第二討 ヱレキテル
「いや、なんですかコレ!!!???」
薄暗い研究所内にヨーコの叫びが響く。それも当然、ほぼ無理矢理に一時間近くの映画を見させられたのだから。だが彼女の声に対して灰髪男は、肩をすくめるばかりである。
「一時間近くのキネマで十二分に説明したではないか」
「分からないから言ってるんです!」
ガタゴトと椅子を揺らしてヨーコは抗議する。
「それよりも! さっさと!! これを!!! 解いて下さい!!!!」
彼女は今、椅子に縄で拘束されていた。歓迎の言葉の後に、まあ座りたまえ、と促されて腰を掛けた椅子。それの背もたれから突然縄が飛び出し、ヨーコの身体をグルグル巻きにしたのである。胸辺りで腕ごと縛られている事で、彼女は身体を捩らせて椅子を揺らす事しか出来ないのだ。
「こらこら、暴れるんじゃない。大事な実験だ……研究助手が怪我をしてしまうではないか」
「いま、実験台って言おうとした! というか、既に研究助手にされてる!?」
ヨーコはその場から逃げようと、前に後ろに椅子を揺らす。器用な事に、彼女は椅子の脚を上手く使ってカタコトと歩き始めた。
「ほほう、器用な。これは中々良い実験台になりそうだ」
「今度は完全に実験台って言った!逃げなきゃ!!」
「まあまあ、取って喰いやしないさ。さあ戻ってきたまえ」
「ふえっ!? わびゃあっ!!??」
椅子の脚の先端から、急に車輪が飛び出して回転する。逃げようとしていたヨーコを連れて椅子は、猛スピードで灰髪男の下へと彼女を連れ去った。
「はい、おかえり」
「うぐぅ……、なんなんですか、一体…………」
がくんと項垂れてヨーコは、か細く問うた。それに対して男はパチンと指を鳴らす。
「キネマで分からないのであれば言葉で伝えよう。さて、まずは質問だ。キミは街中で、何故か店が良く変わる場所を見た事は無いかね?」
「は?何の意味が……」
「いいから答えたまえよ」
「ま、まあ、見た事はありますけど…………」
角地にあった雑貨屋に行ってみようと思っていたら、一か月後に焼鳥屋になっていた。次に通りかかった時は居酒屋に、また二か月後には遊技場に早変わり。立地は悪くないにもかかわらず、随分と入れ替わりが激しいな、と思った事がある。
「そうだろう、そうだろう。その現象に何か見えない力が働いているのではないか、と考えた。そして吾輩は見付けたのだ!」
両腕を大きく広げ、男は天を仰ぐ。実に大仰な仕草、ヨーコには芝居がかって見えた。それはそれとして彼女は、店が入れ替わる理由について僅かに興味が湧いてしまった。
「な、何を?」
「ふふふ、特定の場所にだけ生じるエネルギィだ! それこそがヱレキテルなのだ!!!」
「ヱ、ヱレキテル…………???」
灰髪男が勝手に作った言葉など、ヨーコが理解できるはずがない。困惑する彼女の様子に気付き、男は解説を続ける。
「簡単に言い表すならば、幽霊や妖怪の正体見たり、であろうな。つまりはいないはずのモノ、無いはずのチカラ。それをエネルギィとして定義したという事だ。分かるかね?」
「い、いや全然……」
「ふーむ、どう説明したものか……」
察しが悪い研究助手だ、とでも言わんばかりに男は顎に手を当てる。椅子に拘束されたままのヨーコの周りをグルグルと歩き回り、三周したところで彼女の正面で立ち止まった。
「まあいい。実際に見せた方が早かろう」
灰髪男は懐から小さな遠隔操作機を取り出して赤いボタンを押した。それを受けて壁の電子管《ニキシー管》が駆動し、オレンジの文字を映し出す。ひっくり返した試験管のようなそれに表示されたのは『ヱレキテル』の字。
「え、え、え!? なに何ナニ!?」
壁を這うように設置された配管が光り出す。逃げる事もままならないヨーコは、混乱しながら周囲をキョロキョロと見回す事しか出来なかった。
