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身勝手なサンタクロース

作者: 餡子

 十二月二十四日、時刻は午後八時。

 歩道の街路灯は煌々ときらめき、街路樹は色とりどりの電飾に彩られ、お馴染みの音楽が街を流れる冬の夜。手を繋いで歩く男女、これからデートの待ち合わせだろうか、めいっぱいお洒落をした女性、ケーキの箱を大事そうに持ち家路を急ぐサラリーマン、街も人も、クリスマス一色。そう、今夜はクリスマスイブ。

 そんな華やぐ街並みに一人、つまらなさそうに無言で俯きがちに歩く女がいた。女は高級ブランド店が軒を連ねる歩道を歩きながら、ふと歩みを止めた。あるフランスの衣料品店のウインドウが目に入った。

 ここもクリスマス一色、小さい展示スペースにはバッグ、衣料品、靴など、いかにも高級そうなものがクリスマスツリーと一緒に飾られていた。


「……綺麗」


 女はここでやっと口を開いた。そして、ガラスに映った自分自身を見て、深いため息をついた。

 グレーのコートに白いマフラー、コートの下は何の飾りっ気もないビジネススーツ、そして黒いタイツに黒いパンプス。最低限の化粧しかしていない地味な顔、お洒落というには程遠い縁なし眼鏡、今まで一度だって染めたことのない黒髪は後ろで一つに結われている。女を一言で例えるなら地味。だがそれが今の女には一番しっくりくる表現だった。


「うぅ、寒っ、帰ろ」


 女はコートのポケットに両手を突っ込むとまた無言で歩き出した。

 女の名前は早瀬さつき。二十五歳、企業勤めのOLだ。彼氏なし、クリスマスに集まってわいわい騒ぐような友人もなし。これといった趣味もなし。一人暮らし故に誰かと会話をすることもなし、あると言えば会社くらいだ。

 さつきの会社での仕事っぷりは評価に値する。与えられた仕事を嫌な顔一つせずに素早くこなす。それに正確だ。ただ愛想は良くない。嫌な顔をしない分、いい顔もしない。無表情だ。話しかけても反応は薄く、時折辛辣なことを言う。だから誰もさつきに近づこうとしない。

それでいい。さつきはそう思っている。人を信じたり、愛想を振りまいたり、そういうのは不器用な自分には到底無理だと思っているし、それで傷つくことがあるのなら、誰とも特別な付き合いはすべきではない。もうあんな辛い思いはしたくない。

いっそ死んでしまった方が楽なのかも知れないが、その勇気はない。だからこれでいいのだ。誰にも干渉されることのない生活、淋しく思うこともないではないが、自分にはこんな生活が似合っているのだ。そう、

 

 夜になって気温がぐっと下がったのをその身に感じながら、さつきは家路を急いだ。もうすぐ到着、というところで、自宅マンションを見て、さつきは「あれ?」と首を傾げた。部屋に灯りが点いている。朝消し忘れたのだろうか。きっとそうだ。だって、家に帰っても待っている人は一人もいないのだから。

 エレベーターを上り、七階にある自宅の前に来てバッグの中から部屋の鍵を出して鍵穴に差し込む。ドアを開けるとどういうわけか、暖かい食事のいい匂いがした。おかしい。誰かいる? 急いで靴を脱ぎ、リビングのドアを開け、絶句した――


「お帰り、レディ。さぁ、早くディナーにしよう」


 さつきは目を見開き、固まったまま立ち尽くしていた。それもそのはず、非現実的なことが目の前で起こっているのだ。買った覚えのないクリスマスツリーがたくさんのオーナメントと電飾でキラキラと輝いている。それだけではない、ダイニング兼作業テーブルには緑と真っ赤なテーブルクロスが掛けられ、その上にはろうそくの灯った銀の燭台。銀のナイフやフォークなどのカトラリー。さらに食欲をそそる湯気の立ちのぼった料理の数々とシャンパン。そして声の主はと言うと、ソファの上に腰を下ろし、優雅に足を組みさつきを見つめている。やけにガタイが良く、惜しげもなく、フェロモンを垂れ流す、口ひげを生やした老紳士、ソファの脇にはサンタクロースの帽子が無造作に置かれ、暑いのか何なのか、サンタクロースの衣装は胸元までボタンを外していて、非常に目の毒だ。顔は、何人かは判断がつかないが、日本人ではない。いや、そんなことはどうでもいい。


