佐倉のレッスン3
雨でもないのに佐倉がビニール傘を持ってグラウンドに現れた。
今日も佐倉のレッスンが始まる。
「さて、今日からバッティングを鍛えていこう。そこで監督におたずねしますが、バッティングの極意とは?」
「好球必打!」
間髪入れず答えた。いい球を待って確実に仕留める。栞でも知っている言葉だ。
「はい正解。バッティングの基本であり、極意ですね。では好球必打で簡単に打てるようになると思う人?」
子供たちに意見を求める。そのききかたでそうだと思う人はいないだろう。卑怯だと栞は思った。あんのじょう、うなずく選手は一人もいない。
「そう、必ずしもいい球が来るわけではない。だからバッティングは水ものであり、極まるところがないんだ」
佐倉の演説は熱を帯びてきた。やはり本人としても打撃に情熱を注いでいたというのがあるのだろう。
「まず最初に打席での構えだ。それぞれの個性を尊重したいところだが、俺の考えを聞いてほしい」
選手にはそれぞれのバッティングフォームがある。それに手を付けるのは佐倉も避けたいのだ。
「監督、バットを構えてみて」
栞は佐倉にダシにされ続けている。いい加減に見返したいところだ。
球界の至宝と名高いスワローズの山田哲人選手の構えを模して。バットを上段に構えた。
「うん、美しい構えでいかにも打ちそうだ」
子供たちもうんうんとうなずいている。だが、一人だけ反応のよくない選手がいた。
「セイヤ、どう思う」
セイヤはラデッシュの4番だ。その打力はナンバーワンである。ただ、引っ込み思案でおとなしい。真面目なのはいいのだが、闘争心に掛けている部分があった。
「えっと、おれだったら力んじゃって打てないかな」
はにかみながら答えた。
「そうだな。監督の場合腕から肩から上半身に力が入りまくっている。おまけに顔もな」
言われてみるとそうだった。構えを維持するのに腕に力を込めねばならず。カタくなってしまっている。顔は山田選手の打席での鋭い眼差しを再現したつもりだった。
「力んでしまうとバットコントロールができなくて結果凡打になる。セイヤ構えてみて」
セイヤは自らの構えを作った。棒立ちで、グリップの位置は上段どころではなく胸の下、腹のあたりだ。一切の力みが感じられない。見方しだいではやる気が感じられないともとられそうだ。
「ここまでやれとは言わないが力の入っていないいい構えだと思う。こんなんでもセイヤは一番打つし、飛ばすだろ? バットに当たらなきゃ意味がないんだ。みんな参考にしてみて」
選手たちが思い思いにバットを構え始めた。
「で、力を抜く感覚をつかむために使えるのが、これ」
そう言って持参したビニール傘を取り出した。
「監督持ってみて、雨が降ってるみたいに」
栞は傘をさした。右手でやや肩に担ぐ格好だ。いっさい力は使っていない。
「それに左手を添えるとセイヤ風の構えだ。みんなもやってみて」
栞は近くにいたカズオに傘を渡した。カズオは傘をさして「なるほど」と何かを感じたようだ。次々隣の選手に傘が渡っていく。納得いったもの、いかないものによって反応は様々だ。
一番時間をかけていたのはすでに習得しているはずのセイヤで、真面目な性格が出ている。
「あれがやつのいいところであり、弱点でもあるんだ」
佐倉が呟いた。
「どういうことですか?」
栞は訊いた。
「ああいうのは細かいことにこだわりすぎて一度スランプに陥ると長いんだ。かくいう俺もそうだった」
二日酔いで夕方まで寝ていた佐倉が真面目なのかと疑問に思ったが、野球に対する姿勢は本物だ。付き合いは短いが栞はそれを感じていた。
リラックスをテーマにした打撃練習を重ねて、平日が過ぎていった。土曜日は練習試合である。
「好球必打よ」
試合前に選手たちに声をかけた。
佐倉はしばしばバッティングは水ものと表現するが、すぐに練習の成果は出なかったようで、ぽつぽつと安打は出たものの、一人を除いて目立ったバッターはいなかった。
本日のお立ち台はセイヤのものだ。二本のランニングホームランを放った。ソロとツーランで三打点。これが本日のラディッシュの総得点だ。
お立ち台と言うことは、である。ついにその時が来た。ラディッシュが今シーズン初勝利を挙げた。最終的なスコアは3-2。
七回を無失点で抑えたヒサシとアツヤのコンビはマウンド上で抱き合って喜んだ。
相手チームに苦笑されていたが、栞も涙が出るほど嬉しかった。思わず佐倉に握手を求めたが「なんだよ気持ちわりい」と言って拒否された。
ヒーローのセイヤも上機嫌で味方選手によるインタビューに生き生きと答えている。
これには佐倉も笑った。セイヤのおしゃべり好きな意外な一面を見た。
ともかく、この試合でセイヤはリラックス打法の良さを半信半疑の味方の選手たちに知らしめたのである。
これは佐倉の指導によるところではなくもともとセイヤに備わっていた実力である。
セイヤがいて、センスの高いカズオがいて、頼れるバッテリーのヒサシとアツヤがいる。
栞は弱小と呼ばれたラディッシュの地力の高さを感じた。