「さあ、見るがいい。この世界の半歩外にある異なる世界を!」
男の言葉と同時に、研究所の内部が青白い光に満たされる。光が生じているにもかかわらず薄暗く感じる、なんとも不思議で落ち着かない空間へとその姿を変えた。そして、ヨーコの目はある一点に釘付けとなる。
「え……なに、アレ…………」
ガラクタを退けられて作られた少しだけ広い場所。そこの中心にフワフワと黄色とも白とも言いにくい、ぼんやりと輝く光の玉が浮かんでいた。それはときおり右へ左へ動き、ヨーコに気付いたかのように彼女の方へと漂ってくる。
「ひっ、寄ってこないで! な、何なんですかコレ!? いや、本当にナニ!?」
「安心したまえ、ここにいるものは悪さはしない。どうやら好奇心は強いようだがね。吾輩や発明に対して興味を示しているような行動をとるのだ。これこそがヱレキテル、その正体である」
男はパチンと指を鳴らす。それと同時に、ヨーコを拘束していた縄が椅子に収納され、彼女の身は自由となった。恐れつつも僅かな興味を抱いて、ヨーコは光の玉へとゆっくり両手を伸ばす。そして、逃げる事をしないそれを優しく掴んだ。
「え!?掴めた!? ただの光じゃないんですか、この…………ナニか!」
「そう言っているではないか。まあしかし、実体化させる装置あってこそだがね」
理解力の低いヨーコに呆れるように、灰髪男は肩をすくめる。実に理不尽である。彼の態度は気に食わないが、ヨーコの意識は光の玉に向けられていた。まるで綿の塊に触れているかのようで、柔らかだが崩れそうな物体だ。
「おっと、そろそろ稼働限界だ」
男がそう言ったと同時に青白の空間は、元の暗い場所へと戻る。ヨーコの手の中に在った光の玉は、初めから存在していなかったかのように姿を消していた。
「あ、え、うぇ……? ええと、ほぇ?」
混乱と困惑、それがヨーコを埋め尽くして妙な声しか出せない。逃げようとしていた先程までとは異なり、彼女は自分の意思で椅子に掛け続けていた。
「さて、助手候補君。吾輩の研究を手伝う気はあるかね?なかなか経験できる事ではないとは思うがね」
男の言葉にヨーコは逡巡する。先程の光の玉には興味があるが、怪しさ満点の男に協力するのは気が引ける。彼女は決めかねて、うぅん、と唸った。
「よし、決まりだ! これを進呈しよう!」
カチャン
「え?」
灰髪男はヨーコの左手首に金色の腕輪を装着する。先程の唸りを肯定と都合よく捉えたようだ。それによってヨーコは捕らえられてしまった。
「ちょっ、なんで!? 私まだ返事してないですよ!」
「おや、そうだったのかい、いやぁ失敬失敬。あ、その腕輪は外れないからね」
「んなっ!? ぐっ、本当だ!外れない!! 外してください!!!」
「無理だよ。それは先程完成したばかりの試作品で試験運用していないからね。外すための装置はまだ作っていないのだ」
「ウッソでしょ!?」
全力で外そうとしてもビクともしない。《《あそび》》がある事で上下には多少動くが、手を抜くような余裕は無かった。しばし無駄な抵抗をしたのち、ヨーコはがくりと肩を落とす。
「まあそう落ち込む必要は無い。一応は装飾に気を遣ってはいるからね。結構洒落ているだろう?」
「そういう問題じゃないです……。なんなのこの人…………」
「おお、そうだった。まだ自己紹介をしていなかったな!」
灰髪男はそう言って、またもや両腕を大きく広げる。
「吾輩こそは平賀ヱレキテル研究所の所長にして、稀代の発明家。理化学及び機械工学の申し子。平賀幻尉である!!!」
灰髪男、ゲンジョウは高笑いする。呆気にとられたヨーコを置いてきぼりにして。こうして彼女は、ほぼ強制的に彼の研究助手《実験台》となったのだった。