「あっ、あの……こ、ここ、私の家なんですが……」


 固まった状態で、やっと出た言葉だった。


「ああ、知っているさ。ミス・ハヤセ」


 老紳士はそう言ってウインクなんてしてみせる余裕っぷり。それに、なぜ自分の名を知っているのか。


「ふ、不法侵入ですよね、これ。それに…………あなた誰?」

「私かね、私はご覧のとおりサンタクロースさ」

「そんなだらけた格好のサンタクロース見たことないんですけど……。け、警察呼びますよ!?」


 バッグの中からスマートフォンを取り出して、ダイヤル画面を表示させようとすると、その手はサンタクロースによって、やんわりと抑えられた。


「ヒッ!!!」


 先ほどまでソファで優雅に足を組み完全にくつろいでいたというのに、いつの間に移動したのか、サンタクロースはさつきの背後に立っていた。


「クリスマスの夜にそんな無粋な物はいらないよ。さあ、一緒にディナーを楽しもうじゃないか、レディ?」


 さつきの耳元で囁かれる甘く低い声に、ぶるりと身体が震わせた。実はこういう経験は未だかつてないのだ。サンタクロースはさつきの手からスマートフォンを取り上げると、ソファの上にぽいっと放り投げてしまった。このままではこのサンタクロースなる人物のペースに流されてしまう。そう危機感を感じ、さつきはサンタクロースを睨みつけた。


「そんなはどうでもいいんです! あなたは一体何者で、どうして私のことを知っていて、何の目的があって家に不法侵入したか、です。泥棒にしたって、こんな手の込んだことしないだろうし、もう……ほんと、何なんですかぁ」


 威勢よく睨みつけたはいいが、だんだんと馬鹿らしくなってきて、しまいには項垂れた。そしてどうして自分がこんな目に遭っているのか、何か悪いことでもしたのかと、泣きたくなってきた。


「じゃあ、ディナーの前に君の質問に答えようか。まず私の正体だが、サンタクロースだ」

「…………は?」

「次に目的だが、それはサンタクロースの目的と言えば一つだろう」

「プレゼントを配るんでしょ?」

「ああそうだとも。私はレディにプレゼントを贈りたくて来たんだよ」

「どうやって?」

「ん? そこから」


 サンタクロースは窓を指さした。窓を指さされ、さつきは急いで窓辺に向かい確認をした。賃貸マンションなんだから、ガラスを割られていては迷惑だ。修理代だってかかる。もちろん、割って侵入していたら弁償してもらうつもりだったが、窓はきちんと施錠したままで、窓ガラスにはヒビすら入っていなかった。


「どう、して……」

「だから言っただろう? 私はサンタクロース。できないことはないのだよ。さあ、そろそろ食事に」

「じゃあ、どうして私を知っているの? 私、お会いしたことないですよね」

「はぁ……」


 サンタクロースはため息をついた。ため息をつきたいのはこっちだ。とさつきは思いながらも、次の言葉を待った。


「レディは質問ばかりだ。まあ、驚くのも当然と言えば当然だが」

「いや、当然と言えばじゃなくて当然です」

「見ていたよ」

「は?」

「君を見ていた。ハヤセサツキさん。クリスマスが来るたびに、見ていた。あまりにもつまらなさそうだったから、気になっていたんだ。今日だってそうだ。サンタクロースとしては、クリスマスはみんな笑顔でいて欲しいからね。こうして出向いたのも我慢ならなかったから。さ、これでいいかい?」


 サンタクロースは、やれやれといった表情を浮かべていた。サンタクロースの言うことは理解できた。だが、はいそうですかとは言えない。


「クリスマスに笑顔でいなきゃいけないなら、クリスマスなんていらない。私にとっては普通の日と何も変わらないし、クリスマスなんて嫌い」

「ふむ、クリスマスにいい思い出がない。どちらかと言うと悲しい思い出、かな。レディをそう思わせる原因は」


 さつきは何も言わなかった。だが、何も言わないということが答えだとサンタクロースは判断した。


「おいで。いいものを見せてあげよう」


 サンタクロースは右手を差し出した。


「け、結構です」


 さつきはその手を取らなかった。まだ完全にこのサンタクロースを信用していない。それに、おいでと言われてほいほい付いていくタイプでもない。


「むぅ、なかなか頑固なレディだ。だが、そこがいい」

「やっ、離して! 降ろしてよ! 変態!」

「だーめ。だがしかし、レディのその性格、いい……」


 どうやらスイッチを押してしまったようだ。サンタクロースは俄然やる気で、さつきをひょいと抱き上げた。もちろん、さつきは抵抗したが、力の差は歴然だった。そしてさつきを抱き上げたまま、サンタクロースは施錠された窓に向かって歩き出した。


