終章:トラブルメイカー・ペア
得たものと嘘と。//短いので一気にどうぞ。
「つまり、そのお守りの効験があったと考えていいわけですね。七崎さんが依頼中に起動させたから、一時的に彼女が『持ち主』と見なされた。肌身離さず力を注ぎ続けたわけではありませんから、せいぜい効果は一昼夜、限定的に敵意を跳ね退けた程度だったでしょうが」
流れるように説明しながら、年若い会長秘書が紅茶に砂糖を淹れる。新野は向かいでストレートティーを啜りながら、複雑な顔で見つめ返した。
「そこまで計算ずくだったってこと? 君の会長は」
「それも込み、ですね。主軸はあの二人の経験の共有にあったようです。彼女は自分自身の他に、高瀬さんを協会に引き留めるものを探していた」
「直接教えてくれればよかったのに」
「彼女が姿を現して? 情けないながら、私もつい昨日まで何も知らなかったから言えるのですが、自ら知ろうと思ったことでないと、人は信じないのでしょうね」
同じ表情のまま、新野は視線だけを窓の外に逃がした。本局ビルの周囲では突貫の修復工事が進んでいる。昨晩の襲撃事件の名残だ。
要するに、神名というらしいあの少女は、自分の側から禁を破りたくなかったのだろう。隠し続けていた、超常でない異能の存在。それは想像に難くない。新野だって急に知らされて、まだ話が呑み込めていないのだから。
昨晩呼び出され、杏佳の口から紹介された少女は、自分の意図をはっきりと認めた。超常以外の異能の存在を知らしめることは、世間に混乱を招きかねない。情報操作をやめる気はない、と。この機にそれを伝えられた職員はほんの一握りだったらしい。つまり他の関係者たちは事情も知らず戦っていたことになる。
「不安が晴れないのは分かります。突然のことだらけだったでしょうから。でも、貴方の協力は助かりました。貴方の担当超常師ですからね」
事務的な口調で言う杏佳に、新野は釈然としない目を戻した。
「それだよ。僕はあの子たちを、こっそり裏で危険にさらすようなことになったのが気に入らないんだ」
「彼らは元から危険を孕んでいたんです。それぞれの事情で。ご心配なく。会長が彼らを守ります。今までも、これからも」
これからはともかく、今回無事で済んだのは結果論に過ぎないと新野は内心で思っていた。彼女たちの言うことを一概に信用することはできない。
それに。脳裏に幾度も思いつめた顔をした瑠真の姿が浮かぶ。
山代美葉乃という少女は守られなかった。
美葉乃は研修期間を終えて最初に、瑠真のペアになるはずだった。新野は自身もまだ指導官研修を受けていたころ、初めて受け持つ予定の二人として、彼女らと知り合った。美葉乃がどんな子か、あの八月に何があったか、彼も知っている。以来、上層部に掛け合って、ずっと不安定な瑠真の指導官をしている程度には。
腹を決める。僕ももっと事を理解して、子供たちを守らなきゃ。
「ともあれ、突然の要請にお答えいただきありがとうございました。本日は全会臨時休業となりますから、一日ゆっくりお休みください」
紅茶を口に運ぶ杏佳を胡乱げに見返して、新野は答えた。
「杏佳ちゃんもね」
「呼び方を改めてください。いい加減」
冷静な語調が、その時だけ少し人間らしくなる。新野裕はため息をついて、今はかつてのペアとの休息の時間を、少しでも楽しもうと決めた。
ぼんやりと光が戻ってくる。白い天井。
どこかで見た景色だと思ったのも当然だった。本局付設の医務室だ。首を振って起き上がり、はたと動きを止めた。
「……なんでいるの?」
「見舞い」
パイプ椅子の背を抱えるようにして、なぜかベッドに背を向ける形で座っている少年が不明瞭な声で答えた。来室の目的というよりそれ以前の問題について色々聞きたかったのだが。
まぁいいか、と思う。呑気にペアの見舞いになんか来てられる状況になったんなら。
変に穏やかにそんなことを考えてしまってから、意識を失う前、最後の少年とのやり取りを思い出した。咳払いして気を引き締め、姿勢を整える。その過程で、自分が安静用の楽な格好に変えられていることに気が付いてちょっともぞもぞした。髪も解かれている。落ち着かない。
