第三討 女学院ノ七不思議
あまりにも衝撃的で、散々なアルバイト初日を終えた翌日。ヨーコはいつも通り通学していた。広大な敷地に大きな鉄の格子門、木造三階建ての立派な校舎を持ち、初等中等高等の十二年一貫で学ぶ事も可能な学校。
それが彼女の通う学び舎、夕月女学院である。
政府中枢にある者の娘や財閥の令嬢、外ツ国の舶来留学生などなど。通う者は多種多様、だが共通点もある。彼女達はいわゆる、良い所のお嬢様。家柄に箔押しのある少女たちなのである。勿論、例外もあるのだが。
「はぁ~…………」
そんな良い所のお嬢様の通う学び舎の只中にあって、ヨーコは盛大にため息を吐いた。舶来式の庭の長椅子に掛けて、彼女は物憂げな表情を浮かべる。
「どーしよ、これ……」
鱈子入りのおにぎりという贅沢に顔を綻ばせる事もなく、ヨーコは自身の左腕に付けられた金の輪に触れる。昨日家に戻った後も取り外そうと試行錯誤したものの、結果は御覧の通り。アルバヰトの給金を貰って懐は潤ったが、損害の方が圧倒的に上回っていると彼女は嘆いていた。
「あーーーっ! もうっっっ!!! あの変人博士め!!!」
手にしていたおにぎりを一気に頬張り、水筒のお茶でそれを流し込む。憤懣甚だたるや、想像に難くない。握り飯ではなしに膨らむ彼女の頬が、それを体現していた。
「変人とは失敬な。天才と呼びたまえ、天才と」
「わひゃぃっ!? 出たぁっっっ!!!!」
「重ねて失礼な。吾輩を幻魔の類と見るかね、やれやれ」
長椅子の後ろの石柱にもたれ掛かりながら、ゲンジョウは肩をすくめる。ワイシャツに背広のズボンを合わせ、ぼさぼさの髪は梳き梳いて。研究所で見たボロボロの白衣は纏っておらず、見た目だけは誠実博愛なる舶来紳士のようだ。
不意な彼の出現に思わず飛び退いたヨーコには構わず、彼はどっかと椅子に腰を下ろす。ゲンジョウに促され、ヨーコも大人しく元の場所へと戻った。
「な、なんで女学院にいるんですか……。あー、ええと、勝手に入ったらダメ罪ですよ!」
「なんだね、その頓狂な罪状は。不法侵入と言いたまえ。ただし、吾輩は許しも無く学院に入っている訳ではないが」
「は?どういう事です?」
彼の言う意味が分からず、ヨーコは首を傾げる。
「キミは見た事が無いかね、文字を自動で消す黒板の絡繰りを」
「あ~、アレ便利ですよねぇ…………って、え?」
「吾輩の発明品だよ、あれは。まあ手慰みに作った程度の物であるが」
「ええぇっ!? なんですかそれ、まるで発明家みたいじゃないですか!」
「キミは実に無礼であるな。吾輩は紛う事無き発明家であるが?」
先般のヱレキテルなる物を具現化する装置や自動黒板などは、たしかに発明であろう。それを作り上げた者を発明家と呼称しても差し支えないはずだ。しかしながらヨーコは素直に頷けない、甚大なる実害を被っているのだから。
「まあいい。此度はそれの整備の為に来たのだ、守衛や教師とも面識がある。無論、学院長からの許しは得ている。つまりは何の問題も無し」
「へ~、そうなんですか」
滅茶苦茶な倫理観の持ち主の発明、それの意外な恩恵をいつの間にか受けていた。それを知ってヨーコは彼の事をほんの少し、僅かに一厘分だけ見直した。
「さて、吾輩も食事といこうか」
手にしていた紙袋を開き、中から紙包みと瓶を取り出す。
「あ……あんパンに牛乳!? ぜ、贅沢な…………っ」
彼が食べ始めた物を見て、ヨーコは驚く。おにぎり一つが一銭のところに、あんパンは三銭、牛乳は二銭で〆て五銭のお昼飯。ヨーコの一銭飯と比べたら贅沢三昧も甚だしい。
「キミと違って、吾輩の懐は夏の陽気のように暖かなのでな」
「うぐぅ……、反論したいけど出来ないっ!」
