提案者
その次の休日。俺は半ば強引に前日までにかき集めた不動産の間取りが描かれて居る資料をとりあえず朝食を終えたばかりのテーブルの上に並べ始めた。いつもより少し高めの朝日が差し込む窓、小さな窓から差し込む光がそれを明るく照らし出す。「なに?これ。」彼女は不思議そうにその中の一枚を手に取った。「物件?」小さくつぶやいたその言葉は戸惑いを隠しきれないようだった。「そうだよ。不動産屋の前を通りかかったら置いてあったから持ってきたんだ。」こんなあからさまな嘘に彼女は不思議そうな顔をして「そう。」と一言だけ返事をした。俺はその中の一枚を手にとって買う意欲のある素振りをわざと見せる。「夢だよな。こんなに大きなマイホーム。これだけの広さがあれば何人ぐらい暮らせるかな?最低でも5人はいないと寂しそうかな。ほらこっちはそっちと比べるとかなり狭いよ。それでも駅から近いと値は張るな。」そうしてわざと明るい表情をして見せた。「君はどんな家なら住んでみたいと思う?」俺はころ合いを見計らって彼女に話を振った。彼女が俺のすぐ横にまで来て一緒にその物件を覗き込む。「私はさ、ここを出たら行くあてもないし誰かが来る心配もないから三畳ぐらいの部屋が一つあればいいの。それより大きな家も部屋も必要ないよ。」彼女は突然何かを察したようにそう答えた。俺はなぜかはっとし、そして見る見るうちに全身の力が抜け出たような気がした。そして俺はやっと自分の器の小ささに気がつかされた。彼女の心の傷は俺が思う以上に深く、とても広範囲にわたっている。そして心なしかその声は何かに脅えるように擦れて震えているような気がしていた。俺には彼女に一体何をしてあげることが最善の方法なのか決められずに接している自分を見破られていたことが何よりも心苦しかった。きっと俺は彼女に選択肢をあげたかったのにその方法を間違えてしまったのだと確信したのはそれから結構、日が経ってからのことだった。とある日、俺は新聞を片手にダイニングに向かっていた。そのドアを開けるといつものように彼女がそこにちょこんと座ってテレビを見ていた。「えっ、何?今日は確か有給とって休みのはずじゃなかったの?」彼女は椅子から立ち上がりテーブルに両手をついている。「この家にいるのそんなに居心地がいい?」俺は唐突にそう彼女に言い放った。彼女は戸惑いを隠しきれないという感じで目を泳がせている。「言いたいことは解ってる。でも、もう少しだけ。」彼女はそう俺に言ってまた肩を落として椅子の上に腰を下ろした。俺はわざと聞こえるように長い大きなため息を、全身を使ってして見せた。彼女はぽかんとして目を丸くしている。君は笑わないで最後まで話を聞いてくれるだろうか。「いっそ、結婚でもするか。」唐突に発したその言葉は彼女には届かず宙を舞っている。「じゃあ、私邪魔になっちゃうね。」彼女は突然やり場のない不安を口にする。俺はこの言葉を聞いてそれを確信した。俺は彼女から少し視線をそらしたところに目をやりそっと呟く。「この状況でなぜそういう話になる?俺の一世一代の申込みををさらっと受け流すなよな。」彼女はまたきょとんとして俺をまっすぐに見つめている。俺はまたすぐに言い直す。「祥子さん、俺と結婚していただけませんか?」俺の発した言葉は君にどの程度届いているのだろうか。彼女の顔は見る見るうちにピンク色に染まっていく。翼のない鳥は、すべてを捨てて守りたいと思うもの見つけ地上で生活をすることを決意した。俺たちにとってこんな状況はもうたくさんだった。何の解決策も二人にとってのメリットも何もかもが一からのスタートだった。彼女は緊張の糸が切れたように突然くすくすと笑いだした。温かい空間が部屋中に広がっている。それは今までとはまるで違う空間のような気がする。彼女が突然現実的な問題の話をしだす。「私は嬉しいんだけど、海外に残してきた彼女はどうするつもり?放置とかしたら許さないわよ。」俺にとってその話題は避けては通ることができない。きっとこの話題は泥沼化するだろうと俺は勝手にそう思う。決して簡単なことではない。切り札はやはりこの状況を利用するしか手はないだろうとそんな軽薄なことを頭で模索しながら彼女の顔をじっと見つめる。「何?」彼女はとても不思議そうな目をして俺を見つめ返してくる。俺は彼女の顔の一部に視線を落としながら言う。「いや、別に大したことじゃないんだ。ただ、君には迷惑をかけたくないだけ。それだけのこと。」俺はどこか妙にきちんと整理ができると、根拠のない自信のようなものを持っていた。そして俺はグラスに残った蒸留水を片手でグラスを回しながら不敵な笑みを浮かべていた。俺は自室に戻ると早速ネットを立ち上げエアメールのあれこれを検索していた。俺はその翌々日にはエアメールを送る手配を始めていた。エアメールと言っても中身は当然日本語で、封筒だけ一応綴りを英語で書いて出すことにした。俺はさすがにPCのメールでは無礼にも甚だし過ぎると考えたのだ。きっとここなら国際電話がかかって来る心配も要らない。ならばと、そう思い立ち考え出した策だった。当然俺の名前は書くが住所は書かずに差し出すつもりだ。そうしなければ、俺の提案が何もかも台無しになってしまうと考えたためだ。俺はずる賢い男だと我ながらに思う。その封をしっかりと閉じたことを確認するとその手紙を出しに車に乗っていた。日本に帰国してからはあまり車には乗ってはいなかったが、割と道を覚えているもので裏道をすいすいと通り抜けていくとものの10分で目的地のある場所に到着した。駐車場に車を置き、エアメールを出しに中へと入っていく。中に入ると案内されるままに俺はカウンターの前に来て手続きを始める。俺はその諸手続きを終えると車に乗り込みまっすぐ自宅へと帰宅する。俺は家に帰宅するも、何か胸騒ぎがしていてもたってもいられなくなってしまった。「どうしたの?何か悪いものでも食べた?」彼女が俺の様子を気にして俺の座るソファーの前にしゃがみこんで俺に訪ねてきた。彼女は遠まわしに俺がそわそわしている原因を追究してくる。俺が言葉を発しようとする次の瞬間に彼女は溜息とともに立ち上がった。「じゃあ、私に話せる時が来たらちゃんとその理由聞かせてね。」彼女は無理に俺の不安を聞き出そうとはしない。それは俺がよく知っていることだ。彼女は3回ほど軽く俺の肩をたたくと俺を一人きりにさせてくれた。きっと俺が君ならこうはしないだろう。俺ならきっと相手に話しかけずじっと見守ることしかできないはずだ。そして俺はなかなか気持ちの切り替えができずにいた。それは、もともと眼中になかった相手が次にどう出るのかわからないからだ。俺はその時あの日の彼女の姿が瞼の裏によみがえってきていた。空港の飛行機の窓から見える彼女の表情、所作の一つ一つが俺にははっきりと思い出されてくる。もともとこの縁はなかったものとして考えるには、条件が多すぎて、なかなか頭の中で整理がつかない。整理をしようと思っても余計なものが邪魔をする。あの日の記憶、その表情、その息遣い。それが夢ならばと、何度となく過ぎる俺の身勝手な策略。君の表情が悲しげに見えるのは今も昔も何も変わらない。俺はいったいどこをどう間違えてしまったのだろうか。いや、きっと間違いなんてものは何一つなかったに違いない。




