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雨降る天に涙した。  作者: 津森太壱。
【雨降る地に風は詠う。】
15/18

14 : 嫌われるだけのことはした。2

*シィゼイユ視点です。





 せっかくだから、と久しぶりにユゥリアと長話をした。ふたりきりでそんな姉弟の会話をしたのは、留学すると決めたとき以来だ。部屋を辞するときには、もう二度とこんな機会はないのかもしれないと、ありもしないことを惜しまれるくらいだった。もともと姉弟仲は昔から羨ましがられるほどよかったのが、留学を期に疎遠になってしまったことから、ありもしないことを思ってしまったのかもしれない。


「……シゼ」

「はい?」

「わたくしのところには、逢いにくるのよ」


 最後にそう言われてから、シィゼイユは部屋を出た。すでに人工的な明かりが灯される時間になっていた。


「シゼさま」


 レムニスに見送られて廊下へ出て、少し歩いたところで、前方から声をかけられた。薄暗い廊下に目が慣れずにいたのだが、声ですぐにわかる。


「送ろうか? あんた、見えてねぇでしょ」


 口の悪いロザヴィンだ。


「これくらいの明かりがあれば見えるよ。ロザこそ、いつまで隠しているつもり?」

「べつに隠しちゃいませんよ。おれの場合は視界がぼやけてるだけで、堅氷ほど見えてねぇわけでも、あんたほど見えてねぇわけでも、どっちでもねぇし。むしろ夜のほうが見え易い」

「……けっきょくわたしは、きみのそれを治してやれないね」

「は? ああ、この体質か……べつに、面倒ではあるけど、困っちゃいねぇし、あんたがくれた外套があるから、今はなんともないですよ」


 陽光に含まれる害に肌が焼けてしまうロザヴィンは、いつでも外套を羽織っている。専用の結界によって王城内なら外套がなくても平気なのだが、癖なのか脱がずにいることが多い。その外套は、昔シィゼイユが贈った特殊繊維で加工されたものだ。


「で、レウィンの村に帰るんでしょ? 送りますよ」

「いや、用事ができてね。あと一日はここにいるよ。そうだね……今はギアのところまで送ってくれるかな」

「風詠のところまではべつにいいですけど……用事?」

「先代ホーン公爵夫人に呼ばれている」

「は……先代?」


 ロザヴィンは知らないだろう。いや、ロザヴィンだけでなく、ギアもきっと知らない。

 先代のホーン公爵、それはシィゼイユやユゥリアの祖父のことで、夫人は祖母のことである。シィゼイユが襲爵したのは先代公爵が亡くなったとき、成人するときであったので、その頃から表舞台を去った夫人のことは、知らない者のほうが多いのだ。

 とはいえ、シィゼイユはホーン公爵ではあるものの、実質的な権力はない。まさに名ばかりの公爵だ。実権を握り、所領を統治しているのは、健在である先代公爵夫人、つまり祖母だった。


「生きてんですか」

「生きているよ。だからホーン公爵領が未だに機能してるんでしょうが」

「え、あそこって陛下の……国領なんじゃ?」

「違うよ」

「なんであんたが統治してないんですか」


 誰しも思うことだろう。ホーン公爵はシィゼイユであるのに、なぜ当人が公爵領を統治せず先代公爵夫人が統治しているのか。ロザヴィンのように、国領になっている、と思っている者には、きっと理解できない。そもそも、シィゼイユが本当に公爵なのか、と疑念を持つことだろう。


