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ニンゲン進化論  作者: 美原シアン
第二章 異端を唱える者
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『エイシェント・ネット』



 それは、太古の地球の謎に想いを馳せた人々が、互いの意見を交換し交流を図る、老舗の巨大掲示板サイト。カテゴリは、恐竜の誕生から始まり、伝承、古代文明、オーバーテクノロジー、未確認生物、さらにはオカルトまでも取り扱っている。


 登録制の掲示板で、匿名の書き込みは認められていない。その代わり、親しくなった人物とのメール交換やグループチャット、ファイル交換などのサービスが充実していた。

 サイトが立ち上げられた当初は、古代文明が主なコンテンツだったが、最近では十六年前に、隕石と共に地球へ飛来してきた『インベル』が話題を独占していた。

 多数の新種のインベルやその対策、分布図などの情報交換が、日々行われている。


 その中でも『人の進化』のカテゴリは、圧倒的不人気の地位を築き上げており、誰も見向きすらしなかった。

 何故なら、インベルが襲来する一年ほど前、猿から人へと進化する過程、ミッシングリンクを埋める、はっきりとした原人の化石が発見されたからだ。

 昨今では、ダーヴィンの進化論を裏付ける確実な証拠となっており、人間の先祖は猿、と学術会から正式に発表されている。


 ある日、黒崎文弥は一つのスレッドを立てた。


『人の先祖は本当に猿なのか?』と。


 人間の脳力とは、忘れ去られた力を呼び起こすもの。猿の腕力や脚力は、人間の数倍以上と言われており、それをブーストタイプに当てはめると納得は出来た。

 だが、何故ブレインタイプが存在しうるのか。

 猿は元々、賢かったのか。

 今の人間が退化してしまったのか。

 五感の一種が特化した猿が、本当にいたのか――


 自分と同じ疑問を抱いた同士と、熱いトークを繰り広げようと書き込んだ。

 しかし、そんな文弥をあざ笑うかのように、スレッド数は常に『1』で止まっていた。確実な証拠が見つかった時点で、別の進化論を語るだけ無駄だったからだ。それは当然の結果だった。

 数日が過ぎ、もうスレッドの削除申請を出そうかと諦めかけていた時、一件の返信があった。

 固定ハンドル『ゲイル』からのメッセージは、こう書いてあった。


『化石の真実が一つとは限りませんよね』


 文弥は思わず声を上げてモニターにかじりついた。自分と同じ思想を持った人間が、ついに現れた。鼓動の高鳴りが抑え切れなかった。


 すぐにゲイルへと返信した。込み入った議論は掲示板では何かと不便だからと、彼とマンツーマンチャットを始めた。それから毎日、彼との進化論について華を咲かせることとなった。


 ゲイルは実に博識だった。エイシェントネットで取り扱っている全てのカテゴリを網羅しており、最新の学術論文から脳力科学の実証データまで、考える間もなく次々と口から飛び出してきた。

 彼自身の仮説も非常にユーモアに溢れていて、聞き手を夢中にさせるには十分なものだった。

 彼の口癖はこうだ。


『論より証拠を自ら掴め』


 それは、真偽が飛び交う世の中で、人の言うことを鵜呑みにせず、自分が疑問に思った事は自分の手で真実を掴み取れという、学術会に対する皮肉だなと、文弥は直感した。

 彼の仮説とその思考は、文弥と非常に似通っていたためだった。


 まず人を疑え。そして本心を悟られるな。

 これは、文弥が望まず得てしまった脳力から学んだ、人生哲学だ。口ではよい事を言ってても、頭では何を考えているのか分かったものではない。


 しかし、文弥がゲイルに対する見方は、どこか違っていた。ネット越しで、しかもデジタル文字でのやりとりしかしてないはずなのに、他人を見ている気がしなかった。

 自分が見透かされているように感じていたのかもしれない。

 不思議と悪い気はしなかった。彼を信る事で、自分も信じられる。そんな気がしていた。





『――いよいよ明日、論文の提出ですね。教授方の反応が楽しみです』

『ええ、全く。かなりの時間を費やした、自信作ですからね』

『ふふふ。応援してますよ、ブンヤさん! では、また明日』

『はい。今日も楽しい時間をありがとうございました』


 ゲイルとのチャットを終え、文弥はパソコンの電源を落とした。エイシェントネットでは『ふみや』ではなく、読み方を捩り『ブンヤ』として使用している。


 明日は、文弥が通っている大学に、卒業論文を提出する予定だ。内容はもちろん、ダーウィンの進化論を真っ向から否定する新たな進化論。

 可能性とそれを裏付ける証拠などを綴っている。


 新たな進化論、とは言うが、ダーウィンの進化論が確定される以前に、かなりの脚光を浴びていた論だった。それを文弥は、脳力と進化の関係性を注視し、一つの答えに結びつけた。

 それが『遺伝子操作論』である。


 卒業論文ということもあり、選考学科に関わる研究なら、どんなテーマでも良い。

 長い時間をかけて作成して、思い入れのある論文に仕上げたものの、所詮は学校行事の一環。点数に関わるポイントさえ抑えておけば、後はどうにでもなる、と文弥は気楽に構えていた。


