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異能協会×ワールドプレット  作者: 来栖 稚
異能協会の問題児
13/42

3:不可視領域の落日-1


 月曜日の昼過ぎ、望夢は宿舎を出て電車に乗った。


 都心に近づくにつれ、樹海みたいなビル群が目の前に迫ってくる。落ち着かずウィンドブレーカーの襟に口元を埋めて、ドアのガラス越しの外の景色から目を逸らす。


(まいったな……)


 脳裏にこびりついて離れない、赤みがかった髪に屈託のない笑顔の顔写真。生年は自分やペアと同い歳。


 問題は、その面立ちが望夢にも見覚えがあったことだった。


(これじゃ本格的に、俺のせいかもしれない……)


 ポケットに入れた指先が最近癖になっていた硬い感触を探すが、代わりに手に触れたのはかさかさした紙の表面だった。


 息をつめて周りを確認し、ポケットから四つ折りにした紙切れを引っ張り出した。日時と住所のタイピング。今日の午後、一軒の喫茶が指定されている。


 そっと息を吐いて紙片を畳むと、窓の外に視線を戻した。




『予定が前倒しになりましたね』

「……」

『まだ取り返しのつく範囲です。いずれ神名には知られることだった。……今から向かいます』


 一方的に電話が切れた。周東(すとう)は露骨な舌打ちをして電話を仕舞う。


「何ならあの場で殺しておけばよかったな……」

「やめなさいよ、そういうの。さすがに神名の懐刀はやばいわよ」

「お前にとってはな」


 テーブルの向かいで紅茶を混ぜている女に混ぜっ返す。いつも通り派手めの巻き髪の衣吹(いぶき)がはぁっと溜息をついて続ける。


「それに順番すっ飛ばしてキョウカだけを始末したところで、大義名分が立たないわよ。あたしたちはあくまで、奪われたものを取り返すだけ」


 こんなこと、言わなくてもあんたは分かってるでしょうけど、と衣吹は呟いて紅茶を口に運んだ。


 品のいい喫茶店。平日にもかかわらず席はほぼ埋まり、壮年のマスターが奥でコーヒーを立てている。だが、彼らの物騒な会話を聞きとがめてぎょっとする者は一人としていない。


 それもそのはず、


「そういや、神名が介入してきた理由は掴めたのか?」

「協会を離れている間にって話だったよな」

「仮説は立てられます」

「でも確定情報じゃない」

「まだ調査中だよ。というか知ってそうなヤツに訊けばいい」

「ああ、意地が悪い。嫌いじゃないね」


 喫茶店の中を穏やかに満たしているのは、こういった類の会話だった。


 近くのテーブルについた一人が、周東や衣吹のほうへ身を乗り出してくる。


「そういえば、ノイズになるかもって言ってたガキはどうなったんだ?」

「あぁ、あれ?」


 衣吹が肩を竦めた。


「大丈夫よ。本当にただの友達だったみたい」

「なんだ、つまんねえ。ナントカ会の関係者だったら、この機にやり返してやれたんだがな」


 息まく仲間に、周東が後を引き取って続ける。


「ちょっと調べればわかることだが、協会の中でも最低辺。無計画に力ばらまくだけで、実力もそのへんの中学生レベルだった。気にするほうが損だ」

「周東くん、一度逃げられたから意地になってる?」


 茶々を入れてくる衣吹を一睨みした。


「あれはまぐれだ」

「はいはい。……でも確かに、あのときだけだったわよねえ……」


 唇に指を当てて何やら考えている衣吹の背後から、別の質問が飛んだ。


「記憶の処理ができなかったっていうのは?」

「それは失敗だったけど、今さらどう転んでも変わりないわ。まず神名に知られちゃったら、後は何でも同じよ」


 衣吹のほうもちょっと意地になって唇を尖らせたとき、窓際に座っていた仲間が合図した。


「静かに。来るよ」




 地図を呼び出しつつ、駅からいくばくもないビルの下に辿り着く。駅前ロータリーは開放感にあふれているのに、一本通りを潜るだけで幅の狭い建物が押し込まれたごちゃごちゃした通りになる。


 例に漏れず指定されたビルも縦に細長かった。人のすれ違えない階段をのぼって、二階の喫茶の入り口に立つ。


 はめ込みガラスの向こうをそっと窺った。大学生から社会人と見える客層で店内は賑わっている。ここでいいのか、と一瞬ためらったが、結局把手を押した。


 ちりちり、とドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませ。おひとりさまですか?」

「あっ、いや……待ち合わせ……で」


 声をかけてきた年嵩のウェイトレスにぼそぼそと答えながら、視線を店内に巡らせた。人を待っているらしい客は特にいない。ウェイトレスも他の客の位置を指示することなく、壁際の空いたテーブルに望夢を案内した。


 やっぱり間違えたんじゃないか、と複雑に思って再びポケットに手を入れたが、見る限り店名は間違っていなかった。


 落ち着け、時間がまだ早いだけだ。店内の時計をちらりと見ると、待ち合わせまではまだ二〇分ある。ふぅっと息を吐いてソファに身を沈めた。


 やがて意識が断続的になってきた。ここ何日か寝不足だ。とりとめのない思考が頭の中を巡り始める。夜道。十字架のペンダントを渡したときの苛立ったようなペアの顔。鼓膜の裏側でずっと流れている、雨の音。