「え? ちょっと待ってください。あんた、公爵だよな?」

「一応ね」

「公爵領は、あんたが統治するもんだよな?」

「本来は、そうだね」

「……。本来は?」

「わたしが襲名したのは、ホーンという公爵の家名だからね」

「……意味わかんねぇんだけど?」


 まったくわからない、とロザヴィンが変な顔をする。特に難しい話しをしているわけではないのだが、なにも事情を知らない者からしたら、確かに意味不明な説明かもしれない。


「簡単な話だよ、ロザ。わたしはホーンという家名を受け継ぎ、公爵と呼ばれる立場にはなったけれど、その実権は先代公爵夫人が握っている」

「……なんで? 公爵はあんたじゃないですか」

「わたしは嫌われているんだよ」

「嫌われてる?」

「いや、あの人は嫌いなものが多いな。姉上も半ば嫌われているし、ユゥレンも好かれてはいないかな。あの人にとってのすべては、公爵という地位にのみある」


 今まで一度も、先代公爵夫人を「おばあさま」と呼んだことはない。呼ぶことを許されなかった。そのせいか、呼ぼうと思ったこともない。いつでも、公爵夫人だった。


「ユンさまもって……よっぽどじゃねぇか。知らねぇぞ、そんな人のことなんか」

「まあロザは知らないだろうね。といっても、このことを知っているのは当人のわたしや姉上、先王夫妻くらいだから、当然かな」

「風詠は?」

「話してないからね」

「なんで今おれに話したんですか」

「え、訊かれたから?」

「それだけっ?」


 鋭く突っ込むロザヴィンに、シィゼイユは「ははは」と声を出して笑い、廊下を進んだ。


「ちょ、待てよ、シゼさま。その話、風詠にもすんでしょうね?」

「訊かれたらね」

「あいつの心情も汲んでやれよ……ひとりでまたぐるぐる悩みますよ?」

「ギアは面白いよね。訊きたいなら訊けばいいのに、なにに怯えているのか」

「それはあんたが勝手に消えたからでしょうが」


 歩き始めたばかりの足が、ふと止まる。


「わたしが勝手に消えたから?」


 振り向いて問うと、ロザヴィンは漸く外套の頭巾を脱ぎ、怪訝そうな顔をした。


「あんた、留学するとき、風詠になにも言わなかったんだろ?」

「ああ、そうだね」

「風詠はずっとそれを気にしてる」

「……ああ、もしかしてわたしが後遺症を作ってしまったと?」

「そういうことです」


 ふむ、とシィゼイユは唸り、腕を組む。


「情けない話だから言わなかっただけだと、伝えたはずなんだけどね」

「それは最近のことでしょ」

「まあそうだけど」

「あんたは一度、風詠を傷つけました。その傷が、簡単に癒えるとでも思ってんですか」

「……傷?」

「風詠はずっとあんたが好きだったんですよ」


 ロザヴィンらしくない真っ直ぐな言葉に目が丸くなったが、それ以上に、ギアが抱えたという「傷」に気が取られた。


「今おれに話したこと、風詠にも説明してくださいよ」

「……ロザ」

「なんですか」


 組んでいた腕を解くと、シィゼイユは怪訝そうな顔をしているロザヴィンを正面から捉える。


「わたしは、そんなにギアを、傷つけたかい?」


 そのとき自分がどんな顔をしていたかなどシィゼイユにはわからなかったが、ロザヴィンが驚くくらいには、笑みがぱたりと消えていたようだ。


「答えておくれでないか、ロザ」

「……真面目に言ってます? あ、いや、真面目だよな……笑ってねぇシゼさまなんて滅多に見ねぇし」

「ロザ?」


 答えを急くと、ロザヴィンは深々とため息をついた。


「おれが、言えた義理はねぇですけど……あんたのせいで風詠が臆病になったのは、確かですよ。おれはときどきあんたに風詠の様子教えましたけどね、教えたときにも言ったように、風詠は自分を隠すのが上手いんです。おれがあんたに教えたこと、ぜんぶが本当のことだと、思わねぇほうがいいですよ」


 ロザヴィンの、これは素直な忠告というか注意に、シィゼイユは小さく息を吐き出す。


 そうか、と頷くと、歩みを再開させた。


「シゼさま?」

「ねぇロザ」

「はい」

「想像してごらん」

「はい?」

「相見えたその瞬間に、おまえは誰の子だ、と問われることの意味を」


 ハッと息を呑む気配が、後ろからする。

 シィゼイユは、流すようにロザヴィンに視線を向けた。


「それが、わたしが消えた本当の理由だよ」







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