102:強引なお誘い
父親への挨拶を済ませた伊織は、休憩用のソファーが置かれた窓際に零を誘った。
「足、痛くないか?」
高いピンヒールの靴。履き慣れていても疲れるはずだ。
「あ、うん。まだ平気だよ。」
平気、ってことは痛いってことか、と伊織は心の中で思う。痛いと言ってくれたら抱き上げてソファーまで連れて行けるのに、と相変わらず自分を頼ってくれない零に軽い不満を覚える。
空いているソファーに零を座らせた伊織は、すぐに戻るからここにいろ、と零の額にキスをして零のそばを離れる。一応主賓の一人と言う事もあり、今回はスピーチをするように言われている。
スピーチ自体はどうという事はないが、その間零を一人にしなければならない事がずっと引っ掛かっていた。さすがにスピーチの壇上に零を連れて行くわけにはいかないし、出来るだけ短く済ませようと頭の中で文章を組み立てる。
一人になった零は心細さを抱えつつもずっと背筋を伸ばして歩いていた息苦しさから解放されて少しホッとする。広い会場を見渡すと大勢の人が挨拶を交わしたり談笑したりしている。みな正装をしていて歩き方や礼の仕方も含めて品がある。
年齢的には40代から50代くらいの人が多いようで、どう見ても高校生は自分くらいだな、と思って会場を見渡していると、自分の前に一人の人影が立ち止まった。
「はじめまして。・・・お一人ですか?」
よろしければお飲物をどうぞ、と手にしていたグラスを差し出された零は慌てて立ち上がろうとしてやんわりと制される。
「そのままで結構ですよ。」
どうぞ、と半ば強引に差し出されたグラスを受け取った零はグラスに口を付けたところでアルコールの匂いに気付いた。
「・・・すみません、せっかくお気遣い頂いたのですが、私未成年なのでアルコールは・・・」
「こういう場では、お飲みになった方がよろしいかと。」
「え・・・」
失礼します、と零の隣に座った男性は柔らかな頬笑みを浮かべる。初対面の異性が座るには近すぎる距離に零は逃げ出したくなったがその気持ちをこらえて曖昧に微笑んで見せる。
20代後半くらいだろうか、涼しげな切れ長の瞳が印象的な好青年に見える。
「失礼ながら、このような場所は不慣れでいらっしゃるとお見受け致しました。よろしければエスコートさせて頂きたい。」
とにかく、そのグラスを空けてください、と勧められる。
どうしようかと悩む隙を与えず、挨拶代りに勧められたシャンパンを断るのは失礼な行為に当たるのですよ、と男性は続ける。
自分が失礼な行動をとる事で後で伊織に迷惑がかかっても困る、と思った零は飲んだ事のないアルコールを口に入れる。
「・・・・っ」
決してまずいわけではなかったが、アルコールの匂いに少し顔をしかめる。喉を通った後、しばらくすると身体の中が熱くなる不思議な感覚を覚えた。
細長なグラスに注がれたシャンパンを何とか飲みきった零は、ありがとうございました、と男性に礼を言い、その場を離れようと立ち上がろうとしたところを男性に腕を掴まれた。
「もう少ししたら、ダンスが始まります。お誘いのドリンクを受けた以上、一曲共にするのが礼義なんですよ。」
「え・・・そんな・・・」
ぐっと力を込めて掴まれた腕が痛い。おまけに飲んだ事のないアルコールを口にしたせいか少しめまいがする。
「御曹司のスピーチが終わったら、ダンスが始まるから、それまで大人しくしていなさい。」
優しい笑顔とは裏腹に有無を言わせぬ口調に、零は怯えつつ従った。
会場に響く伊織のスピーチの口調は普段の彼とは印象の違うものだったが、内容は彼らしく自信に満ちた前向きな内容で、聞く者の意識を惹きつける。もう少し聞いていたい、と思うくらいの短さで伊織のスピーチは拍手と共に終了した。
それを合図に、会場に流れ出した音楽に示し合わせた様にみなが優雅なステップを始め、零は男性に腕を掴まれたまま強引にフロアに連れ出された。
「あの・・・放して・・・下さい!私、気分が・・・」
強く掴まれた腕が痛い。気分が悪い、と言うのは半分本当で、アルコールの影響か頭の奥が少しふらふらする。
「私の言う通りにしていなさい。」
ぐっと腰を抱き寄せられ、文字通り踊らされるかたちになった零は何度か放して欲しいと訴えたが聞き入れられず会場に伊織の姿を探す。
「お願いです、もう、放して・・・」
あまりの強引さに芽生え始めた恐怖と共に涙が浮かんだ。
「失礼・・・私の連れのお相手をして頂いているところ恐縮ですが、彼女を返して頂こう。」
「っ!」
ふわり、と伊織の香りが零を包み、男性から解放される。口調こそ穏やかだったが、伊織の瞳に燃える炎の様な怒りが相手に刺さる。
「ダンスの最中に邪魔をなさるとは、品のない事をなさる。」
刺のある言葉が伊織に返されるが、伊織は意に介さず自分よりも背の低い年上の男性を見降ろした。
「嫌がる女性にダンスを強要していた貴方には敵いませんよ。」
それでは失礼、と伊織は一礼して零を連れてその場を立ち去る。
「・・・伊織君、私・・・」
ホッとしたのと、申し訳ない気持ちが入り混じってこらえていた涙が溢れそうになる。それでもこんな場所で泣きだせばまた伊織に迷惑がかかる、と奥歯をぎゅっとかみしめる。
「零を一人にした俺が悪い。ごめん。」
頭の奥が痺れるような怒り。スピーチをしている間、何があったのかは大体見えていた。見えているのに手出しができない歯がゆさと苦しさにあの短時間で胃が痛くなるほどだった。
零を連れて会場を出た伊織は控室として準備されていた部屋に入って鍵を閉める。
「あの野郎、別の場所で会ったら殺してやる!」
怒りのおさまらない伊織は部屋に入ると零を腕の中に閉じ込めて力いっぱい抱きしめる。
「どうせ、相手するのが礼儀だとか調子いい事言いやがったんだろ?・・・ごめんな、怖かっただろ?」
遠目に一生懸命嫌だと訴えている零の姿が見えていた。見ていたのに何もできなかった自分が悔しい。
「本当に零は・・・ちょっと目を離したらすぐに誰かに攫われちまうな。」
腕の中にすっぽりとおさまる零を抱きしめていると、あれほど怒りに燃えていた心が落ち着いて行く。
「いおりー・・・」
「へ?」
ふにゃん、と腕の中に体重を預けてきた零に驚いた伊織が強く抱きしめていた腕を解くと、零は潤んだ瞳で伊織の胸にしがみついた。
なお、社交界での礼儀の下りは彼がでっち上げた嘘です。
強引な人は・・・イケメンなら許す(笑)
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