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雨降る天に涙した。  作者: 津森太壱。
【雨降る天に涙した。】
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07 : 充分だなんてもう言えない。





 徐々に頭が理解に追いつき、ギアは青褪める。

 鼻歌でも歌いだしそうなシィゼイユに手を引かれていたが、廊下の真ん中で、その歩みを止めさせた。


「なぜ……なぜ、あんなことを……」

「うん? どうかした?」

「なぜ陛下に、あのようなことを……っ」


 好きでもなんでもないくせに、なにを間違えて、ギアを妻に迎え入れるなどという話を女王陛下にしたのだと、ギアは切羽詰まりながら訴えた。


「わたしは、魔導師で、シゼさまとは、立場が違います。生まれも、なにもかも、違うのに、なぜあのような……っ」


 嬉しいと、素直に思えたらよかった。幸せの中に、浸れたらよかった。


 けれども、ギアにはそれができない。


 ギアは欲していない。

 想うだけで、想えることだけで、充分だ。


「……ギアはわたしが好きだろう」


 ぎくりと、ギアは肩を震わせた。それはシィゼイユに、ギアの心を見せたも同然だ。頬に熱が集中し、顔を上げていられなくなる。


「その気持ちがあればいい。数度しか逢わずにそのまま婚姻なんて、あまりにもばかばかしいしね。そういう話を持ってくる貴族も、どうかと思うし」

「え……?」

「わたしは国政には関わらないと、そう決めている。なのに、そういうのを含ませた縁談を持ち込んでくる世話好きがたくさんいてね。それが最近ではレウィンの村にまでわざわざ足を運んでくれるから、本当に困ったものだよ」


 つまりは、とギアは高速で頭を回転させる。

 シィゼイユは、持ち込まれ続ける見ず知らずの娘との縁談を断るためだけに、自分を少なからず好いているギアに婚姻を持ちかけたということだ。それはシィゼイユが、ギアを好きでもないのに相手に選んだと、真にそういうことである。


「縁談を、断る、ため……だけ?」


 ああやっぱり、そうか。

 シィゼイユは、ギアを好きなわけではない。ギアがシィゼイユを慕っていると、それは都合がいいことだったから、ギアを妻にと選んだ、それだけのことだ。


「そ……です、か」


 少しでも期待した自分がばかだった。

 いや、期待なんて、するほうがおかしかった。

 それなのにギアは、シィゼイユが自分を好いてくれているかもしれないと、そう期待してしまった。

 ギアは、期待してしまっていたのだ。

 この想いに、シィゼイユが、応えてくれたのだと。

 一度も想いを伝えていないのに、なんて自分勝手な解釈をしたのだろう。あまつさえ、想っていられたらそれでいいと思っていたくせに、充分だと思っていたくせに、こうして真実を知ったとたんに悲しみが込み上げてくるなんて、なんて勝手なことだろう。


 はは、と空笑いが出た。


 わたしはばかだ。

 想われている、なんて、思ってしまった。少しでも、そう期待してしまった。


 なんて、愚かだろう。

 そんなこと、あり得ないのに。


「……、ギア?」

「すみません、少し、頭を整理したいので」


 シィゼイユに引かれていた手を振り解くと、ギアは踵を返した。


「ギアっ?」


 突然のことにシィゼイユは驚いてギアを呼んだが、ギアは振り返ることなく廊下を走った。

 自分の勘違いに恥ずかしくて、けれども現実には悲しくて、頭がもうぐちゃぐちゃだった。


 闇雲に走って、その視界が涙で滲んでくると、泣いている自分がばかみたいで笑えてくる。


「あり、えない…っ…そんなの、わかってたくせに」


 この恋は実らない。

 この想いは満たされない。

 それを覚悟していたくせに、現実にそれを目の当たりにすると、こんなにも空しくて悲しい。

 わたしは本当に、シィゼイユが好きだ。

 想うだけで、想えるだけで、充分だなんてもう言えない。


 応えて欲しい、受け入れて欲しい。

 好きだと、愛していると、言われたい。

 優しく温かい腕に、抱きしめられたい。


 貪欲にも、それを求めてしまう自分が確かにいた。


「わかってた…っ…わかってたのに」


 夢を見てしまった。シィゼイユに、見惚れるほど美しい笑みで「奥さん」などと呼ばれてしまったから、一瞬でもギアは夢を見た。その将来を、想像してしまった。

 シィゼイユに愛される自分。

 求めに、応えてくれるシィゼイユ。

 求められて、応える自分。

 さまざまな夢を、一瞬で見てしまった。

 だからもう、溢れた想いを留めておくことなど、できやしない。溢れた想いは、溢れ続ける。次から次へと、ギアを襲う。

 止められない。

 捨てられない。

 忘れられない。

 現実を目の当たりにした今でさえ、想いを消すことができない。


 こんな想いが自分に潜んでいたなんで驚きだ。

 こんな激情を、ギアも、持っていたらしい。


「ギアさま!」


 そんな、泣きながら走っていたギアを、腕を掴んで止めた者がいた。


 ハッとして振り返ると、どこかで見たような顔の文官が、軽く息を切らせながらギアの腕を掴んでいる。


「アノイさま、捕まえましたよ!」


 その文官は、ギアを捕まえるとすぐ、後方を振り返って小さな影を呼ぶ。随分と後ろのほうから、アノイが走ってきていた。いや、走るというより、急いではいるが歩いていた。


「すみません、ギアさま。アノイさまは走られると転ばれるので、僭越ながらわたしが走り、お呼び止めした次第にございます」


 文官が、息を整えながら状況を教えてくれる。


「……あなたは」

「申し遅れました、わたしはレムニスと申します。この場では、アノイの夫、と認識していただけますでしょうか」


 文官は、アノイの夫たる宰相補佐、レムニスだった。


「風詠! 足、速い……っ」

「……楽土」

「レム、離すな。わたしは、もう、走れない。疲れた」


 アノイの声が漸くギアに届いた頃、ギアは自分がどれだけ走っていたのかを知った。


「ギアさまっ?」

「風詠!」


 呼吸困難に陥り、疲弊に気づいた身体を、ギアは手放した。







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