4 あの頃
「美緒ちゃーん」
どこか気怠く、低く笑みを含んだ声が私を呼んだ。振り返る間もなく、彼女の細身の身体が、ゆらっと私の隣に現れた。
「あかりちゃん」
「行こー」
背の高い彼女が、先導するように私の先に立って狭い廊下を歩き出した。
ゆらり。
彼女の歩き方は、風に揺れる桜の花びらに似ている。ゆらゆらと左右に揺れて、何となく宙に浮いているみたいだ。私やその他大勢の人のような、普通の歩き方とはどこか違っている。
「ねー、物理全然分かんないよ。定期テスト絶対やばい」
「ね。物理やばいよね。全部美術でいいのに、授業」
「それなー。美術が唯一の息抜き」
彼女の伸びかけのショートヘアが、歩みに合わせてさらさらと左右に揺れていた。
そうだった。三年前、高校一年生の頃の彼女の髪型はシンプルなショートヘア。彼女の飾らない性格によく似合っていて、私はあの髪型が好きだった。
「美ー緒ちゃん」
美術室へと続く階段の途中、くるりと振り返った彼女がまた私の名前を呼んで、ニヤリと笑った。
「えー、なに?今日なんか機嫌いいね。いいことあった?」
「これ、あげる」
「え」
差し出された手のひらの上に、水色の、小さな水玉模様の包み紙が乗っていた。
「誕プレ」
開けてみて、と彼女に急かされて、私はその包み紙を破らないように慎重に開けた。
「かわいい……これ、何?蜜柑?」
丸いちりめん細工のキーホルダーが、コロンと手のひらに転がり出た。
深緑の玉に、橙の小さな実と白い花。間を埋めるように濃い緑の葉が茂っていた。
「残念、橘でしたー」
「え、なにそれ、マイナーすぎない? てか、橘って実なるの?」
「いやいや、美緒ちゃんの名字でしょ、橘。なんで知らないの?」
中々見つからなくて、探したんだから。そう言って彼女はやれやれと大袈裟に首を竦めてみせた。
学校外でも、私のこと考えてくれてたんだ。小さな驚きと、込み上げてくる嬉しさを噛み締めながら、私は手の中のキーホルダーを見つめて言った。
「ありがとう」
あの時のキーホルダーは、今も私の筆箱に付いたまま、変わらず揺れている。




