第六討 討滅ノ士
ズガンッ! ズドンッ! バガンッ!
「うわっ! ひぃっ! ひゃぁっ!!!」
飛来する弾丸を、華麗とは言えずとも器用にヨーコは躱す。本を構成していた紙の葉が、千切れて砕けて宙に舞う。彼女へと襲い掛かっている弾丸は、その全てが図書室の書架に在った本たちだ。
そしてそれを操り、彼女を殺そうとしている者こそが。
「これが図書室ノ怪。うわぁ、怖っ!」
ヨーコは対峙する相手を見て身体を震わせる。だが、それも無理はない。
彼女の背丈の二倍はあろうかという、人間の死体を思わせる紫色の手。手のひらを床に付け、五本の指を使って歩いて跳ねる。その手首部分には縦に開かれた目、そしてギョロギョロと動く紫色の瞳。一目で悪意ある者と分かる、禍々しい存在だ。
不可思議な力によって書架の森から本を抜き取り、弾丸の如き速度で撃ち放つ。その威力たるや、壁面に風穴を空ける程である。幸いにしてヨーコは回避できているが、一発でも当たれば人間などひとたまりもない攻撃だ。
「博士、逃げて良いですよね!というか、逃げます! 退散します! 命が惜しい!」
「ああ、勿論だ。ん?」
ヨーコの意見に対して、珍しくゲンジョウが素直に賛同した。が、彼はすぐに異変に気付く。
「ヱレキテルの波長に強い乱れ…………む、いかん!」
彼は焦りにも似た声を発する。普段ならばここで、何がいけないんですか!?とヨーコの返しが入る所だが、何故か今回に限ってそれが無い。
それも当然、今の言葉が彼女には聞こえていないのだから。だがしかし、ゲンジョウが通信を止めていた訳ではない。何かに遮られる事で、通信が不安定となっているのだ。
「ヨーコく……、聞え……か!」
「え? 博士、なんです? 良く聞こえない!」
本の弾丸が奏でるドガンバガンという破壊音。その中でも明瞭に聞こえていたはずの声が、雑音に上書きされているかのように聞き取り辛い。
「あれ!?」
ヨーコはその事実に気付く。先程まで自身の真後ろにあったはずの、木製の引き戸が消えてなくなっていた。あたかも初めからそこには壁しか無かったかのように。更にその壁も陽炎の如く揺らいだと思ったら、紫が混じった闇色へと呑まれて消える。
「くっ、端的……う! そ……腕輪……戦う力……る!」
「え? え? え?」
断片的にだが、ゲンジョウの言葉が耳へと入った。退路を断たれた状況下、その言葉を逃すまいとヨーコはそれを掴み取る。
「始動鍵…………奇心纏装だ! …………叫ぶのだ! ……生きてか」
プツンと糸が切れたような小さな音を最後に、ゲンジョウの声が聞こえなくなった。ヨーコは捉えられた彼の言葉を頭の中で反芻する。
(腕輪、戦う力、始動鍵、奇心纏装、叫ぶ)
それらの言葉が導くのは一つの活路。即ち。
「逃げられないなら戦う! こんな所で死んでたまるか!! やってやる!!!」
左手首に輝く金の腕輪を、右手で覆うように握る。そして、ヨーコは幻魔を見据えて声を放った。
「奇心纏装!!!!」
その言葉を受けて、強い光が腕輪から生じる。幻魔の発するヱレキテルの影響で暗くなっていく空間を裂くように、光が彼女を包み、そして弾けた。
鈍い真鍮色が黒き闇の中で輝く。その中心に在るは、瑞穂の刀を佩く一人の乙女。腰の刃の鞘は奇械の塊である。即ち鉄片、即ち針金、数多くの金属が無軌道に絡み合って鞘を形作っていた。
彼女の上半身の左半分を真鍮色が覆い尽くしていた。その真鍮色の奇械は、からりからり、と鳴いている。あるいは歯車、あるいは螺子ビス。それらはゆっくりと動き、力を受けた配線がエネルギィを運ぶ。
背には小さな翼が一つ。左肩甲骨辺りに根を持つそれは、正面から見ると身体から僅かに顔を覗かせる程度で飛翔する事など出来そうもない。それでも翼はゼンマイ仕掛けの絡繰りの如く、緩やかに羽ばたく。
「う、うおおぅ。なんかくっついてる! 服は揺らめいて? なんだこれ?」
ヨーコはなんとも緊張感の無い声を上げ、左腕をすっぽり覆った奇械部品を触る。歯車や螺子が有るはずだが、自身の腕を触っている感覚があった。着物や羽織はその奇械と繋がる部分で消失している。だが破れている訳ではなく、陽炎のように不確かに揺らいでいた。
「って、うわぁっ!?」
ドガガンッ!
