004:それぞれの優しさ
足を捻った零の代わりに、結局部屋の片付けはかおると駿がほぼ行い、あっという間に部屋の中はきれいに片付けられた。持ってきたものは、お気に入りの本を数冊と、勉強道具、ドレッサー、お気に入りのランプ、携帯、お洋服。それに、ぬいぐるみを一つ。寝具をロフトの上に上げたこともあり、部屋は寂しいほどにガランとして見える。
「後必要なものは・・・。」
部屋を見渡して呟く零に、かおるが微笑みかける。
「僕なら、ここにソファーを置いて、あっちにはテレビ。後は・・・音楽を聴くためのスピーカーが欲しいかな?」
センターテーブルもあったほうがいいかもね、とウインクする。
そのウインク、殺人的・・・。
何度見ても、見慣れない美しすぎる笑顔に零は頬を染める。どういう育ち方をすれば、こんな風に笑ったり、殺人的なセリフをさらっと言えてしまう様になるんだろう。
「ラグも欲しいな・・・
呟く零に、そうだね、とかおるは相槌を打つ。
「でも、その足じゃお買物には行けないから、足が良くなったら、一緒に街へ行こうね。」
にっこり、と100%スマイルを向けられると、頷くことしかできなくなってしまう。微笑みの貴公子、とでも言うべきか。
「おい、夕飯の時間・・・なんだよお前ら全員そろって・・・って零ちゃん足どうしたの?!」
ひょい、と開けたままのドアから顔を出して、その場に零以外の姿を認めると一瞬不機嫌になり、零の足首の包帯を見て零に駆け寄る、と言う万華鏡のように変わる健の機嫌を見て、零は思わず噴出す。
「・・・まぁ、話すと長いんだけど、見ての通り、零ちゃんは足を挫いちゃって。一人では歩けないから、・・・僕が食堂までエスコートするよ。」
えぇぇぇぇぇっ!
再びひょい、とお姫様抱っこをされて零は真っ赤になって慌てる。
「だ、だ、大丈夫だからッ!私、歩けますッ」
「零ちゃん、無理しちゃダメだよ?ほら、ちゃんと掴まって?」
鼻先が触れそうなほど顔を近づけられて、思考が停止する。
「かおるッ!お前何やってんだよッ!」
「・・・お前ら、バカじゃねぇの?」
健の怒鳴り声が遠くに聞こえる中、冷ややかな、とも思える駿の呟きが、零の胸に突き刺さった。
夕食を終え、再び部屋まで『運んでもらった』零は、フゥ、と大きく息を吐き出した。
すっかり片付いた部屋、8畳のロフト付きは一人には少々広い。
さすがに、ちょっと疲れたな・・・。
ソファーもラグもないフローリングの部屋に寝転ぶと、背中が痛い。クッションくらい持って来たらよかった、と心の中で呟き、ドレッサーの椅子に座らせてあったクマのぬいぐるみを抱く。某テーマパークで人気のあるクマのぬいぐるみで、抱き心地もやわらかい。
足、挫いちゃったな・・・。
腫れている足首を見て、ため息をつく。少し動かしてみたが、痛みはずいぶん取れているようで安心する。
かおる君にも久遠君にも、いっぱい迷惑かけちゃったし・・・。
瞬間、かおるのお姫様抱っこを思い出して顔が熱くなる。
よくできた人形みたい、って言ってたな・・・。
駿に言われた言葉をぼんやりと思い出し、ため息を付く。確かに、背の高い駿から見れば150センチしか身長のない零は小さく見えるのだろう。人形と言ってみたり、子犬と言ってみたり、でも一度も目を合わせてくれなかった。
一回でいいから、笑って欲しいな・・・。
そう思ったとき、コンコン、とドアをノックする音がした。
「は・・ハイッ!
フローリングの上に寝転んでいた零は急いで起き上がり、とっさに抱いていたクマを背後に隠す。
「くっ、久遠君?」
勝手に、かおるが心配して様子を見に来てくれたのだろうと思っていた零は、予想外の人物が顔を出したことに驚く。
「お前、上で寝るのか?」
「えっ?
「だから、ロフトの上で寝るのか、って」
呆れた声。視線はロフトの上を見ている。
「そのつもりだけど・・・」
やっぱり、こっちは向いてくれないんだ・・・。
「その足で、そのロフトのはしごを登るつもりか?」
言葉尻に怒気が含まれている気がして、零の心が波立つ。
「も、もうあんまり痛くなくなってきたし・・・ご、ごめんね?心配、かけて・・・
自分でもはっきり分かるほど、声が小さくなる。
「お前、ほんとにバカだな?
