第七話
エメルは恐慌をきたした使用人たちに命じて、ギウナを客間に運ばせた。
どうやら公爵家の大事な三男坊様はきちんと呼吸をしているようで、使用人たちは一様にほっとした。彼らの心配などどこ吹く風のエメルは、意外と早く落ちたなと機嫌がいい。
ギウナの傍には医師をつけようとしたが、エメルはそれを退けた。
「婚約者だからな。寝ている間の面倒くらいはみよう」
ギウナは寝ているのではなく、気絶したのだが。他ならぬエメルの両腕によって。その事実は、まだ使用人たち全てに知れ渡っていなかった『ギウナはエメルの婚約者』という祝報に乗っ取られ、軽やかに黙殺された。
怒りと苛立をようやく納め、ギウナを気絶させて自覚した淡い恋心への照れ臭さもエメルの中でなんとか落ち着きはじめたところで、気絶させた彼が目覚めた。
客間の寝台脇に置いた椅子に腰掛けていたエメルは、堂々とした態度で目覚めたギウナを見つめる。
「水を飲むか?」
体調も聞かずに、突然締め落としたことに対する謝罪も一切なく、固い声で端的に尋ねた。
「飲む」
ギウナはそれを詰ることはせず、締め付けられた首をなでる。
水差しから杯に注がれた冷たい水を飲んで一息ついたギウナは、「中断された話しを戻すが」と何事もなかったかのように訪問の目的を話はじめた。あの程度でいちいち目くじらをたてているような男では、エメルの幼なじみなどやっていられないし結婚も望めないだろう。ギウナも突然のキスを詫びる素振りもないし、ある意味似た者同士のふたりだった。
「俺がお前に結婚しろと告げる前に、両家の間で既に決まっていた。俺が何を言おうと、お前が何を思おうと覆せない類いのな」
「まあ、そうだろうな。昨日の今日で父まで話がいくはずもないからな」
ギウナが言い出してすぐに、家の決定となるはずがない。結婚の約束は当人同士の了承もなくその頭上で交わされていたものだった。
「エメル、昨日も告げたが俺は子供の頃からお前が好きだった。お前と結婚して、生涯を共にできることはもちろん嬉しい。だがな、俺はお前と政略結婚ではなく、恋愛結婚がしたいんだ」
全く恥ずかしげなく、ギウナは真剣な表情で言い切ってエメルの手をにぎる。
十八歳の意地を張りたい青年にしてはあまりにあけすけで隠し事のないギウナのことばに、大人しくなったはずの心臓が再び爆発したように鳴り初めて、エメルは気恥ずかしさで逃げ出したくなるのを堪えつつも、ずっとこうしていたいという全く真逆の感情が同時に沸き上がることに困惑した。ギウナの視線に耐えきれなくてそっと視線をそらすと、微笑を浮かべるギウナがそらした視界の端で見えてエメルは余計にいたたまれなくなり顔を真っ赤にした。
「俺がああやって何も言わなければ、お前は俺に対して義務的に結婚する夫としてしか見れなかっただろう? よく知る友である俺が夫になって幸いだ、ぐらいにしか思われなかったら俺が切ない」
ギウナは年下と少しだけ少年の面差しが残る美貌を特権に、エメルに切々と訴える。
「親が決めたものだから、と。家同士の肌理ごとだから、と。そんな理由で人生の起点ともいうべきものを決めたくはなかったんだ。昔からずっと好きだったエメルと、愛し合って結婚したかった。義務じゃなく、意思で結婚したかった」
そんなふうに思っていたなんて知りもしなかった。最初からそう言ってくれれば良かったのに、と責める気持ちと、ためらいなくぶつけられる愛情の大きさを受け止めかねて戸惑う感情がエメルの中で境界線無く混じり合い、それを自分にもギウナにもごまかすように甘い雰囲気を切る辛辣な声で返した。
「愁傷な物言いの割にはずいぶんとあの晩は乱暴だったな」
エメルのそんな物言いにもギウナは怯まない。
「あのくらいしないと俺の本気は伝わらないだろう。昨日の昼に、父から結婚の決定を告げられて、俺は自分でもどうかと思うぐらいに焦っていた。早くお前に俺の気持ちを告げないと、お前は義務的な結婚に納得してしまうだろう。それは嫌だった。決まったあとに俺がなにを言っても、何かが遅いような気がするんだ。家同士が決めただけの結婚でも、はじまりが何であれ俺はお前を幸せにする自信がある。だが、自分のことばで大切なことを一番最初にお前に言いたかった。結婚すれば、俺自身から言い出そうと家が上から決めつけても、結果的に変わらないだろうが、だが、違う。俺の望むこと、望むものは親や周囲や家の思惑なんか関係なく、お前を愛して結婚したいとエメルに伝えることなんだ。今でも焦っている。どうすればいいのか分からなくて迷っている。どうすればお前にこの気持ちを伝えきれるだろう」
常に保たれている冷静さを失わない美貌は、本当に焦っているのかと問いただしたくなるくらいに落ち着いたものだ。
だが、見た目だけでは分からないギウナの素をエメルは正確に見抜くことができた。




