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シンクロ・ガールズ

骨董市でアヤメのお皿を買いました。

それで、アヤメの出てくる小説を書いてみました。

ファンタジー要素のないものは初めてですが、よく考えてみたら設定自体が非現実的だったかも??

 中休みの遅い朝、窓の外は曇り。

 翼は目を細めて、空を見る。

 今学期はラッキーなことに、三回の席替え全て窓側の席をゲットした。

 うっとうしい夏は過ぎ、すっかり気持ちよく涼しくなったうす曇りの空にぼってりとした翼の黒い鳥がゆっくりと舞って行った。

 曇っていても、ちゃんと見えるはず。

 家並みと街路樹が丘のように連なるその少し上の空間に、うっすらと、次第にくっきりと・・・。

「ねえねえ、隣のクラスの転入生、見た?」

 甲高いクラスメイトの声に耳だけ反応して、翼はまつ毛越しの空に没頭しようとした。

 もう少しで、やってくる。

「うっそ。まじ?」

 どんな転入生だって?ああ、気が散る。

 あの家並みの向こうに、もうすぐ・・・。

「翼ァ!」

 いきなり呼ばれて、翼はにらむようにクラスメイト達を見た。

「でしょ?」

「ほんとだ」

「まじ、やば」

「ドッペル?」

 呼ぶだけ呼んでおいて、本人には全く意味不明の言葉が飛び交う理不尽さを、翼は敢えて無視した。

「翼、ちょっとちょっと」

 それでもおとなしく言われるままに席を立って、翼はクラスメイト達のたむろするドアのそばにのろのろと近寄った。

「見てみ、隣のクラス」

 一人が翼の肩を押して隣のクラスのドアを指さした。

 窓際に一人の少女が座っている。その周りを、数人の女子が取り囲んでいる。

 何かの拍子に少女が振り返った。

 そして翼は愕然とした。

 そこに、もう一人、翼がいた。

 長い髪を古風に二つの三つ編みのおさげにした、細面の色白の顔。目は細いのに眉毛がくっきりして、そしてまつげが長い。

「こういうことってホントにあるんだなあ。まじ驚いた」

「翼でよかったァ、自分だったら絶対無理。怖くてもう学校来れない」

 その言い方はあんまりだ、と衝撃波が去った後の冷静な頭で翼は思った。


 隣のクラスの転校生は、宮川彩夢、と言った。彩に夢と書いてあやめ、と読むのだそうだ。中学二年の二学期、それも十一月に入ってからの季節外れの転校生は、地元っ子で誰でも知っている翼のそっくりさんだった。彩夢はたちまち学年内で有名になった。

「まさか、生まれてすぐ離れ離れになった双子・・・?」

 そんなのがあり得ないことは、とっくに親に確認した。

 彩夢のことは親には言っていなかったのに、近所の幼馴染みの菖太が自分の親にべらべら話し、すぐに親の知るところとなった。

 でも、生き別れの双子などという話は、一笑に付されたのだった。

 顔が似ているだけならまだしも、髪型まで同じなことが、ますます周囲の好奇の目を誘った。今どき、長い髪を左右二本の三つ編みにする中学生は、校内でも翼以外にいなかった。それが翼のトレードマークだったし、自他ともに認める文学少女のアイデンティティでもあった。

 翼はひたすら彩夢を避け続けた。隣のクラスだったのが幸いして、一週間たっても十日たっても、二人はひとことも口をきかずに過ごした。


「彩夢って面白い子なんだよ」

 その話を聞いたのは、彩夢が転校してきて半月ほどたったある日のことだった。

「窓の外をじっと見てると、住宅街の向こうに水平線が見えてくるんだって」

「何それ?妄想?」

「日本は島国だからさ、ずっと遠くを見ていればいつか絶対に海にぶつかるはずだって。そう思うと、水平線が見えてくる方が自然なんだってさ」

 ばん!と机をたたいて、翼は勢いよく立ち上がった。

「気分悪い。早退する」

 そう言うのがやっとだった。

 怒りとも焦りともつかない痛みが背中からきりきりと食い込んでくるのを耐えながら、翼はひたすら家路を急いだ。

(どうして?あれは、私だけの・・・)

