傍観者
俺はあの日からずっとこのことを考えていた。あの日の政司の提案、俺はあの提案をいつまでも忘れはしなかった。それどころか俺は今こうして彼の提案に乗ろうとしている。俺はその前に彼に会い、多少の仕事の筋は聞いておきたいと思ったのだ。俺の策略全てをうまく行かせるためには彼を利用させてもらうより他はない。そう思い立ち、今俺は携帯の画面に目を落としている。ここを触れば政司の携帯へと電話が通じる。そう思うと一度固まった決心がなんとなく揺らいでしまう。俺の性格はいまだに変わらない。彼の提案通り仕事を受け入れるべきかどうか今はこうして土壇場で迷いが生じている。その迷いは正しい方向へと向かっているのだろうか、いつまでも俺がそうしていると突然、握りしめていたそれが部屋中の家具を振動させた。俺はあわてて電話に出る。「もしもし?」「あ、もしもし。貴、久しぶり。俺だよ。」俺は肩でため息を吐いたのちその問いかけに返事をした。「あぁ、わかってる。今時、携帯に登録してある番号なら誰が掛けてきたぐらいわかるだろ。」俺は頭を掻きながら話しだす。「それで、何か用なのか?」俺はしれっと、その電話の用件を聞き出そうとしていた。「どうだ?最近の調子は。心境の変化はあったか?」「あぁ、その事なんだが、俺も実は政司に話があって今当に電話をかけようとしていたところだ。」そう言いながら先走る胸中の考えを口にする。必死に平静を装う俺に対し政司は余裕綽々という感じに話しかけてくる。「それで、いつからがいい?俺はいつでも大丈夫だ。俺の動きはお前の状況次第だからな。」と、政司が俺の胸中を察するが如く話し出す。俺は俺でこの状況にほくそ笑んでいた。「あぁ、実は俺としては今すぐにでもいいのだが。」俺がそんな状況の曖昧なことを言うと政司は子供のようにその隙を突く。「じゃあ、今すぐに来い。時間は10分待ってやる。」政司はしてやったりというような声で俺に話かけた。「ところでお前、一体どこにいるんだ今。」俺たちのその後の会話は俺の耳には雑音で政司の声が聞き取れず政司は政司で一方的に切ってしまった。俺は仕方なしに政司に会いに行く支度を整え始めることにした。俺は彼女の周りを行ったり来たりしながら支度を整え終えた。「何?今からどこかに出かけるの?」彼女のさりげない質問に俺は甘い顔で応える。「今日は野暮用でね、多分そんなに遅くはならないと思うから待ってて。」彼女はこくりとうなずき笑顔で送り出してくれた。彼女はそのままダイニングで用事をしている。そして俺はその足で玄関に向かった。政司とは、あれ以来顔も合わせていないし、これといって連絡をしていたわけでもない。途中で電話して落ち合う場所を確認しよう。そう思って玄関を開けると自宅の門の前に政司が立っていた。「おぉ、やっぱりここだったか。」政司はまるで豪邸を前にしたような口調でそう言った。俺は突然の出来事に言葉を発することすら忘れていた。「一人暮らしにしてはずいぶんと広い家だな。」そう言って政司は家を門外から見まわしている。「あぁ、ちょっとね。それよりよくここが分かったな。探偵でも雇ったのか?」その俺の言葉に政司は馬鹿にしたように鼻で笑った。「現代は探偵を雇うよりもずっとすぐれた技術が発明されてんだよ。」と俺の前に差し出されたのは、GPS機能付きの携帯電話だった。「最近のGPSはすごいぞ。相手の電話番号さえ入力すれば相手のいる位置まで把握できちまう。これじゃ、個人情報もくそもねぇよな。」そう政司は馬鹿にしたように言う。「あ、あぁ。」俺はその会話に適当に相槌を打った。「それで?…。」しばらくの沈黙ののち政司が返事をした。「えっ?何だって?聞こえねぇよ。つかどうにかしろよこの工事現場の音。」