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異能協会×ワールドプレット  作者: 来栖 稚
異能協会の問題児
11/42

2:交錯の昼、糸口の夜-4


×××


 そんな顔はやめて、と彼女は言った。


 わたしは大丈夫だよ、と、首を振りながら。瑠真には関係のないことだから。


×××


 額を撫でられている気がした。柔らかな、温度の低い、妙に小さな手に。


「悪い夢を見ておるのか。安心せい、妾がついておる」


 びっしょりと汗をかいていた。知らない声が囁きながら、肌に張り付いた前髪をそっと分けてくれる。


「すまぬな」


 そう零した声が、それまでとは違って愁いを帯びていたので、瑠真はゆっくり瞼をあげた。


 真っ白な空間に、映える黒髪の少女が一人。大きなピンク色のリボンを髪に結び、どうやら和装らしい衣服をまとっている。


(誰……?)


 もぞりと身体を動かすと、少女の手のひらが再び近づいてきた。瑠真の瞼を閉じさせるようになぞりながら、謡う口調で言う。


「よう眠れ、妾の子ら。ねんねんころりよ、おころりよ……」


 その声を聴きながら、再び思考能力がまどろみの底に落ちていく。最後に目に映ったのは、彼女の細い指の隙間から、瑠真を見下ろす金色の瞳だった。




 はっと目が醒めた。白い天井が目に飛び込んできた。


「まだ寝てろ」


 跳ね起きたところでそんな声がかかった。


 当惑して見ると、ベッド脇に少年が佇んでいる。コートを着たままで、外を歩いたついでに立ち寄ったみたいな恰好。


「あれ……?」


 状況が把握できず、瑠真は動きをとめて考えた。周りが見えてくる。


 本局付設の医務室だった。カーテンで仕切られた狭い空間の向こうで、せわしげな人の行き来が感じられる。話し声がするが内容は聞き取れない。


 腕に点滴が繋がれていた。残量を見る限り、一時間以上は寝かされていたようだ。


「私は……」


 どこまでが自分の身に起こったことなのか、思い出しながら口ごもった。


 少年は淡々と後を引き取った。


「お前は道に倒れてた。たまたま協会職員が見つけて事なきを得た」

「道に……?」


 記憶と齟齬がある。確かに路上には違いなかったが。


「誰が助けたって……?」

「俺は聞いてない」


 表情を変えることのない即答に瑠真は沈黙する。そういうことにしろってことか?


 あれが本当に味方だったのかも分からない。けれど、少なくとも彼女には瑠真を害する意図が感じられなかった。SEEPのバッジにスーツの女性。本局内で見かけるだろうか?


 それから、さっき、不思議な夢を見た気がする……


「アンタはどうして?」


 事情を聞いているということは何かしら関係があったのか。


「図書室に残ってた。最後に会ったから聴取に呼ばれた。答えられることはなかった……それだけ」


 少年は流れるように答えた。瑠真は思わずその目をまともに見返した。茶色い虹彩が窓の光に透けている。


 そんなわけないよね?


 よほどそう尋ねようかと思った。本当にそれだけなら、それだけだなんて言わない。けれど、少年のあまりに徹底した無感情を見ていると、言い出すのがためらわれるのだった。


 ふと少年が顔を伏せた。唇が小さく動いて、うまく聞き取れなかった瑠真は身を乗り出す。


「何?」

「なんでもない」


 誤魔化すようにそう答えて、少年はポケットに手を突っ込む。そこに入っているらしい鍵束か何かが、ぶつかって小さな金属音を立てる。


「起きたって、報告してくる」

「いいよそんなの、自分で」


 食い下がったが、少年はすっと背を向けてカーテンを出て行ってしまった。


 入れ替わりで馴染みの青年が飛び込んできた。見慣れたスーツではなく青いニットの私服姿で、休日に呼び出されたのだろう新野裕だ。


「瑠真ちゃん? 大丈夫?」

「大したことは」

「何があったか話せる?」


 唇を結んで思案した。自分でもできごとの整理ができていない。


 新野がそわそわと閉じられたカーテンの向こうを気にする仕草を見せた。


「望夢くんとは……何か話した?」


 瑠真はぎゅっと拳を握りしめた。白いシーツの上に無数の皺が寄る。


「何も」


 今はまだ、何も。




「ちくしょう……」


 柄にもなく小声で毒づいてしまってから、望夢はゆっくりと深呼吸をした。歩きながら堪えきれない落ち着きの悪さが足取りを荒くする。


 医務室を出て、すぐに逃げるように帰途についていた。


 本局付設の図書室にいたとき、本局職員の一人が伝言を寄越した。望夢のペアがトラブルに巻き込まれたらしいということ。演習場に利用記録があったので、一緒にいたのはいつまでか訊きに来たということ。


