異化力を身にまとう。何の変哲もない中学生こと瑠真の全身が、一瞬金属光沢のような銀色に包まれたら準備完了だ。光が消えても、全身に行きわたらせたペタルは集中している限り肌を守り、牙を弾いてくれる。
「来いッ──」
小賢しい真似なしで正面から突っ込んできてくれるなら大歓迎だ。駆け引きや小細工より瑠真の性に合っている。
追い回されて凶暴化した獣がリーチに飛び込んできた瞬間、瑠真は抱きすくめるように、その毛に覆われた胴体に掴みかかった。
(よしっ──)
確かに捕えた。勝ちを確信したそのとき、視界の端の物陰で誰かが身を乗り出した気がした。
「えっ」
捕り物のために通行には気を配っていたはずだ。瑠真は思わず振り向いた。塀に挟まれた十字路の隅に目をやる。
誰もいない。
ぽかんとした隙に、防護のペタルが霧散した。やばいと思って意識を戻したとき、小憎らしくその隙をついて、腕の中でもがいていた獣が明確に爪を立てた。
「いっ」
前腕に鋭い痛みが走って思わず息を呑んだ。
拘束が緩んだ。跳ね上がる瑠真の腕をすり抜けて、敏捷な獣がまた路地の向こうへ消えていく。ずきずきする傷口に手をやって、瑠真は思わず罵った。
「あーっ、あの野郎っ、また逃げやがった!」
『大丈夫?』
「なんともない!」
イヤホン越しに相方が何か言った気がしたが、邪険に振り切ってイヤホンを毟り取った。動くのに邪魔だ。気が散って基礎的な防護も失敗して心配されるのでは仮にもプロの立場がない。屈辱を晴らしたかったし、純粋に腹が立っていた。
完全に〈防護術〉を解いて、〈増強〉に切り替える。自己の身体を対象とする基礎イメージは共通。ただもっとしなやかに、肌を突っ切って筋肉の深部に染み渡る力で、身体の強度補正も忘れずに。
両脚をスプリングと化した瑠真がダンッと路面を蹴った。一歩、大きく跳躍。エネルギーは前方へ。地の運動神経が決していいわけではない瑠真が、ほとんど数歩で取り逃がした獣に追いすがる。
再度相手に飛びついたとき、
「あ」
どこかからさっきも聞いた間抜けな声が聞こえた。
ばさり、頭上から降ってくる大きな影があった。「ひゃっ」縮こまった拍子に抱えた獣ごと尻餅をついて絡めとられる。じたばたもがいて正体に気づいた。緑色のネットである。小学校の障害物競走とかでよく設置してあるやつ。
「は、はぁ⁉」
「悪い、タイミング間違えた」
「間違えすぎだバカ!」
ネット越しに見上げて怒鳴る。許可出てるのか知らないが、近くのアパートの外廊下を勝手に見張り所にしていたらしい少年が手すり伝いに身軽に降りてくる。連絡に使っていた片耳イヤホンを引き抜いて寄ってきつつ、
「それ倉庫にあったから、便利かと思って途中で借りた。あっ待って」
ネットの端を踏みつけて固定された。瑠真が引っかかっているところのネットである。まさにその端を捲り上げて脱出を試みていた瑠真の動きが止まる。
「……何?」
「お前、考えろよ。また逃がす気か」
考えろって何を。横柄な視線を追って自分の腕の中に目を落とすと、抱えた獣がもがいている。
しばらく言われた意味を考えたあと、頭痛を覚えつつ、瑠真は問いを発する。
「……つまりコイツともどもしばらく絡まってろと?」
少年はネットの端を踏んだまま、ポケットに手を突っ込んだ生意気な格好で瑠真を見下ろし、以下のようにのたまった。
「お前もそのままのほうが安全かもな」
とうとう腹に据えかねた瑠真の超常術がスパークしてネットを突き破った。少年がぎょっとして身を避けた光の弾があさっての空中にすっ飛んで行って霧散した。
ついでに言うと、もがいていたウサギはその光と音にびっくりして気絶したので、捕獲用ケージを抱えて追いついてきた飼い主の叫喚がその後たっぷり拝めた。