「本題は?」
尋ねると、少年がピクリと背中を動かした。
「まさか本当に様子だけ見に来たわけじゃないでしょ。起きるの待ってたんなら」
抗うような間が数秒あった後、少年の顔だけがこっちを向いた。居心地悪そうに椅子の背を抱いたまま、目を伏せ気味で呟く。
「迷惑かけた。ごめん」
「……あっそ」
瑠真のほうがふいっと目を逸らした。思ったよりストレートに謝罪の言葉が飛んできて、こっちだって考えないと答えられなかった。
相手がぽつりぽつりと語り始めた。
「俺も、一晩だけど、すげえ考えたんだけど。結局何のために協会にいるのかとか、実家のこと、どうする気なのかとか……」
声音には静かな疲労が溜まっていて、恐らくほとんど睡眠をとっていないのだろうことがうかがえた。
「……やっぱり、俺の責任じゃなかったとは思えない。逃げずに立ち向かってればできたこと、色々あったはずだから。だけどさ、責任取るったって、何していいか全然わかんなくて。改めて実家から交渉持ち掛けられたとき、そこに俺にできることがあるならしようって思ったんだ。……それがまた、迷惑になったけど」
「言い訳にならないよ」
「うん。俺の考えが足りなかった」
またストレートな肯定。ひっぱたきたいほど生意気な奴だったのに、しおらしくなった横顔は別人のようだった。
やりづらい、と思う。
「でさ。お前に叱られて、思ったんだ。責任とか、やっぱりわかんねえけど。これで協会を離れたら、また逃げたことになるんじゃないかなって……うまく説明できないけど。だからもうしばらく協会にいようって決めた。や、違うな」
そこまで言って初めて、少年がまともに瑠真を見た。
「もうしばらく、ここにいたい気がした。いいかな」
窺うような、でも迷いのないその言葉に、瑠真の拳はぎゅっと力を込めた。白いベッドシーツに皺が寄る。
「許さないよ」
呟くと、少年は口を噤んだ。
「……アンタが、自分の立場を放棄して逃げたのを。そこにいれば何ができたのかは知らない、何ができなかったのかも。私は何も知らない。だから言うのは筋違いだって分かってる。
でも、アンタは、今回だって勝手にいなくなった。前だけじゃ懲りずに。だから許さない。どんな考えても、心の中で許せない」
切れ切れな、後から後からどんどん言い足していくような、行き当たりばったりの言葉で瑠真は喋った。それでも、せめて正直に話しているつもりだった。
「だけどね、何も知らずに安穏としてた、自分がいちばん許せないの。正直、私より何かを知ってたアンタを、逆恨みしちゃうくらいには」
顔を上げた。少年の瞳と目が合った。
「だから、逃げるな。私の前から」
わざと強い口調で言い切ったとき、何か心の奥で枷が取れたような心地よさがあった。
「逃げるな、恨まれることから、滅茶苦茶になることから。逃げないで、ちゃんと教えて。私がどうしたらいいのかを」
望夢はしばらく、その言葉を噛み砕く時間を取るように黙っていた。やがて、得心した顔が綻ぶ。信じられないくらい素直な、子供っぽい表情で。
「ありがとう」
「なっ……ん、の礼だ、それは」
小声で毒づいてそっぽを向いた。同意ならともかく、礼を言われるようなことを言ったつもりはない。
それにちょっと、心臓が跳ねた。思ったよりダメージを受けたのは内緒だ。
医務室を後にするとき、望夢の胸にはついぞ言えなかったことが一つだけわだかまっていた。夜のうちに、金色の眼をした少女と交わした会話。
(「なあ、山代美葉乃って、本当に行方不明なのか」)
努めて平静に、望夢は聞いたのだ。
(「姉は異能社会の裏側まで潜り込んでた。当然、お前が隠したいものにも触れていた。その妹なら例外じゃない」)
瑠真が言っていた、美葉乃に接触する大人。それが何かしらの勢力との窓口だったのは、望夢はほとんど間違いないと思っていた。
だから、
(「お前が行方不明ってことにしたいだけじゃないのか」)
少女は窓の外を眺めたまま、両の袖にそれぞれ逆の手を突っ込んで黙っていた。