その音が電話越しに政司の声を遮った原因だと確信したのはそこからそう遠くない公園のベンチの上だった。「なんでわざわざあんな場所から電話してきたんだよ。もっと閑静な場所があるだろうが。」俺は政司とは目を合わさず言葉を発する。「馬鹿言え、お前といち早く話をつけたかったんだよ。時間もあまりないことだしな。」俺は聞き間違えかと思い、思わず聞き返した。「え?何だって?」政司はあきれた口調でもう一度同じ言葉を繰り返す。「「だからもう俺が俺でいられる時間がないんだよ。」俺はその時なんとなく彼の状況を察してしまった。それは、あの永眠してしまった元妻の病気のそれだったからだ。あれは単なる事故なんかではなかった。これもまた俺の自己満足にしか過ぎないが、俺は彼女の苦しんで死に行く姿など見たくはなかった。だから俺がもっと楽な死にかたで逝かせてやりたいと思った末の決断だったのだ。それでもやはり俺が殺したには変わりはないのだから、俺はこの罪悪感を背負って生きていかねばならない。そして俺はポツリポツリと話しだす。「お前もなのか?その…病気。俺の周りではもう3人目だ。」最初はお袋、次に婚約者その次が目の前にいるお前だ。どうしてこうも俺の周りには同じ病人ばかりが集まってくるのだろうか。だとすると、俺は厄病神にでも取りつかれているのだろうか。ふと政司が俺に話しかけてくる。「そんな悲しい顔するなよ。確かに俺はこの先そう長くは無い。それに、いつこの命が尽きるかも分からない。だが、この命はお前を不幸にするためのものじゃない。むしろ、お前のためにこの命を喜んで捧げてやるよ。それでお前の一番近くでお前をいつも見守っていてやるさ。」そんな政司の一言が俺の胸に突き刺さる。そして、政司は俺たちが立ち上げた会社でその成功を見届けられぬまま先に逝ってしまった。この表現が正しくないことは知っているが、それでも俺は棚から牡丹餅が降ってきたかの如くその残された会社と仕事を切り盛りする社長となってしまった。俺のすぐ横にはいつも政司が俺と一緒に働いてくれている、そう考えると俺は無性にやる気が出てくる。やるべきことに追われ日々を過ごしていると政司が亡くなってからあっという間に1年という月日が流れていた。「取締、明日の予定ですがいかがなされますか?」この会社の秘書は有能だ。「昨日までで仕事は一段落ついたところですが、明日は休養になさりますか?車の手配も既にできておりますが、ご都合はいかがでしょうか?」常に俺の次の一歩に先回りをしていろいろと手配をしてくれる。俺のとっておきの相棒だった政司に勝るとも劣らない片腕だ。秘書は俺の右斜め二歩半後ろを歩いて話し出す。「仏花、お線香、お供え物、数珠その他諸々は全て手配済みとなっております。後は取締の身さえあれば準備は万端でございます。」俺は苦笑して秘書を労った。明日は、ここから車で1時間ほど走ったところに彼の眠る墓地のある場所まで移動する。そして、その日、表向きは出張ということで外出することになった。駐車場の車から降り歩いて墓地へ向かう。彼の墓の前に立ち自分の手で仏花を供え、彼が好物だった食べ物を供えてやる。そして最後に線香に火をつけて墓前に供えた。心の中で話しかける言葉はすまないの一点張り。どんなに言葉を尽くしたところで俺はお前にはもう敵わない。お前の明るい声が俺の耳に残っていつまでも離れようとはしない。お前はちゃんと俺を見ていてくれているだろうか。俺が転ばぬようそして羽目を外さぬよう俺の支えとしてちゃんと役目をはたしてくれているだろうか。最後に俺の近況と会社の発展を報告し墓地の前で、すくっと立ち上がる。「長居してしまってすまなかった。」俺は秘書の腕から上着を受け取るとその場でそれを羽織りそこから立ち去った。




