12 : やさしいひとたち。
*ギア視点で前話から続きますが、閑話っぽいです。
もしくは嵐の前の静けさ(っぽい話)です。
聞いたか、とロザヴィンに問われて、ギアは首を傾げた。
「なにを?」
「いなくなった理由」
それが今のことではなく、昔のことを言っているのだというのは、すぐにわかった。
ギアは力なく首を左右に振る。
「いつか、わかるときが来ると……そう言われた」
「ふぅん……出し惜しみか」
「雷雲は知っているのか?」
「おれ? おれが知るわけねぇだろ。あのな、あんたがなに勘違いしてっか知んねぇけど、おれはあの人に弟みたく可愛がられちゃいるが、あんたが思ってるほど親しくはねぇんだよ」
「え……そうなのか?」
そうだよ、と言いながら、ロザヴィンは窓辺近くの椅子に腰かけ、ギアに断りもなく窓を開けると、懐から紙煙草を取り出して火を点けた。暇なのかそうでないのか、とにかく休養中であるギアの話し相手をするつもりらしい。
「……雷雲」
「あ?」
「仕事はいいのか?」
「片してきた」
「……そうか。帰ったほうがよくないか?」
「家に親父が来てる。から、帰りたくねえ」
仕事を終えても帰りたくない事情があるらしい。
「もう少ししたら楽土が来るんだが……」
「ばーちゃんは暇してんもんなぁ」
「雷雲……それは楽土に失礼な発言だ」
「ばばぁだろ、楽土は」
アノイが来ると言っても、ロザヴィンは動かない。家に帰りたくはないが、かといってひとりになりたいわけでもないのだろう。むしろ今は同じ魔導師と一緒にいたいのかもしれない。
なにかあったのだろうか、と心配したところで、部屋の扉が軽く叩かれる。返事をすると、アノイが顔を見せた。
「おや、雷雲……なんだ、揃うな」
「揃う?」
「堅氷を連れてきた」
アノイは、女王ユゥリアの夫でもある最強の魔導師、カヤを伴っていた。こちらもなにか事情を抱えているようで、常に無表情ではあるが、一段と表情がない。
「……いったいどうした」
一つの部屋に四人もの魔導師が揃うのは、珍しい。なにごとだと驚くのも無理はないだろう。
「シィゼイユと婚姻を結んだと、聞いた」
お茶でも用意しようかとギアが席を立つと、無表情のカヤがそう口を開いた。
「だいじょうぶなのか?」
それはなんの心配だと、ギアは苦笑する。
「堅氷は無闇に優しいな」
「違う。いやなだけだ」
「陛下の弟君だから?」
「おれたちはふつうには生きられない。それが、いやなだけだ」
カヤが言うこともわからなくはない。魔導師は、万緑に囚われて生きる者だ。
「魔導師を辞めたくなるだろう」
「辞められないと、わかっている」
「その官服を脱ぐことはできる」
「……堅氷。これが、わたしたち魔導師だよ」
魔導師の官服を着ていようが着ていまいが、ギアは魔導師だ。魔導師であることを辞めることはできない。その力に目覚めてしまっている限り、力は使われ続ける。国が魔導師の立場を確立してくれているおかげで、魔導師は人間の生活を忘れずに生きていられる。
ギアは、魔導師である自分を否定しようとは、思わない。なんて厄介な生きものだ、と思うことはあるけれども。
「その台詞、わたしも聞いた」
「楽土?」
くすくすと笑ったアノイが、近くの椅子に腰かけて、意味ありげな視線をカヤに投げた。
「わたしも、レムに出逢って、堅氷に言われた。その官服を脱ぐことはできる、と」
「おれは言われたことねぇな」
「雷雲は縛られているものがわたしたちとは違う」
「まぁな。ま、言われても、おれもあんたらと同じ答えだ」
魔導師である自分を否定しようと思わないのは、ギアだけではない。アノイも、ロザヴィンも、言った当人であるカヤも本当のところは、魔導師だということを否定しない。自らが、厄介で面倒な生きものであることを、理解している。
魔導師は皆、そうやって、葛藤しながら生きているのだ。
ギアは肩を竦めて笑う。
「ラハルのお茶しかないが、それでいいか?」
「あ、おれ珈琲。挽いた豆は持ってきた」
「楽土と堅氷は?」
皆の答えに納得がいかないのか、それでも場を立ち去る気はない様子でカヤはため息をつき、「珈琲」と簡素に答えるとロザヴィンのいるほうへと足を進め、紙煙草をもらう。
「わたしはラハルのお茶がいい。手伝おう」
「ありがとう、楽土。雷雲、珈琲の淹れ方は?」
任せる、と言うロザヴィンから挽いた珈琲豆の小袋を受け取り、アノイに手伝ってもらいながら人数分の飲みものを用意する。茶器から湯気が立ち上ると、思い出したようにカヤが指を鳴らし、卓に茶菓子まで並んだ。
「用意がいいな」
とアノイが言うと、紫煙を燻らせながら「押しつけられた」とカヤは無愛想に答える。
「それ、陛下があんたとお茶したくて用意したんじゃねぇの?」