(「もしそうだとしたら、教えてやれよ。もういいだろ。……あいつを都合よく動かすのに、友達の名前なんか使うなよ」)
少女は感情の読めない瞳で望夢を見た。それから、笑った。哀しそうな顔をして。
(「進言、聞いておく」)
そうして背を向けた後、もう何を言ってもその話題には触れようとしなかった。望夢の胸の裡に歯がゆい思いが残った。これでいいかな。少しはできることをしただろうか。雨の中、掴み損ねて消えてしまった赤い髪に心の中で語り掛けてみる。
×××
「今日の依頼は一人暮らしのご老人から、ノルマポイントはDクラス相当からね。場所は……」
この面子だと初めて使うミーティングルームに、端末の画面を読み上げる新野の声が響く。瑠真は欠伸をして気だるい身体を伸ばした。あれだけあり得ない騒動があった数日後で、呑気にお爺さんだかお婆さんだかのお困りごと相談を聞いているのが信じられない。
「こら。聞いてる?」
「聞いてるわよぅ」
「二人ともね」
目を向けると少し離れて隣に座っていた望夢が我に返ったように瞬いた。
「あぁ、おう」
「聞いてなかったね。もう一回言うよ」
脱力した新野が律儀に内容を反復し始める。ますます退屈した瑠真は椅子の足を蹴りながら背凭れに寄りかかった。
巷では血気盛んな若者が暴れたということで片を付けられてしまった件の事件以来、初めての仕事だった。新野とはあの後も色々と話したが、望夢と交わした会話は医務室でのやり取りが最後だ。
改めて顔を合わせても、思ったほど気構えはなかった。ただ望夢のほうはどこか上の空だ。
「ちょっとアンタ、さっきから何ぼーっとしてるのよ」
話が終わって移動が始まる。廊下に出ながら睨みを利かせると望夢は首を傾げた。
「あぁ、ごめん」
「いや、別に、いいけど……仕事まで引っ張っていかないでよね。失敗は連帯責任なんだから」
「ペアだからね」
新野が口を挟む。意味もなくむかっとしたので脇腹を殴っておいた。
少し後ろに遅れて見ていた望夢が笑った気がした。
「ぼーっとっていうか……」
瑠真にだけ聞こえるくらいの声で、ぽそぽそ何か言う。
「これでいいのかなって。俺、こんなに平和に生きててもいいのかな」
瑠真は勢いよく振り向いて、望夢の正面に指を突き付けた。それはついさっき瑠真が考えていたことでもあるのだが、この際棚に上げて。
「アンタはここにいるって決めた。自分で選んだんでしょ。なら腹括れ」
少年が咀嚼するように黙った後、ふっと笑顔を見せた。またよく分からないありがとうを言われる気がして、瑠真は慌てて言の穂を接いだ。
「それに、後のことなら春姫が色々やってくれてるみたいだし」
「春姫?」
「知らなかった? 神名春姫」
望夢が変な顔で瑠真を見つめていた。内容は理解したが事情が呑み込めない顔だった。やっぱり自分の感覚がおかしいっていうのか。当の春姫にも同じ顔をされている。
実際、春姫から聞いた話の何割を理解できているのか自信はない。そんなものあってたまるか。世界の仕組みなんてでっかい話、中学生には荷が重い。それより目の前の女の子のほうが、それから消えやがったペアのほうが、まだしも瑠真には現実感があった。それだけだ。
口をへの字に曲げて前を向いたとき、ちょうどどこかの超常師ペアとすれ違った。
「あら、七崎」
「暴れ猫」
「と、落ち零れ?」
振り向くと相も変わらずのそばかす顔の花井が笑いながら目を逸らすところだった。瑠真は体ごと彼女たちを振り返り、その場で答える。
「そうよ、暴れ猫よ。好きに言ってろ」
離れていこうとしていた花井たちが虚を突かれたように立ち止まった。瑠真はそのときにはとっくに正面に向き直り、自分のペアと指導官を追いかけていた。
世界の仕組み(ワールドプレット)なんてでっかいもんは分からない。目の前のものと向き合うしかないのだ。たぶん、それでいい。
恐らく笑っている新野とジト目のペアの頭越しに、本局正面の出入口を通した外の光が見える。回転扉がまわる。今日の仕事が始まる。
終章:トラブルメイカー・ペア Fin.
第一エピソード:異能協会の問題児 終




