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身体を軽く、細かくステップを刻みながら前に出る。
対戦相手は攻撃モーションの小さな素早い拳、……確かジャブとかいうパンチ技を幾つか繰り出して僕を迎え撃つが、それを搔い潜って懐へと潜り込む。
あぁ、身体が大きな事による強みは、もう一つリーチの長さもあったか。
尤もそれも、たった今潰したけれど。
まるで待ち構えていたかのような膝蹴りも飛んでくるが、僕は相手の側面へと回り込みながら、それも躱す。
するとそこにあるのは、対戦相手の無防備な脇腹だ。
いや、やっぱりそこも金属の装甲に覆われているから決して無防備ではないんだけれど……、僕は構わずそこに手のひらを当て、その状態で強く地を蹴る。
地を蹴れば、当然ながら反発する力が生まれ、僕はその力を足から膝、膝から腰、更に腕へと捻りを加えて増幅して伝え、膨れ上がった力を手のひらから、相手の脇腹へと注ぎ込む。
これは以前に、地下闘技場で多くの勝利を重ねた有力なファイターが使用していた技だ。
そのファイターはかなりの老齢、簡単に言えばお爺ちゃんだったが、僕の知る限りでは最も多彩に技を駆使して、次々と勝利を積み重ねていた。
今使ったこの技は、彼が試合で見せたそれを、見よう見真似で再現したものである。
ただ残念ながら、試合の動きを見ただけではわからない要素があるらしく、再現度は、正直に言ってあまり高くはない。
それでも、今の対戦相手のように、硬い装甲を纏った相手にも一定の効果が出るから、僕はこの技を頼りにしていた。
しかし、僕の手に伝わる手応えは軽い。
咄嗟に身を捻られて、攻撃の芯を外された。
更に身を捻りながら振り下ろされた肘が、僕の額を軽く掠めて、一瞬意識がくらりとする。
歯を食いしばって意識を保ち、即座にバッと後方に跳んで、距離を離したのはお互いに。
どうやら僕の技も、芯を外されはしたものの、幾らかのダメージは与えた様子。
僕も対戦相手も、想定外に受けた自分のダメージを確認する為、ほんの僅かでも猶予を欲した。
あぁ、本当に嫌な相手だ。
硬い装甲で身を守っているにも拘らず、慢心が一つもなかった。
力もあって、反射速度も速く、尚且つ繰り出す攻撃の一つ一つに確かな技術が感じられる。
つまり簡単に言えば、この対戦相手はとても強い。
勝ち目が全くないとはまだ思っていないが、たとえ勝てたとしても大きな負傷は避けられないだろう。
今日を勝って生き抜いても、弱って次の試合を迎えれば、勝率は著しく低くなる。
仮にまた次を勝っても、より深い傷を負えば、その次の戦いで死ぬかもしれない。
僕は、そうやって死んだファイターを何人も見てきた。
敗北が即座に死とは限らないけれど、僕は慈悲を、対戦相手にも、もちろん地下闘技場の運営にも、期待してはいないから。
こんなに強い対戦相手と当たった事は、本当に運が悪いとしか言いようがない。
なのに……、どこかこう、心が湧きたっているのは、何故だろうか。
繰り出される強烈な攻撃を捌き、隙を伺う。
どこをどんな風に殴られてもダメージを受けるこちらと違い、金属装甲で身を護る対戦相手には、装甲の隙間を突くか、装甲の上からでも中に届く技を使わなきゃならない。
必然的に、僕の攻撃の機会は、対戦相手に比べて限られる。
幾度かの攻防の最中、パンチを躱し、伸びきった腕の、肘を強く押すように叩く。
伸びきった腕が、更に反って伸びるようにと。
関節は装甲の上からでもダメージが通る事を期待できる部位で、あわよくば腕を圧し折ってやりたいと思ったんだけれど……。
僕の攻撃と同時に繰り出された相手の足、キックが腹に突き刺さってしまって、腕を圧し折る前に弾き飛ばされた。
並の人間なら、内臓が破裂していたに違いない強烈なキック。
僕は皮膚、筋肉の硬度を高めていたから、致命傷とはならずに済んだが、流石にそれでも恐ろしく痛い。
戦いの興奮状態でも消し切れない痛み。
鋭い痛みと、鈍い痛みの両方が僕を襲ってくる。
正直、腹を抱えてうずくまりたいが、そんな隙を晒せば、僕はあっという間に仕留められてしまうだろう。
だから暫くの間、痛みは無視だ。
何しろ、相手の構えが打撃を目的としたものから、組み付き狙いのそれに変わった。
打撃戦なら、軽さは速さという武器にもなりうるけれど、組み付かれてしまったら大きくて重い方が圧倒的に有利。
組まれれば、流石になす術もなく、擦り潰されてしまう事が目に見えている。
それを避ける為には、掴みに来たところを強力な打撃で迎え撃ち、ノックアウトしてしまうより他にない。
金属装甲に護られた相手でも、腕か足、どれか一本を使い潰す心算で全力の攻撃を行えば、防御を貫き、倒し切る事も可能の筈だ。
当然ながら、使い潰した腕の修復には大きく時間が掛かるけれど……、僕は自分の体の治癒能力も強化できるから、並の人間よりは負傷期間も短くて済む。
他の方法を考える暇も、負傷を恐れて迷う暇もない。
僕は大きな構えを取って、
「自己強化、全力解放」
自分の力、自己強化の超能力の出力を、思い切り高める。
これは僕の切り札だ。
短い時間、普段よりも強く自分を強化できる代わりに、その後は暫く強化の力が弱まってしまうという、リスクも孕んだ切り札。
けれども今回の対戦相手は、札を伏せたままじゃ到底勝てそうにない強敵だから。
僕は負傷を恐れず、出し惜しみもなく、全力を使う。
……でも、その時だった。
ドンッ!っと大きな爆発音がして、ズズッと闘技場が揺れたのは。
それでも僕は、目の前の相手から意識を逸らさず、何時動かれても迎え撃てるように、そちらにのみ意識を集中させ続けていたのだけれど、
「はぁ、やっとか。全く遅ぇんだよ」
対戦相手はそんな言葉を吐き捨てて、何と構えを解いてしまう。
当然ながら、それはこれ以上ないくらいに、圧倒的な隙だった。
なのに、僕はそんな対戦相手を前に、混乱するばかりで動けない。
だってこれまでに、この地下闘技場で、戦いの最中に構えを解いて、戦意を消してしまう相手なんていなかったから。
戦い方を知らず、嬲り殺しにされるだけの少年少女なら、最初から最後まで戦意を見せないなんて事も、そりゃあなくはなかったけれど……。
今回の対戦相手は僕が覚悟を決める程に強くて、何ならあちら側が有利ですらあった筈なのに、どうして?
