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ニンゲン進化論  作者: 美原シアン
第一章 舞い振る白い羽
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7

「何だ、貴様」


 鉄の床に軍靴の音を響かせながら、声の主は解に近づき、汗ばんだ額に筒状のものを突き立てた。ひんやりとした金属の感触が、解の恐怖心をかき立てていく。

 だが、今更怖気付くわけにはいかない。


「自分の立場がわかっているんだろうな? あ?」

「もちろん、理解した上で言ってる。

 あんた達が俺を政府の回し者だと半信半疑なのも、見てはならないものを見てしまった俺から情報だけを引き出し、処分しようとしていることも、理解している」


「ほう……こんな状況でやけに頭が回るじゃないか」


 声の主の指元で金属が擦れる音がした。撃鉄の音だ。

 あとはトリガーさえ引けは、時代遅れのリボルバータイプの銃でも、簡単に人の命を奪うことができる。 


「あまりわめいていると、今すぐにでも殺すぞ」

「ぐっ……俺は……」


 一瞬言葉に詰まる。ここは判断を間違ってはいけない。解は奥歯をかみ締めると、一世一代の大博打に出た。


「俺は、特別な『ブレイン脳力』を持っている。この脳力なら、確実に追っ手から逃げ切ることができるんだ」

「ふん。何をたわけた事を……」

「デタラメを言っている訳じゃないさ。現にここまで、この『ブレイン脳力』に頼ってここまで逃げてきた。

 俺は命の危険に迫ると、逃亡ルートが白いもやとなって導いてくれるんだよ」

「そんな脳力、聞いたことはない。

 だったら何故、貴様は我々に捕われている? 矛盾しているではないか」

「だから特別だっていっただろ? この『ブレイン脳力』は体力の消耗が激しくて頻繁には使えない。俺が湖にたどり着いた頃には、完全にガス欠で発動しなかったわけさ」

「黙れ。そんな見え透いた嘘など、誰が信じるものか!」

「別に信じてもらわなくてもいい。

 だが、政府から逃げ切る策が他にあるというのか? 会話を聞いていた感じでは、どうも切羽詰ってるように聞こえたが」

「…………貴様っ!」


 恐怖心が傷ついた体を侵していく。

 それを悟られまいと、解はなるべく余裕の笑みをつくり話しかけていた。額に当てられた銃口の力が一層増していくが、そこから暗闇の中の『黒』は感じ取れない。


(この人は……まだ、発砲しないな……)


 直感的にそう思った。それは、ここで自分を殺しても、彼らにとって何のメリットもないということなのだろう。

 危機的状況を打破できるのでもなく、ましてや死体の転がった狭い車内では、ただ逃亡の妨げになるだけなのだから。


 それにおそらく、真偽が分からない解の脳力に対して、声の主の気持ちが揺らいでいるように視て取れた。撃ちたいのに撃てないのだろう。声の主の持つ手は微かに震えている。

 解はそれを視逃さなかった。

 攻めるなら今だ。そして、次なる言葉で相手の気を引きこもうと、口を開きかけた時だった。


「はっはっはっ!」


 突然、思いもしない所から、カラカラとした男の声が聞こえてきた。解はびくりとして、その笑声の方向へと身をよじった。

 全く気配が感じられなかったのだ。

 それはまるで、淀んだ空気中にさらっと吹き抜けていく新緑の風のようだった。


 だが、一度その存在を認識してしまうと、すさまじいほどの重圧が解に襲いかかっていった。肌がじりじりと焼き付けられるようだ。

 握り締めていた掌は嫌な汗が滲み出て止まらない。脳はノルアドレナリンが過剰分泌され、今にもパニック症を発してしまいそうなほど、解の呼吸は荒れ果てていった。

 暗闇の中でも判る。こいつは別格だ。彼こそが、このレジスタンスの先導者なのだ。


「おっもしろいね! キミ! ノエル、銃を下ろしなさい」

「は、疾風様!? はいっ!」


 疾風と呼ばれる男は、甲高い声で彼女に命じた。銃口が離れると同時に、男は解の元へと近づいてきて、半歩手前でしゃがみ込んだ。


「キミ、名前は?」

「解……な、中杉解だ」


 解は震える声で答えた。


「カイ君ね。オッケー。ではその拘束されていながらも、でっかーい事を言ってのけた度胸のあるカイ君に、チャンスをあげよう!」

「なに? チャンス?」

「うんうん。そう! 君の特別な脳力とやらで、このピンチを切り抜けてごらん」


 男はまるでゲームを楽しむかのような、弾んだ声で言った。


「ほ、本当、だろうな?」

「うんうん、マジ本気だよ。だけど、勘違いしてはいけないよ?

 今このピンチを切り抜けれるのは、ボクなら難なく解決できるって事をお忘れなく。もしキミが政府の手先でさ、ボク達を罠にハメようとしているのなら……」


 解の喉元に何かの金属を宛がった。


「その場でキミの首、もいじゃうからね! もちろん、逃亡に失敗しても、だけど!」

「っ…………」


 大量の汗が噴き出してきた。

 これで解は、自分しか見えない、得体の知れないもやに全てを預けなければいけなくなった。少しでもミスをすれば、たちまちあの世行きの切符が切られてしまう。


 おどけながらしゃべる先導者は実に不気味で、つかみどころがない。

 実力も未知数。それ故に解の精神状態を死の淵へと追い詰めてゆく。胃液が逆流してしまいそうだった。


「そ、その前に……まず、た、頼みがある」


 解は言葉を途切れさせながら言った。


「ん? 何だい?」

「この、目隠しを、解いてくれないか?」

「どうしてだい?」

「俺は、肉眼で周りを見ないと、逃亡ルートが見えてこないんだよ」

「ふーん、そういうもんなのかぁ。キミの脳力って」


 間の抜けた返事をして、男はごそごそと動き出す。どうやら解を品定めしているようだった。

 やはり目隠しを解くのは厳しいのか、とそう思っていたが、意外にも男のあっさりとした答えが返ってきた。


「ボク達の姿をみられるってのは、かなりリスクがあるんだけどなぁ。まぁ、いっか」

「疾風様! 危険です!