 誰もいない家の鍵を開けて、自分の部屋のベッドに飛び込むと、翼は布団を頭からかぶった。

 誰にも言ったことのない、自分だけの秘密だった。

 自分だけが持っている感性だと思っていた。

 空の境界を見つめていると、ぼうっと現れてくる水平線。狭くて息苦しいベッドタウンの風景の中で生まれ育った翼が身に着けた、ささやかなワクワク感だった。

 悔し涙とともに出てきた鼻水をぐすぐすすすりあげながら、なんでこんなに悔しい想いをしなくちゃいけないのか、翼は情けなさにベッドの中で身もだえした。

 顔が似ているショックにようやく慣れてきたところだった。髪型も、まあよしとしよう。見た目が全然違う子とだって服や雑貨がかぶっただけでじゅうぶん気まずいのに、考えることが同じだなんて。しかもそれを、向こうはさっさと口に出してしまった。変人扱いされたりからかわれるのが怖くて今まで誰にも言わなかったけれど、これ以上の否定があるだろうか。

「あんまり思いつめるなよ。はたから見ると大したことじゃないぞう」

 学校からの手紙と宿題のプリントを届けに来た菖太に泣いた後の顔を見られて、仕方なくかいつまんで事情を話したが、あっけらかんとそう言われてしまった。こいつに繊細な心のひだが解ってたまるか。翼は黙って、思い切り軽蔑を込めて口の端をゆがめて鼻先で笑ってやった。

 夕方、ケーキ屋のパートから帰ってきた母が、ホールのアップルパイの売れ残りを八等分に切って夕飯のテーブルに出した。

 小学五年の弟の隼人が、どれにしようか大皿にかぶりつきで手を伸ばしては引っ込めてなかなか選べないのを見て、

「どれも同じじゃないの、中身も大きさも一緒よ」

 と言うのを聞いていたら、涙が出た。

「どうしたの、姉ちゃん?」

 隼人と母はびっくりしてテーブルに突っ伏した翼を見ていた。


 それからも、翼と彩夢のシンクロは続いた。

 期末テストの現国のトップは二人で同点だったし、たった一つ間違えた問題も同じだった。

 冬休み明けの宿題だった書初めに選んだ文字も同じ「開拓精神」だった。選択肢があったわけでもなく、「何でも好きな言葉を」という課題だったにもかかわらず、だ。

 そして、翼の一番いやな予感を最初に的中させたのは、級友たちではなく学年全体を教科で渡り歩く先生たちだった。

「ええと、宮川だっけ、ああ違った、柿本、のほうだよな、確か」

 初めて数学の先生がそう言った時、クラス中にくすくす忍び笑いが満ちた。翼は目で人が殺せるものなら先生を一撃で殺していただろう激しい怒りの視線を向けて、(ボケてんじゃねえよこのヘボ教師!)と心の中で毒づいた。

「きっと向こうも間違えられてんだろ。お互いさまじゃねーの」

 あっけらかんと言い放つ菖太も、その殺人的視線を浴びてびびっていた。

「これはもう、ドッペルゲンガーじゃなくてパラレルワールドから迷い込んできたって感じじゃない?」

「彩夢ちゃんの元いた街には、私たちと同じ住人がたくさんいたりしてね」

 そんな噂も飛び交ったが、車で半日かかるその街へ出かけて行って確かめようというもの好きは誰もいなかった。

 そして数学の教師を皮切りに、それ以後ほとんど全教科の教師たちが翼を彩夢と間違えるようになった。クラスも違うし、向こうは転入生なのに。


 ふつう、先生たちは考慮しないのだろうか。

 春休みが終わって、クラス替えのプリントを手渡された時、翼は静かに素朴な疑問を感じた。

 翼と彩夢は同じクラスになっていた。

 自己紹介は五十音順だったから、柿本翼は宮川彩夢よりずいぶん早く順番が回ってくるはずだった。

 今度は先を越されない。翼はひそかにワクワクした。

 好きな作家、アーティスト、定番の得意・不得意な教科、最近のマイブーム・・・。

 頭の中で自己紹介の原稿を練り上げていた翼は、ある考えに突き当たって呆然自失した。

 今自分が考えているようなことは、数か月前に転校してきた彩夢が、先を越して言ってしまったかもしれない。しかも、転入生の自己紹介は全員が行うクラス替えの後のそれよりずっとインパクトが大きかったはず。