ぐぬぬ、とヨーコは悔しがる。そうこうしている内に、ゲンジョウは昼食を食べ終わった。紙袋にゴミを詰め込んで自身の隣に置き、彼は腕を組む。
「確認したい事がある。キミは学院七不思議という物を知っているかね?」
「え、はい、一応は」
「学内で小耳に挟んでな、少々興味がある。どんなものだね?」
「えーっと、確か…………」
誰が語りだしたのか分からない、いつからそこに伝わっているのかも判然としない。どんな学校にも大なり小なり存在する、不思議で少し恐ろしい噂話だ。その例にもれず、女学院にも七つの不思議が息づいているのだ。
曰く、舶来式庭園の騎士石像は夜に動いて戦っている、だとか。
曰く、高等校舎の階段踊り場の姿見鏡に自分の死に様が映る、だとか。
曰く、大講堂の軍人肖像画が夜な夜な抜け出して騒いでいる、だとか。
曰く、トラックコースを走り続ける女生徒の亡霊がいる、だとか。
曰く、人ならざる者が学生に紛れている、だとか。
曰く、瑞穂式庭園の池には背泳ぎするカエルがいる、だとか。
そして。
「あとは…………あ」
「おや、どうしたのかね?さっさと話したまえ」
「ええと、図書室の怪っていうのがあってですね……」
図書室の怪。それはお茶時から夕暮れ時に現れるという、人を驚かす怪異か幽霊か。彼の者が行うのは、本をただ一冊書架から落とすだけ。ただそれだけである……筈がない。
一人片づけを行っていた図書委員がその何かに遭遇し、落ちた本を書架へと戻して足早に帰宅した。しかし翌日、その生徒は惨殺死体で発見される。それはまるで微塵切りにでもされたかのような惨状だったそうだ。そんな彼女が昨日、書架へと戻した本は料理本だった。
彼の不思議は落とした本に関連した死を、それを書架へと戻した者に贈るのだ。そう伝わっている。
「ふぅむ、キミは既に理化学の本を落とされて遭遇していた、と」
「まあ、そうですね。でもでもただの怪談話ですし、偶然かと」
「なるほど。では本日キミが硫酸の海に沈んでいても偶然、というわけか」
「なんでそんな具体的に……。いや、そんな危険な場所には近寄りませんよ!」
反論する彼女に構わず、ゲンジョウは顎に手を当てて思案する。聞いておいて自分の事を無視する彼に、ヨーコは憤慨した。が、そんな彼女の抗議すら無視され、ヨーコは閉口する。
暫しの沈黙の後、ゲンジョウが口を開く。
「中々面白い。不確実な物ならば検証し、明らかにすべきが理化学の宿命である。それがただの幻夢であるか、それとも幻魔であるか、興味が湧くではないか。」
くつくつと笑う彼の目は、実に怪しく輝いていた。嫌な予感がしたヨーコは、その場から逃走するために長椅子から立ち上がろうとする。しかし、それよりも早く、彼女は声を掛けられてしまった。
「ヨーコ君、今日の夕方に研究所へ来たまえ。仕事だ」
「ええぇ……」
「給金分は働いてもらおうではないか」
「うう、分かりましたよぉ。危ない事では無いんですよね?」
「……………………うむ、おそらくは大丈夫である可能性が無いかもしれない」
「沈黙が長いっ! それに何だか訳分からなくされてる!!」
ヨーコは嘆いた。
「さて、吾輩はそろそろ行くとしよう。まだまだ整備が必要な物が多いのでね」
彼女の嘆きは完全に無視し、ゲンジョウは長椅子から立ち上がる。ヨーコを置き去りにして、振り向く事無く手を振って去って行った。
「はあぁぁぁ…………。なんだかすっごい嫌な予感がするぅ」
肩を落として、大きなため息を吐く。
「ん?」
そんな彼女の視界に何かが入った。
「あああ! あの変人、ゴミ置いてった!!!」
それはあんパンの包み紙と牛乳瓶が入った、ゲンジョウの昼食の残骸。ぶつくさと文句を垂れながら、ヨーコは残り少ない昼休み時間でゴミ処理をする羽目になったのであった。