 ざあざあと鳴る雨脚の中に、ちりちりと軽い音が混じった。


 ふと意識を引きあげると、雨なんて降っていなかった。外は曇りがちだが、閉じていた目には眩しいまでに明るい。しょぼつく目を瞬いたとき、テーブルの横に人が立っていることに気が付いた。


「あ、」


 店員かと思ってメニューに手を伸ばしたが、そこで止まった。見上げた立ち姿は明らかに店員のものではなかった。


 白っぽい髪の痩身の男が、望夢を見下ろして立っている。


「……へぇ」


 知らず、口の端を持ち上げていた。


×××


 仕事はないが学校も春休み中だ。例によって本局にふらふら出てきた瑠真は、やることのないまま付設の図書館に足を向けていた。


 本局ビルの別棟にある小さな図書館は地下と一階の計二階建て、超常関連の資料を保管している。八式分類の原典にも当たることができるので、暇を持て余したときの瑠真は演習場見学に並んでここを使う。


 今日は書棚より専用の端末に目が行った。協会の蔵書検索も含め、活動や会員に関するデータをまとめて閲覧できる。


 名前で調べたら会員情報にアクセスできた――そう言ったときのペアの顔を思い出す。


 瑠真も今残されている過去の痕跡を、見える限り確かめたかった。


 山代美葉乃、一三歳。


 超常師登録九か月。


 田舎の小さな支局に所属。現在は活動停止中――


 笑顔の顔写真と見つめ合う勇気はなかった。


 溜息をついてブラウザを閉じた。小さなバツマークを押すとき、仄かな罪悪感を感じた。記憶に蓋をして無視するみたいに。


(ごめんね、美葉乃)


 席を立って鞄を手に取った。いつも通り八式分類でもめくって勉強しよう。来るべき時――それが何かは分からないが――に役に立つかもしれない。


 しかし馴染みのエリアに足を向ける前に、近くの棚に目が吸い寄せられた。


 ほこりっぽい棚板の一角に気になる数冊があった。協会の変遷や社会的立場について著された本が並んでいるようだ。外部の民間人によって書かれたものもあれば、研修生が使う正規の教科書の過去の版もある。


 深く考えず足を踏み入れた。昨日受け取った十字架が鞄の内ポケットの底に眠っている。


 協会の味方が助けてくれる。あの台詞の意味がわかるかもしれない。


 とりあえず社会関連の本を数冊手に取ってぱらぱらめくったが、まさかそんな分かりやすいヒーローがいるみたいな記述はなかった。支援組織に目を留めてもらえる印だったりすることのたとえで言ったのだろうか。それなら許可バッジで十分な気もするけど。


 ヒーローメダルなら都市伝説系かもしれない。半分以上冗談のつもりで、超常絡みのジョーク本に手を伸ばした。どちらかというと協会をおちょくる内容な気もするが、ちゃんとした資料と一緒にこんなところに置いていていいのだろうか。


 興味交じりに目次に目を通したとき、ある一点で目が留まった。


「あ」


 センスのない題字はこう言っている。


『Case. 22 SEEPの始祖が見守っている? ピンチを救われた少女Aさんの証言』


(協会の始祖……?)


 眉根を寄せて本を捲った。該当のページをぱらぱらと眺めるが、わざとらしい太字で少女Aの語りが並んでいるばかりで、肝心の始祖うんぬんに関しては情報量が少ない。本を戻した。棚の別の端に移り、見慣れた別の本を引っ張り出す。数版古いが、研修生時代に基礎知識の座学に使っていた教科書と同じものだ。


 協会の沿革の章が収められていた。ページをめくって創設に関する記述に辿り着く。指先で文字を追う途中で、邪魔な髪の毛を耳に引っ掛ける。


「創設にあたり、主体となったのは『灯火』、つまりリヴィーラーズ・ライトの日本分派のメンバー……しかし初代会長は『灯火』からではなく、その援助で貢献した財閥の……誰が始祖だろう? 待って……」


 ページの端に、小さなモノクロ写真が印刷されていた。欄外の注釈として載せられた、協会創設初期メンバーの集合写真だ。


 そのいちばん隅で照れたように笑う、小さな女の子に目が行った。


 豊かな黒髪にリボンを結んだ、小柄で愛らしい女の子。


「この子……」


 独り言が漏れていた。


 集合写真につけられた、長いキャプションを斜めに見る。終わりに一言言及があった。


『「灯火」の宣伝モデルだった一二歳の少女も、非公式に名誉会長と呼ばれた』


 頭がくらくらした。瑠真を守るように額を撫でていた少女の顔が思い浮かんでいた。


 この写真は六〇年前に撮られたものだ。画質も粗く載り方も小さい。普通に考えれば他人の空似だろう。しかし条件が合致しすぎている。


 孫娘か何かだ。そうでないと説明がつかない。


 でなければ似てすらいない、ただの思いこみ。


 どうしてか、軽い乗り物酔いのような気持ちになって、棚を離れた。酸欠かもしれない。一度外に出よう。


 ペアに訊きたいことがまた一つ増えた、と思う。


×××


 恐らく、その少年と最後に会話したのは綾織(あやおり)杏佳だった。


 月曜日の夕方、事務処理を終えて帰り支度に就いていた杏佳が見たのは、本部室の入り口で押し問答をする少年と職員だった。杏佳がその場を通ったのは偶然ではない。実際には会長秘書として認知されている杏佳だが、協会における名目上の所属は本部職員だ。