そんな事をしている間にも、幻魔からの攻撃が止まるはずもない。横へと飛び退いたヨーコは、受け身を取って床を転がる。
「ん、身体が軽い?」
片手で床を突くとそのまま立ち上がる事が出来た。ひらりひらりと本の弾丸を躱し、床を蹴ると一気に十歩分を移動する。書架が浮き上がり、ヨーコを潰さんと振り下ろされるが彼女はそれを上段回し蹴りで粉砕した。
「おおっ、凄いぞ私! よーっし、これなら!」
刀の鍔に指を掛け、チキと音を鳴らして鯉口を切る。スラリと抜かれた瑞穂刀の身は淀む所の無いまさに白銀、揺らぐ波紋は絶景の如しだ。振られた刃は風を斬り、ヒュッと鋭い音を立てる。
両手で柄をギュッと握り、されど無用な力を肩から抜く。切っ先は眼前の幻魔へ。既に周囲は紫黒に染まり、水に浮き揺らぐ油のように斑を作っている。空間が歪み、図書室だった場所は遮る物の無い場所へと変わっていた。
空中には幾つもの書架が浮き、本の頁がざわざわと音を立てている。その中で幻魔の目が怪しく輝いていた。威圧、恐怖、当惑、錯乱。通常ならばそうなるのが当然の状況である。
が、ヨーコは違った。
「剣術には心得がある、やれるやれる、大丈夫っ!」
自身を鼓舞して彼女は床を蹴った。後退ではなく前進、逃走ではなく闘争のために。柄を両手で掴んで八相の構え、顔の右横で刃を垂直に立てるように構えて突撃する。走る速度は馬車や電車など比較にならない程の高速だ。
「はっ!!!」
ヨーコは刃を袈裟に下ろす。突進の勢いも載せた渾身の一撃だ。
ガギャンッッッ!!!
途轍もない音が遮蔽物の無い空間に響く。振り下ろされた切っ先は見えない何かに阻まれ、幻魔の体には届かなかった。ギギギ、と刀と不可視の壁が擦れあう。
「ぐ、ぐ、ぐ……くそぅっ!」
押し通せない事をすぐに理解し、ヨーコは後方へと飛び退いた。と同時に幻魔が放った本の弾丸が、雨の如く降り注ぐ。
「うわわっ、回避回避っと!」
足を止めてしまえば弾丸に貫かれてしまう。彼女は刀を肩に担いだまま、走る奔る。降水確率百パーセントの本の雲が、ヨーコを追って床に無数の穴を生じさせていく。
「うー、どうするどうする……。真っ向からじゃダメ、ならっ!」
幻魔を中心にして円状に走っていた彼女は、直角に方向転換して再び突撃する。一直線に向かってくるヨーコに対して、幻魔は五本の指を器用に使って方向転換した。目を彼女に向け、その動きをしっかりと確認している。
「おおおお、えいっ!」
ギュキュッ!
ブーツのゴム底が床を噛んで鳴く。ヨーコは不可視の壁に突っ込む直前で左方向へと跳んだ。本の雲は急に止まる事は出来ず、幻魔の頭上に降り注いだ。本の弾丸が不可視の壁を撃ち、ガガガンッ!と轟音を立てる。周囲に砕けた本の残骸が散り、抜け落ちた羽根の如く頁が宙を舞った。
「せーのっ! せいっっっ!!!!」
八相の構えから、渾身の力をもって刀を振り下ろす。それが狙うのは不可視の壁、ではない。ヨーコが幻魔に落とされた一冊だ。
ドズガンッ!!!
刃が分厚い理化学の図鑑に食い込み、それを玄翁の頭として壁を打った。壁に当たっても砕けなかったそれは、ヨーコの力を載せて再び壁へと立ち向かう。
バリンッッッッ!!!
ガラスが割れるような音が響き、振り抜いた即席玄翁から伝わる抵抗が消え去った。刃から外れた図鑑は宙を舞い、幻魔の身を掠めて飛んでいく。
オオォォォ…………
鳴き声と言って良いのかは分からない、低く重い声が響いた。口が無いはずの幻魔から発されるそれは、呪詛の如く周囲へと滲む。
ルゥゥゥゥ…………
周囲のヱレキテルが幻魔へと吸い込まれていく。それは一点に凝集し、そして発射される。
ギュバッ!!!!
「うわひぃっ!!!!???」
幻魔の目から放たれたのは、瞳と同じ紫の一閃。顔を横へと咄嗟に動かした事で、ヨーコは直撃を免れた。しかし頬に熱を感じる。
「熱痛っ、焦げた!?くぅっ、乙女の顔によくも、こんちくしょうめぇっ!」
恨み言を言いつつも彼女は攻め手に移る。刃を水平にして諸手で柄を握り、幻魔の目を狙って刺突した。
バチッ!
