005:お風呂上がり
部屋に備え付けられているシャワールームは円形に作られていて、直径一メートルほどの広さがある。全面がすりガラスになっていて明るく、円形であるせいか、それほどの窮屈さは感じなかった。
かおるが丁寧に巻いてくれた包帯と湿布を外すと、腫れもかなり引いていて、軽く足を付いてみると、鈍い痛みが走る。これなら、明日にはふつうに歩けるようになるかもしれない、と思うと心が晴れた。
《無防備になるのはよくないね。》
かおるに言われた言葉が脳裏によぎる。無防備になんか、なっているつもりはない。これでも精一杯背伸びをして、頑張っているつもりだったのに。
《一人で頑張ることないぜ》
健の言葉。思い出すだけで、じんわりと心の奥が暖かくなる。転校してきて、周りは男の子ばっかりで、頑張らなきゃ、って気を張っていた心をふんわりと包んでくれた言葉。
でも、頑張らなきゃ!
頭からシャワーをかぶりながら呟く。もともと、元気だけが取り柄、だと思う。かおるや駿や健の様に、誰もが認める容姿をしていれば、もっと堂々としていられるのかもしれないが、自分は至って普通だ。出会ってすぐにチビと言われてしまうほど背も低く、お世辞にもスタイルがいい、とは言えない。シャワールームに備え付けられた鏡を見てため息を付く。後10センチ背が高かったら、と何度思ったことだろう。
零は持ってきたバスタオルで濡れた髪を拭きながら、お気に入りのパジャマに袖を通す。フワフワした肌触りがぬいぐるみのようで心地良い。鈍い痛みの走る左足をかばいながらドレッサーの前に座り、鏡を覗き込んだ。
零は色白で、瞳の色も、髪の色も茶色い。髪は細く、まっすぐな猫毛で、今はやりの巻き髪にしたくてもすぐにまっすぐに戻ってしまう。前に一度、自分の容姿の事で母親に愚痴を言った際、祖母がハーフで、零にもほんの少し、イギリス人の血が流れているからだ、と聞かされた事がある。祖母は早くに他界していて、一度も会ったことがなかったが、若い頃の写真を見る限り、ものすごく美人だった。
その血を引いているわりには、私には美人成分が含まれてないよね、
と、零は鏡を見るたびに思う。零はどちらかと言うと童顔で、美人と言うよりは《可愛い》に分類される顔立ちをしている。大きな二重の瞳にぷっくりとした桜貝色の唇、駿が《よくできた人形の様》と表現したのは案外的を得ている。零は自分が思うよりはずっと愛らしい容姿をしていたが、前の学校でのトラウマが零から必要以上に自信を奪っていた。
バスタオルを頭からかぶって、ドレッサーの前の椅子で膝を抱える。
どんなに頑張っても、私は私にしかなれないし・・・。少しでも、みんなと仲良くなれるように頑張ろう。
よしっ!と自分に気合いを入れ、持参したドライヤーで髪を乾かし始める。。背中に届く長さの髪を乾かすのは大変で、いつも途中でうんざりするが、それでも猫毛が絡まらないように櫛を通しながら丁寧に乾かすのが零の日常だ。
「・・・ちゃん、れーいーちゃんッ!」
「キャァッ!」
「そんな、悲鳴上げないでよ、僕傷ついちゃうな・・・」
「ごっ、ごめんなさい、びっくりしちゃって。」
ドライヤーを使っていた零は、ノックをして入ってきたかおるに気付かず、不意に肩を叩かれて思わず悲鳴を上げた。
「ドライヤーの音がしていたから、もうお風呂上りかなと思って、」
にっこり、と微笑まれる。
だからその笑顔は殺人的だって・・・。
反射的に、頬が赤くなる。
「足の手当てをしようと思ってね、湿布をもらってきたから。」
見せてご覧、とドレッサーの椅子に座ったままの零の足元に跪いた。かおるも風呂上りなのか、ほのかに石鹸の良い香りがする。
「も、もう大丈夫だよ?歩いてもあんまり痛くないし、」
「歩いたの?!一人で?!・・・まぁそうだよね、シャワーを浴びるには歩かなきゃいけないだろうけど・・・。でも無理しちゃだめだよ?歩くのは部屋の中だけにしてね。」
かおるに足首を掴まれると身体が熱くなるのを止められない。かおるは零の足首に湿布を貼り、丁寧に包帯を巻いていく。
「ずいぶん、腫れも引いたね。痛みはどう?」
「歩くと少し痛むけど、もう大丈夫。」
「だから、歩いちゃだめだって、」
「外には行かないけど・・・あっ、」
「どうしたの?」
「少し、喉が渇いちゃって・・・」
「あ、そうだよね。気付かなくてごめんね?買ってくるから待ってて、」
かおるはにっこりと微笑むと部屋を後にした。穏やかで、優しくて、かおると話しているとお姫様にでもなった気分になってくる。腫れ物に触るかのように、優しく、そっと包まれるような錯覚。
零はふと、ドレッサーの上に置いたままのメモに目を落とした。
《お前みたいなチビをロフトに上げてやるくらい、簡単なもんだ。寝る前に教えろ》
ぶっきらぼうな言葉が蘇る。
まだ、寝ないけど・・・。
走り書きの携帯番号に目をやると、胸の奥がキュンと苦しくなる。幸せな苦しさだ、と思った。無条件に優しくしてくれるかおる、照れながらも温かい言葉をかけてくれる健、ぶっきらぼうだけど、きっと優しい駿、それぞれの顔と、かけてくれた言葉を思い出すだけで胸が温かくなって、少し苦しくなる。
・・・それにしても、ここの人達は女子の部屋にも普通に入ってきちゃうんだ?
何もかもが慣れない事だらけで戸惑いの多い寮生活だったが、それでもこれからの生活を思うと心が躍った。本当に、新しい自分になれそうな、そんな気がした。