×××
「それで怪我したわけだ」
「怪我ってほどじゃないけど……」
ゴールデンウィーク明けのだるそうな校内の空気を体現するように手摺りにもたれかかってさぼっていた美少女がもぞもぞ相槌を打った。連休中に相も変わらず仕事ばかりしていた話をせっつかれて瑠真はだいぶげんなり気味だった。緩んでいた手を階段の掃除に戻すが美少女は相変わらず動く気なく、
「そんなでかい絆創膏貼ってたらわたしからしたら大惨事だよ。純文化系なめんなよ」
「偉ぶるところじゃねー。体育祭委員でしょ」
サボるな、と箒を突き出すと彼女はひらりと身を躱して自分の箒に取り縋った。「それは内申てーん」わりとずるいことを言ってきびすを返すと持ち場の段上に帰っていく。軽い足音といいあけっぴろげな物言いといい、自身で不真面目ぶっているほどの嫌味は特に感じられない。調子がいいというかお道化役というか。それが彼女なりの処世術らしいので瑠真の知ったことではない。
小町千友紀は同級生で、瑠真とは一年生の夏からなんとなくつるみ続けている。長い黒髪に白い髪留めがトレードマークの、黙っていれば人形みたいに整った容姿の美人だ、黙っていれば。見た目のわりにとんちんかんな言動がウケるのか、小町はだいたいどのコミュニティにいても適度なポジションを獲得する名手でもある。それがなぜ瑠真のように教室の隅っこで不機嫌を振りまいている小さいのとくっつこうと思ったのかは永遠の謎だが、少なくとも瑠真の主観からすればこの典雅な名前をしたクラスメイトは、学校で気を抜いて喋れるほぼ唯一の相手だった。仕事の話をする唯一の相手でもあるが、同級生には勝手に喋るなよと念を押している。
「でもねえ、楽しそうだよねえ、協会」
喋るなよと言っているのに上階からわざわざ声を張り上げて小町が言うので口封じにかかりたくなった。ついさっき自分がサボるなと言った手前小突きに行くわけにもいかず、こっちも階下から嫌そうな声を張り上げることになる。
「やめときなよ、外から見てるから可笑しく見えるだけだよ」
「わたし瑠真のこと言ったんだよ」
上の踊り場からひょいっと美少女の能天気顔が覗いた。
「前より楽しそうだよね」
返答に困って見上げた瑠真の視線の先で「おーわりっ」と塵取りを回収して少女の頭が引っ込んだ。瑠真はしばらく渋い顔で黙った後反応を諦めることにして持ち場に戻った。楽しそうに見えるとしたら恐らく今のペアワークが大小波乱だらけで語るに尽きないからだ。決して瑠真が自分から話したいわけではない。
「なに不機嫌な顔してんだよ。一緒に帰りましょうや、お姉さん」
「別に不機嫌ってことは……アンタ今日帰っていいの」
上の階から塵取り片手に降りてきた小町が肩にしなだれかかってくる。肘で容赦なく押し退けながら質問すると、折に触れて掃除をすでに終えたらしい違うクラスの同級生たちが近くを通りすがった。
「こまっちゃん、おつかれー」
「おー」
「なんかまたリスケみたいなんだけど。放課後来れる?」
瑠真の肩から腕を回して頭の上に顎を乗っけた不真面目少女が(肘による猛攻を無視して)「んお」と唸り、
「そうか。わたしもわたしで仕事か」
「忙しい時期でしょ、体育祭委員」
「人気者は困りますねえ。わたしの力が必要ってんなら仕方ないや」
調子に乗るのでちょっと強めの肘鉄を食らわせておいた。「内申点でしょ」
大げさに身を避けた小町が笑顔で「またな、マイハニー」と軽口を叩いた。同じ委員会の女の子と連れ立って一足先に廊下の向こうへ去っていく背中を見送って、瑠真は一人掃除の後始末に戻る。掃き清めた埃屑を集めてゴミ箱に突っ込み、道具を片付ける。人と合わせる理由がなくなると一段と作業がのろくなり、欠伸交じりに教室に戻ったときにはクラスメイトのほとんどが部活なり家路なりに引き上げていた。
