序:なき容疑者
春だ! 節目だ! 新章だ!//今回も黒幕部分からお楽しみください。
「ハロー、リトルレディ。ちょっとお耳に入れておきたいな」
深夜に電話をかけると、お昼寝からでも覚めたらしい少女の眠たげな声が『ふぁ』と電波の向こうで唸った。『なんの用です?』
「お嬢の誘拐計画が持ち上がってね」
内容に反してのんびりと知らせる。うつらうつらしている少女は、ろくに説明を聞きもせず欠伸をした。
『そんなこと、今さら伝えなくてもいいんですよ。お金を渡して、思想を抜き取って、遠いところで生活させて差し上げて。いつもとおんなじように』
「それは済んだよ」
お互い慣れ切った口調で青年も相槌を打つと、少女は『それじゃあ、なぁに?』と不思議そうに聞いた。眠気覚ましにお菓子でも口に含んでいるのか、くぐもった声だ。
青年は部屋のぬいぐるみの一つを抱き上げると、布でできた前肢を摘まんでぱたぱたと動かした。
「その関係者……と言えなくもないかな……が、少々また不穏な動きをしていてね」
『身の回りに注意、です?』
「いや、お嬢はたぶん安全だよ。そこまで手の届く話じゃなさそうだ」
ダックスフントをかたどったかわいらしいぬいぐるみを窓際に置き、額を指で弾く。
「おかしなことに、協会に探りを入れているようでね。正確にはその会員の一部について情報収集を重ねている」
『何か問題なのです? 実際に手を出したら政治問題になるけれど、私たちが協会を仮想敵としてサンプルを収集するのは今に始まったことではないでしょう』
「うん、そういう立場にある社員の諜報なら不思議じゃないんだけどね」
青年は首を傾げて言った。ダックスフントのつぶらな瞳が見つめ返している。
「問題は、彼が気にかけているのがとある女の子だってことだ」
『……』
「三月の件で表舞台に立った協会の一般会員の女の子がいたって話は聞いてる? この時点で変なのだけど」
電話の向こうの少女はしばらく沈黙すると、次の言葉でこのように言った。
『よくわかんないので、ちゃちゃっとやっちゃってください』
序:なき容疑者 Fin.




