第六話
彼らにとって予想外だったのは、ちょっと危ない雰囲気が、その後さらに見るからに危険な状態になったことであろう。
使用人に止めにはいられた一瞬の隙を見逃さなかったエメルは、自身の反射神経と技能に物をいわせ困惑と恐怖と、そして乙女の恥じらいをごまかす精一杯の欲求に従った。
テーブルを放り投げたのは怒りもあったが、ギウナのいう通り照れ隠しもあったのだ。エメルの中でぷちりと音をたてて切れたのは、堪忍袋の緒ではなく、羞恥を耐えきるための乙女心である。あんなことを男からいわれて恥ずかしくならない未婚女性はそうそういない。
エメル本人も、普通の女性であればもっと違う行動をするであろうということは分かっていたが、耐えきれなかった衝動でつい可愛げのないことをしてしまったのだ。
しかもそれを照れ隠しなんだと分かってしまうギウナに、深くにもうれしくて胸が高鳴ってしまった。切なく締め付けられる痛みに、エメルは素直になれないけれどギウナに対して完全白旗をあげた。
ギウナにあんなにも傍若無人で残酷なことを告げられながら、心底からギウナを嫌いきれない事実に、自分の中のギウナへの感情の意味を理解したくないけれど正確に理解してしまったし、納得してしまった。そんなことないと否定したが、すぐにそんな抵抗なんて無駄なんだと空しい努力を放棄するほどに、自分のこころの真実を認めるしかなかった。
エメルは、無理矢理自分にキスをしてきて結婚を強要するこの不遜な年下の幼なじみを、どうやら好きになってしまったようなのだ。もしかしたら、自分が気付かなかっただけで、最初から好きだったのかもしれない。
月のない星空だけに満たされた夜空の下、突然の暴挙に驚愕のほうが大きくて、ずっと前から当たり前のようにある感情に目を向けられなかっただけなのかもしれない。
ギウナに追いつめられるように詰め寄られて、混乱のままに思考した挙げ句に辿りついた単純な答え。
唐突に友情を壊されたことに腹を立て、その態度の理不尽さに憎しみすら募りかけたが、突き抜けてしまった先に残るのはギウナへの好意で、それは恋愛感情と言えるものなのだとエメルは自覚した。
それを自覚してしまうと、もう駄目だった。
ギウナの一挙手一投足が、エメルへ全開に愛が溢れすぎていて嬉しいんだか恥ずかしいんだかわからなくなってしうまう。
エメルの心境をもっとも簡潔にあらわすのならば「きゃーはずかしいやめてよー」である。
間近にギウナの顔が迫って、不遜で独善的でエメルの意思なんてまるっきり無視したことばを告げてくる。腹立たしいし、恐ろしいはずなのに、ひたむきな恋心がひしひしと伝わってきて、それが怒りや恐怖とは別の場所でエメルによろこびを与えた。ギウナの本気が背筋を凍り付かせるほどだというのに、エメルの胸の内で激しく掻き鳴らす鐘の音は警鐘ではなく、教会の祝福の鐘の音のように晴れやかで浮かれきっていた。
ギウナが自分に向ける想いが嬉しくも恥ずかしく、どう対処すればいいのか分からないのに加え、そんな自分の状況が一層いたたまれないほどに照れくさく……
エメルは耐えきれずに目の前の男をとりあえず締め落としにかかった。
ギウナを気絶させさえすれば冷静にものを考えられるようになると、冷静さに欠ける思考で決断をくだしたのだ。
目の前の男の首に、掴まれていない逆の腕をかけて自身の平に潰した胸元に引き寄せた。ギウナ、好きな女に抱き寄せられて、びっくりしてエメルを掴んでいた手の力を緩めた。それがギウナにとって命とりだった。その際に緩んだ捕まえられた手を瞬時に自由にし、ぐと力をかけてエメルはギウナを締め落としにかかる。
「お、お嬢様ああああああああああああ!」
それに驚愕したのは使用人たちだ。
彼らは不快なことをしたギウナを本気で殺そうとしているのだと勘違いした。
エメルとしては、恋する乙女な恥ずかしい顔を必死に隠そうとしているだけなのだが、使用人には怒りに狂う殺人鬼顔にしか見えなかった。
ギウナはこの場で唯一エメルの真意に気付いていて、エメルはやはり可愛い、素直になれないところがまたいいと、締め落とされて気絶する寸前すら愛情が一切揺るがず、苦しく醜く歪み泡を吹く顔でその内心はのろけきっていたのである。