「んなっ!?」
鋭い突きが禍々しい瞳に突き刺さる、かと思われたがそうはならない。幻魔の瞬きによって、切っ先が防がれたのだ。両の瞼が刃を挟み込むようにして、ヨーコの一撃を受け止めていた。
「こんのぉっ、喰らえっ!!!」
水平にしていた刃をそのまま横へ振り抜き、受け止めていた瞼を斬り裂いた。血と思しき黒緑の体液が噴き、バタタッと床を濡らす。
「もいっちょ!!」
一歩踏み込み、今度は刃ではなく柄尻で殴りつける。止める瞼を失った幻魔は防ぐ術なく、その一撃を瞳に受けた。ぐじゅり、という何とも気持ち悪い感触がヨーコの手に伝わった。
グギゥゥゥ……!
苦悶、それが幻魔の叫びに混ざる。五指を使って大きく後方へ跳んだ彼の者は、それでもなおヨーコを戮殺せんと本の弾丸を撃ち放つ。先程の光線を纏ったそれは、銃弾以上の速度で彼女を襲った。
が。
「ふっ、はっ、やっ、せぇいっっっっ!!!」
刀一本、身一つ。それを自在に使って、ヨーコは最小限の動きで超速の弾丸を捌ききる。雨は水滴、決して壁ではない。必ず隙間が有るのだ。いま彼女を襲っているそれも、また同じである。
一瞬の間隙を縫って、ヨーコは前へと逃走した。前方、つまりは幻魔へと向かって。本の雨よりも速く、彼女は奔る。そして刀の間合いに敵を捉えた。
「く、た、ば、れぇぇぇェェッッッッ!!!!」
チュガッ!
袈裟斬り一閃。斬撃というにはあまりにも静かな、まるで風を斬っただけのような音が生じた。だがその一閃は確実に敵を討つ、必殺の一撃だ。
ズ……
手首を斜めに、紫の瞳を斬り抜いて。その身に筋が生じ、ぬるりと滑る。
ドチャッ!
両断された幻魔の体が床に倒れた。インクが滲むように、陽炎が揺らぐように、彼の者の存在が希薄となって消えていく。同時に周囲の景色が青白の図書室へと戻っていった。
ヒュッ
チィィ
カチンッ
刃を払い、鞘に納める。そこまでを済ませて、ヨーコは大きく息を吐いた。
「ぶっはぁぁぁ……、死ぬかと思ったぁ…………」
先程までの凛々しさは何処へやら、彼女はにゃへにゃとその場にへたり込む。同時に身を包んでいた奇械は姿を消した。
「おお、生きていたか。重畳、重畳」
「博士~~~、とりあえず死んでませーん。さっさと帰ります~、疲れたーーー」
「うむ。む?ヱレキテルの揺らぎが無くなっているな。そこからでも戻れるようだ」
「うわーいっ、歩かなくて済むぅ……」
気の抜けたやり取りをしながら、ヨーコは研究所へと帰還した。
「ふむふむ、これは実に興味深い」
ヨーコから幻魔との戦いを聞き取り、ゲンジョウは二度三度頷く。その顔は満足げで、手にした雑記帳にものすごい速度で情報を書き込んでいる。
「でも奇心纏装、凄かったですよ!なんか色々くっついて、身体も軽くって!!」
少々興奮しながら、ヨーコは幻魔との戦いを振り返る。
「はっはっは、そうだろう、そうだろう!試作品ゆえに検証しておらず、理論も何も滅茶苦茶なうえに起動するはずがなかったが、纏装が上手くいったようで何よりであるな!!!」
「ちょ、うおぉいぃっ! 聞き捨てならない事聞いた! 今!!!」
ヨーコの苦情も何のその、ゲンジョウは文字で満たされた雑記帳を見ながら怪しく笑っている。何を言っても暖簾に腕押しであると改めて理解し、彼女はガクリと肩を落とした。
「ああそうだ。キミが今回行った事、それこそが討滅である。これにてキミは討滅士となったのだ」
「は? 討滅士? あー、映画で最後に言ってた奴?」
「うむ、その通り! 仮称であったが、こうして呼ぶ相手が出来るとは! これからもよろしく頼むぞ、討滅士ヨーコ君! ふはははは!!!」
大笑いするゲンジョウ。ヨーコは呆気に取られて口を開くばかり。そしてハッと何かに気付いて覚醒する。
「これからも……? え、こんな事を、また?えええぇぇぇ…………」
討滅士ヨーコはこれからも幻魔を調査し、時には戦う事が確定したのだった。