 その者がいつ政府の手に渡り、アイヴィジョンをかけられるか……」

「大丈夫大丈夫! そうなる前にカイ君の目玉、刳り貫いちゃうから!」

「え?」

「え?」


 不穏な言葉が聞こえてきた束の間、目隠しがはらりと床に落ちた。


「はい、これでいいよね!

 それじゃ、頑張ってボク達を安全な場所へ導いてね~」

「…………」



 数時間ぶりに外界を目にしたのは、レジスタンスを統べているとは到底思えないような、ショートボブの爽やかな青年の姿だった。

 癖のない、くすんだように白い髪が目元までかかっている。翼の少女と同じ蒼い瞳をちらつかせ、両手で頬杖をつきならがら、にっこりと解を見下ろしていた。


「ほら~、早くしないと、政府につかまってしまうよ」


 おどけながらしゃべる青年。

 解はその風のような雰囲気に飲まれないように、神経を尖らし始めた。警戒心をそぐような話し方だが、明らかに殺人鬼顔負けの、残酷な内容を口走っている。


 解はじっくり相手を観察しようと試みるが、思いとどまった。

 今優先すべきことは、政府から逃げ切ること。青年の素性を暴くことではない。


(とりあえず、周りだけでも見ておかないと)


 薄暗い車内を流し見る。

 疾風と呼ばれる青年の斜め後方に、白のタンクトップで迷彩柄の軍服をはいた女性がこちらを睨んでいた。

 腰には牛革のガンホルダーがかかっており、数十年ほど昔に、最大最強と名をはせた回転式小銃、スミス&ウエッソンM500が収まっている。解を縛り付けた声の主は、このノエルという女戦士なのだろう。


 運転席には、追っ手を振り切ろうとハンドルを左右に揺らしながら自分と格闘している、スポーツ刈りの男がいた。

 解たちがいる後部席は、低反発重力システムが作動しているため、微塵の揺れも感じられないのだが、前は違うようだった。助手席のめがねを掛けた少年らしき人物は、天井のアシストグリップを握り締め、左右にかかる重力に顔を歪めていた。


 後部席の左前には、立ったままサイドガラス越しに、車外の様子を伺っている長髪の男がいた。

 表情は険しい、というよりも無表情のように見えた。


 そして彼の後方、解から見て左側に位置する場所へと目を向ける。

 そこにはあの、翼の少女が座っていた。隣に座っている女性の胸元にしがみつきながら、その透き通った蒼い瞳で解をじっと見ていた。


 解の心拍数が、更に跳ね上がった。政府の回し者と疑われている事とは別に、解は少女の裸をこの目で見てしまっている。

 向けられたそれは、敵視だというのは明白だ。きっと少女の心の中は、恐怖心と羞恥心で渦巻いていることだろう。


 解は心底自分の運命を呪った。

 命からがら団体から逃げ切ったはずなのに、今度は反政府組織らしき武装集団に拘束され、政府に追われるハメになった。

 一目で心を奪われた少女は、あろうことかその組織の一員だ。敬称が”様”ということは、若き青年と同等の地位に就いているのだろう。


 無脳に生まれたことに苛まれながら生きてきた。沢山の地獄を見てきた。

 それでも解は、犯罪には決して手を染めず、自分の力だけを信じ、常に真っ当に険しい山を乗り越えてきた。

 それが今、生き延びるためとはいえ、犯罪者に肩入れすることになってしまっている。

 何の冗談だ。不幸にも程があるというものだ。


 しかし、そんな過ぎてしまったことなどどうでもよい。

 まだ詰んでいない。青年が与えてくれたこのチャンスを最大限に活かし、生き延びる希望の光を掴み取るのだ。


(このまま終われねぇんだよ!)


 よろつきながらも身を起こし、解は窓越しに外の景色を見つめた。

 身体の五感は次第に鋭さを増してゆく。

 今まで緊急時に自然と見えていたもやを、解は故意的に捉えようと試みた。

 静かに目を凝らす。


 しばらくすると、杉林の中にうっすらと白いもやの道が、杉林を縫うようにして現れた。

 それは、暗闇の中で見たあのもやと、完全に交わったのだった。

 確証はない。だが、今度は塵ほどの不安もない。


「どうしたんだい? 早くしないとボクが強制実行しちゃうよ? まだまだ政府に捕まるワケにはいかないからね」


 顎に手を当てて青年は言った。

 飛び交う銃声。装甲にはじかれる銃弾。目に映るもう一つの景色。

 そして、青年の言葉――頭の中で全ての(こたえ)が一本に繋がった。


「なるほど……そういうことか」

「何なに? どうしたの?」

「アンタ、気づいてるのか? このガジェットの行き先に、政府が罠を張って待ち伏せている、という事をだよ」

「えっ?」


 笑みを浮かべていた青年が一瞬、眉をひそめる。


(気づいてなかったみたいだな)


 それを確認すると、解は目線を青年に戻し、これからのガジェットの行く末を淡々と話し出した。

 


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