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『太陽と海のカンテ』シリーズ

La Saeta~復活のカテドラル~

作者: 結川さや

 その事件は、『シュロの日曜日』に起こった。

ここトレスタ王国やその近隣諸国で崇める神――人の世に生まれた神の子ソラノが反対派の人々に捕らえられ、殺されることを覚悟で聖都に乗り込んだ、始まりの日曜日をそう呼ぶのだ。

 ちょうどはるか昔の光景を彷彿とさせるように、棕櫚シュロの葉がまかれた通り『聖なる道』を土足で踏み荒らしたのは、トレスタから海を挟んで遠く離れたかの王国、ラハールの過激派組織の残党たちだった。彼らは、ラハールに生まれ、王女として歩み、現在はトレスタ南部の海辺の街、ここルロンサで暮らす少女――エスメラルダを連れ去った。

 秘密裏に突きつけられた要求に、エスメラルダのパートナーである青年、ディオニシオ=ルセロは怒りをあらわにし、治安警察隊の内部にいる友人に通報。その日から全隊の精鋭を導入し、少女の捜索はひそかに続けられた。しかし、既に六日が過ぎた今もまだ、エスメラルダの行方は知れていない。


                   *


「それで、何か進展は?」

 青年の低く抑えられた声に、制帽を取った友人アロンソは首を振った。短い癖毛と同じ黒の隊服の腰には、物々しく銃も差し込まれている。が、親しみやすい顔立ちや雰囲気だけを見れば、とてもそんな武器を振り回しそうな治安警察ガルディア・シビル――しかも第五隊の隊長、などという役職にあるようには見えない。あくまでも、友人の部屋で二人きり、という私的な状況だから、だが。

 そんなアロンソは、申し訳なさげに答える。

「必死で捜しているんだが、悪いな。しかしお前……こんな時に仕事で大丈夫か? 顔色が悪いぞ、ディオン」

 そう呼ばれた青年、ディオニシオ――肩までの黒い巻き毛を無造作に紐でまとめたディオンは、ふっと苦笑する。口元だけの微笑は、友人の前だからこそ、いつもの魅力も失った暗いものだった。

「こんな時、か。だからこそ踊ってでもいなければ、今すぐ自分で乗り込んでしまいそうだ」

 どこに、とはアロンソは聞かない。成果を上げられていない治安警察の本部か、大元のトレスタ政府、それともいっそ、少女の生まれ故郷であるラハール王国、王宮か。いずれにしても、誰よりも今、この状況に苛立ち、焦燥を募らせているのはディオンだろう。なんといっても、自分の大切なパートナー、そして恋人である相手が行方不明なのだから。

「しかし、そういう心境なら、今が聖週間セマナ・サンタの最中なのは少しは救いかもしれないな。神の子ソラノの受難週……その血潮で全ての罪深き人々を贖った、愛と犠牲に感謝するこの七日は、お前にとっちゃ多忙な稼ぎ時なんだから」

 ふん、とディオンは力なく鼻を鳴らした。今は、とてもじゃないけれど『感謝』などできそうにない。普段から信心深くもない自分ではあっても、これほどにやりきれない気分になったのは初めてかもしれない。十字架に示された神の愛。到底、そんなものを感じられそうにない鬱屈とした思いに苛まれながら、それでもいつものように舞台を務める。皮肉なほどに、『仕事人』である自分を恨みたくなるほどだ。

 けれど――と、ディオンは自室の窓辺に歩み寄る。いつも、そう、たった六日前にもあの愛しい少女と寄り添って並んだそこには、少女が活けた花が飾られていた。この広いルセロ邸の、ディオン専用の屋敷の庭園から、彼女が切ってきた白百合の花だ。未だ瑞々しく咲く香り高きその花が、少女の、エスメラルダの優しい微笑みを思い出せる。そして、彼女が望むであろうことも、難なく想像できた。

「こんな時であっても、俺は俺のやるべきことをやる。このトレスタが生み育んだ美しい舞踏――フラメンコの踊り手、バイラオールとしての、最高の仕事をな」

 頷き、片手を打ち合わせた友は、いつもと同じ笑みで言った。

「了解、アミーゴ。俺も俺のやるべきことに専念する。必ず無事で見つけてみせるから、心配するな。あとは……そう、俺たちの神のご加護を祈ろうぜ。なんといっても、聖週間なんだから」

