外出、出会い、違和感
続きです
七
土曜、週末だ。
昨日、何時もよりは早い時間に帰宅すると、もう遊は部屋に引っ込んでいた。
僕は遊の作った夕食を食べ、溜まりにたまった課題を終わらせた。
ほんと漢文マジで意味不明。
それで、ゆっくり起きると、今朝は遊より早かったらしい。
彼女、まだ起きてきていなかった。
「……くぁ」
大きく伸びをする。心地よい筋肉痛だった。
打ち身は痛むが、大した事じゃない。僕はPHSの連絡を確認する。
明日、一件、怪人討伐が入っていた。流石に裏の仕事だから、佐藤は見学させないらしい。僕と、加納、それから大学生の青柳での案件だ。僕は、クラッチの整備をするかと思いながら——、それよりまずは朝食だとキッチンに向かった。
買い置きのフランスパンを適当に切り、ニンニクをこすりつける。
それから、マーガリンとドライパセリをふりかけ、トースターに突っ込む。
その間に――遊のお気に入りの――僕は手間がかかって嫌いなサイフォンでコーヒーを淹れる。コーヒーが落ちる間に、フライパンを熱し、さっきのニンニクとベーコンを油で炒める。
皿に盛って、目玉焼きを三つ。
僕が二つ、遊が一つ。
半熟にしようかと迷っていると、うちの姫様が起きて来たようだ。
「…おはよう」
「おはよ」
僕は目玉焼きを皿に盛りながら言った。
「遊、オレンジか、グレープフルーツ、どっちが良い?」
「オレンジ」
分かったと、僕は言って、フルーツナイフでオレンジを切る。
焼けたガーリックトーストと一緒にテーブルに運ぶと、まだ寝癖のついた遊は僕に聞く。
「シラノ、今日は…バイトなの?」
「入ってないよ」
僕は、コーヒーを酌んでやる。
ブラックで出すと、遊は、「牛乳とお砂糖をとってよ」と言う。
ハイハイと、パックと角砂糖、それからスプーンを渡す。遊は、眠たそうにしながら、角砂糖をコーヒーに落す。
それから冷たい牛乳を濯いだ。何時もそう、猫舌だから。
「じゃあ…、どっか連れてって」
遊はそう言った。
「友達と、遊べば良いじゃん。男の子とかさ」
僕も席に着きながら言うと、遊は髪の毛を払いながらマグを握る。
「ヤダ。ガキっぽいもん、同級生の男の子なんて」
「先輩は?」
「……部活、あんまそういうのないの。変に言うと、女の先輩に目をつけられるし」
中学二年生の遊は、そう言う。
「ああ、僕の時と一緒だ」
「嘘、兄貴、何も部活入ってなかったじゃん」
それでも、クラスの雰囲気は分かるよ。
女子も男子もピラミッドだ。
そう言おうかと思ったけど、昨日のやり取りを思い出す。
僕は自分もコーヒーを淹れつつ、返事を返した。
「僕、球技苦手だからね」
「…のくせに、バッティングセンターは好きだよね、兄貴」
ジッと、遊は僕を見る。
「わかった、こーさん、やめやめ。僕が悪かった。で、何、遊は何処に行きたい?」
僕は両手をあげて、降参の意を示した。
「セットくらいしてよ」
遊は、口ではそう言ったけど、どこか楽しそうだった。
「映画は行ったね。じゃ、もう暑くなるから…夏物を見に行こうか?」
「いいよ、シラノ。あのさ、新しいミュールが欲しいんだ」
そう、嬉しそうに妹は僕を見た。
僕は酸っぱいオレンジをくわえながら、妹を見る。予定をたてなおしだけど、これでいいんだ、彼女が嬉しくて哀しくないなら。
買い物だって分かっていたから、僕はお洒落させられた。
個人的な事を言うと、僕は清潔であればこだわり派でない。けど、遊は何時でも、かっこ良くしなさいと言う。だから渋々したがってるのが現状だった。ELOにしろメンズノンノにしろ、遊の口から「兄貴、ダサい、死ぬ程。本気で有り得ない」と言われたくないから買ってるのである。
幸いにして、僕は身長だけはあったから…、
妹を信じれば何でも似合うのだそうなのだけど。
「遊ーまだかー?」
僕は遊を呼ぶ。
「まってて、ちょっと決まんないから」
そう言って、遊は結構待たせてから、やって来た。
「お待たせ」
サスペンダー付きのスカートに、フレア付きのブラウス、ちょっとボーイッシュなハット。似合ってた。
「おー、いいじゃん」
僕が言うと、遊は言う。
「…適当なんだから、何時も」
「ごめんよ」
そんな遊を引き連れて、僕らはマンション前のバスに乗る。
210円をICで支払い、僕らは近くの駅へと向かう。バスに二人並んで、横に座る。
「あ…」
「どした?」
「なんでもない」
遊はそう言った。あんだろ、窓側がやだったのかな?
