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理想郷 【短編ハードボイルド】

作者: イチカ

柔らかく潮風に包まれる海岸線

わたしはレガシィーを風の吹く方向へハンドルを切った

南に傾き朽ちた松を一瞬照らす

黄ばんだ灯に僅かに浮かぶロビーを目指した

落日のあと、北風が強くなったようだ。


「お帰りなさいませ」

わたしは、少し手を上げた

意味深に微笑むフロントレディーからキーを受け取った

この季節になると、暖炉の薪も本格的にくべてある

なにしろここは岬の先にある、古びたコテージだからだ

風が吹くと鉄枠でできた窓の隙間から笛のような、いや老人の

呟きにも似た風音がロビーに響き渡る


古いコテージである

しかし景色の良さがある

そして家族経営の暖かさがある

ここに居を構える「お客」も多い

なにしろわたしもその一人である


昨年450万で権利を買った

管理費は毎月3万円

食事はその日の昼までに予約する

一食が800円だ

朝食は数度しか食べたことがない

さながら、変わり者の集まるアパートである


部屋の広さは独り者に丁度いい12畳くらいか

照明と同じく、暗い色調の内装品が設えてある

何度もニスで塗り替えられたドアが「歴」を感じさせる

客室は15しかない


「早いんですね、油木島さん」

先ほどのフロントレディーが傍に立っていた

新聞を読んでいたわたしの横にお茶を置いた

ロビーとダイニングは兼用である

「ああ、メグちゃん晩飯はなに?」

「アラカブの煮付けでしょう、そんな香りだね」

微笑みながらフロントに戻る姿を目で追った

暖炉に一瞥しデスクに潜った姿を眺めていた

20代後半のいいオンナの部類に入るのであろう


ここのオーナー、すなわちめぐみの父親がチーフであり、管理人

といったところだ

父一人娘一人で長年暮らし、海との会話もできるのであろうか

食材も見らずに、外れたことは一度もない

年に一度は親子で外壁の塗装も器用にこなす

リタイヤした「お客」の数人も、楽しげに手伝っているようだ


フロントに5つ、通路にも5つ、そして小さなダイニングにも5つ

二等辺の三角に配した20Wくらいの暗い白熱灯

そして秋から春先は暖炉の明かりだけ

「コテージ ストロベリー」

気にはなっていたが、まったく似つかわしくない名前である


ダイニングには先客がいた

202号室の作家の永田だった

わたしのふたつ隣の住人である

主に日本の先住民族史を、年に二度出稿しているらしい

住みはじめて13年になる変わり者の一人である

「一杯のワインと葉巻があればそれでいい」

夜はそれだけで席を後にする

五年前に煩った喉頭ガンの手術で、今はまったく喋れない

軽く会釈すると、永田は立ち上がって部屋に戻っていった

チェックのパンツと無地のシャツ

それに茶色のつっかけ

年中この格好である


窓を打ち付ける海風とスタンディングライト

そしてゆったりとしたアームチェアー

これが永田のベッドである

夜はずっとこの姿勢で過ごすとめぐみから聞いた

たまにドアが開いたまま寝ているらしい

夜回りの時にそっと閉めるそうだ


「よう」

不意に背後から声をかけられた

再びわたしは軽く会釈した

オーナーの副島である

「めぐちゃん、さすがだなアラカブだったよ」

「ちょっと座っていいか」

わたしは、軽く海側のイスに目を向けた

お構いなしに副島は紙巻に火をつけた

ライターは使わない

マッチをつける横顔が一瞬照らされる

わたしも構わず、アラカブに箸をつけた


暖炉の温もりと微妙に入る隙間風

最新のホテルにはない味がある

わたしより少し大柄で筋肉質

180センチくらいであろうか

額にいつも二本の皺がある

副島とこのコテージ

疲れた調和になっている

めぐみの親父としての風格なのだろうか。


「油木島和明」

わたしは箸を止めた

何食わぬ顔で、また箸を動かした

「世話になったんだ」

「なんで親父の名前を」

「中にいてね」

沈黙


「めぐみの母親を看取ってくれたんだ」

わたしの親父は検察官だった

学生の頃、そんな話を聞いたような記憶がある

不憫だと

どうしたかは知らない


副島がどのような経緯で、ここを経営しているかは

わからない

中古のオーナーチェンジであることは、古さから解る

わたしにはどうでもいいことである


きれいに骨を皿の右側に寄せ、わたしも紙巻に火をつけた。

「ストロベリーか」

「めぐみが15のとき、アイツは逝った。一に五、イチゴ

って訳さ。お互いアイツを忘れないってことだ」

「フフフ・・・、照明も15って訳か。合ってないぜ、この建物

とアンタにはね」

「いいじゃないか、これからアンタとめぐみで甘い夢を見たらな」

副島がウィンクして席を立った


ここで晩飯を食うときは、めぐみがわたしの部屋にくる日である。

ここの出来事はすべてお見通しってことか・・・

親父の説得はいらなそうだ。


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