佐倉のレッスン2
月曜日、いつものキャッチボールが終わると佐倉が選手たちを集めた。
「守備について、一つだけ心がけて欲しいことがある」
「一つだけでいいんですか?」
栞は口を挟んだ。守備のテクニックなんてそれこそ数えきれないほどあるだろう。
佐倉が頷く。
「プロだってエラーはするだろ。一試合での守備機会なんてたかが知れてるし、大体俺も守備は嫌いだ」
そういえば佐倉は昔優れたバッターだったと聞いたことがある。優れた選手とは言っていない。案外最後の守備が嫌いだというのが本音なのかもしれない。
「わかりました。続けてください」
「みんなに心がけて欲しいこと、それは逆シングルで捕ることだ」
「逆シングルって何ですか?」
先週に引き続いてまたもや聞きなれない単語が出てきた。実際のところ野球中継で耳にしてはいるのだが、何のことかよくわかっていなかった。
「監督のおかげで話が進まないね。ま、いいや。いまさら聞けない子たちもいるかもしれないから」
そう言うと佐倉はいきなりボールを栞に向かって放り投げた。
栞は慌てて受け止めた。
「さて、いまどうやって捕った?」
「どうって、両手でこう」
栞の手はボールを捕まえた形のままだった。
「そう、そのように両手で捕るのが基本。よくできました」
監督に就任してから初めて褒められた気がした。栞はえへへとはにかんだ。
「これがエラーのもとだ」
次の一言で地獄に堕とされた。
「シングルっていうのは利き手を使わないでグローブだけで捕ること。子供たちは体の正面で両手で捕るように指導されているから、シングルで捕るべき場面でも無理に回り込んで正面で捕ろうとしてエラーにつながるんだ。だから、その悪い癖を治そうっていう話だ」
一週間ぶりの佐倉の早口だ。億劫そうに喋る普段とはまるで別人である。
「えっと、逆シングルと言うのは」
「そこはキャッチャーのアツヤ君」
佐倉に急に指名されて六年生でキャッチャーのアツヤは「え、おれ?」と戸惑いながらも答えた。
「正面に対してミットを持っているほうで片手で捕るのがシングル、その逆で捕るのが逆シングル」
身振りを交えてくれたので栞にも分かった。
「して、そのメリットは?」
佐倉は続けて問いかけた。
アツヤは首を傾げながら考えてやがて答えにたどり着いた。
「あ、ランナーを刺すため」
「そう、正解。実はアツヤは自然にやっているんだ。盗塁を刺すためにね」
アツヤのストロングポイントで、盗塁の阻止率が高い。二塁に送球するときのボールを捕ってからの速さは見事なものだ。
「逆シングルがボールの持ち替えが速いってことですか」
「監督も分かったようだね。みんなも分かったかな」
選手たちは一様に頷いている。
「じゃあ、三人一組でノックをやろう。一人が打って、一人が捕って、一人がキャッチャーね」
四年生のマサノリが余るので栞と佐倉と組んだ。栞は自主練習の成果でうまいとは言えないがノックを打てるようになっていた。
佐倉がキャッチャーを務め、栞とマサノリの二人で回すように言う。マサノリが打つ必要はないんじゃないかと言ったが「いいから」と返され、従った。
栞は不格好ながらも打球を捕って投げ返すことはこなせた。佐倉がニヤニヤしているのが気に食わなかった。
その後シートバッティングまでを終え、シートノックをする番だ。栞は佐倉に直訴した。
「佐倉さん、わたしにノック打たせてください」
「だめ」
「なんでですか、練習したのに」
佐倉は栞を無視して「今日はアツヤが打て」と言った。
「今週からシートノックは交代でノッカーをやろう」
「どういうことなんですか」
ノックは監督がやるものだろう。そう思って練習後に栞は抗議した。
「そのうち分かる。かもしれない」
「えー、分からないかもしれないっていうことですか」
佐倉はそそくさとグラウンドを出ていった。
きたる土曜日、恒例の練習試合である。
「『好球必打』よ」
そう言って栞は選手たちを送り出した。
ヒサシとアツヤのバッテリーは変わらず安定感を見せ、守備は練習の成果ありか、目立ったミスは出なかった。
長打から一気に失点を許し、完封とはいかない。
打撃面だが、ヒサシとアツヤのコンビが好調でともに複数安打を記録した。栞はスコアをつけている佐倉を見た。
「気付いた?」
「ノックを打っていた子たちが好調です」
先週先々週とノッカーを務めたヒサシ、今週ノックを打ったアツヤ。
「ノックっていいバッティング練習なんだよね。数十回バットを振るわけだし、力みも抜けるんだ」
「それでマサノリ君にも打たせてわたしに受けさせたんですか」
「まあね」
栞は守備練習で打撃面も向上させる一石二鳥ぶりに感心した。
打線は繋がらず無得点に終わり、0-1で敗北した。
「佐倉さん、次から打撃面ですね。この得点力は問題です」
「バッティングかあ、水ものだからなあ」
「ヒサシ君とアツヤ君を急成長させたじゃないですか。信じてます」
「そう簡単に信じられてもね、まあやってみるよ」
佐倉は口ではああ言いながらも何だか楽しそうにしている。強打者だったという血が騒ぐのだろう。
栞は来週から見られる佐倉の魔法のような打撃指導に期待で胸を弾ませた。




