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雨降る天に涙した。  作者: 津森太壱。
【雨降る天に涙した。】
11/18

10 : この世界が見えるだろうか。

*シィゼイユ視点です。

 前半は過去、後半は現在『09:雨降る天に涙した。』の後日談になっています。






 小さいものが、目の前をころころと転がっていく。自分もまだ小さいほうではあるが、目の前の小さいものより確実に五つは歳上だ。


『……なにをしているの、ギア』

『あ、シゼさま』

『? 草まみれだよ?』

『うん。土がやわらかくて、おちつかないんだって』

『落ち着かない? 誰が?』

『草花が』


 ころころと、小さいものはまた転がる。自分が草まみれになっても、泥だらけになっても、かまうことはない。きっと母親に怒られるだろうに、それでも小さいものは転がり続ける。


『シィゼイユ殿下、いかがなされました』

『ああ、カザリア。いや、あれだよ』

『はい? ああ、ギアが転がっていますね』

『いったいなんの儀式?』

『遊んでいるだけだと思いますよ』


 カザリア・チェリングは、小さいもの、ギアという少女の父親だ。娘が不思議なことをしているのに、彼の目には「遊んでいる」ようにしか見えないらしい。寛容な心も広過ぎると少し問題になるのではなかろうか。


『うーん……それにしても意味深な言葉』

『意味深? ギアがなにか言いましたか?』

『土が柔らかくて落ち着かないそうだよ。草花がね』

『……ああ、そういうことですか』


 カザリアはなにか思い当たったらしい。


『なに?』

『魔導師の力があるからですよ』

『……、魔導師?』

『ええ』

『ギアが?』

『はい』

『うそでしょ』

『嘘は嫌いです』

『……落ち着いているね?』

『わたしにはどうでもいいことですからね』


 ふつうに吃驚したのだが、カザリアの様子は変わらない。本気で「どうでもいい」ことらしい。


『……ギアに魔導師の力があるなら、師を見つけないと』

『誰がいいですかね?』

『誰にギアがそうだと教えられたの?』

『陛下です』

『あー……ロルガルーンに紹介してもらうといい』

『わかりました』


 相談しておきながらあっさりとしたものだ。


『……カザリア』

『はい』

『一緒にはいられなくなるよ』

『そうですね』

『いいの? ギアは……まだ五歳だ』

『嫁さんにもうひとり産んでもらいますよ』

『それはギアにひどくないかな』

『そうですかね』

『……きみの愛情はよくわからない』

『よく言われます』


 感情をどこかに置き忘れたような顔をして、カザリアは暢気にも娘の将来を野放しにする。顔が似ていなければ、カザリアとギアが一緒に歩いていても、きっと親子には見えない。


『さて……殿下、わたしはこれで失礼させていただきます』

『ああうん、それはかまわないけれど……ギアはどうするの?』

『殿下にお任せいたします』

『え』

『では』


 カザリアは、よくて放任主義、悪くて無関心、といった態度の父親だ。けして鏡にしてはならない。あんな父親はいやだなぁと、常々思う。


『お任せって……え? どうすればいいの? 通りかかっただけなんだけど』


 たまたま通りかかったところで、小さいものが転がっていた。それがギアという、見知った少女であったから声をかけただけだったのだが、そこをまた通りかかったカザリアに任されてしまった。どうしろというのだろう。


『ギア』

『はーい』

『いつまでそれやるつもり?』

『もうすこしー』

『……そう』


 自身が満足するまでなのか、それとも「落ち着かない」という草花が満足するまでなのか、ギアはあっちへ行ったりこっちへ来たり、繰り返し転がる。ただ見ているだけでも不思議な行動だが、魔導師の力があるというならわからなくもない行動だ。


『ギアは、緑の声が聞こえるんだね』

『きこえるー』

『どんな感じ?』

『おちつかないって、いってるー』

『……五歳児に説明は無理か』

『シゼさまもいっしょにやるー?』

『やめておく。母上に殴られたくないからね』


 任せられてもただいることしかできないが、まあ暇だからいいか、と近くの石椅子に腰かけ、ギアの行動をしばらく眺めることにする。

 昨晩まで雨が降っていたせいか、今日の空気はとても澄んでいて、世界が洗われたように感じる。ギアが転がっている場所も、ギアが転がることで潰れるどころか、生き生きと背伸びしている。被害のない雨というのは珍しい。まさに恵みの雨というやつだ。


『シゼさま、おべんきょうは?』


 満足したらしいギアが、転がるのをやめてそばに寄ってきた。


『終わったよ。もういいの?』

『くすぐったいの、よくなったって』

『そう。じゃあ……その恰好、どうにかしようか』

『かっこう?』

『草まみれ泥まみれ。お母上に怒られるよ?』


 ギアは女の子だ。せっかくの衣装が草まみれの泥だらけでは、娘を想って着せた母親が可哀想だ。


『このままでいいよ。よごしたの、わたしだもん』

『なら、せめて手と顔を洗おうか。あと、髪も結い直したほうがいいね』

『いい。このままかえるから』


 放任主義な父親にくっついて来るくらいなので、ギアはしっかり者だ。帰る、とひとりで歩き出してしまう。


『待ちなって、ギア。帰るなら送るよ』

『だいじょうぶ。すぐそこだもん』

『すぐ……ああ、カザリアの部屋か』


 父親の部屋が、帰る場所であったらしい。考えてみれば、確かにすぐ近くには宿舎がある。カザリアは常に忙しい財務局の仕官なので、宿舎には仮眠用の部屋が用意されているのだ。