 その時点で全く別のことに気を取られていた望夢は、茫然と職員を見返すことしかできなかった。


 だって、その時使っていた端末の画面には、とっさに閉じた顔写真が表示されていたからだ。


 赤みがかった短い髪、屈託のない笑顔、日に焼けた肌の健康的な少女。


「っと」


 正面から来た通行人が、肩をぶつけて通り過ぎた。


 すみません。謝ろうとしたが相手は、こっちを意に介することなく行ってしまう。まだぼうっとしたまま、望夢はその場で数秒見送る。


 奇妙な感触に気が付いた。


 ポケットの中に、今までなかったものが紛れ込んでいる。多分紙切れ。


 反射的に取り出そうとしたところで、思いとどまった。向きを正して、当座の家である宿舎へと歩き出す。


 ふいに耳鳴りが始まった。遠くで鳴る雨音に似た雑音を、頭を振って意識から追い出す。大丈夫だ、よく見ろ、空は晴れている。


 精いっぱい歩調はいつも通りに抑制していたが、心臓はそうもいかなかった。払拭できない嫌な予感に、痛いほどばくばく波打っていた。


×××


 新野が家まで送ると言って聞かないので、宿舎前まで車を出させた。


 医務室での事情聴取に答えたのは数言だった。道で突然大学生くらいのグループに絡まれたこと。超常師だと思ったが確証はないこと。不調はないこと。聞きたくない名前を聞いた、なんてことは言わなかった。言ってもよかったのかもしれないけど、言いたくなかった。


「じゃあ、また仕事の日に」


 新野が運転席から顔を出してくる。宿舎前の階段に佇んだ瑠真は無言で見つめ返す。


「心配なら、送迎くらいはやるからね?」

「要らない」

「要らないって……」


 一瞬新野がもの言いたげな顔をしたが、


「まぁいいや。気を付けて。気軽に呼んでね」


 あまり言っても聞かないのを分かっているからか、すぐに諦めた。当たり障りない言葉を置き土産に窓を閉めて、車を発進させる。


 そのテールランプが暗い道の向こうへ消えるのを待って、瑠真は飛び出した。


 素直に家で大人しくしている気なんてさらさらなかった。


 目指す先は徒歩五分程度なのが分かっていた。走れば道のりは半分にも感じた。すぐに薄暗がりに灯りを放つ、男子宿舎の一帯が見えてくる。


 宿舎の一階部にオートロックのドアとインターホンがついていた。息をはずませながら瑠真は、共用ポストの名前に目を走らせた。自分の宿舎と同じ構造ならここで部屋番号が分かるはずだ。


 二〇五。見つけた。高瀬。白いカードに印字されている。


 該当の部屋のインターホンを問答無用で呼び出すと、空虚なコール音が響いた。しばらく応答がなく、四、五秒落ち着かずに待ったが、そこでぷつりと雑音が入った。


『はい』


 押し殺した声と吐息がスピーカーを震わせる。


「私」


 一言で伝えたが、返ってきたのは沈黙だった。分からないかと言葉を足そうとしたが、続く言葉の険の強さが伝わった証拠になっていた。


『なんの用だよ』


「来ちゃ悪い?」


『ここ男子宿舎なんだけど』


「名ばかりでしょ」


 億劫そうな沈黙があった。


『入るとは言わないよな?』


「見られて困るものでもあるの?」


 挑発的ににやっと笑って答えると、通話が切れた。しばらくその場で待っていると、降りてきたらしい少年が外にやってきた。ジャージの上下というゆるゆるの恰好で、スニーカーの踵を踏んでいる。