 頭の中が真っ白になってしまってからすぐに、翼の順番が回ってきた。

「柿本翼です。趣味も特技も特にありません。どうぞよろしくお願いします」

 そう言うことしかできなかった。

「駅前の豆腐屋の蒲生で~す」

 続く菖太がブイサインでおちゃらけているのが憎らしかった。

 彩夢は最後から三番目だった。軽く会釈をして、宮川彩夢です、と言ったとたん、スピーカーから耳障りなサイレンが鳴り響いた。彩夢は一瞬戸惑ったが、そのままよどみなく話し続けた。

「ああ、避難訓練始まっちゃったな」

 と担任の先生が顔をしかめてつぶやいた直後に

「・・・よろしくお願いします」

 と、彩夢が深々と頭を下げた。

 結局、彩夢が何を言ったか、翼もクラスのほかの誰もわからずじまいになった。 

 しかし、翼が警戒するほど周囲は二人を比べてしつこくどうこう言うことはなかった。中三になって、みんな他人を気にする余裕がなくなってきたのかもしれない。


 ゴールデンウイークに、すっかり夜更かしが習慣になった翼は深夜の映画を見た。

 白黒の古い映画だった。どこかの国の王女様がおしのびで街に繰り出し、長い髪をばっさり切っていた。髪を切ってにっこり笑った彼女が何かとてもすばらしいものを手に入れたように見えて、翼ははっとした。

 次の日、翼は美容院へ行った。中学に入ってからずっと伸ばしていた髪を、うなじが全部見えるぐらいにばっさり切ってみたら、やたら頭が軽くなって首がすうすうした。

 守っていたものを手放して自由になった快感に翼は酔った。

 家に帰って、弟がいつものようにどれも同じケーキを選んで迷っていても、もう気にならなかった。

 連休明けの教室で、翼は当然のことながら、級友たちの注目を浴びた。

「どういう心境の変化?何かあった?」

「う~ん、これと言って別に・・・」

 映画を見たから、と言ってしまおうか、と思って翼が口を開きかけた時、クラス全体にどよめきが起こった。

 たった今教室のドアをくぐった彩夢が呆然と自分を見ていた。あの長い古風なおさげ髪は、見事に短くなっていた。

「すっげえシンクロ!」

 男子の誰かが大声で叫んだ。

「めちゃくちゃ気が合うよね、この二人」

「そーそー、前から思ってたんだ・・・」

 チャイムが鳴るまでしばらくはその話ですっかりクラスは盛り上がってしまい、チャイムと同時にやってきた担任の先生まで目がテンになっていた。


 中休み、廊下の突き当りのトイレに行った翼は、窓枠に頬杖をついて外を見ている彩夢に気が付いた。

 声をかけるつもりはなかったが、彩夢がこっそり片手で頬を拭っているのを見て、翼はそのまま固まってしまった。

 彩夢は、泣いていた。声に出さずに、誰にも気づかれないように、誰も近づかせないように、ひっそりと、一人で。

 そして翼は、彩夢がずっと自分と同じように傷ついたり焦ったりしていたことにようやく思い当たった。

 彩夢は目をしばたたきながら、空を見上げていた。涙がこれ以上こぼれないように、つんと顎を上げて。

「私だけだと思ってた」

 気が付くと翼は彩夢の隣に立って、つぶやいていた。

 彩夢が、何が?と言うように翼を振り返った。

「・・・水平線」

 彩夢は戸惑ったようにしばらく黙っていたが、やがてぽつりとつぶやいた。

「あと十分、早く学校に来ればよかった」

 その瞬間、二人は初めてお互いにシンクロした。

 翼と彩夢は同時に噴き出した。

 あとからあとから笑いが込み上げてきて、止まらない。

「だよねぇ」

「あり得ないよね、全く」

「いったい何なん、私たちって」

「『ローマの休日』観たでしょ」

「ヘプバーン可愛かった」

「あのバッサリ感、最高だよね」


 その日から、彩夢と翼はあっという間に親友になってしまった。

 よく見ると、二人は似ているようで違うところもいくつもあった。彩夢は翼より色白だったし、翼は彩夢より少し背が高かった。体育の授業では球技は翼が、長距離は彩夢が得意だった。