呆れた声に涙が出そうになる。そんなにバカバカいわなくったって・・・
「お前みたいなチビをロフトに上げてやるくらい、簡単なモンだ。寝る前に教えろ。」
ぶっきらぼうにそう言って、手にしていたメモをドレッサーの前に置いて部屋を出て行ってしまった。
な・・・何・・?
一人取り残されて零は一瞬呆然と駿の出て行ったドアを眺める。
久遠君ってもしかして・・優しい?
目を見てくれないけど、笑ってくれないけど、でも、心配してくれているんだ、と思うと、嬉しくて心が苦しくなる。
でも、寝る前って、パジャマだよね?!パジャマでロフトに上げてもらうって何?!あぁぁぁダメダメダメ、そんなの絶対無理!!
一人で駿にお姫様抱っこをされているところを妄想し、真っ赤になって妄想を打ち消す。今日ここに来て以来、とびきりのイケメンに間近で触れ合いすぎて思考がおかしくなっているに違いない、と自分を無理やり納得させていると、携帯が鳴った。ドレッサーの前に置いたままだった事を思い出し、左足に負担をかけないように立ち上がる。
《下村 健》
表示されていた名前を見て、携帯を取る。
「ハイ、零です。」
親しい友達からの電話だったら、もっとフランクに出るんだけど、と思いながら、携帯で名前を言うのもヘンな感じ、と妙な居心地の悪さを感じる。
「あ、健だけど・・・今、いい?」
「うん、大丈夫。」
「あのさ、足、大丈夫?」
「あ、うん、大丈夫だよ。もうかなり痛みもひいたし。」
「そっか、ならいいんだけど。」
「うん、ありがとう、心配してくれて。」
「いや、別に心配してるわけじゃ・・・ないけど・・・」
電話の向こうで口ごもる。
「俺、ちょっと部屋離れてるけどさ、手伝えることあったら言えよな?さっきも、一人でカーテンかけようとして転んだって聞いたけど・・・一人で頑張ることないぜ?零ちゃんは女の子一人だからって気にするかもしれないけど、俺、いつでも手伝うし。」
とても優しい言葉に、胸の奥がキュンと苦しくなる。
「あ・・ありがとう。すごく、うれしい、」
零の答えに、電話の向こうの健の声が弾むのが伝わった。
「零ちゃん、ノックしても返事もしてくれないと思ったら、誰と電話?」
まだ繋がったままの電話を背後からひょいと取り上げられ、零は驚きのあまり一瞬固まり、そこにかおるの姿を認める。
「あ、か、おる君?今、たけ・・・
「もしもし?僕の零ちゃんに電話をするのは健くらいしかいないと思ったけど、やっぱり、
《なんでいきなりお前が出てくんだよッ!》
電話の向こうで怒鳴っている声が離れている零のところまで届く。
「声が大きい。耳が痛い。」
かおるは眉をひそめて携帯を耳から遠ざける。
《ふざけんなテメー!》
電話の向こうの健の声に零は思わず笑い出した。
「零ちゃんに笑われてるよ、健。零ちゃんを笑顔にしたことは褒めてあげる。じゃ、また。」
かおるは一方的に携帯を切ると、改めて零に向き直った。
「零ちゃん、あんまり無防備になるのはよくないよ、念のために忠告しておくけど・・・。」
「む、無防備って・・・」
戸惑う零に、かおるはにっこりと微笑みかける。
「そう言うのが、無防備、って言うんだよ。恥かしがったり困ったり戸惑ったり驚いたり喜んだり、零ちゃんは素直だから、考えてることがすぐわかっちゃう。だから、こっちも気になって、からかいたくなっちゃうんだよ。」
「僕だけならいいけど、健も、あの駿まで零ちゃんのこと、気になって仕方ないみたいだね、
とドレッサーの上に置かれたメモを指す。
「え?久遠君が?」
「このメモ、まだ見てないの?」
「それ、さっき久遠君が置いていったんだけど・・・」
「見てごらんよ、」
手渡されたメモに書いてあったのは走り書きの携帯番号。
「あ・・・、」
《寝る前に教えろ》と言う言葉を思い出して、カッと頬が赤くなる。
その様子を見て、ほらね、とかおるは大げさにため息を付いた。