 笑みを不敵なものに変え、制帽を被りなおしたアロンソに、ディオンも頷いた。

同じく、衣装を着込んだ彼もまた、戦闘態勢に入ったのだ。フラメンコという芸術との、彼の戦いに――。



 行列は、既にルロンサの中央通りを練り歩いていた。冬の終わりを告げる、早春。それでも青い海と街には既に日差しが照りつけている。太陽と海の街ルロンサにふさわしく、清らかで厳粛でありながらも、熱い『復活』の祝い行事が始まっているのだ。

 かの『シュロの日曜日』から、七日目を数える今日は、『復活節』。神の子ソラノが十字架にかかり、死を遂げる受難の日から三日目、まさに奇跡の復活を果たす喜びの日だ。その喜びを体現し、街中を皆が特殊な衣装を着込んで練り歩く聖行列プロセシオンが行われている。受難の痛みを共に深く黙想し、感謝を捧げた後の、祝福の行事が、ルロンサ中の教会でも行われ、街中も笑顔にあふれていた。

 教会の鐘がそこかしこで鳴り、この時にあわせて隠された卵を、誰が一番多く集めるかで子供たちは競争する。彩色された卵は本物の宝物のようで、小さな時にはディオンも懸命に探したものだ。双子の兄――クリスティアンと共に。

「くそ、あいつまた寝坊か? それとも女とどこかで遊んでて遅れてるのか……まったく、こんな大事な舞台でも、あのクソ兄貴の心構えは変わらんらしいな」

 多忙に過ぎるため、家から着た衣装は一人で呼ばれた別の舞台をこなし、こちらに向かう道中で着替えた。馬車から降り、合流を約束してあった舞台裏の天幕にかけこんでも、やはり兄は来ていなかったのだ。舌打ちしそうになったその時、まさにその双子ならでは、よく似た声が後ろからかけられた。

「クソ兄貴だなんて、ひどいなぁ。ちゃーんと裏で働いて、情報を持ってきてあげたのに」

 同じ声でもやはり性格が違うからか、ふざけた軽い響きでクリスティアンは笑う。女たちが喜ぶ甘い美貌も、少し浅黒い肌も、何もかもよく似ている兄。だからこそディオンはいつまでも素直になれず、兄相手にはぶっきらぼうな話し方になってしまう。まだ、過去に身代わりを任されていた頃の恨みを忘れられないのだ。が、今はそれどころではない。

「情報だと? どういうことだ、早く言え」

 仕事はこなしても、胸から消えない痛みと想い。大切な少女がどこにいるかわかるのなら、無事を確かめられるなら、たとえこのクソ兄貴にだっていくらでも従ったっていいと思うほどに苦しい。そんなディオンの心を瞳から読み取り、クリスティアンはおふざけをやめた。ディオンと同じ衣装の上着を着込みながら、懐から出した紙切れを手渡す。

「彼女は、ここにいる。いやあ、女の子の観察眼ってのはすごいもんだね。かなり離れた店の中からも、『あらっ、あれはあのバイラオーラじゃないの? ほら今大人気のディオン様のパートナーで恋人の!』って発見できるぐらいなんだから。あ、その後ちゃんと僕の人気も一生懸命裏付けてくれたけど……」

 どうでもいい話は無視して、紙切れをひったくる。そこに書かれた住所は、ちょうど港の近くにある小さな『祈祷院』――教会より小規模な祈りの場である施設に併設された孤児院。通称、『神の家』と呼ばれる場所だった。

「なぜこんなところに……残党の目的は、ラハールの乙女を再び海に捧げることではなかったのか? あの無意味で悲しい犠牲の儀式――国王自ら廃止した間違った習慣の復活。そう、アロンソづてに聞いたが」

 過激派たちは、何かラハールの情勢が不利になるたび、乙女を捧げよと声を上げたという。せっかく取り戻した平和をまた乱そうとする彼らの動きには、ディオンも内心穏やかではなかった。その報せを聞くたびに悲しみ、涙する純粋なエスメラルダの心を知っていたからだ。

 なのに、よりにもよって『神の家』にいるなんて。一体、何のために――?

