忘れてしまったあの頃に
歩く歩幅が大きくなるにつれて夢から遠ざかっていくと思う。
通勤ラッシュの電車は辛い。
他人が俺の事を邪魔だと思っているのが分かるから辛い。
いや、どちらかというと俺のことが邪魔というより、自分以外すべてが邪魔なのだろう。
皆が皆そう思っている。
そして皆の目が良くない。
俺と同じ、サラリーマンの目には光りが一切ない。
それもそうだろう。
毎日、朝早くから電車内で「おしくらまんじゅう」をするのだ。
しかも、その「おしくらまんじゅう」に女子高生が参加しようものなら、痴漢の冤罪という危険も付いてくる。
肉体と精神を削りながら出勤し、ようやく会社に着く頃にはとてもじゃないが、働けるような状態ではない。
心底思う。
現代社会は俺に優しくない。
ネットワークによる陰口や、仕事先での不遇。おしくらまんじゅう。
通勤しながら毎日思う。
疲れた。
しんだい。
消えてなくなりたい。
仕事に向かう足取りは重く、まるで足に重りをつけて歩いている様な錯覚をする。
本当はわかっている。
この足の重みも気持ち次第で、どうとでもなるという事を。
しかし、どうやって気持ちを切り替えるかの術を知らないのだ。
そもそも、こんな事を考えている時点で、切り替える気が無いのかもしれない。
この無限に続く無駄な考えも、電車が目的の駅に着きドア開くことによって終了を告げる。
いつも決まってそうだ。
駅を出て、会社まで歩く。
駅から会社までの距離はそう長くない。
しかしながら足には重りが付いているのだ。
普通に歩いている人より三倍は疲れると思う。
そして三倍疲れた体で会社に出勤する。
会社には当然同僚がいる。
同僚に「笑顔」で挨拶する。
この笑顔がなければ、上っ面に張り付いているメッキなど簡単に剥がれていくだろう。
会社では、仕事以上に表面上の友好関係を保つことが難しく疲れる。
アメリカのようにフリーダムで何も考えずに、喋ってみたいものだ。
それをこの日本でしようものなら、異物として見られてしまうだろう。
この会社は神経質が多い。
アメリカ人がこの会社に一歩でも足を踏みいれようものなら、ストレスにして一瞬のうちに「oh]という短い断末魔を吐きながら息絶えることは間違いない。
ジョークが通用しない人間が多い。
よく言えば、真面目。
悪く言えば、つまらない。
そうゆう人間でこの会社は構成されている。
トップから下っ端までだ。
うんざりしながら働く。
仕事には、ミスがついて回っている。
ミスをしたら他人にミスをなすりつける。
それは自分は悪くない。
責任を負いたくない。
キャリアに傷を付けたくない。
色んな理由から責任から逃れようとする。
そして決まって責任を押し付けられるのはこの俺だ。
アメリカ人ならこう言うだろう「oh]っと。
世の中一番大事なのは、自分が悪いと思ったら、「ごめんなさい」と謝ることだと思う。
誠心誠意謝れば大概のことは何とかなる。
なんとかならないことなら押し付けるしかないと思うが。
課長はきっと俺のことを使えない奴だと思っているだろう。
なんせ周りのミスのほとんどが、俺に押し付けられ謝らされる。
しかし、クビにもされず、飛ばされもしない。
多分課長もミスをした時俺になすりつける為に残しているだろう。
言うならば俺は課長の切り札というわけだ。
切り札である俺は始末書を書く。
どうしてこのようなことが起きてしまったのか。
始末書にそう問われる。
「しらねーよ。」
そう書ければ、どれだけ楽か。
小心者の俺は当たり障りのないことを書く。
次にこのようなことが起きないためにはどうすればよいか。
始末書に問われる。
「なすりつけられない。」
そう書きたい。
しかし当たり障りのないことしか書けない。
当たり障りのない文章で出来上がった始末書を課長に提出する。
本当に申し訳ない顔をするのがミソだ。
課長は始末書に目も通さず怒鳴る。
目も通さないのは、毎回似通った内容の始末書ばかりを提出しているからだろう。
怒鳴り疲れたら説教は終わる。
課長も怒鳴ることによってストレスを発散しているのかもしれない。
この会社での俺の仕事は、課長のストレス発散と、ミスのなすりつけ所というのが主な仕事だといえる。
俺はこの会社では無くてはならない存在だと認識する瞬間である。
怒られることにより午前中の仕事が終わる。
昼飯食いに行くかーなどという声が各々から聞こえてくる。
俺も今日、昼飯を一緒に食う人は決まっている。
俺にミスを押し付けたやつだ。
この会社では俺にミスを押し付けた奴が、昼飯をおごるという、決まりがある。
だから俺が月に出す昼飯代は皆無と言っても過言でもないだろう。
あまり深く考えると心に傷が付く。
だから「おつかれー」と悪びれもなく、押し付け犯が挨拶してきても、平然と挨拶を返せるのだ。
「何が食べたい」
そう同僚が訪ねてくる。
この訪ねもお決まりである。
押しつけ飯にはランクがあり、ミスの内容により昼飯の代金が変動する。
今回は、大したことがないので「じゃあラーメンで」
そう返す。
過去に一度だけ、昼飯でA5ランクのステーキに連れて行ってもらったことがある。
これは俺の武勇伝で、会社での神話として語り継がれている。
新人研修で一番最初にこの話をされるらしい。
硬い会社の唯一柔らかい部分だろう。
旨いと評判のラーメン屋に足を運ぶ。
美味しいものを食べている時にしか、幸せを感じない。
これは本当に不幸の末期だと思う。
腹も膨れ会社に戻り後半戦が始まる。
デスクに向かい仕事を再開しようとすると、社内放送で俺の名前が呼び出される。
今すぐに社長室に来いとのことだ。
社長室に呼び出されるのは初めてで、かなりのミスをしたことが読み取れる。
俺が席を立つと、押しつけ飯が寄ってきて、背中をポンポンと叩く。
「頑張ってこいよ。」
と言いながらグットポーズをしてくる。
明日の昼飯は豪華になりそうだ。
明日から頑張ってください。