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大きく蹴り飛ばした相手を、着地後、すぐに地を蹴って追う。
攻撃を加えたのはこちらなのに、僕の背は冷たい汗で濡れている。
一撃で仕留め切れるとは思っていなかったけれど、まさかあのタイミングで腕の一本も折れないのは想定外だ。
足に感じた衝撃が、思った以上に軽い。
あんなに大きく吹き飛んだのは、いかなる方法か、僕の蹴りの威力を身体で留めず、推力に変えて受け流したからだろう。
流石に全くダメージが入ってないとは思いたくはないが、初手で相手の戦闘能力を削るという目論見は、果たせなかった。
離れた場所で、僕は老人と向かい合う。
……向かい合っているんだけれど、老人は不思議そうな顔をして、僕と自分の腕を見比べながら、
「小僧、どこから湧いた? いや、その力なら、紅夜叉会の者だな。しかし儂の狙いは将の首のみ。差が理解できるなら退いておけ」
嘲るようにそんな言葉を吐く。
でも僕はそんな言葉はあまり耳に入らなくて、その老人の姿に納得していた。
なるほど、この人なら、そりゃあ戦闘部隊のリーダー格でも殺せるだろうし、僕の蹴りだって受け流せてもおかしくない。
この廃墟に入ってから感じてる奇妙な懐かしさも、或いはそのせいか。
僕は、この老人に見覚えがある。
知人や、顔見知りって訳じゃない。
ただ僕がこの地下闘技場にいた頃に見かけたファイターの中で、最も強かったのが、そう、今、目の前にいる老人だった。
確か彼が活躍してたのは、地下闘技場が崩壊する二年か、三年くらい前だ。
いつの間にか姿を見なくなっていたから、てっきり死んだものだと思ってたけれど、九竜会に引き抜かれてたらしい。
よく考えてみれば、この老人を殺せるくらいの使い手が他に地下闘技場にいたなら、もっと僕の印象に残ってただろうから、そりゃあ生きてても不思議じゃないか。
僕が無言で構えを取ると、老人もフンと鼻を鳴らして、同じく構える。
その姿には、やっぱりとても見覚えがあった。
一手対処を誤れば死にかねない。
久しぶりの感覚に、僕はやっぱり懐かしさを覚える。
この地下闘技場にいた時は、常にそうだったから。
先に動いたのは老人だ。
真っ直ぐに突き出される右拳を、僕は左手で払って、逆に右拳を突き入れる。
いや、正確には右拳を打たされた。
ここで拳打を放たねば、次は老人の流れるような連続攻撃が始まって、僕はそのまま叩き潰されただろう。
だからその流れを切る為に、攻撃をした事は間違っちゃいないんだけれど、しかしそれは老人に誘導された動きである。
ぬるりと、滑るように僕の拳を躱した老人が、懐に潜り込んでの肘撃ちを放つ。
まともに受ければ、あばら骨が数本まとめて圧し折れる強烈な肘打。
しかし僕はこの一連の動きを見た事があったから、老人の肘が突き刺さったのは、僕のあばらじゃなくて差し込んだ左の掌。
申し合わせたわけではなかったけれど、お互いに三歩、タタっと離れる。
左の掌が、衝撃にビリビリと痛む。
老人は、今の攻防で仕留め切れなかったのが意外なのだろう。
怪訝そうな顔をしている。
僕はその事に、いいや、久しぶりにこれ以上ない手本を間近で見ている喜びに、思わず笑みを溢してしまう。
あの頃は何度も何度も老人の戦いを見た。
そして目に焼き付けた動きの数々を、何度も何度も反芻した。
死の恐怖に震えながら。
何しろ、お互いが地下闘技場にいる限り、何時かは戦わされるのだから。
結局、僕と戦う前に老人は地下闘技場から姿を消して、戦う事はなかったんだけれど、あの恐怖に震えながら必死に反芻した老人の動きは、僕の中に焼き付いている。
それがなければ、僕は地下闘技場がなくなるまで、生きてられなかったかもしれない。
もちろん、先程の攻防だって、それがあったからこそ切り抜けられた。
僕は、身体能力よりも、視覚、聴覚、嗅覚といった、感覚を意識的に強化する。
今、大切なのは強い力でも素早い動きでもない。
老人の動きを全て、筋肉の僅かな動きですらも感じ取り、それを学ぶ事だろう。
僕はまだ、目の前の老人に勝つには足りてなかった。
だからこそ、攻撃を対処しながら学んで、この戦いの最中に成長しなければならない。
次は僕から、踏み込んで打つ。
打って払われ、打たれて払い、バチバチと音を鳴らしながら、暫し打ち合う。
どうしたって技量に差があるから、老人の拳は幾つか僕の身体に届く。
けれども動きを感じ取る事に集中してるから、ギリギリのところで身を躱す僕に、その拳は致命打には至らなかった。
もちろんダメージはあるし、何よりも集中し続けてるから、そういった意味でも消耗は激しい。
体と心を削られながらも、僕は老人の動きを学び続ける。
一瞬、老人の背中が見えたかと思うと、伸びた足が僕の胸を突く。
打ち合いの最中の突然の後ろ蹴り。
でもふわりと、直前で地を蹴っていた僕の身体は、後方に跳ぶのみで然したるダメージはない。
「ふむ、不思議な小僧だの。余程に目が良いのか、よく躱しよる。儂の動きが見えておるのか、真似までしよるの。これは殺すには些か惜しいが、……まぁ、止む得ん」
老人は、一つ溜息を吐き、また構える。
僕もまた、老人とよく似た構えを。
ここまでの戦いで、一つ分かった事があった。
この老人は、確かに僕と同じく自己強化能力の持ち主だが、強化しているのは動きの速さのみだ。
技の威力は、速度と正確さが生み出す物で、筋力自体は人並みから大きく外れていない。
目、耳、鼻等の、僕が今特に力を入れて強化しているそれらの感覚も、老人は未強化の様子だった。
つまり単純に自己強化能力の性能だけで言うならば、僕の方が圧倒してる。
老人は一歩踏み込んで、僕も一歩踏み込んで、互いの拳と拳がぶつかり合う。
そしてその状態で思い切り地を踏みつけて、生じた力に捻りを加えて増幅しながら、自分の拳から相手の拳へと膨れ上がった衝撃を流す。
バチンと、二人の拳の間で力が弾けた。