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雨降る天に涙した。  作者: 津森太壱。
【雨降る天に涙した。】
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02 : おもいで。2





 天候の差が激しく、自然災害の多いユシュベル王国で、魔導師はそれらから国を護るべく存在している。

 ギア・チェリングは、そのユシュベル王国で、風詠(ふうえい)の魔導師と渾名される魔導師である。


「あ、風詠!」


 一週間も降り続いた雨が止んだその日の明け方、休めと言われても眠れずにいたギアは、名を呼ばれて腰かけていた廊下の椅子から立ち上がった。


 昨夜、王都近くの街道の土砂崩れから街を護るべくして派遣されたギアだったが、ひとりでは手に負えない状況になり、雷雲の魔導師ロザヴィンを応援に寄越されていた。しかし、ふと集中力を切らせてしまったギアは、最後まで任務をまっとうすることができなかった。最後まで残ったのは、ロザヴィンである。


「雷雲が戻った! 広間だ!」

「雷雲が……」


 ギアは疲れた身体を無視して、ロザヴィンが戻ったという場所へ走った。

 ひどい雨が続いていたので、呼応する災害を想定して、魔導師団棟の広間には師団長を始めとした王城内の長たちが詰めている。そこへ飛びこむのは、ふだんであればやらないことだが、事態が事態なだけにギアには余裕がなく、気づけば扉を叩くようにして開けていた。


「雷雲……」


 帰ってきたばかりの様子のロザヴィンは、ずぶ濡れなうえに泥まみれだった。師団長への報告は済ませたようで、ギアが入室すると振り向き、不機嫌そうな顔をする。その顔には血が滲んでいた。


「怪我……した、のか」

「ほっとけ」

「手当てを」

「要らねえ」

「だが……っ」

「怪我はおれの失態だ。あんたは関係ねえ」


 昨夜ギアを怒鳴ったときのように、ロザヴィンはギアが伸ばした手を弾く。横を通り過ぎていくロザヴィンを、呼び止めることはできなかった。


「ああ、けど……」


 去り際に、ロザヴィンが立ち止まってギアを振り向く。


「怒鳴って悪かったな。おれ口悪ぃから」


 不機嫌そうにしていても、怒っているわけではないようで、昨夜のことをギアに謝ってから広間を出て行った。

 なんて奴だ、と思った。

 これでは、昨夜の失態を謝れない。悪いのはギアで、責任もギアにあるというのに。


「風詠」


 泣きそうな思いを我慢していると、ふと背後から呼ばれた。


「……楽土(らくど)


 振り向いたそこには、楽土の魔導師と渾名されるアノイが、心配げな顔をしていた。


「ちゃんと休んだのか」

「あ……いや、眠れなくて」

「休め。雷雲が頑張った意味がなくなる」

「わかっている……けど」

「雷雲は口が悪い。わかっているだろう。あれは、おまえの限界がわかって、帰らせたんだ」


 ロザヴィンの気遣いを無駄にするなと、アノイに叱られる。


「わたしのほうが歳上なのに……」

「それを言うなら、おまえたちみんな、わたしにとっては歳下だ」

「あなたは長命だから……」

「長く生きていても、わたしは、おまえたちの助けが必要だ」


 命の狂った魔導師、とも呼ばれる彼女は、苦笑した。

 年齢を気にしていたら、魔導師など勤まらない。魔導師に年齢は関係ない。力の差異も関係ない。魔導師は、魔導師として目覚めたときから、そうして生きていくしか道がない。魔導師とは、常に緑に囚われる存在だ。