「そこはほとんど機能してない、廃屋に近い状態だったらしい。だから残党たちが占拠して、ひそかに立てこもる場となったわけなんだけど、最近まで海が荒れてただろ? 船が出せず、彼女を連れたまま滞在するしかなかったみたいだ。さっきの女の子――まあ、港の歓楽街の娼婦なんだけど、その子が無事なエスメラルダの姿を最近も見ている。君の親友くんにも伝えておいたから、今頃は彼の手の者が向かっているんじゃないかな。彼らは優秀だし、君が行っても騒ぎになるだけだと思うけど……って、聞いちゃいないね、やっぱり」

 くすりと笑ったクリスティアンは、既に駆け出したディオンの背に、ひらひらと手を振った。

「たまには、僕が『身代わり』ってことで、頑張りましょうかねー」

 可愛い弟のためだし、と彼は衣装の襟を整える。とても気合の入っていないように見える仕草でありつつも、瞳は優しく、そして力強く変わった。彼自身もここトレスタ随一のバイラオール。否、いまやいいライバルとも呼べるかもしれない弟に対抗する者として、実力発揮の時だった。



 練り歩く聖行列、その主役は、『パソ』と呼ばれる聖人や神の像を載せた山車だ。大きく重いそれを数十人の男たちが引き、静々と大聖堂まで運ぶ。この大聖堂――カテドラル近くにある舞台からディオンは反対方向に駆けていた。馬車を手配するにも何かと忙しい今日の日には遅く、馬で走らせるにも人々が多すぎて進めない。仕方なく、走るしかない。それでもそのほうがもしかしたら早いかもしれないほど、行列は熱狂し、人々の盛り上がりは厳粛でありつつ騒然とした、不思議な熱に満ちていた。

(エスメラルダ……無事でいてくれ。それだけでいい。再び、お前の笑顔が見られるなら)

 息を荒げ、必死に駆ける。そうしながらディオンはいつしか、初めて出会った三年前から、今までのことを思い浮かべていた。

 自分と踊りたいのだと、いきなり目の前に現れた見ず知らずの、異国の少女。年も離れ、わかりあえるはずも、共に踊る実力など持つはずもないと思っていた、そんな自分をあっという間に惹きつけ、魅了したエスメラルダとの時間を。

 少女が自らを犠牲にするため、自国に戻ったあの時、自分は無我夢中だった。奇跡を起こすのだと、大きなことを言って、迎えに行ったあの場所でも、本当は怖かった。失いたくないと、彼女をこの手に取り戻すのだと、ただそれだけの想いですべてをやり遂げた。

 そして砂の上で抱きあった瞬間、思ったのだ。

 ――自分は、彼女と出会うために生まれてきたのだ、と。

「『犠牲』だと? そんなものは、人の成し得る所業じゃないんだ。神の子でさえも絶望に血の涙を流し、苦しみの絶叫をして、やり遂げた恐ろしいものを……誰かに押し付けていいはずがない。うまく行かないことも、逃げ出したくなることも、すべて、自分たちで叶えてこその喜びだろう。何かを果たせないことを、他の何かのせいにするなと言うんだ……!」

 はあはあと、肩を上下させて駆けるディオンの歩みは、途中で止まった。いや、止められてしまった。自分だと見とめて、女たちが騒ぎ、駆け寄り、押し寄せて、邪魔されて、進めなくなったのだ。

「くそ……エスメラルダ……っ!」

 唇を噛んだディオンに、思いがけぬところから救いの手が差し出された。どこかで見た老人とふざけた微笑の青年司祭。旧友でもある彼らが、あっという間に力技で女たちを引き剥がしてくれる。

「君たち、復活節の祈りはお済みかな?」

 声音をいつもより男らしく変えた司祭――シモンが、それらしく言って何やら勧誘を始める。自分の祈祷院の宣伝でもしているのだろうか、ともかく助かったことは変わりない。

「ほら、さっさと行っておあげなさいな」

 片目を閉じてこっそり言ったシモンに続くのは、老人ロドリゴ。これでも有名なギター奏者である。彼が「ほれ、目くらましじゃ。嬢ちゃんがいないとわしも面白くないからな。頼んだぞ」と、すっぽりとディオンの頭に何かを被せる。それは、聖行列で練り歩く人々――特に、巡礼者ペニテンテが被る、三角の尖った帽子だ。といっても目の部分だけ開いて、顔まで覆う布がついている。少し不気味なそれはしかし、『トゥニカ』という立派な巡礼用の衣装だった。マントもまとい、並び歩く彼らと大差ない格好になったディオンは、そのまま再び逆走を始める。今度こそ、少女のもとへ向かうために。