で、そのまま発車。5分程で、地下鉄の駅に到着。そのまま、改札を抜ける。
そのまま20分程で、僕らは渋谷に出た。
「何時も人が多いね」
「休みだから、でしょう?シラノ」
遊はそう言った。
この人ごみは何時見ても書き割りのようだ。互いに主張するから、何処でもある景色になる。僕は今、『じぶん』の姿を硝子の反射で見た。中身は人でなしなのに、こんなにも真っ当そうに見える。
「おかしなもんだね」
「どうしたの?」
「なんでもないよ。あ、っこっちの色の方が僕好きだね」
ショーウィンドウの向うの靴を指差すと、遊は「え、そのチョイス?」と言った。
「まあ、僕のセンスを期待しないで。つーか、センスを言う奴程疑えって、ポッシーだし」
「ポリシー」
訂正された、はずい。
「まーでも、いいもんだ、物欲は」
僕が言うと、遊はジッと僕を見る。
「シラノがソレを言う?」
「んだよ」
「だって、シラノ、なーんにも興味ないもん。服だって、やすくてダサいの平気で買うし」
おい、遊、ファストファッションに喧嘩売ったぞ。
「いいじゃん、清潔なら」
「紺地チェックにヘアバンダナ、銀行員眼鏡に、ダボついたジーパンで無銘スニーカーでコンパ行ったら?」
僕の脳裏に、アニメーションの戦場から帰還した古兵のイメージが浮かんだ。
と言っても、僕は萌えアニメをメチャクチャ見る質でないのだが。
「それだけは勘弁してください」
「よろしい」
遊はそう言って、店の中に入る。
僕も、ソレに続こうとして、ふと外が気にかかった。あんなバイトをしているせいだ。何処だろうが、人の多い場所が怖くて仕方が無い。
万が一だが、怪人やヒーローに出くわした時に備えて、僕はベルトの下にクラッチを仕込んでいた。そんなモンをぶら下げてたからだろうか、それともただの偶然か、知った顔を見た。
「…あれ、佐藤」
佐藤だった。誰かと、待ち合わせしてるんだろうかと思ったが、どうやら調度別れるとこらしい。同じ年頃の書き割りの女の子に手を振っている。それで、彼女の視線が僕とあった。
偶然、ないし因果だろうね。
「…うーす」
「あ、」
気まずい顔をされた。
なぜに。
僕は佐藤に昨日の事を謝ろうとしたのだが、ソレより先に、遊が僕の腰にタックルをかました。
何故、タックル?
と、僕は受け身を取りつつ、妹を背に乗せながら考えた。
どうやら、何時までたっても来ない兄が、店の外でJKに声をかけてて腹が立った。それで駆け出したがいいがズっころんだ。そんなとこらしい。
「やあ、佐藤さん」
僕は倒れながら妹を受け止め言うと、佐藤さんは身を固くした。
「昨日はすみません」
そう僕が謝罪をすると、彼女は視線を外しながら言った。
「その、彼女、抱えたままってのはどうって思います」
「彼女?」
僕は身体を起こし、遊を立たせてやる。
「違いますよ――――妹ですよ。遊って言います。遊、この人、今バイト先でインターンしてる佐藤さん」
僕がそう説明すると、遊は身体を起こす。
敵意ある態度を見せるかと思ったが、ごく普通に挨拶した。
「はじめまして、兄がお世話になっています」
その言葉に、佐藤は驚いたようだ。
「…ええ、初めまして。佐藤です」
そう言うと彼女は僕と遊の顔を見比べる。
「似てないんですね」
彼女の言葉が慇懃になったのが僕には意外だった。
そして似ていないという言葉に、ぴくりと遊は反応をみせ、何かを佐藤に向かって吐こうとして、結局何も言わなかった。
僕は、佐藤に事情を言った。
「まあ、そんなもんです。遊の方が美形で美人でしょ?」
「阿久君が背が高いから…意外だなって」
佐藤はそう言って、美醜については触れぬまま答えた。
遊は、落ち着きこそすれ、何も言わない。
「佐藤さんは――――どうして渋谷に?」
僕は先に問うた。さっさと話題を完結させて、ここから移動したかったから。
「イベントですよ、中学の先輩です。大学との連携だって」
「なるほど」
トッコーからそのまま国防大学に上がる以外の進路も在るのかと、僕は初めて知った。
しかし、それを聞いてしまうと話題のタネが無い。僕らが買い物に来ているのは見れば一発だったろうし、これ以上話す事も無いだろ。
僕は、佐藤に言った。
「…じゃ、また月曜よろしくです」
これからどちらへ?なんて世辞は言わなかった。
佐藤も同じだ、そうですねと彼女は同意して、またとハチコウグチへと歩いて行った。
そして彼女がいなくなってから、遊が口を開いた。
「やーな、おんな」
「そっか、兄妹だな。僕も得意じゃない」
僕がそう言うと、遊は僕の臑を蹴った。
「兄貴の朴念仁」
「何がさ?」
「アノ子、完全に兄貴と距離取りたがってた。なのに話しかける神経がすごいなって」
「はぁ…?や、別に嫌われてもいいさ」
長く働く同僚でもないし。
「何したの、兄貴?」
「さっぱり、一緒にエレベーターに閉じ込められたけど」
「ソレじゃない、嫌われる原因」
「ううん?」
それか?
思えば、戦闘員殺しからそんな雰囲気は在ったけど。
どっちにせよ、考えてどうにもなる事でなかった。好きな女の子が自分を嫌ってると言う訳じゃない。どうすればいいか?と言ったら決まってる。
「どうでもいいや、ただの偶然だし。それより次、次。んで、どっかでランチしよう」
僕が提案すると、遊は兄貴、切り替え早いねと若干呆れられた。
そこから特筆する事はなかった。買い物をして、ランチをカフェで取って、晩ご飯の材料を買って帰った。帰り道に、話題のケーキ屋に寄った以外、ありふれた休日だった。
けれど、遊はどこか変だった。
似ていないと言われたからなのだが、どうも変な反応をしていた。カップルですかと聞かれたときなんて、その反応が顕著だった気がする。
…もしやこれ、好きな男の子が本当にいるのかもしれない。
悪い事したなあ、未来の彼氏に。
遊を泣かせたら殺すけど。