ざっとこんなもの。七崎瑠真の協会にない日常には波乱ももめごともない。
誰に挨拶するでもなく自分の荷物を肩にかけ、教室を出て二階から階下に下る。昇降口で靴を履き替える。ほとんど夏のそれと見なしていい夕暮れ前の日差しに顔をしかめ、惰性で帰路につく。
はずではあった。
「……」
見なかったことにしようかと思ったが、あまりに目立っていた。よもやここから帰っていった瑠真のクラスメイト以下数十名が首を傾げていたのではあるまいな。これをクラスの不機嫌な女子こと七崎瑠真に結び付ける者は恐らく数名といないのではあろうが、なんというか、通り過ぎるにはあまりに不自然というか。
観念して咳払いした。
「何してるの、翔成くん」
「んぅ……」
少年である。
子細に言うと二年生の下駄箱に隣接された傘立ての錆びた枠の上に休憩なのか腰かけたまま、その場で寝入っていた後輩の少年だった。脇に抱えた指定鞄にもたれかかるようにして、斜めになった頭からすうすうと寝息。色素の薄いさらさらした髪や華奢な身体つきには、男子生徒というか、まだ幼子というか少女然としたおもむきがなくもない。
もう一度無視して帰ってやろうかと額を押さえる。瑠真に関係がなかったら無駄な心労だ。しかしどうしてもこのあとの人目、今後の後腐れ等々を勘案して結局傘立ての正面に近寄って、
「日沖翔成」
「わ」
がつんと呼びながらローファーで傘立ての面を踏んだ。斜光に対して瑠真の影になる形になった少年が振動にびっくりしたみたいにぱちんと目を開けた。
一瞬ぼんやりしたらしい黒目勝ちな双眸が瑠真を認識して、二度、三度瞬く。
「あ。せんぱい」
現実に焦点が合ったらしい。おはようございます、とでも言いたそうな日常的な顔だった。
「なんなの、お昼寝でも満喫してたの?」
「あー、ふわぁ。せんぱいを待ってたんです」
大欠伸をかまして翔成が言う。せんぱい、という曖昧な人称だったが後輩が本題に入ったと言わんばかりに鞄をかけ直して立ち上がったので当ては外れた。予防線を引くまでもなくばっちりいつもの件だ。
「私?」
「今日こそは。お返しをさせてください」
「ううっ……」
予想はついていたが、辟易の念が勝った。いい加減しつこいの域だ。襲撃何回目の後輩を牽制するように微妙に距離を取る。少年としては幼い印象のある翔成だが瑠真とはほぼ同じ目線で、真正面から不満げに口を尖らせてくる。
「こっちだって示しがつかないんですけどねえ」
「あーもう……」
そろそろちゃんと話をしたほうがいいかもしれない。首を振りつつ下駄箱を離れて、昇降口に向かうと案の定ひよこみたいな後輩はぽふぽふとくっついてきた。
日沖翔成とは先月末の仕事帰りに出会った。言い返さなさそうな雰囲気で目をつけられたのか、面倒な酔っ払いだか誰だかに絡まれていたので瑠真が適当に派手な術かざして追っ払ったのである。丁度練習中だった燃焼系の術がそろそろモノになりそうで試してみたかったから。そういう事情で大した親切ではなくて、解放された少年がお礼をさせてくださいお礼をと引っ付いてきたのがちょっと鬱陶しかった。瑠真からの第一印象は以上だ。翌登校日に後輩だったことが判明。そのときにばったり遭遇したのも同じ昇降口だったような気がする。
「うーん、お茶くらいどうです」
「年下に奢られたかない」
「じゃお荷物持ちましょうか」
「もっとやめろっ、そういうのいいから!」
思わず本気で突っ込んでしまいつつ、どういうふうに切り込むか頭を悩ました。七崎瑠真は婉曲的コミュニケーションが苦手だ。
「あのね、誰にでも彼にでもそうなわけ?」
「そうとは?」
「お返し、お返しって……真面目なのはいいことだけど、義理の範囲を超えてるぞ」