『私、あなたに会えて本当に良かった……一目見た瞬間、あなたに惹かれたの』

 そう言った、あの夜のエスメラルダを思い出す。

 苦しく切ない情熱の踊りが、自分の心と同じだったのだと言った、彼女の涙も。

『私の心を、全部あなたにあげる。忘れないで……あなたは、永遠に私の愛しい人だから』

 カリニョ。トレスタ語で『甘い』という言葉のままに、そう呼んだ。

 そして自分は思ったのだ。心などもらっても仕方がない、今、彼女を抱きしめられなければ意味がないのだと、奮い立つ心のままに彼女を取り返しに行った。

 あの時と同じ――いや、更に大きく、深く育った想いの分だけ、彼女がいない苦しさはそのまま呼吸にもあらわれるほど。昔煩った喘息を思い出す、幻の苦しさが蘇る。

 今、彼女を手にできるなら、他のすべてを捨ててもいい。

 ディオンの決意と覚悟は、奇跡を呼んだ。とめどない聖行列の中、前方に現れたこの場に似合わぬ馬車。人々の熱狂でそれ以上進むことができずに立ち往生しているその中に、ちらりと見えた面影があった。長く波打つ豊かな黒髪、そして名前通りの宝石のような緑の瞳、トレスタの民とは明らかに違う、白い肌――全て、愛しい少女の特徴。

「エスメラルダ……!」

 帽子を取って、叫ぶ。ざわめきと歓声のさなかでも、少女はすぐに反応した。弾かれたように、ぱっと振り向いたのだ。

「ディオン――!」

 彼女もまた、歓喜に顔を輝かせて自分を呼んだ。が、皮肉にもその瞬間に列が動き始めた。大聖堂の鐘が鳴っている。復活節の歌が、通りの教会からも聞こえ始めた。

 いつもの賛美歌とは少し違う歌詞と曲調のそれは、通りに面した家々の窓からも、店からも、通りに立つ人々の口からも、次第に口ずさまれて響きあっていく。

 ラ・サエタ――そう、聖週間の宗教歌だ。『矢』を意味する名の通りに、人々が引く山車のソラノ神像や、聖母像に向かって放たれる、信仰の歌。

 フラメンコともつながる、どこか懐かしく、暖かいその歌が、通りを吹き渡る風に乗り、大聖堂に向かっていく。鐘の音が、ディオンの心臓の音とも共鳴していく気がした。


 生きていて、くれた。無事で、ここに戻ってきてくれた。

 愛しい少女を、再び見ることができた。それだけのこと――ディオンにとってとてつもなく大きく、大切なそのことが、心にも体にも力を与える。

 近くを通った行商人の馬を、ディオンは一言言って拝借した。帽子を取った顔で、あとで返すからと言えば断る者などこのルロンサにはいないだろう。

 ようやく動き、流れていく聖行列の隅をすり抜け、ディオンは馬車を追う。

 響くサエタに合わせ、追いつき、追い越すように、力を込めて。

 

「おい、あれ、ディオニシオじゃないか……! 女神も喜ぶ天下のバイラオール、ディオニシオ=ルセロ! ドン・ディオニシオだ!」

「舞台上にお兄ちゃんのほうしかいないから、おかしいと思ってたんだよお、でもちゃーんとこうして到着するなんて、あれも演出かねえ」

 舞台を取り囲む人々が、そう声をかけあう。手を叩き、歓声が広がる。迎えてくれる観衆より先にディオンを待っていたのは、馬車を降り立ったエスメラルダだった。付き添っていたらしいアロンソが、にっと笑って親指を立てる。約束を果たしてくれた印だった。

「ディオン……!」

 長い髪をなびかせ、スカートの裾を翻し、エスメラルダが走ってくる。同時に走ったディオンがしっかりと彼女を受け止め、抱きしめた瞬間に最後の鐘が鳴った。

 サエタの曲調も、最大限に盛り上がり、神の子の復活を祝う。全ての絶望と苦しみが、嘆きが、この音と共に終わり、新たな喜びの季節が始まる――始まりの、春の歌。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ディオン――心配をかけて……私が、言うことを聞かずに一人で出歩いたから……本当に、ごめんなさい」