「古い言葉で『いずれがアヤメ、カキツバタ』っていうのがあるが、お前らのことだなあ」

 担任の先生はしみじみとそう言った。

「どっちも甲乙つけがたい美しさっていう意味だからな。期待を裏切らないで優秀さを発揮してくれよ」

 と、がんばりを強要するあたりがさすが担任、暑苦しかった。

 彩夢がアヤメで、自分は柿本翼だからカキツバタか。可愛くない方の名前なのが、翼はちょっと不服だった。

 好きなものも苦手なものも、性格や思考回路も似ていると、いったん仲良くなってしまえば彩夢と翼は本当に居心地が良かった。二人でいれば完璧な世界が作れた。

 担任の思惑通り、二人が組むといろいろなことがすらすらと運んだ。二人で同じ係をすればどのクラスよりも完ぺきにこなすし、二人で同じ班で研究発表をしたりすると、とても中学生とは思えない出来栄えに周囲は感嘆した。


 だが、奇跡は永遠には続かない。受験した高校は二人とも公立だが、翼のほうがほんの少し偏差値が高い高校で、彩夢は菖太と同じ高校に合格した。別に相談しあったわけではなかったし、親や担任の先生のすすめるまま、自分の学力で一番高い偏差値の高校を選ぶのが当たり前だと思っていた結果だった。

 それに、心のどこかでやはり翼は彩夢と一線を画したい思いがあったように思う。学力は、中学生にとってそれを示す格好の手段だった。

 卒業と同時に別れてしまうと、あれだけ仲良くしていたのに、次第にそれぞれの学校でそれぞれの友達ができ、共通の話題が少なくなり、やがてめったに会うこともなくなった。

「ガモタンと彩夢、付き合ってるらしいよ」

 ある日、同じ高校に通う中学時代の友人から知らされた翼は、とっさに言葉が出なかった。ガモタンは蒲生菖太のことだ。

 そういう可能性は考えたこともなかった。菖太は翼にとって幼稚園時代からの親も仲良しの幼馴染みで、とてもそういう対象には思えなかったが、彩夢にとっては違ったのだろうか。そして、菖太にとっても。

 時々見かける菖太は、すっかり背が伸びて認めたくはないが結構かっこよくなっていた。バスケットボール部に入って、成績も良く、持ち前の人当たりの良さは変わっていなかったから、中学時代の友達の間で話題になるときはいつも好印象の話題ばかりだった。

 だが、翼は真偽を確かめるのはやめた。確かめてどうする、と考えたら、必要ないと思った。そして、なんとなくもやもやしたまま、そのうち彩夢とメールのやり取りをすることもやめてしまった。

 大学は、家元を離れて下宿しながら他県の大学に通った。卒業しても家には戻らず、そのまま外資系の会社に就職した。

 数年たってようやく少し仕事に慣れ、ステップアップのためにバイヤーの資格を取ったり語学力を磨いていたころ、風のうわさで彩夢が結婚したらしいことを聞いた。その時のえも言えぬショックで、翼は実は自分がかなり結婚願望が強いと気づかされて驚いた。

 だが、周囲にこれといった男性がいないまま、焦りとも寂しさともつかない感情を持て余した翼は会社を辞め、海外赴任のある会社の契約社員になり、とうとう日本からも飛び出した。


 熱帯モンスーンの湿った生暖かい風が吹く東南アジアのとある街角の銀行で、翼は窓口のソファに座っている青年を見て驚いた。

「・・・菖太?」

 顔を上げた青年は、すっかり日焼けして体格もがっしりしていたが、幼馴染みの菖太に間違いなかった。卒業まで翼より背が低かったのに、立ち上がった菖太は軽く翼を見下ろしていた。

「どうしたの、こんなところで」

「協力隊で、去年からこっちにいる。お前もここ長いの?」

「そろそろ一年かな。協力隊って・・・一人で?」

「当たり前だろ。いつもはもっと田舎にいる。今は休みでたまたまこっちに出てきてるだけ」

 そう言って菖太は住んでいる町の名前を口にした。名前だけは翼も知っているそこは山奥の小さな村で、その国の農業試験場があり、菖太はそこでスタッフの一員として加工食品の開発を手掛けていた。

 地元の大学の農学部を出て、外務省の海外青年協力隊の食品加工部門に応募したのだという。親の豆腐屋を継ぐ前に、いろいろ世の中を見ておきたいんだ、などと殊勝なことを言っている。

「彩夢は去年離婚したぜ。なんか結婚も急だったから、相手のことあんまり見極めてなかったんじゃないのかなあ」

 その口ぶりから、彩夢の結婚相手が菖太でないことは明らかだった。

「お前はいるの?」

「何が」

「カレシ」

「いないよ、今のところは」

 翼がそう言うと、ふうん、と言って菖太はじっと翼を見た。


 菖太より早く契約期間が終わった翼は伝手を頼って短期の仕事をしながら菖太の任期満了を待って、二人でマレー半島から中国大陸を一か月ほど旅して帰国した。そして帰国してすぐ、二人は結婚した。