「う、うそ!」

「ふふ、これで信用してくれたかな?」


 さつきはベランダにいた。部屋からベランダに移動する間、窓を開けていない。割って出たわけでもない。


「え、え、どうして?」


 まるで理解できないと、さつきは窓とサンタクロースを交互に見た。すり抜けたのだ。だがこれだけではないらしい。サンタクロースはウインクをした。


「ここからはちょっと怖いから、目を閉じなさい。3・2・1で閉じるんだ。いいね? 開けてはいけないよ? じゃあ、行こうか」


 サンタクロースのカウントダウンを聞いて、目を閉じる。でもやっぱり気になって薄目を開けて、後悔した――


「いやぁぁぁぁ!!!!」


 クリスマスイブの夜、救い主キリストが降誕したこの聖なる夜、絶叫がこだました。



「だから言ったじゃない、目を閉じてって」

「だって、まさか飛び降りるなんて思ってませんでしたし」


 そう、サンタクロースはさつきを抱きかかえたまま、七階のベランダから飛び降りたのだ。絶叫しながら「何でこんな得体の知れない人と心中しなきゃいけないの」と思ったが、二人は何か別の物体の上にぽすんと着地した。サンタクロース曰く、「これは私専用のソリでね。こうして飛び降りても反動なく着地できるんだよ。ハハハハハー」なのだそうだ。大事にいたらなかったことに胸を撫で下ろしていると、サンタクロースが言った。


「見てごらん」


 そう言われて周りを見回した。ソリが浮いていて、それは徐々に高度を上げていく。


「飛んでる……の? すごい、すごく綺麗!」


 落下したかと思えば今度は夜間飛行。キラキラと星の輝く夜空を自分は今、ソリに乗って飛んでいる。空からイルミネーションで飾られた街を見下ろすなんて、さつきにとっては初めての経験だった。

 こぼれそうなほどに目を見開いて感嘆の声を上げるさつきを見て、サンタクロースはその顔に微笑をたたえて言った。


「やっと笑ってくれたね。その顔が見たかったんだ」


 言葉だけでなく、手を取って、その甲に口づけを落とした。「チュッ」と軽いリップ音をさせて。もちろん、それすら初めてなさつきは真っ赤になってその手を引っ込めた。そして、自分の頬が熱くて、それを隠すように俯いた。


「初心なところもまたいいねえ……」

「かっ、からかわないでください」


 そう答えるのが精一杯だった。



 ソリの夜間飛行もしばらく経った頃、さつきは不自然なところに気づいた。


「あの、足元が暖かいんですが……なんでヒーターがあるの?」


 分かりにくくなっているものの、明らかにヒーターと呼ばれるものがそこにあった。


「そりゃあ、寒いからに決まっているだろう。こう見えて年寄りなんだよ。私は」


 胸元をガバーっと開けているのは平気なんだ……


「それに、サンタクロースはみんなにプレゼントを配るんでしょう? ずっとここにいていいの?」

「ああ、サンタクロースは一人ではないからね。今頃、部下たちが準備のために走り回っているよ。ほらあこそ、見えるだろう?」


 サンタクロースの指し示した先には、たくさんの光の筋が見えた。


「あれが全部サンタクロース?」

「そうだよ。レディにだけ見えるように魔法をかけたよ。今、世界中の夜空で同じ光景が見えるんだ。私の号令でそれが地上に降り注ぐ」


 世界中を駆けるサンタクロースという名の光の筋、それはさぞかしロマンチックな光景なのだろう。そして、改めてサンタクロースの存在を思い知る。


「そっか。サンタクロース、本当にいたんだ。サンタクロースね、私のところには来てくれなかった。私が一番欲しかったものをくれなかった……本当は皆でクリスマスのお祝い、したかった……」


 ポロリと涙がこぼれた。幼い頃、いい子にしていたら貰えると聞いていたプレゼントは届かなかった。玩具なんかじゃない、本当に欲しいと願ったもの。それがさつきには届かなかった。さつきがこういう性格になった原因の一つでもある。「そんなことくらいで」と言われると思ったから誰にも言わなかったが、信じていた気持ちを裏切られた。それは幼かったさつきには何よりも辛いことだった。

 さつきの心を読み取っているかのように、サンタクロースは言った。


「知っていたよ。レディが願ったものを私は知っていたよ。だが、それをプレゼントすることができなかった。私もまだ若かったから、何とかできると思っていた。だが、私に人の心を動かすことはできなかったよ。レディはあの日から笑顔を忘れてしまった。それが私にはずっと気がかりでね、本当はこんなに易々と人に姿を見せてはいけないんだけどね、どうしてもレディに笑って欲しくてね。きちゃった」