「どうしました?」


 近づいたとき、振り向いた少年が誰だったか気が付いて杏佳ははっとした。


 茶褐色の髪と目をした少年だった。高瀬望夢。さして注目することもない成績の初級会員であり、杏佳が非公式の仕事で幾度か見た名前でもある。


「会長秘書?」


 少年は名前ではなく、役職名で杏佳に呼びかけた。いや、呼びかけではない。自分の記憶を掘り起こす中で、自然と声に出ただけといった風だった。


 杏佳の姿を見た瞬間、彼のほうは明らかに失敗したとでも言いたげな顔をしていた。しかし杏佳は一体何が起きているのかさっぱり分からない。


「はい。そうですが……?」

「会長に言われて来たのか?」

「はい、……え? いいえ」


 少年があまりに確信したような顔で問うものだから、杏佳は最初思わず肯定していた。思い直して首を振ると、少年が明らかに解放されたような顔をした。


「ちょうどいい。じゃあ俺から、あいつに伝えてくれ」


 勢いづいて、本部窓口に差し出していた紙切れを杏佳の手元に押し付ける。杏佳は目を白黒させながらそれを受け取った。


 ついていけないまま、目だけが自然とその紙に落ちる。そこで、書かれた文字に吸い寄せられた。


 杏佳がその内容を把握できずにいるうちに、少年が畳みかけて来る。


「俺は変な異能に操られてもいないし、怯えた様子もない。そうだな?」


 勢いに押されたように頷くと、少年は更に続ける。


「だから、これは俺の意志だ。その証人になってくれ」


 杏佳は思わず少年の瞳を無言で見つめた。底知れず透き通った真っ直ぐな双眸が、杏佳の顔を見つめ返している。


 少年は言うだけ言うと、踵を返した。止めるに止められない杏佳が固まっているうちに、足早に廊下の向こうへ消えてしまう。


 少年が提出したその紙を、杏佳は石のように握りしめていた。彼が掴んでいた場所を示す皺が、まだ残っている。


×××


「ちょ……っと待って、どういうこと?」


 狼狽した瑠真の口から思わず声が出た。図書室を出た夕刻、メールが来ているなと思ってスマホを開くと指導官の新野裕からだった。


 明日の仕事は休み。それだけなら、昨日トラブルがあったからで説明がつく。しかし新野が続けていた一文には、確認が取れるまでしばらく同様に休みになる旨が曖昧に書かれていた。


「確認……って何だ……?」


 瑠真の身の安全の話だろうか? それなら書き方にこんな遠慮することはないはずだ。瑠真は迷った末に、新野の番号を選んで電話をかけた。


「もしもし? メール見たけど」

『あぁ、瑠真ちゃん……』


 新野の口調には明らかな口ごもりが混ざっていた。担当ペアの仕事がない日はぜんぶ休みなのか多少は出勤しているのか知らないが、少なくとも電話して困る状況ではないようだ。


「何かトラブルでもあったの?」

『ちょっとまだ、言っていいのか微妙なんだけど……』

「もしかしてなんだけどさ、ペアチェン?」


 瑠真が諦め半分で口にすると、電話の向こうの声が黙った。


 連続で仕事が休みになる機会なら、瑠真は慣れ親しんでいた。既に九回を重ねたペアチェンジ。一、二回の仕事で、一方的に解約されるのも初めてじゃない、はずだ。だけど、何となく腹立たしい気持ちがある。


 具体的に何とは言えない。でも、まだ解約されるようなことはしていない、つもりだった。相手はいつも不愛想だったが、だからこそ元々欠落している愛想を尽かされることはないと、心の底で安心していたのだ。認めたくないけど、それが甘えだったと言われている気持ちだった。


 瑠真はもやもやを振り払うように、わざと大袈裟な声を出す。


「それならそうって言ってくれればいいのに。今さら何を隠すことがあるのよ?」

『いや、瑠真ちゃん、違うんだ……』


 新野が焦ったように否定した。「何よ別に、」瑠真は半笑いを浮かべ、居心地の悪い足で地面を蹴る。


 しかし、新野はすぐに言葉の穂を接いだ。


『解約じゃないんだよ』

「え?」

『僕も今連絡が来て、困ってるところなんだけど……』


 電話とは別に、端末を操作しているらしい物音が聞こえた。しつこく確認を取るような沈黙があって、新野がぽつんと言う。


『退会、らしいんだよね』

「タイカイ……?」


 意味を掴むまでに数秒かかった。





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