 翼は菖太とともに豆腐屋を継いだ。昔ながらののれんを守りながらも、新しいスタイルの豆腐屋を目指して、いろいろ試行錯誤を重ねた。やがて店の一角に豆腐料理やスイーツを出す小さなカフェを開き、ホームページや小冊子でエコやロハスの情報を発信したり、新米ママや乳幼児向けの小さなイベントを企画したりするようになった。

 一人娘を授かり、暮らしがだいぶ落ち着いてきたころ、たまたまネットで彩夢を見つけた。

 彩夢は、海外で起業して、様々な文化を取り入れた無国籍の雑貨ブランドを立ち上げ、テーブルコーディネーターとしても活躍していた。

 菖太にも知らせ、こちらから連絡してみた。すぐに返事が来て、数週間後に帰国したときに会うことになった。

 一応、菖太には彩夢と付き合ってたことあるの、と聞くだけ聞いてみた。

「ああ、高二の時、ちょっとだけな。すぐ別れちまったけど」

 菖太が屈託なくさらりと言うので、翼もそれ以上は深く詮索するのはやめた。


 約束の日、翼は娘を連れて表参道の裏通りにある落ち着いた感じのオープンテラスで彩夢を待っていた。

 つぼみをたくさんつけたバラの傍らに、ワイン樽を加工した鉢があり、濃い紫の花弁を垂らしたアヤメが何本もまっすぐ立っていた。いや、アヤメだかカキツバタか、実のところわからない。

 一度気になって調べてみたこともあったが、結局アヤメとカキツバタの違いはよくわからなかった。それにハナショウブまで加わると、何が何だかわからなくなり、もう名前なんてどうでもよくなってしまった。

 樽一杯に咲き誇るそれを見ていたら、自分たちが似ているせいで回りもずいぶん混乱したのかもしれないな、と翼は思って苦笑いした。

「久しぶり」

 背後で懐かしい声がした。十年以上も会っていないのに、ちょっと上ずった高めの声は少しも変わっていなかった。

 振り返った翼に、懐かしい彩夢がにっこり微笑みかけた。

「後ろ姿で、すぐわかった。変わってないねえ」

 肩までの髪をボブに切りそろえ、少し汗ばむ陽気にもしっかりスーツを着こなした彩夢は、翼の娘と同じ年頃の女の子の手を引いている。

 色あせたジーンズに、草木染めのゆったりしたチュニックを羽織って麦わら帽子をかぶっているショートヘアの翼は、今の彩夢にはどんなふうに映っているだろう。

 初めて会った中学二年の冬、あれだけ自分と瓜二つだと思っていたのが今となっては不思議だった。

 あの頃は世界が狭くて、お互い同じような経験しかしていなかった。少しばかり似ていればはたから見てそっくりだと思われるほど、生活も思考も似通ったものだったに違いない。広い社会に出て、それぞれ違った経験を重ねて、彩夢は彩夢らしく、翼は翼らしく成長したのだろう。


 それぞれの子供を交えて四人でランチを食べた。

「・・・実は、翼と菖太君が結婚していることはずいぶん前から知っていたの。お店のHPもずっとチェックしていたし、昔の友達からもいろいろ聞いていた」

 彩夢はちょっとばつが悪そうにそう言った。

 知っていたなら、連絡くれれば良かったのに。そう言おうとして、翼は少し躊躇した。

 もし自分が彩夢だったら、連絡しただろうか。

「私、実はすごく結婚願望が強い女だったの。結婚して、子供を持たなければ人生の幸せはあり得ないって」

「それで、早くに結婚したのね。この子は、今のご主人の・・・」

 翼が言いかけると、彩夢は手を挙げてさえぎった。

「結婚は、もうしないの。この子は一人で産んだの。私の大切な宝物。あ、でも、モノ扱いしてるわけじゃないのよ」

「わかってるって、そんなこと」

 思わずくすりと笑った。そうやって律儀に注釈を入れるところが、彩夢らしい。自分も時々人に自分の娘のことをそんな風に言うことがある、と翼は思う。

「私、さっさとあの町を出て一人でたくましく自分の道を切り開いてる翼がうらやましかったなあ。私ってば、結婚願望が強かったくせに、冒険にもあこがれてたのよね。それでなんとなく焦って、さっさと結婚しちゃったわけ」