 丁度入って来た住人が男子宿舎には物珍しい瑠真をじろじろと見るので、少年は煩わしそうにジッパーをあげて口元を隠した。


「どっか人のいないとこ行こう」

「どこ」

「そのへん」


 中身のない会話を飛ばし合って、少年が先に立つ。とんとんとエントランスの階段を下りていく背中に瑠真は早足で追いすがる。


 少年が足をとめたのは、はす向かいにあった児童公園だった。住宅街に圧迫されて、申し訳程度の滑り台とブランコしかない。


 ブランコに腰かけた少年がいきなり言った。


「今日は大変だったみたいだな」


 瑠真は滑り台の階段に座ってじっと見返した。


「それで済むと思ってる?」

「何のコメントが欲しいわけ?」


 少年が言葉を投げ返してきた。瑠真は少しの間黙り込むと、意を決して正面から切り込む。


「あの人たちは誰?」

「俺は見てない」

「何か知ってるんでしょ」


 言い切ると、少年が小さく揺らしていたブランコをとめた。


「なんでそう思う」


 最初に返った言葉はそれだった。肯定しているようなものだ。


「そういう態度だから。ずっと何か隠してる」

「お前に関係あるの」

「は、……直接迷惑被ってるんだけど」


 またこれだ。どいつもこいつも私には関係ないって言う。膝の上でぎゅっと握った拳が白くなる。


「お前さ」


 少年が珍しく、言いかけたところで言葉をとめて考えた。


「そういうことが気になるのって、山代美葉乃のことがあったから?」


 瑠真ははじかれたように顔を上げた。


「調べたの?」


 声が震えたことに気づかれないよう、できるだけ強気な顔をした。


 少年はポケットに手を突っ込んで鍵束をじゃらじゃら鳴らしている。その口が抑揚なく言葉を並べる。


「協会のデータ上だと活動停止中。……去年から行方不明なんだってな」


 瑠真は唇を噛んだ。まだ会員情報が残っているとは思っていなかった。だけど、当たり前だ。彼女は協会をやめたわけではないのだから。


 瑠真の友達は、前の夏に忽然と姿を消したきり、消息を絶っている。


 ――わたしは大丈夫だよ。


 大嘘じゃないか、と思う。


「あの子が私の知らない大人と話してた」


 ほとんど考えないまま、ぽつぽつと言葉を押し出した。


「いなくなる前。……美葉乃の家の近くや、協会の近くでも見た。一人じゃない、三人四人と一緒のときもあった。誰なのって訊くたび誤魔化されて、今でも誰だったのか分からない。……でも、関係あったんだと思ってる」


 少年は細く長い息を吐いて、地面についた足を伸ばした。


 キィ、と不安な音を立ててブランコが後ろに動く。


「お前が追いかけたって何も変わらないよ」

「わかってる、そんなこと!」


 つい声が大きくなった。さむざむしい夜の公園に瑠真の声が響く。


「大人だって探してる。親族にも連絡が行ってる。私が手を出すことはないのはわかってる」


 靴底が鉄の段を擦って耳障りな音が鳴る。


「だけど、どっかで探してるんだよ……」


 心のどこかで。あったかい思い出を閉じ込めたのとは別の場所で。


 言うなれば、いつも奥底で煮えたぎっている、怒りのような情念が。


 骨董屋のお守りを見たとき、心がざわついたのもそうだった。山代姓なんて世の中に何人でもいるだろうとは思うけれど、反応せずにはいられなかった。もしかして何か、関係があるんじゃないかって。そして、それに興味を示したペアも、何か知っているんじゃないかって。


 その予感が間違っていたとは、まだ思えない。むしろ今日の一件で確信が強まった。


「なるほどね」


 少年はほとんど呼吸に混ぜるように呟いた。


 その手がポケットの中で握られ、かちゃりと音が鳴る。


「お前さ、今日誰だかに接触を受けたとして、どうして倒れてたの?」

「倒れて……わかんない」瑠真は自分の発見されたときの状態をいまいち把握していない。「でも、違うの、SEEPバッジの女の人が助けてくれた」


 少年がぴくりと反応した。「女の人」

「二十代前半くらい……。茶色い髪の……」


 思い出そうとしたが、顔をちゃんと見ていなかった。記憶を追いかける過程で、ふっと別の顔が思い浮かぶ。


「あと、寝てるときに、誰か来てくれた気がする。黒い髪の変な女の子」


 やおら少年が立ち上がった。


 ブランコが揺れる音に驚いて目を上げると、少年はこちらに近づいてきた。滑り台の足元に立つと、ポケットから引き抜いた手を差し出してくる。


「何」


 尋ねたが返事はなく、手元に握りしめたものを押し付けられる。思わず受け取ると、少年の体温で生ぬるい金属の感触が手のひらに落ちた。


 鍵……ではなかった。銀色の十字架のペンダントトップだった。鍵束につけていたものを取り外したらしい。


「やる」


 端的な台詞に瑠真は不可解な面持ちを向けた。


「なんで?」

「協会の味方が来てくれる」


 ふざけた答えだった。だが少年の顔は大真面目だ。


「これ持ってると? ピンチのときに願いでも込めろって?」


 少年がこくりと頷く。各問いに合わせて二回。お願いすると助けを呼べる便利アイテムで間違いないらしい。


 瑠真は急に馬鹿らしくなって空を仰いだ。


「そんな都合のいいヒーローがいたら苦労はしないわよ」


 美葉乃のときだって。誰かが助けてくれたならどうなっただろう。


「持ってて損はしないから」


 少年はぼそぼそと告げて向きを変えた。公園を出て、宿舎に帰ろうとしている。


 瑠真は滑り台を飛び降りると、その背中に向かって声を張り上げた。


「アンタはどうすんのよ。ヒーロー、呼べないわよ」


 十字架をぶらぶら振ってみせたが、少年は一時立ち止まっただけで、こっちを見ない。


「俺はいいよ」


 それだけ答えて、さっさと出て行ってしまった。まっすぐ道を横切って、自分の宿舎へ去っていく後ろ姿が街灯に照らされる。


 瑠真はしばらくの間それを見つめていたが、やがて手元に目を落として、十字架を鞄に仕舞った。


 この場で試してやろうかと思ったが、疲れが湧いてきて面倒くさかった。




 高瀬望夢が協会から姿を消す前、七崎瑠真と交わした会話は実にこれだけだった。

2:交錯の昼、糸口の夜 Fin

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