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星満ちる夜に  作者: 春生
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第二話

 どうやって家に帰ったのかまるで覚えておらず、気付いたら朝で、目の前には見慣れた寝台の天蓋があった。

 寝間着にも着替えずにそのまま寝たようであったが、エメルは、ああ、と息を吐いてほっと安堵した。

 きっと夢だったのだ。

 現実逃避のようにエメルは願ったが、ふとした拍子に目に入った自らの手首を見てそれも無惨に打ち砕かれる。

 くっきりと残る、男の手形。

 幻かなにかなのだと思い込んでいた光景が、まざまざと瞼裏に蘇った。

 克明に刻まれたギウナの真摯な瞳に、ぶつけられた恋情。男の欲望がエメルの中にある潔癖な女の部分に、確かに触れてきた。その乱暴さ、強引さ、横暴さ……思い出すだけでぞくりと身体が震え、エメルはたまらず自らの身体を守るように抱きしめた。

「ああ、くそ……!」

 エメルはギウナに裏切りを感じた。

 友人であった男に、その友情を瓦解させられた残酷な裏切りを覚えた。苦鳴に似た悪態をついて、苛立をあらわにした。

 整った容貌が険悪に歪み、矛先のない怒りがエメルの中で暴れ回る。

 好きだと言われた。愛しているとも。

 それはエメルの答えもきかず、無理矢理押しつけるものであった。その乱暴さに反吐が出る。ギウナという幼なじみに幻滅した。なにもかも分かり合える友だと信じていたのに、それが他ならぬギウナによって破壊されたのだ!

 その怒りは翻れば絶望に似ていた。髪を掻き毟って、ギウナを罵る。

 性別も関係ない、友だと信じていたのだ。

 エメルにとってその友情はかけがえのないものだった。失うことなど思いもよらない、あって当たり前のものだった。それが砂のようにさらさらと風に吹き飛ばされて消えていく喪失を自覚し、一層ギウナに対する憎しみに似た怒りが増した。

「どうして、どうして……!」

 ぶつぶつとつぶやき、ギウナの心情を計ってみても、エメルには到底分かりようがなかった。

 ひとの意思も無視していきなり口付けをする横暴な男の内情など、エメルには想像のしようもなかった。

 貪欲に求められ奪われた唇に指先で触れる。少し熱を持ち、腫れているような気がした。それを鎮めるように舌先で唇を舐めると、ほのかな痛みと認めたくはない甘さがうまれた気がした。

 酒を飲んでぼんやりと酔うここちが、身体の芯から僅かに滲んだ気がした。

 一瞬の自失と陶酔の後、エメルははっと我を取り戻し、唇にふれた指を握りしめる。

 取り返しがつかなくなるような酔いを、無意識のうちにエメルは振り払おうとした。それでも、忘我の淵に誘い込むような魔の手がエメルの中には同時に存在していたのだ。

 もし。

 ちらりと頭をよぎるものがあった。

 もし、あんなに乱暴な口づけもなく、ただ想いを告げられただけの一夜であったら自分はどうしていたであろう。自分の意思を無視して、エメルの女の部分を求めてきたギウナに腹を立て、友情を壊されたことに絶望しているが、愛していると告げられて結婚を望まれただけならば……?

 埒もあかない可能性を考える自分が居る。それは結局取り戻せない過去で、可能性というよりは仮定の話しでしかないとエメルは首を振った。

 事実は今この現状しかないのだ。

 友人であった男は、エメルの唇を愛の名の下に横暴に奪い、友であった関係を壊した。

 自分は今、酷く腹を立ててギウナに向けて絶えぬ怒りを抱いている。

「くそ」

 それしか言えない自分がひどく惨めだった。

 起きたエメルを見計らって使用人たちが部屋に来るだろう。そのときに無様な姿は見せられないから、落ち着けと冷静に命じてくる自分がいるが、エメルは到底気を沈められそうになかった。

 ちらりと鏡で確認した自らの首筋に、赤く散った花びらのような痕を確認した。

 かっかと沸き上がる怒りは、まるで沸騰した湯のように湯気までだしている。

「ギウナめ……!」

 昨日のことを忘れたいと思うのに、彼のことしか考えられずそれがまた憎らしかった。


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