何かの罠か?
いや、それにしては本当に、彼の意識はもう僕に向いてなくて、周囲へと向けられている。
……周囲?
そういえば、あの爆発音の後から、銃声が鳴り響いて、観客が逃げまどってる?
どういう事だろうか?
「あー……、お前、何が何だかわからんって顔をしてるが、もう終わりなんだよ。俺とお前の試合の話じゃなくて、この地下闘技場自体が、今日で終わりだ。お前は自分の飼い主を守りに行ってもいいし、首輪に繋がれていた恨みを晴らしに行ってもいいし、そこでぼんやりしててもいい。なるようになるだろうさ」
対戦相手……、だった男が、まるで僕を気遣うかのように、そんな言葉を口にする。
さっきまで、散々に化け物だと罵ってきたその口で。
ただ、彼の言葉に、幾つか気付いた事があった。
恐らく、今この地下闘技場は、敵対する何かからの襲撃を受けていて、その手引きをしたのが目の前の男なのだろう。
何しろ買ってきた子供に絶望的な戦いをさせて、嬲り殺されるのを見世物にするような場所である。
運営も碌な組織じゃなかったし、敵対者が少なくない事は、想像に難くない。
わざわざ男がファイターとして戦いに参加したのは、この場所を突き止め、襲撃者を誘導する為か。
でもその辺りの事情は、男や襲撃者、或いは地下闘技場の運営の問題で、僕にとってはあまり関係がない話だ。
……けれども、僕にとってより重大な問題は、この地下闘技場がなくなってしまう可能性が高い事。
僕にとって、この闘技場、またその運営は、僕を戦わせて死地に追いやる忌むべき存在だった。
それは間違いないのだけれど、それがなくなってしまうかもしれないと聞いて、初めて、僕はこの闘技場に生かされてもいたのだと、気付いてしまう。
だって、この場所から解放されて、僕はどうやって生きていけばいい?
これまでは、ただ自分が死なないように相手を倒せば、少なくとも次の試合までは生きる事ができた。
しかし組織がなくなれば、僕は何をすれば良くて、何をどうすれば生きられるのか、何もわからなくなる。
何しろ、僕はこの地下闘技場が一体どこにあるのかすら知らないのだ。
「おいおい、何だよその顔は。お前、幾ら素手だからって俺とやり合える奴なんて、そうザラには居ないんだぞ。さっきの攻撃で、何故だか脇腹じゃなくて背中が痛ぇし。……力があるなら、好きな事をすればいいじゃねぇか。それで駄目なら、死ぬだけだ」
僕を見て、呆れたように男が言う。
背中が痛いのは、僕の技の衝撃を強引に逸らすからだ。
大人しく受けてくれていたら、今頃はこうして立っていなかった筈。
そして実に簡単に、死ぬだけだなんて風に言うけれど、僕はそれが嫌で、数年間この地下闘技場で足掻いてきたのに。
だが、好きな事をしていいと言われて、今、この場で、一つだけしたい事を思い付く。
「わかった。好きな事をしていいなら、今、この場で、貴方には勝っておきたい。……今を逃すと、もう戦えなさそうな相手だし」
この数年間で、僕の中には戦いしかなくなった。
だから今、僕の中に残ったやりたい事は、やっぱり戦いだけだった。
構えを取った僕を見て、
「……くそっ、藪蛇だったか。お前、やっぱり紛れもなく化け物だよ。でも、好きな事をやれって言ったのは俺だしな。仕方ねぇ。お前が戦いたいなら、やってやる。でも一つだけ、お前の名前を教えろ。俺がお前を殺したら、忘れないでおいてやるからよ」
男は顔を顰めたけれど、拳を固めて構えを取る。
名前、名前か。
親に売り飛ばされる前に使ってた高峰秀一って名前はあった。
でも今更、それを名乗ろうとは思わない。
ここに来た当初は、おい、とかお前とか、或いは番号で呼ばれた。
多分すぐに死ぬだろうと思われてたから、僕の名前なんて誰も気にしなかったのだ。
だけど長く生き残り、僕はシュウと呼ばれるようになる。
元の名前から一字を取って、売り物なるファイターとして、便宜上の名前が付けられたのだ。
「僕はシュウ。自己強化能力者のシュウだ」
結局、今の僕は地下闘技場のファイターであるシュウでしかない。
そう言って、……こちらには名乗らせた癖に、自分は名前を教える気がなさそうに、手招きをする男に向かって、強く地を蹴り、飛び掛かる。