うるさい、と言わなかっただけ褒めてほしい。後輩から会うたび同じ言葉以外を聞いたことがない。
「そういう瑠真さんこそ」
後輩から拗ねたような反撃があった。切り返されるのは少々想定外だったので反応に詰まった。
「一つくらい受け取ってくれたっていいのに、何の意地なんですか?」
斜め後ろを振り向くと後輩は受けて立つぞと言わんばかりの瞳で見つめ返してくる。口をぱくぱくさせたあと結局前に向き直った。意地。そう来たか。
「私は別に、礼をされるようなことはやってない」
「僕がお礼しなきゃと思ったんです。それじゃ駄目ですか?」
「お礼って言葉が嫌いだ」
突発的にそんな言葉が口をついて出た。自分でもなんとも言いがたい。嫌いというか、感謝される側に慣れていないので落ち着かないというか。語調が強すぎたとは思ったが、違和感が拭いきれない。
むう、と考え込んだ翔成が少しの間だけ黙った。普通はここまで言えば引き下がるはずだ。けれど、
「じゃあ、こうしましょう」
「何?」
「僕がわがままを言うので、付き合ってください」
答えあぐねている間に三台分車の走行音が隣を通過していった。翔成はどうやらここへきて先輩の意向を無視する方針で固まったらしい。二歩分の駆け足で瑠真を追い抜くと、先に立って学校沿いの角を曲がる。
渋面を作ったまま曲がり角で立ち止まった。ここは折れてやらないと後味の悪い場面か。
結局溜息をついて後ろから追いかけた。意地で負けるのは久しぶりかもしれない。
「どこ行くの?」
「ゲーセンです。燈靑裏の」
「とうせい……」
先にそっちに頭が反応した。私立燈靑学院、通称灯火記念学校だ。立地的にはそう遠くないが心理的なご縁上は非常にご遠慮したい成金中高、悲しいことに名前から察せられる通り、我らがSEEPとはたいへん近縁にあたる。おまけに仕事上のペアがなんの伝手だかそこに通っているが半分くらいは不登校っぽい。それはいい、別に学院に乗り込もうと言われたわけではない。
「ゲーセンはなんで?」
「いや、特になんでもないです。けど、学生の寄り道って言ったら定番じゃないですか?」
「定番……かなぁ……」
「あと屋上で不良とサボりとか、校舎裏に呼び出されて告白とか……」
「やらんでいいぞ」
半眼で釘を刺すと翔成は人懐っこく笑った。
「アテがないんで。それともせんぱいが付き合ってくれますか?」
「誰が不良じゃ」
後半についてはコメントしづらかったので前半にだけ突っ込んでおいた。翔成は特に話を続けなかった。
燈靑学院はほとんど雑居ビル街の中途にあって、そのごてごて西洋風の背中を場違いに商店街から眺めることができる。通り裏のビル一階がゲームセンターだ。客寄せ効果があるのか店内が狭いのか、張り出したひさしの下にピンク色のクレーン機が二台並べてある。「これこれ」翔成は一台に取りすがって硬貨を放り込みながら、
「せんぱい、ぐにゃぐにゃ天使クン好きですか?」
「ぐ……何?」
「かわいいでしょ? 困ったときに握りしめるっておまじないがあって」
「あぁ、これか……そんなんだっけ……」
瑠真は渋い顔になった。ガラスの向こうに詰められた大小のマスコットにようやく記憶が追いついた。数年前、女児向けの文房具でかなり流行った気がする。この手のキャラクターグッズを使っているのは瑠真ではなく当時の友達のほうだった。家計を管理しているお姉ちゃんの趣味。おまじないのたぐいはたぶん友達のほうも好きではなかったので、具体的な設定云々はよく知らない。
あの子もいちばん最初はお礼が言いたいって引っ付いてきたのだ、とふと思った。こんな恩返しマニアではなかったけど。