(しかし、喉がかわいたな……)


 時計に目をやると、すでに二十四時を回っていた。ゲイルとチャットを開始してから、ゆうに三時間も経過しており、話にのめり込みすぎて身体が水分を欲していた事など、忘れてしまっていた。


 文弥は気だるそうに席を立つと、めぼしい物を求めに一階のキッチンへと降りていった。

 階段を下り、廊下を曲がる。

 そこで、リビングに微かな明かりが灯っていることに気づいた。家の造りはリビングキッチンとなっているため、この扉からでないと中に入れない。

 文弥はなるべく物音を立てないように、ゆっくり扉を開けた。



「あっ、ぶんちゃん」

「ユイカか……こんな時間に何してるんだ?」

「今日のレポートだよー。すぐ終わるとおもったんだけど、これがなかなか時間かかっちゃって……」

 彼女は少々困惑気味に、はにかむようにして笑った。


 峯岸ユイカ。

 母子家庭である黒崎家に居候している女の子。かの有名な、ミッシングリンクを埋める原人の化石を発見した、峯岸春樹博士の一人娘である。

 そして、幼稚園の頃から同じ時間を共にしてきた、文弥の幼馴染だ。現在は、文弥と同じ国立脳力研究大学に通っている。


 文弥が専攻している脳力解析科に比べ、ユイカが専攻する心理科は研究回数が多い。それだけレポートの作成にも時間を割く事となり、毎度ながら苦戦を強いられているようだ。


「ぶんちゃんのところはいいなぁ。いろいろと緩くて」

「まぁ、僕のところは基本、実験結果をまとめるだけだから……って、勉強してないわけなじゃいよ?」

「知ってるもーん。ぶんちゃん、いろんな教授からご贔屓にされてるから」

「……なんか語弊がある言い方だな」


 文弥はぼりぼりと頭を掻いた。


「ところで、ぶんちゃんは何しにきたの?」

「ちょっと水分補給にね」

「あっ。じゃああたしのもよろしく~!」

「はいはい。ちょっと待ってて」


 冷蔵庫を開けて、ミネラルウォーターを取り出す。それをコップに注ぎ、一つをユイカが使っているテーブルの上に置いた。


「ほれ」

「ありがと~!」


 向日葵のような笑顔を向けるユイカに、文弥の顔が火照りを増していく。

 原因はそれだけではなく、パジャマの胸元から覗く、深い谷間を目の当たりにしたせいでもあった。

 目を泳がす文弥に気付いて、ユイカは咄嗟に、両腕で胸元を隠した。


「…………えっち」

「み、見てない! 見てないから!」


 しどろもどろに答えながら合席に座ると、ユイカから思い切り目を逸らしてコップに口をつけた。


「うー」と唸り、彼女はテーブルの上に散乱していた教材を片付け始める。

 それを一瞥しては、『やっぱユイカの胸はデカい』と心の中で叫び、小さくガッツポーズしたのだった。



 隣に家を構える峯岸家とは、家族ぐるみの付き合いだ。と言っても、彼女の両親とも、日本を代表する有名な考古学者であり、滅多に地元には帰ってこなかった。

 娘を一人残すわけにもいかず、頭を悩ませていた峯岸夫妻に「なら面倒をみましょう」と名乗りを上げたのが、文弥の母、貴美子だった。


 黒崎家は母子家庭だが、父が生前時に株で貯め込んでいた財産があり、生活に全く支障はなかった。

 一緒に釜の飯を食べ、一緒に風呂に入り、一緒の布団で寝た。

 年に一度は必ず旅行に出かけた。そのときは峯岸夫妻も何かと都合をつけて帰国し、二家族で日本各地を歩き回った。

 もちろん、インベルに襲われる危険が無い、都会の観光地ばかりだが、それでも満ち足りた生活を送っていた。


 文弥はユイカを、妹のように思っていた。歳は同じだったが、いつも文弥の後ろをひょこひょこついてくるユイカを、小動物のように可愛がった。

 そんな妹みたいな存在のユイカだったが、文弥が『一人の女性』として意識したのは五年前のことだ。

 大学受験を控えた、十五の夏だった。


 ユイカの両親が行方不明になった。

 

 海外の遺跡で発掘作業中に、何かしらのトラブルに巻き込まれたらしい。

 大々的にメディアにも取り上げられ、世界中が驚愕と嘆きの声に包まれた。

 あの時のユイカの取り乱しようは、今でも文弥の心の奥に刻まれている。

 いつもニコニコと笑顔を絶やさなかった彼女が、文弥の胸倉を掴んで、泣き喚いた。

 非力なその細い腕で、文弥の胸板をどんどんと叩き、泣きじゃくった。

 文弥は居た堪れない気持ちになり、思わず彼女を抱き締めた。その時、ユイカを異性としてはっきり意識したのだ。


 ユイカを一生護ってやりたい。

 そう思い口にしかけたが、喉の奥に現実と言う名の異物がつっかかり、声にすることが出来なかった。


 大学受験を控えた未成年。稼ぎの当ても無い。まして自分の脳力を快く思っていない。そんな人間が「護ってみせる」などと言って良いのだろうか。

 いや、良いはずが無い。

 せめて自分が一人前になって、彼女を護れるほどの生活力と知恵を身につけるまでは――と、文弥は自分の気持ちを押し殺して生きてきた。今まで通り、ユイカを妹として接することで、偽りの『兄』を演じながら彼女を見守ってきたのだ。