「でも、不法侵入はダメです! それに、きちゃった。とか軽すぎるんですけど」


 ちょっとお茶目に言ってみたつもりだったが、サンタクロースに向かい、口を尖らせて文句を言うさつきに、サンタクロースは我慢の限界と、さつきをぎゅうぎゅうと抱きしめた。


「ちょっ、く、苦しい……う、運転、運転、ちゃんとして……」

「運転? そんなものは自動運転だよ。最近は自動運転がメインだよ? それより今はレディの方が大事だ。あぁ、どうしよう、食べてしまいたい……なんて愛おしいんだ!!」

「いや、そういうの困りますーーーー!!」


 そう、サンタの乗り物のソリは自動運転機能がついている優れものなのだ。ちなみにトナカイが一頭いるが、それは作り物、おまけである。そして、サンタクロースの開かれた胸板に顔を押し付ける形になったさつきは腕の中で暴れながらも、その温もりに瞳を閉じた。少しだけ。



「夜間飛行はお楽しみいただけましたか?」

「ええ、まあ」


 部屋に戻ると先とは打って変わって紳士的な態度のサンタクロースに、さつきはこめかみを指で押さえた。さきほどまでのテンションはなんだったのか。自分は完全に振り回されているではないか、あぁ、頭が痛い。と。

 サンタクロースの魔法のようなもので、冷めてしまった食事はまた別のものになり、ビジネススーツだったさつきの服装も帰り道で見たブランドのワンピースに変わっていた。


「よかった。うんうん、レディによくお似合いだよ」


 ほんの少し気を許したらこうだ。サンタクロースは甘い言葉ばかり囁いてきて、正直困る。おまけにやたらと触れてくる。

肩をしれっと抱いてみたり、手をとって撫でてみたりと、フェロモン垂れ流しでこんなことをされては、これは完全にセクハラ案件だ。ペシペシと手を叩いてもすぐに触れてくる。

 さつきは流されていた。料理はすべてが出来たてで美味しかったし、サンタクロースはどこまでも優しかった。始めて迎えたクリスマスらしいクリスマス。たった一人の地味な女をずっと見つめて、たった一人の地味な女のためにここまでしてくれる、だいぶ強引なサンタクロース。いや、強引すぎない? それでも、さつきにとってはかけがえのない時間だった。


 時計の針はもうすぐ一つに重なる。夢のような時間ももう終わり。そしてまた、いつもどおりの日常、いつもどおりの地味な女に戻るのだろう。この二人掛けのソファも明日になれば隣には誰もいなくて、自分一人のものになる。


「ありがと。サンタクロース」


 嬉しかった。だから気持ちをそのまま言葉にした。まだぎこちない笑顔を浮かべて。

 サンタクロースとしては、さつきの笑顔を見ることができただけで十分のはずだった。だが、実際その笑顔を見てしまうと気が変わった。身体をさつきの方へ向け、両手で肩を掴む。


「ねえレディ、最後に一つ、私にプレゼントをくれないか?」

「サンタクロースへプレゼント?」


 送る側が送られる側にプレゼントを求めるなんて。と、さつきは首を傾げた。


「そう。だってそうだろう。サンタクロースはたくさんの幸せを届けているんだ。いくら見返りを求めないと言っても、少しくらいはいいと思わないかい?」

「それは……そうですけど……。ちなみに何が欲しいのですか? 私で用意できるものなら」


 さつきはここで大きな間違い? を犯した。これは言ってはいけないことだったのだ。

 さつきの言葉にサンタクロースは満面の笑みを浮かべ、さつきの手を取った。


「レディが欲しい」

「…………は?」

「だから、レディが欲しい。抱きしめたい。キスしたい。セックスしたい。一緒にお風呂に入りたい。いっぱい啼かせたい。気持ちよくって泣きじゃくる姿を見たい。お味噌汁作って欲しい。お嫁さんになって欲しい。連れて帰りたい。私を愛して欲しい」