『家には帰らないの?』

『おまえだけかえるのはずるいって、とーさまが』

『ギアだけ?』

『よくわかんない』


 もしかしたら、とすぐにその可能性を思いつく。カザリアは奥方と喧嘩でもしたのだろう。ギアはそれに巻き込まれているのだ。


『やっぱりカザリアの愛情はよくわからないな……』


 可愛い娘を味方につけて、奥方の気を惹こうとしているのだろうカザリアの手口に、半ば呆れたため息が出る。娘の都合など関係ないという姿も、なんというか呆れてしまう。あれでよく恋愛結婚などできたな、と思ってしまうのも仕方ないだろう。


『……、ギア?』


 カザリアの部屋に向かっていたギアの足が、ぴたりと止まる。こちらをじっと、見つめていた。


『どうしたの?』


 ギアに問われた。それはこちらの台詞だと、苦笑して返す。


『わらいたくないなら、わらわなくていいのに……』


 ギアからこぼれた言葉は、ひどく心臓に悪かった。











「わたしはたかだか五歳の子どもに殺されるのかと思ったね」

「え」

「とはいえ、その当時わたしも十歳くらいで、充分子どもだったけれど」


 それでも心臓に悪かった。たった五歳の少女に、おとなを誤魔化すことができた嘘の笑みを見破られたのだ。騙せないらしいということに、唖然とした。それは今でも記憶に鮮明だ。


「わ、わたし、そんなに深い意味は、なかったと思うんですが……」

「うん、まあ、子どもは素直な生きものだからね。わたしが素直な子どもではなく、捻くれた子どもとして育ったから、その違いに吃驚したというか、そんなところだよ」

「わたしはシゼさまを驚かせたのですか」

「死ぬかもしれないと思ったくらいには」

「! す、すみません……」


 おろおろとするギアは、シィゼイユに強烈な驚きを与えた五歳の頃から、随分と変わった。幼い頃は立場など関係なかったし、もしかしたらギアが魔導師にならなければ、それは今日まで変わらない姿だったのかもしれない。あのままギアが成長していたら、この関係も変わっていただろう。


「ギアが魔導師なのは、許せないことだしね……」

「は、い?」

「いや、なんでもない。きみがきみだから、わたしはきっと、きみがいる世界には生きてみたいと思ったのだろうね」

「わたしがいる、世界?」

「きみがいるか、いないか、それでわたしが見ている世界は随分と変わるんだよ」


 この世界が見えるだろうか。

 なにも感じなかった世界に、さまざまなものを感じるようになって、音が聞こえるようになって、色彩が鮮やかになって、肌に雨を感じたときの喜びといったら表現の仕様がない。

 恋に墜ちたのだ、とすぐにわかった。

 世界が艶やかになったのは、いとしいと想うものができたから。

 素直に好きだと、想うものができたから。


「わたしは、シゼさまをお支えすることが、できますか?」


 シィゼイユはくすりと笑って、ギアの額に手のひらを添えた。


「まずはその風邪を治してから、ね」


 にこりと微笑めば、熱のせいで潤んだ瞳が柔らかくとろけ、嬉しそうに口角が上がった。


「わたしのほうが雨に打たれていた時間が長かったのに、どうしてきみが風邪を引くかな」

「すみません」

「まあいいよ。わたしは薬師だからね。治してあげる」

「はい、ありがとうございます」

「……ギア」

「はい」


 まっすぐ見つめてくる潤んだ瞳は、ひどく危うい。


「……わたしの奥さんに、なってくれる?」


 問えばとたんに涙が溢れ、枕を濡らす。


「わたし、シゼさまが好きです……どうしたらいいか、わからないくらいに」

「わたしを見ていてくれたら、それでいいよ。わたしと一緒にいてくれたら」

「あ、あのっ」

「ん?」

「どうして、いきなり、いなくなったんですか?」

「……ああ、留学?」

「わたし、帰ってきていたことも、知りませんでした」


 寂しかった、とくしゃりと顔を歪めるギアに、シィゼイユは苦笑する。


「ちょっと行き詰っていてね……情けないことだから、気にしなくていいよ」

「でも……」


 姿を暗ませていた間のことが、どうしても気になるらしい。けれども、それを詳しく話すにはもう少し、時間が欲しい。たとえ時間が多くあっても、今のギアに聞かせていいものでもない。


「いつか、話すときがくる……そのときが来たら、たぶんきみは、わたしの言いたいことがわかると思うから」

「……ほんとうに?」

「必ず」

「約束、してくださいますか?」

「それできみが安心するのなら、いくらでも」


 さらりと額を撫で、そのまま滑らせて頬も撫でる。安堵したようにギアが瞼を閉じるのを見て、シィゼイユは笑みを深めた。







これにて【雨降る天に涙した。】は終幕となります。

ここまで読んでくださりありがとうございました。


次話からは番外編となります。

おつき合いくださると嬉しいです。


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