「でも今じゃ、世界を舞台に活躍してるじゃない。私はすっかり地元に溶け込んで、豆腐屋のおかみさんだよ」

 そう言いながら、翼は違う、違う、こんなことを言いたいんじゃない、と心の中で激しくかぶりを振った。

 彩夢を相手に、どうでもいいお世辞や卑下や、見せかけの親しさなんていらない。

 だけど、あの頃の二人の世界を取り戻すには、あれからお互いあまりにも離れたところにいすぎたのかもしれない。

 何か口にするたび、どこか空々しく、うそをついているような気分になる。

 ならいっそ、何も言わずにいようか。

 彩夢も同じようなことを思っているのか、お互い口をつぐんでしばらく食事に専念した。幸い、子供たちがにぎやかに沈黙をさえぎってくれて、気まずくならずに済んだ。

 やがて食事がすむと、二人の娘たちはすぐに退屈しだした。

「ママ、遊んできていい?」

 翼の娘が指さす先に、細い路地を隔てて小さな児童公園があった。

「いいわよ、行ってらっしゃい」

 彩夢も翼もうなづいた。

 二人の少女は、いつのまにかすっかり意気投合し、旧知の友のように手をつなぎあって通りを横切って行った。

「何歳?」

「四歳」

「うちも」

 障りのない情報が淡々と交わされていく。

 そしてまた、見るともなくお互いの娘をぼんやり視界に入れながら、少しさめた沈黙が二人を支配しようとしていた。

 少しずつ重く広がっていく沈黙を繕うように、草木の葉擦れの音がかすかに絶え間なく響く。

「・・・あの時の私たち、最強だったよね」

 翼はようやく思い切って口を開いた。きっと、大丈夫。私たち、またやれる。

「うん」

「あれ、もういっぺんやってみない?」

「思ってること、わかるよ」

 翼と彩夢はテーブルの上に顔を寄せた。

「豆腐屋のカフェと、無国籍雑貨のコラボ」

「テーブルコーディネートも売りにしよう」

 顔を突き合わせて見つめあうと、二人を隔てていた膨大な時間が溶けて流れて、急速に逆回転した。

 美化委員会で、二人で企画したこと。学校の花壇を全学年各クラスに一つずつ割り振って、クラス花壇を実現させた。その伝統は今でも続いているという。

 クラスの壁に貼る時間割をただ書くだけじゃつまらないからと、苦労してウィリアム・モリスばりの本格的な唐草文様で縁取り、美術の先生の目を丸くさせたこと。

 体育祭のクラス対抗二人三脚リレーは、ぶっちぎりでトップだったこと・・・。

 二人だから築けた、たくさんのかけがえのない思い出が鮮やかに浮かんでは消える。

 最高に居心地が良かった。

 すれ違ったり、誤解したり疑心暗鬼になることは一度もなかった。

 思えば二人とも、どこにでもいるような中学生だったにすぎない。自分らしさなんて、自信がないから意識して探してしまう。本当はそんなもの、わざわざひねり出してアピールする必要なんてないのだ。変に無理して、反発しあわなくて本当に良かった。どんな生き方をしたって、結局自分という器とは切り離せないのだし・・・。

 翼が、もしかしたら彩夢も、そう思った時だった。

「ママァ!」

 いつの間に上ったのか、ジャングルジムのてっぺんで二人の娘が両手を上げて振っているのを見て、翼と彩夢は思わず同時に叫んだ。

「あぶないから降りなさい、ラン!」

 はあい、と言って二人の「ラン」はハラハラするおぼつかない足取りでゆっくりジムを降りてくる。

 つい今しがたまでの再会の喜びとセンチメンタルな気分は、あっという間に吹き飛んでいた。

(ランって、ひらがな?まさか、漢字まで同じじゃないよね)

と思いながら翼はちらりと彩夢を見る。翼の娘は、蘭。でも、女の子の名前に使う漢字なら、おそらく・・・。

 彩夢は何とも言えないあいまいな微笑みを浮かべて、たぶん同じ疑問を感じているのだろう、探るように翼を見つめていた。

 傍らではワイン樽いっぱいの濃い紫の花たちが、陽炎のようにかすかに風に揺れていた。

 花なら人に何と呼ばれようとまったく気にしないだろうが、自分たちはやはり、そういうわけにはいかないようだった。


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