クレーンそのものも、地元にいた頃風呂屋の待合いにあったやつ以来たぶん触っていない。白いデフォルメ顔の天使の周りにほかの動物やらのマスコットも一緒に埋まっている。全部は記憶にないが造形からすると同じシリーズ、見覚えがあるのは微妙に目の焦点が合ってない馬とか(飲んだくれだったような気がする)、妙にドヤ顔のイヌとか(バンドマンだったような気がする。ろくな設定がない)。
馴染まない情景をぐるぐる見渡して知識範囲と引き合わせているうちに、翔成は勝手にゲームを進行していたようだった。かじりついていたアームに手のひらサイズのマスコット人形が綺麗に吊り下がっている。けっこううまいのかもしれない。器用そうだし。
片目眼帯のそいつは相変わらずデフォルメだが、見た感じネコっぽいデザインをしている。
「やった!」
無事景品ポケットに落っこちたぬいぐるみが効果音を立て、筐体がぴかぴか光る。大げさに喜んでいるのは狙い目だったんだろうか。特に好きなやつとか。それとも、
「ねえ、こいつせんぱいっぽくありません?」
「アンタそれ、わざとでしょ」
「何がですか?」
景品を引き出しつつ、振り返ってきょとんとされた。言ったはいいが後輩がわざとやるわけがないのだった。瑠真に付けられた不名誉なあだ名のことは協会の中にいないと知りようがない。
財布を仕舞うためにいったん鞄の中に突っ込んだ片手で、後輩はのんびりと獲った景品を差し出す。
「どこに付けます?」
どこにとは? 瑠真はうろんな目をして、
「私?」
「はい。あっ、僕のわがままです」
お礼ではなく、と先手を打たれた。どうやらこれが後輩なりの妥協点らしい。
瑠真ははーっと大きな息をしながら古い緑色の雨除けひさしを見上げた。こっちはこっちでここまで意地を張ってきてしまった。落としどころをゆっくりと探す。
「じゃあ」
同じひさしの下の隣の筐体に視線を倒した。これもまた古式ゆかしいレースゲームがどかんと二人席で設置してある。ハンドル操作で隣に追突したりもできるやつだ。
ああいうやつなら瑠真もけっこう好きだ。
「アンタが勝ったら貰ってあげる」
「……いやあの、なんでものを渡すのに逆勝負なんですか?」
「アンタのわがままに付き合うかどうかでしょ。私のほうにも付き合えよ」
さっきの仕返しとばかり、さっさと椅子に座ると後輩がぽかんとしたあとにあわてて駆け寄ってきた。瑠真が手前をあけなかったのでわざわざ後ろを回って奥に席を取ることになる。
待つ気なくコインを投入して対戦モードを選択していると、翔成は邪魔な鞄を足元に蹴り入れながらそわそわと手を挙げる。
「手心は」
「ない」
断言すると翔成はうっと黙った後に、笑ったらしい小さな呼吸音を立てた。それから、すぐに気合いを入れたように隣のモニターに向き直る。
「じゃあおれも本気出します」
常よりも低い声だった。印象が変わったような気がしてちょっと顧みかけたがモニターがスタート待機に切り替わった。
慌ててよそ見をやめ、ハンドルを握りしめる。新野あたりを振り回してプレイしたことがあったような気がするが細かい操作感まではよく覚えていない。手触りを確認する瑠真の様子に気づいたのか関係なくか、翔成が追加で一言。
「勝ちますよ」
その宣言通り。
わりと確実な後輩の走行にがむしゃらに突っかかって、あえなく一回戦敗退となった。慣れてるなら言えよ最初に。理不尽だけど。まあ負けてもいいんだけど。燈靑から来たらしい放課後の学生が後ろで順番待ちを始めたので勝負は一発打ち切りとなった。燈靑の目立つ瀟洒な制服姿はまず警戒するのでやや心臓に悪い。
こういう流れで不細工なネコは瑠真の所有物になった。ピンク色のカバーをかけたスマホのストラップホールに不機嫌なゆるキャラはそこそこ相性が良かったので若干釈然としない。