「風詠に。話をしに行くと言ったら、押しつけられた」
「ん? それってつまり……あんたがふらっといなくなったりしねぇように、風詠に監視しろってことか」
え、と目を丸くしたら、その通りだったのか、カヤは不機嫌そうにそっぽを向いた。
「もう行くつもりだったのか、堅氷」
カヤには放浪癖がある。しょっちゅう行方不明になっては、なにかの拍子にひょっこりと帰ってきたり、息子たる王子アリヤに見つけられて帰ってきたり、昔からそれを繰り返していた。
「まだ、行かない。イチカが戻ってこないからな」
「ああそういえば、瞬花に逢った。奥さんと幸せそうにしていたが……戻ってくるとは、瞬花は王都に?」
「あれはアリヤの侍従だ」
「……引き離すのか」
魔導師を伴侶と引き離すなど、と顔をしかめながら淹れた珈琲を差し出すと、カヤは受け取りながら「仕方ないだろう」とため息をつく。
「あれは、アリヤの力の、器でもある」
「そのことだけどよ、堅氷。アリヤ殿下の魔導師の力、あんたほどじゃねぇよな?」
なにに疑問を抱いたのか、ギアから珈琲を受け取ったロザヴィンが、怪訝そうな顔をする。
「それがどうした?」
「器が必要だってんなら、あんたも必要になんじゃねぇの?」
「おれは要らない」
「じゃ、なんで殿下だけよ?」
「ユゥリアとの子だから」
「陛下との子だから? なんだよ、それ」
意味がわからない、と肩を竦めたロザヴィンのそれには、ギアも頷く。アノイもそれは疑問に思っていたようで、「この際だからはっきりさせろ」と言った。
「わたしも聞きたいな……瞬花の眼が渦を巻いたような模様になっているのは、堅氷の呪いだと聞いた。アリヤ殿下の力を、瞬花に移すためのものだと。確かにアリヤ殿下の力は強いが、堅氷ほどではないだろう?」
「はっきりとしたことは、言えない。ただ、ユゥリアが王族で、おれが魔導師だから、アリヤはそうなった」
「そうなった、とは?」
「力に耐性がない」
「耐性?」
「負荷を、往なせない」
魔導師の力は、万緑の力を借りることのできるものだ。それは万緑を強制的に操るということではなく、語りかけて理解を求めるということである。本来なら自然であるものをねじ巻けることも、語りかけることで理解してもらうのだ。だがそこには、当然だが歪みが出る。本来そうではないものを望んだものに変えるわけだから、その歪みは大きい。魔導師が力を遣うことで発生する歪み、それが負荷だ。負荷は、呪具を遣うことで回避したり、詠唱や錬成陣を遣うことで負担を減らしたりする。ギアが詠唱して風を操るのも、負荷が詠唱によって軽減、或いは回避されるからだ。
カヤの息子アリヤは、その負荷を自らの力で回避することができない、ということらしい。それなら負荷がかからないよう、力をどこかに封印してしまったほうが、身のためになる。
なるほど、とギアは頷きながら椅子に腰かけた。
「呪具では間に合わないのか」
「受け入れられるほどの呪具は、おれでも作れない」
「雷雲は? 雷雲以上に呪具創作に長けた魔導師はいないだろう」
ロザヴィンが創り出す呪具はすべて一級品だが、当人は「遊びみたいなおれの趣味で無理だって」と、己れを過小評価して取り合わない。
「試しに作ってみたら?」
「どれだけ時間かかると思ってんだ」
「……どれくらいかかる?」
「まず死ぬ」
生きている間には無理、ということらしい。つまり、それくらい難しいことでもあるわけだ。
「いろいろと……大変だな、堅氷」
言葉も尽きてそれくらいしか言えなかったが、カヤは気にした様子もなく軽く肩を竦めただけだった。
「堅氷だけじゃねぇだろ。あんただって、これからいろいろ大変だろうが」
と、ロザヴィンに言われた。
「わたし、が?」
「あのシゼさまの、嫁になったんだぞ」
「あ……まあ、それは」
「幸せぶち壊すようで悪ぃけど、あのひと、けっこういろんなもん抱えてっから、面倒くせぇと思うぞ」
それはわかっていることだ、とギアは苦笑する。ただ幸せに浸る、なんてことが、できるとは初めから思っていない。
「奇跡だと……わかっている」
「そういうことじゃねぇんだけど……まあ、ただ暢気に笑っていられねえって、わかってんならそれでいい」
心配してくれているらしい。もしかしたら、だからロザヴィンもカヤも、アノイも、今こうしてギアのそばに集まったのかもしれない。
優しい人たちだ。
「心配してくれて、ありがとう」
「べつに。魔導師ってのは、そういう生きもんだ」
魔導師は、魔導師にしか、理解できないものを抱えている。だからこそ、同胞を思う気持ちは強く、幸せになってもらいたいと願う。ギアが願うように、願われながら、同胞を想う。
「風詠」
「ん?」
「もう、苦しくないか?」
アノイからの問いに、ギアは微笑んだ。
「うん」




