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音瓶

作者: 朝葉赤飯

 音がある。

周りには常に波があって、沖合に浮かぶブイみたいにゆらゆらと。

矩形波、いい響き。波という言葉を愛している。別に音に結びついているからじゃない。口から発音するその響きが心地いい。


 歪んだ音がある。正面に置かれたスピーカーから放出される音波が、私の部屋に拡散する。音楽は人のセンスに依るところがあるから、それぞれが微妙に違う好みを持つ。

一つの音に定住する人もいれば、私のように好みを求めて練り歩く人もいる。昨日は波打ち際のように静かで、今日は活火山のように激しく。日によって違うけど、それが何に起因するのか説明するのは難しい。気分だってあるだろうし、好きになりやすい音というのはある。センスオブワンダー、私にはわからない。

見えない波で奏でられる音が、私を嬉しくさせる。いい音楽に身を浸からせている間は、本だらけの机さえ知識の山に見える。ポジティブ。その裏に作業、と称されるよくわからないタスクを放り投げているのは、現実逃避と受け取られても仕方ないが。


 テンポが悪い、そう思うのはよくあること。音が詰まっていれば、その息苦しさは誰だってわかる。自由に動けないしがらみの中で、私は一体何を鳴らそうというのか。本棚によりかかったプリントがくたびれて、参考書籍はうつ伏せで寝ている。手のひらはいまどこにあったっけ。自分で巻き込んだ巨大な流れに、飲み込まれている気がする。それはきっと確信で、波なんて生易しいもんじゃないのはよく理解していた。渦潮ぐらいかな、よくわからないけど。実感を伴わない言葉は、重さをなくして上昇するだろう。それでいい。


 歩くときの音、コツコツといい音がする。時々地面に靴を擦りつけて、アスファルトとの摩擦を楽しむ。近くを流れる川のせせらぎは、おかしいことに好みでない。水は好きだ、波も好きだし海も好き。でも川はそうじゃない。理由は水切りに最適な石を見つけるのより、少しだけ簡単だった。中途半端な距離にいる、その音を嫌う理由は。

水道の音は近いもの。生活と手が繋がっていて離れない関係だからだ。波は近くもあり、遠くもある。海は遠いもの。私の住む場所は山を背にした街の端っこで、潮風がどうこうというフレーズとは全く関係がない。いくつか電車を乗り継げば着くだろうけど、そんな場所に近さを覚えるわけもない。じゃあ、川は?


 環境音がいいのかと思えば、そうでもない。極めて人工的な電子音だって悪くない。私が求めて、または嫌う音はどこに基準があるのだろう。

なんとなくだが言語化出来るまでのレベルには、結論は至っているけれど。でも、結論を一言で済ませてもいいのだろうか。そうだなと納得してしまえば、そこで思考は一旦終わりを迎えるのではないのか。

探求するならば、完結はさせない。次があるか見えないものに、そうやすやすと了承の判子を押すべきじゃない。宙ぶらりんにして、やがて飛び立つのかは誰も知らない。



 私の周りには音がある。遠くにも音がある。

どうやら、それで生きているようだ。呼吸は耳で、瞬きは口で。

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― 新着の感想 ―
[一言] 過去作と比較すると、明らかに文体は進歩してるんだな、とわかる一作だと思います。 故に文章点は最高点……と言いたいところですが、小説とはちょっと違う感じなので(別にそれを投稿してはいけないとい…
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