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神名を殺す――「秘術師」の目的はつまり、そういうこと。
標的、「神名」。
標的潜伏現在地、SEEP本局ビル。確認済み。
作戦決行日時、今夜。
金の瞳をした少女は、どこか薄暗い部屋でみやびに微笑んだ。
「そこで、提案があるのじゃが」
×××
飛び起きると同時に、状況を把握した。嫌に寝心地のいいベッドは当てつけか。必要最低限のものしかない殺風景な小部屋だ。
口の中で毒づいた。一度預けたのち返されたはずのスマートホンがまた取り上げられている。扉も窓も外から施錠されていた。
ひとまず部屋を一回りして検めた後、扉の前に立ち、呼吸を整えた。内側からドンドンと扉を叩いて声を張り上げる。
「誰かいるか? いるよな? 見張りの一人は置くもんな?」
物音がした。無言だが反応して向きを変える足音だ。それで十分だった。
「お前たちの司令塔に伝えろ。『権威の象徴』を閉じ込めて行動能力を奪うのがお前たちの流儀か?」
『それには及びませんよ』
はっきりと白髪の男の声がした。扉の向こうにいるのか――と身構えたが、恐らく違う。扉の前にいる見張りが望夢の声を拾って男に届け、またその返事を何らかの異能を用いて伝えているのだ。扉自体が音を発しているようにも思える。
『貴方が取り乱しているようだったのでお休みいただいたまでです。頭は冷えましたか?』
ふざけるな、と扉を睨む。だがここで言い争っても何の得もない。
「詳細を聞かせろ。お前たちは今、何をするつもりでいる?」
『障害の排除です』
打てば響くような冷徹な答え。
『神名は貴方に庇護を与えていました。交換条件に、貴方が何かしらの知識を差し出している可能性が高いと判断しました。となると、貴方に付随する特別性が薄れる。権威として今ひとつ力が足りない』
望夢は呆れ返らんばかりに首を振った。実際はそこまで余裕を吹かせている心境でもなかったのだけれど。
「言ったろ。俺はあいつに秘気を――ペタルを提供していた。それ以外は与えちゃいない。そもそも、俺があいつらに教えられる知識なんて」
『事実は問題ではないのです』
相手の声は落ち着いていた。
『諸敵対勢力に疑われること。それだけで趨勢は変わるのです。勘違いさせる余地すら残すべきではない』
「そう言ってさ」
望夢は唇を釣り上げた。見えやしないと分かってはいても、挑発的な笑みを浮かべずにはいられなかった。自分の心を保つためにも。
「お前たちは、もう一歩先まで考えてるんじゃないのか?」
『とは?』
「権威、権威。それだよ。『神名を下した』なんて噂が広まれば、俺たちの世界解釈に箔をつけるには十分だよな?」
相手が楽しそうな忍び笑いを零した。それこそ待っていた答えだとでも言いたげな、歪んだ喜び。
『分かっていれば、止める理由もないでしょう?』
同じ人間とは思えないほど狂気に満ちた声が言う。
『神名は我々と同じ陰に住む者です。貴方だって協会の関係者に計上し忘れたほどでしょう。彼女は存在しません。本来もう死んでいるはずなのだから。いなくなっても胸を痛める人間などいない』
望夢は身じろぎもなく立っていた。
神名と呼ばれる金瞳の少女に、大した面識はない。生まれ育った実家を離れて協会の門を敲いたとき、交渉したのが最初で最後の対面。優しい言葉をかけられたわけではなかった。むしろお前に人権などはないと突き付けられたようなものだった。当然だ。そういう交渉だったのだから。
でも、と望夢は考える。
そのとき彼女から受け取った十字架。何かあればこれで呼べ、と彼女は言った。助ける価値が上回る場合は助けてやる、と。その十字架は今手元にない。とある少女の手元にある。彼女が執着するもの。行方不明の地方会員。
「山代」。
出来過ぎている。まるで仕組まれたかのように全てが繋がっている。それを仕掛けたとしたら彼女しかいない。何故なら協会の依頼やペア決定に手を出せる人間の中で、望夢の事情を知っているのは、彼女だけなのだから。
仕組んだとしたら、何のために?
「……もう一回、交渉しよう」
望夢は重い口を開いた。扉を通してその言葉を聞いている相手が、『ほう?』と面白がるような相槌を打つ。
「さっきの条件はそのままだ。でも、お前たちが協会の他の連中に手を出さないって、俺が確認する手段はないよな?」
『そうですね』
「その状態で神名だけをなんて言ったって、俺は信じられない。俺の目の前で事を進めることはできるか?」
吟味するような沈黙があった。
『つまり、貴方を神名戦へ連れていけと?』
「少なくとも、戦況が直接確認できる位置まで」
『なるほど』
再びの黙考。
「悪くない話のはずだ。お前たちの復興を広めたいなら、神名戦は当然他の勢力に見せるつもりでやるんだろ?」
望夢は相手が黙っている間に矢継ぎ早に言葉を並べる。
「その場に『権威の象徴』が立っていることの意義は? 指揮とは言わないまでも、その戦いを認めているという証明に。今みたいに、監禁して無理やり拒否権を奪ったと思われるよりもいいんじゃないか?」
相手の男は笑っていた。少なくとも、空気の振動が笑い声に似た響きで届いていた。
『面白いことを言いますね』
望夢は唇を噛む。世迷言と一蹴されればそれまでだ。現場にいれば少しはできることが増えるかもしれないというだけの、破れかぶれの試みにすぎない。
しかし、相手は続けてこう言った。
『いいでしょう』
思わず詰めていた息がこぼれた。
扉を見つめる望夢に、相手が語りかけてくる。
『ただし当然ながら、貴方が少しでも抵抗の動きを見せるならその論理は通りませんね? 監視をつけます。貴方の力を制限した上で』
「……なるほどな」
『貴方が本来の異能力を取り戻したと知る者はまだ外部にはいません。たとえ制限の秘術の存在に勘付かれたとしても、神名が施していたものがまだ残っていると判断されるだけでしょう』
相手の言い分には隙がない。これ以上条件をつけることは恐らく不可能だ。
どうする? この条件で現場に向かったとして、できることはあるか? 攪乱しようにも、一人で多数を相手取れるほどこの派閥は甘くない。正統な血が保障してくれるのはせいぜい教育だけで、望夢自身は秘術の才能が突出しているわけでもなければ、動かせる手駒があるわけでもないのだ。どころか、戦場で下手な動きをして、利用価値をリスクが上回ると判断されれば、その場で殺されてもおかしくない。いや、もっと酷い――辛うじて活かしておいて教育による知識を引き出すだけの、意志のない人形にされても。
それでも、やるしかない。何ができるかはその場で考えることになったとしても――閉じこもって結果だけを待っているよりも、ずっと気分がマシだ。
そう考えた自分に、驚くほど抵抗がなくて、望夢は心中苦笑いした。
破滅願望でもあるのかな、俺。なんだか本当に、気持ちが動かない。
「そうしよう。交渉成立だ」
答えた声は、びっくりするほど薄っぺらで、自分だと思えないくらい明るかった。
4:Home Fin.