「なにを考えていた?」

「え?」

「万緑の意志に逆らってまで、なにを考えていた?」

「……なに、って」


 そんなの、と口ごもったら、アノイが小さく笑った。


「わたしは、レムのことを考えていると、手許が疎かになる。雷雲は、エリクのことを考えていると、不機嫌になる。堅氷は、陛下のことを考えていると、とたんに饒舌になる」

「……それは」

「魔導師には一つだけ、与えられる自由がある」

「自由?」

「家族を愛する自由」


 愛するものを得る自由。

 それが、魔導師に与えられた一つの自由。


 ギアはハッとした。


「わ、わたしはべつに……っ」

「そう照れるな」


 恥ずかしいことではないのだ、とアノイは笑う。


「それが、わたしたち魔導師に与えられた、唯一の自由だ」

「で、でも、任務遂行中に……そんな」


 なにを考えていたかなんて、アノイには筒抜けなのだろう。

 確かに、その通りだ。

 ギアは、思い出の人のことを、ふと思い出してしまっていた。なぜあのとき思い出してしまったのかは、わからない。たぶん激しく降っていた雨が、それを思い出させた。


「想いを止めることはできない。そんな無駄なことはやめてしまえ。得た自由を、粗末にするものではない」

「任務遂行中に考えることじゃないっ」

「仕方ないだろう。魔導師とは、そういう生きものだ」

「そんな簡単に……っ」

「なら、想いを消すことができるのか?」


 う、とギアは言葉に詰まる。

 思い出の人のことを、忘れることができるのかと、そう問われているのと同義だ。


「無駄なことはやめてしまえ、風詠」


 思い出さない日などない。

 それなら、アノイが言うように、考えることをやめようとするなんてことは、やめてしまったほうがいい。


「いいの……だろうか」

「できないことをやろうとする、その努力は認めよう。魔導師として」


 魔導師は、できないことをやろうとはしない。それは自分の限界を知り、力の上限がわかっているからだ。ただ、その努力はする。

 アノイはギアのその努力を、認めると言う。


「だが、できないものは、できないだろう?」


 忘れようとしたことは一度もない。だから忘れたこともない。思い出の人を、ギアは今も、毎日のように思い出す。


「そう、だね」


 考えていてもいい。

 想っていてもいいのだ。

 そう誰かに言われたことがなかったから、アノイのその言葉には、心からほっとする。


「ところで」

「はい」

「誰だ?」

「はい?」

「風詠の、想う人は」


 わたしの知っている人か、と遠慮なく問うてくるアノイに、ギアは真っ赤になる。


「いや、あの……っ」

「風詠はほとんど外に出ているが、生まれは王都だったな? 王城勤めの父君に、よくついてきていた」

「憶えているのかっ」

「わたしは年寄りだが、記憶力は残っている。風詠の小さい頃も憶えているが……そうだな、そういえば小さい頃の風詠は……」


 長命で、ギアよりも数倍長く生きているアノイに、隠そうというほうが無理なことだった。


「シィゼイユと、よく遊んでいたな」


 見かけていたのだろう。それを、忘れてくれてもいいのに、アノイは憶えていたのだろう。

 ギアは真っ赤な顔を、俯いて隠した。


「ん? ああ……シィゼイユなのか」

「どうして、憶えているんだ……っ」

「わたしにとって、おまえたちは自分の子どもみたいなものだからな」


 それぞれの幼い頃を憶えている、とアノイは笑った。


「そうか、シィゼイユか……確かレウィンの村にいると思ったが」

「う……そう、らしい」

「ん? 知らなかったのか?」

「留学すると、聞いて、そのときは知っていたが、帰ってきてからあとのことは……」


 思い出の人は、隣国へ留学したあと、一年ほどしてから姿を消した。それから実に五年もの間なんの音沙汰もなく、そしてあるとき突然帰ってきた。


「なら、ちび王子が力を暴走させたときか?」

「うん……そのときまで、どこにいるかも、知らなかった」

「音沙汰もないとは思っていたが、本当に誰にも連絡してなかったのか、シィゼイユは」

「いや、雷雲と師団長には、連絡していたみたいで……」

「ああ、あの辺りは……雷雲は幼馴染で、師団長とは仲がいいからな」


 ギアだけ、知らなかった。いや、ギアの想いは一方的なものであるし、想いを口にしたこともないので、思い出の人がギアのことを忘れていてもおかしくはない。そもそも、ギアが想いを寄せるようになったのは、たまたま遊んでもらえる機会が続き、見かけることもたびたびあって、顔を合わせれば挨拶をするという関係があったからだ。特別に親しかったわけではない。


 だからギアは。


 思い出の人が、あの激しい雨の夜、忽然と姿を消した理由を知らない。あの日、本当に泣いていたのかも、定かではない。幼馴染であるロザヴィンにそれとなく訊いたことはあったが、なにかを察したロザヴィンには適当にはぐらかされた。

 あの日、思い出の人は、誰にも理由を告げることなく姿を消した。

 そして帰ってきた彼は、あの頃と、なにも変わっていなかった。ふとした瞬間に見せる横顔は、なに一つ、変わっていなかった。


「逢いに行ったらどうだ?」

「えっ?」

「今はレウィンの村にいるんだ。逢えない場所ではない」


 それは考えなかったわけではない。彼が帰ってきたとき、それは国を揺るがすかというほどの問題が起きたときで、そのときは余裕もなかったが、落ち着き始めると逢いたいと思う気持ちが膨れ上がった。けれども同時に、逢いに行くことが躊躇われた。

 それは中至の祭りのとき。

 五年ぶりに式典へ出席した彼は、晩餐の場に、ギアの知らない女性を同伴していた。あとから聞いた話では、その彼女は瞬花の魔導師イチカの恋人で、イチカを驚かせるための演出だったらしい。だが、だとしても、ギアにとって衝撃的なことであったことに変わりはない。彼の笑顔は本物だったのだ。


「わたしが、逢える人では、ないから……」

「想っているだけで充分だと?」

「そもそも身分が違う。あの人は王族で、王弟殿下で、公爵で……わたしはかろうじて子爵家の生まれだけど、翼がない」

「気にすることか? わたしも、わたしは公爵家の生まれで、レムは子爵家、レムには翼がない」

「わたしは魔導師だ」

「だから?」

「魔導師は……」

「堅氷も、奴は平民の生まれだが、陛下の寵愛を一身に受けている魔導師だ」


 気にするところなど、なに一つない。アノイはそう言う。


 けれども、とギアは拳を握る。


 確かに、身分など気にしていたら、それは魔導師ではない。魔導師とは、緑の法則に従い、緑に囚われる存在だ。身分など魔導師には必要ない。


 だから思うのだ。


「あの人には、想う人が……いるから」


 彼には想い人がいる。中至の祭りのとき、それを痛感した。この恋は叶わないのだと、自身が恋していたことに驚き、そして同時に失恋したのだ。


「だから想っているだけで、いいと?」

「わたしはもう、あの人以外、誰かを想うことができないと思う。魔導師が得た唯一の自由なら、なおさら」


 失恋しても、想い続けることは、それは自由の一つだ。ギアは今までがそうであったように、静かに、彼を想い続ける。


「……苦しい選択をするな、風詠」

「苦しくなんかない。わたしは、あの人を……シゼさまを想うだけで、幸せだ」


 彼が、たった一度だけこぼした弱音を、知っている。いつも微笑んでいる彼は、きっと、あれきり弱音をこぼしていないだろう。

 だからいいのだと、ギアは微笑んだ。


「わたしはいやだ」


 アノイはそう、否定したけれども。


「わたしはレムが欲しいと思った。レムがなにを考えていても、関係ない。レムはわたしのレムだ」

「あなたとわたしは違う」

「……風詠の選択は、苦しくて寂しいから、いやだ」


 幸せになって欲しい。そう言うアノイに、ギアは「ありがとう」と微笑んだ。







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