 立て続けに希望を言われた上、その願いの半分は破廉恥きわまりない。だが、結局のところは……


「お嫁さんになって!」

「…………およめ、さん……?」

「そう。決めたのだよ、レディ。いや、サツキ。私がうんと幸せにしてあげる。だから、私の国へ一緒に帰ろう。嫌だとは言わせないよ?」


 突然のプロポーズ。しかも相手はサンタクロース。恋人がリアルサンタクロースなのだ。もちろん、返す言葉なんて決まっている。


「嫌です。第一、私の国へ連れて帰りたいって、私の国ってどこ? それに、明日仕事なんです。それに、サンタクロース、プレゼントは一つだけじゃないの?」

「誰が一つなんて決めたんだい? それはあれだろう? サラリーマン家庭の財政を圧迫しないために親が決めたことだろう?」

「そうなの?」

「違うのかい?」

「…………いや、知りませんよ」

「ならそういうことにしておきなさい。少なくとも私は欲しいものはたくさんあるよ?」

「ふふ、サンタクロースは随分と強欲ですね」

「そんな強欲なサンタクロースに目をつけられたんだ。それでも逃げられると思うかい? ああ、そういえばもう一つあった」


 サンタクロースは遠慮もせずに体勢を崩し、さつきの太ももを枕にごろんと横になった。元々二人掛けのソファだ。足はぶらんと垂れている。


「ちょっ、何してるんですか!」

「いいだろう? サンタクロースは疲れているんだよ。少しくらいは休ませておくれ」


 そんなことを言って、さつきの解かれた髪の毛を指に巻き付けて遊んでいる。本当にどうしようもないサンタクロース。「仕方ないなぁ」なんて、それを許してしまうさつきはもう、完全にサンタクロースのペースに流されている。


「ねえ、サンタクロースはクリスマスの時以外は何をしているの?」

「別に、何も。仕事をするのは待降節に入ってからだからねぇ、それ以外は……ま、私は身体づくりかな」


 ああ、ですよねー。そのマッチョはそうですよねー。乾いた笑いもサンタクロースにとっては、さつきの可愛いの一部だ。


「ねえ、来てくれるだろう?」

「私が付いて行ったら、この世界の私はどうなるの?」

「んー、まあ、いなくなるだろうねぇ。それでも私はさつきを求めるよ。だから、ね。いいだろう? ん?」


 どうせ自分一人いなくなっても誰も心配はしないだろう。あ、心配する人がいるとしたら、会社の人くらいか。都合のいい社員が一人減るのだから。でも、そんなことはどうでもいいことなのかも知れない。

 サンタクロースは親指と中指を合わせてパチンと弾いた。そして中指の指先にふっと息を吹きかけた。


「なに、今の?」

「ん? 退職願を届けておいたよ。さつきの心の中はもう決まっているんだろう?」


 その瞳はとても色っぽく、挑発的だ。


「ひ、酷い! 私まだ何も言ってないのに! 退職金、どうしてくれるの!?」


 慌てて退職願を取り下げさせようとしてもサンタクロースにその気はない。


「そんなはした金よりもっと価値のあるものをあげよう。さつきは私に愛されていればいいんだよ」

「…………身勝手。あと変態」

「何とでも。さあ、時間だ」


 時刻は0時を過ぎた。


「君に永遠の幸せを送ろう。さあ、手を取って」


 ソファから立ち上がり、相変わらず胸元を広げたまま、適当に帽子を乗せたサンタクロースが手を差し出す。


「仕方ないなぁ」


 さつきは立ち上がり、その手を取った。


「クリスマス、嫌いじゃないかも」

「それはよかった」


 二人が向かい合ってお互いを見つめ合っていると、窓からコンコンと音がした。


「あのー、クラウス様。お取込み中申し訳ないのですが、そろそろお時間ですよー」

「あいつ、絶対わざとやってやがる!」


 そこには一匹のトナカイ。ソリにおまけで付いていたものだ。


「お前は全く空気が読めない奴だな!」


 子供のように膨れながら、サンタクロースはベランダに向かう。もちろん、さつきの手を引いて。そして大きく両手を広げた。


――さぁ、サンタたち。世界中に幸せを届けておくれ


 夜空のあちこちで光の筋が走った。さきほど見たのと同じ光。それが無数の粒となって、一粒一粒が子供たちが待つ家に降り注ぐ。幻想的な光景だった。


「メリークリスマス。全ての人に幸せを。そして、愛しい人に永遠の幸せを」


 サンタクロースは言い終わるとさつきの手をぎゅっと握った。


「行こうか」

「…………ほんっとに身勝手。こんな身勝手なサンタクロースの面倒を見なきゃいけないなんて、ついてないなー。……でもきっと、それが私の欲しかったもの……幸せな家族。なのかも」


 この夜、早瀬さつきという人物が地上から姿を消した。欲しかった幸せと引き換えに。

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