 第一声が自身の落ち度を悔いるものであることが、なんともいえずに彼女らしい。ディオンは苦笑し、彼女の頭を撫でた。

「謝るのは俺のほうだ。すまなかった……お前を守ってやれなくて」

 心からの言葉に、エスメラルダは驚いたように首を振る。一つも、責めるつもりなどないと訴える表情だった。その頬に手を添え、体の怪我の有無を確かめる。

「『神の家』であいつらとどうしていた? ひどい目に合わされたりしなかったか」

 一番気になっていたことだ。ディオンの心配を、エスメラルダは笑顔で打ち消した。

「大丈夫よ。過激派とはいっても、一人一人は普通の善良な民だったわ。貧乏や苦労で国を恨み、私をその筆頭として恨んでいたのね。でも、きちんと話をしたら、わかってくれたの」

「話って何を」

「私とディオンのこと。それに、彼らの話を一人ずつ、一日中聞いたわ。一緒に泣いて、手を取って、話をして……そうするうちにね、あの人たちも後悔してくれた。あと、お父様とお母様に、彼らの現状を必ず伝えるから、って約束もしてきたわ」

 そんな折に、アロンソたち治安警察部隊が到着したのだという。平然と微笑むエスメラルダを前に、ディオンは何とも言えない複雑な気持ちで苦笑した。

「なんというか……さすが、と言っていいのか、無謀を責めるべきか、正直俺は判断できん。お前らしい、の一言に尽きるな」

 見つめた先で、エメラルドの双眸がきょとんとしている。苦笑は、微笑になった。

「でも」とディオンは湧き上がる思いのままに続ける。

「とにかくよかった……無事で、お前とまたこうして出会えて、俺は」

 それだけでいい。何も求めないと、そう囁いたディオンが再びきつく抱きしめると、エスメラルダも胸にもたれてくる。安堵のこもった優しい抱擁は、真実を知らないルロンサの民に、ただ熱い恋人達のものとして拍手を注がれる。

「あいかわらずお熱いねえ~それはいいから、早く舞台を見せておくれよ!」

 先ほど手を叩いた筆頭の婦人が言って、その場はどっと笑いに包まれた。互いに微笑みあった後、ディオンが差し伸べた手を、エスメラルダがとる。

 観衆は期待に沸き、ひときわ大きな拍手と口笛で二人を包んだ。

 今から二人が見せてくれるであろう、最高の踊りを待って――。


『私の大地の歌は、花を投げる。苦しみの神の子に』

『私の信じるものに――私の想う人々に』

『ああ、あなたは私の歌そのもの』

『太陽を浴び、海の輝きをその身に受けた、私たちの歌よ』

『届け、十字架の上に。届け、私の大事な人々に』


「届け……俺の、愛する恋人に」

 皆が歌い継いだサエタの歌詞を、最後に自分の言葉で付けたし、ディオンは囁いた。

 皆の前、泣き笑いの表情になったエスメラルダにそっと口づけ、それから『踊り手』の顔になる。誰よりも美しく、鮮やかに、力強く舞い踊るバイラオールの顔に、パートナーの少女も頷き、自身も笑顔を浮かべた。

「愛しているわ、私のディオン」

 そして二人は、音楽に合わせて踊り出すのだった。



 復活を祝う大聖堂カテドラルの前、円形の舞台で舞い踊る恋人たちを見つめ、出番が後に追いやられた兄は苦笑する。

「届け、僕の可愛い弟に――ってことで、ま、いっか。お兄ちゃんは君の幸せを願うよ」

 ルロンサ一の踊り手の座を弟と競い合うことを、今誰より嬉しく思っているのだから。

 クリスティアンは、シエレ(締め)のポーズを取った二人に、ひときわ大きな拍手を送った。




 Fin.



復活祭イースター記念の短編です。

架空宗教にしてありますが、大きく実際のものを参考にしております。

ただ、実際の歌や習慣とは少し創作的にアレンジしていますので、ご理解くださいませ。楽しんでいただけたら幸いです。

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