33
今は前線とも呼ばれる紅夜叉会と九竜会の縄張りの境界付近に住む者は、当たり前の話だがあまりいない。
何故なら何時小競り合いが起きて、流れ弾が飛んでくるかわからないし、相手側の構成員に見つかれば殺されてしまう可能性も低くないから。
ただ、最初からそうだった訳ではなくて、央京シティに周辺地域からの避難民が流入し、外周部が形成された初期の頃には、この辺りにも多くの人が住んでいたそうだ。
九竜会が人を攫ったり、それに怒った紅夜叉会が攻撃を仕掛ける等して、この辺りの治安が低下するまでは。
今でもその名残として多数の建物が廃墟として残り、紅夜叉会と九竜会の戦場になっている。
紅夜叉会では、恐らく九竜会もそうなのだろうけれど、廃墟となった建物の中でも大きめの物を改修して要塞化し、前線の拠点として使っていた。
浅葱が視察、激励して回るのは、そんな前線に幾つもある拠点である。
当然ながら、危険は非常に大きい。
紅夜叉会の構成員が辺りを守っているとはいえ、身を隠す廃墟が多く、人目は少ない前線は、忍んで行動するのに向いた場所だ。
例えば僕なら、今行って来いと命じられれば、こっそり忍んで、九竜会側の拠点に火炎瓶やら何やらを投げ込むくらいは、然して難しい事ではなかった。
そして僕にできるなら、敵にだってできる。
もちろん誰にでも可能って訳ではないけれど、僕が武術の技を真似てるあの老人辺りなら、容易くやってのける筈。
なので今、僕が最も警戒してるのは、突如としてあの老人が現れて浅葱の命を狙わないか。
あの老人だけは、今、この場にいる護衛の中では、僕じゃなきゃ止められない。
これはうぬぼれとかじゃなくて、相性の問題なのだ。
僕は、連携した機械兵の部隊と正面から戦っても歯が立たないだろう。
しかし連携した機械兵の部隊をすり抜けてしまうような相手でも、一定時間ならば食い止められる。
紅夜叉会の戦闘部隊に所属してから頻繁に感じる事だけれど、強さって本当に難しい。
浅葱は、拠点を訪れる度にその場にいる構成員の全てに話しかけていた。
内容は、別に大した事は言ってない。
何か足りないものはないか?
調子はどうだ?
頼りにしてる。
その程度の言葉を、一言二言交わすだけ。
ただその言葉をよく聞けば、浅葱が相手の事をちゃんと認知しているのがわかる。
新しく加わった若い構成員には、慣れたか?と問い、ベテランの構成員にはこれが好きだったよなと煙草を手渡す。
単に記憶力が良いというだけの話じゃない。
死という入れ替わりのある構成員を把握する事は、精神的な負担だって皆無じゃない筈だ。
けれども、浅葱はそれをしていた。
僕は、それを何故とは問わない。
もう浅葱がどういった人間なのかは、何となくだが掴めていたから。
彼は悪人だ。
人の心を掴み、人を戦いに追いやる。
戦いへと追いやる人を認知して、知って尚、それが必要であるからとやめなかった。
そう、それがどうしても、今は必要なのだろう。
戦わなければ、九竜会に支配され、多くの人が悲惨な運命を辿る。
誰かが命を張らなければ、脆い秩序は維持できない。
これが、必要悪というやつだろうか。
故に僕は、浅葱を守る。
それに気付いた僕は、一歩前に出て、浅葱に並ぶ。
彼が拠点を出た瞬間を狙って、はるか遠くの建物、廃墟の上から、一発の弾丸が放たれた。
狙撃だ。
極限まで集中し、高めた僕の動体視力は、飛来するその弾丸を捉える。
身体で受け止めるのは、……狙撃銃は些か厳しい。
僕の皮膚は強化で硬度を高めれば、小口径の銃くらいなら防ぐが、狙撃銃の貫通力はそれよりもずっと高いだろう。
肉も含めれば多分止め切れると思うけれど、その場合は僕へのダメージが深刻だ。
身体に埋まった弾丸は、外科的な治療で取り除かなければ、幾ら治癒能力を高めても意味がない。
そうなると僕は、暫くの間、任務を休む事になる。
……最近、何だか妙に忙しいし、それもいいかなぁって少し思ってしまうけれど。
僕は飛来する弾丸の側面に右手の甲を添えて、推進力の方向を変えた。
弾丸は回転しながら進む為、その回転力が右手の甲を抉るけれど、僕の狙い通りに弾丸は向かう方向を変えて、拠点の壁に穴を穿つのみ。
「狙撃だっ。祭様を早く中へ!」
僕の叫びに動いた護衛達が、祭を拠点の中へと避難させる。
これでひとまず、彼の安全は確保されるだろう。
だから僕は、地を蹴り、壁も蹴って、付近の廃墟の屋上へと跳び上がった。
あの狙撃手は逃がせない。
一体どうやって浅葱がこの時間に拠点を訪れる事を知ったのか、聞き出す必要がある。
偶然に発見されただけならば、それでよし。
そうではなく、情報を漏らす誰かがいたなら問題だ。
或いは、情報源が八之竜の予知だったなら、僕がその予知を覆してなければ、浅葱は頭を打ち抜かれていた。
もしも八之竜が紅夜叉会の幹部を狙っているなら、浅葱だけじゃなく、他の幹部も予知への対策が必要になるだろう。
けれども、浅葱が狙撃をされた事で殺気立ってる構成員達に任せると、仮に捕まえられたとしても、情報を聞き出す前に狙撃手を殺しかねない。
屋上の縁を蹴って、次の屋上へ。
失敗を察した狙撃手は、既に逃亡態勢に移ってる。
そりゃあ捕まれば命はないから、必死に逃げるのは当然だ。
でも、逃がさない。
僕は捕まえれば、狙撃手が情報を搾り取られた上で殺されるとわかっていても、捕まえて浅葱に引き渡す。
それはきっと、怒りに任せて殺すよりも、ずっと惨い事なんだろうけれど……。
追いつかれた狙撃手は、取り回しのいい拳銃を抜いて、僕に向かって発砲をした。
しかし狙撃銃ならともかく、単なる拳銃では僕の皮膚を貫く事なく……、間合いを詰めた僕の拳が狙撃手の鳩尾にめり込んだ。