 そして今、二十歳を迎えようとしている彼女が、目の前に座っている。

 あの頃より格段と色っぽくなったユイカ。短かった髪はウエストに達するまで伸びており、艶やかな亜麻色の髪を、人差し指でくるくると弄んでいた。

 化粧要らずの整った素顔。

 くりっとした大きな瞳。男を惹きつけるボディライン。

 少し子供っぽい言動が目に付くものの、それは彼女を織り成す、一種の茶目っ気だ。

 文弥が思っていた以上に、ユイカは、魅力的な女性として成長を遂げていた。


 ユイカだけではない。文弥もまた、一人前の男に成長していた。

 隣を歩くのに恥ずかしくないようにと、オシャレに気を配るようになった。もともと顔立ちは良かったためか、今では町を歩けば、数人の女性が振り返るほどの美男子になっている。

 黒を好み、第一印象こそクールに思われるが、いざ話してみると非常に気さくで親しみやすい人物だと知り、男女共に知り合いは増えていった。


 成績も優秀だった。多数の教授からの熱烈な推薦で、卒業後からは、大手の脳力人材管理会社への就職が内定している。

 狩職よりは収入面で低くなるが、安定した収入と安心が約束される。

 これなら大丈夫。ユイカを護っていける。文弥はようやく自分を認めようとしていた。


(卒業したら、好きだと気持ちを素直に伝えよう。ユイカなら受け入れてくれるよな……でも、もし断られたら……)


 そう戸惑いを覚えながらも、いつの間にか、ユイカの顔をじっと見つめていた。


「なに? あたしの顔になにか付いてる?」

「あ、い、いや……そんなんじゃないよ」


 慌てて目線を逸らし、残りの水を一気に飲み干した。そして、自分でも何故声にしてしまったのか分からない質問を投げかけた。 


「あのさ……ユイカ。お前、好きなやつとか、いないの?」

「えっ? いきなりどうしたの?」

「あー、いや、お前さ。大学でも浮いた話一つも聞かないから……もしかしたら恋愛に興味とかないのかな、とかおもったり……」

「なにそれ~! あたしだって女の子なんだからね。興味無いワケないじゃん」

「だよねぇ……で。どうなんだ? い、いるの?」


 ユイカは口元をコップで覆いながら、上目遣いで答えた。


「もちろん、いるよ」

「え? 本当? ど、どこの誰?」

「それは……ないしょ!」


 頬を赤らめ、ぷいと文弥の目から視線を逸らす。


(一体誰だ? 僕の知っている人物なのか?)


「ぶんちゃんこそどうなの~? 女の子から告白されまくってるのに、全部断ってるらしいじゃん? まさか、好きな人がいとか~?」

「う……」


 逆に聞き返されて、文弥は押し黙った。

 ユイカはにやにやしながらこちらを見ている。もうここで気持ちを言ってしまおうか。なんて考えが頭を過ぎるが、ユイカに好きな人がいると判明して、文弥は完全に狼狽していた。

 自然と頭に浮かんだ、曖昧な言葉を洩らした。だが、これがいけなかったようだ。


「ま、まぁ。いるっちゃいるけど……」


 たちまちユイカの目元が吊りあがる。


「え? いるの? 誰? 誰なのそいつ!」

「ちょ……ユイカ、さん?」


 ばん! と両手を突いて、ユイカが立ち上がった。眼力で人を気絶させれるほどの、物凄い剣幕だ。


「あたしが知ってる人? 真菜ちゃん? 晶ちゃん? 誰? 誰なの?」

「そ、それは……」


 鬼と化したユイカの顔を、まともに見れない。


「あたしが認めた人じゃないとダメだからっ! だって、ぶんちゃんはあたしの……」


 と最後まで言いかけて、ユイカは口をつぐんだ。はっと我に返り、慌てて口元を塞ぐ。


「っ! ぶんちゃんの、バカ!」

「な、なんだよそれ」

「知らない! おやすみ!」


 教材を抱え、ユイカはそそくさとリビングを去っていった。




「何だったんだ……今の……」


 あんな反応を見せるとは予想していなかった。文弥の手元から、からりとコップが滑り落ちた。


『ぶんちゃんはあたしの……』


 ユイカはなんて言おうとしたのか?

 あたしの「家族」と言いたかったのか。それとも、もしかしたら自分の事を――

 文弥の頭上から、プスプスと白い湯気があがっている。まさか、ね。いや、でも――


「これ……今日寝れるかな」


 しんと静まり返った薄暗いリビングの中で、文弥は一人ため息をついた。

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